チビワンは私の腕の中で亡くなりました。
18歳まで、あと4日でした。

当初、ヘルニアの疑いでしたが
その後、全身性の痙攣発作を起こすようになり
激烈といってもいいほどのスピードで重症化し
寝ずの看病が続きました。

2月18日、亡くなる4日前はまだ
プールを使ってこんな遊びができていました。
どんなに薬を替えても、強い薬にしても
症状の進行を止められず、
日が変わるごとにどんどん衰弱していきました。
具合が悪くなってたった11日で、彼女は旅立ってしまいました。
それなのになぜ、「最高の思い出」かというと……
2月18日、午前2時、薬がさめて少しの間、チビワンが平常で、
遊ぼう?と言ってきたように見えたので、
1時間強、居間で一緒に遊びました。
水平に抱き上げ、「飛行機ぶーん、お空をとんでるよ」とか
私が麻痺した後ろ足を持って、「手押し車~」とか。
そういえば、チビワンの認知症状が出てから、意思疎通がしにくく
なったこともあり、あまり遊んであげてなかったなあ、と反省しながら。
とても楽しい1時間半でした。
その後、発作が強くなり、平常でいる時間がほとんど
なくなってしまいました。
2月19日、午前6時、それまで夜通し発作がおさまらず
寝ずに介抱していましたが、ようやくおとなしくなり、
私も眠くて、仰向けになった私の体の上にチビワンがよこたわり
7時過ぎまで一緒に寝ました。
発作時は体が硬直してしまうのですが、このときのチビワンは体がやわらかく、
リラックスしているように見えました。
これもとても嬉しい、幸せな思い出です。
この後、それまでの薬が効かなくなり、朦朧とするほどの強い安定剤を
使わざるを得なくなりました。
今の住まいは、以前から拙ブログをご覧くださっている方には
お察しいただけるかも知れませんが、
チビワンありき、チビワンのために必死で探して
ようやく見つけたマンションでした。
ペット不可なら、同じ家賃でずっとスペックの良い物件は
たくさんありました。
彼女は結局2か月しかここに住めず、
楽しみにしていた近隣の桜並木の散歩もかないませんでしたが
自分がいなくなっても、私がここを嫌にならないように
楽しい思い出をつくってくれたのかも知れません。
最期は私の腕の中で、
それまで荒い呼吸だったのがうそのように穏やかになり
ゆっくりと3回、すーっすーっすーっと深呼吸して
自然に眠るように、息を引き取りました。
悲しいはずなのに、思わず「嬉しい、嬉しい」と言葉が出ました。
そのくらい、幸せな看取りでした。
愛で満ちた看取りができると、寂しさがやわらぎます。
最期の最期で、この上ない思いやりをみせてくれたチビワン。
人生の中で、こんな可愛い自慢の子と出会えたこと、何にも代えがたい喜びです。