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朝の光(聖書の言葉)

新約聖書の言葉  新約聖書 ローマ ー 黙示  

新約聖書 ローマ書 ー  黙示録  


神は無限の方,

私たちは有限のものです。


ですから,私たちは神のすべてを

知ることはできませんが,

信仰と心の内に働くキリストと

聖霊の働きによって

神と神の恵みを知ることが出来ます。


そこで,

聖書の言葉が何を教えているか

考えてみました。




愛の深さ 


(エペソ3:17-19 口語訳)

「また,信仰によって,
キリストがあなたがたの
心のうちに住み,
あなたがたが愛に根ざし
愛を基として生活することにより,
すべての聖徒と共に,
その広さ,長さ,高さ,深さを
理解することができ,
また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って,
神に満ちているもののすべてをもって,
あなたがたが満たされるように,
と祈る。」




御霊がうちに住む


(ローマ8:10,11)

「キリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを死者の中から
よみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」


イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストを

死者の中から復活させた霊が,

うちに宿ります。


私たちは,

キリストの十字架と共に死に,

キリストの復活と共に生きるのです。


(ローマ8:11)

「あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」


は,私たちに与えられた神の約束です。


主が再び来られるとき,

聖霊がわたしたちのからだを

新しく造り生かしてくださいます。






聖霊の賜物


(1コリント12:8-11)

「ある人には御霊によって
知恵のことばが与えられ,
ほかの人には
同じ御霊にかなう
知識のことばが与えられ,
またある人には
同じ御霊による信仰が与えられ,
ある人には同一の御霊によって,
いやしの賜物が与えられ,
ある人には奇蹟を行なう力,
ある人には預言,
ある人には霊を見分ける力,
ある人には異言,
ある人には異言を解き明かす力が
与えられています。
しかし,同一の御霊が
これらすべてのことを
なさるのであって,
みこころのままに,
おのおのにそれぞれの賜物を
分け与えてくださるのです。」


イエス・キリストを信じる者には,

愛を中心とした

御霊の実が与えられます。


そして,

神のために働くために御霊の賜物が

与えられています。


ここには,

御霊の賜物が列挙されています。


教会の働きは人の知恵ではなく,

聖霊の働きによる

聖霊の賜物の働きによるものです。






愛 


(1コリント13:4-8)

「愛は寛容であり,
愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,
すべてを信じ,
すべてを期待し,
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」


1コリント13章は,

「愛の章」と呼ばれます。


ここでは,

愛は「絶えることがない」

不滅性を示しています。


ここでの愛は,

神の愛(アガペー)です。


イエス・キリストが,

わたしたちに与えてくださった愛です。


聖霊は愛の方です。


イエス・キリストを信じる者に,

聖霊によって神の愛が注がれます。

愛は,御霊の実の一つです。


パウロは次の箇所で,

御霊の実を取り上げていますが,

そのはじめが愛です。



(ガラテヤ5:22,23b)

「御霊の実は,愛,喜び,平安,寛容,
親切,善意,誠実, 柔和,自制です。」





栄光から栄光へ


(2コリント3:16-18)

「人が主に向くなら,
そのおおいは取り除かれるのです。
主は御霊です。
そして,主の御霊のあるところには
自由があります。
私たちはみな,
顔のおおいを取りのけられて,
鏡のように主の栄光を反映させながら,
栄光から栄光へと,
主と同じかたちに姿を
変えられて行きます。
これはまさに,
御霊なる主の働きによるのです。」


わたしたちが主イエスに向くなら,

主と隔てなく交わることが出来ます。


そこには自由があります。


旧約聖書のモーセが主の顔を見たように,

わたしたちも主の御顔を

仰ぐことが出来ます。


そして,

主の栄光を受けて

主の姿に変えられていくのです。






神の選び 


(エペソ1:4)  

「神は私たちを
世界の基の置かれる前から
彼にあって選び,
御前で聖く,
傷のない者にしようとされました。」


この神の選びによって,

私たちは救われます。


「彼にあって」とは,

次のところで,

もう一度説明しています。


(エペソ1:7)

「この方にあって私たちは,
その血による贖い,
罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。」




恵みと信仰


(エペソ2:8)

「あなたがたは,恵みのゆえに,
信仰によって救われたのです。
それは,
自分自身から出たことではなく,
神からの賜物です。」


イエス・キリストの受肉,

生涯,十字架,復活によって,


神は私たちに

恵みを与えてくださいます。


わたしたちは福音の内容を信じ,

イエスを自分の救い主として

受け入れることによって,

救われます。



(ヨハネ1:12)

「この方を受け入れた人々,
すなわち,その名を信じた人々には,
神の子どもとされる
特権をお与えになった。」


イエス・キリストの恵みは

すべての人に及ぶから,

信仰は必要ないと言う人がいます。


これは,聖書の教えと違います。


救いには,神の側の恵み,

私たちの信仰の2つが必要です。


ここでの信仰とは,

イエス・キリストを信じることです。


パウロは,次のように言っています。


(ローマ10:9)

「もしあなたの口で
イエスを主と告白し,
あなたの心で神は
イエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと
信じるなら,
あなたは救われるからです。」




神の御姿であるキリスト


(ピリピ2:6-11)

「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,死にまで従い,
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は,
この方を高く上げて,
すべての名にまさる名を
お与えになりました。
それは,イエスの御名によって,
天にあるもの,地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である』
と告白して,
父なる神が
ほめたたえられるためです。」


イエス・キリストが,受肉して,

この世に来られたのは,

神がへりくだった姿でした。


それは,神がわたしたちを救い,

神の栄光を現すためでした。


旧約聖書のイザヤ書では,

神が天地を創造した理由を

次のように宣べています。


(イザヤ43:7)

「わたしの名で呼ばれるすべての者は,
わたしの栄光のために,
わたしがこれを創造し,
これを形造り,これを造った。」




神の栄冠を得るために


(ピリピ3:12,13)

「私は,すでに得たのでもなく,
すでに完全にされているのでも
ありません。
ただ捕らえようとして,
追求しているのです。
そして,それを得るようにと
キリスト・イエスが
私を捕らえてくださったのです。
兄弟たちよ。
私は,
自分はすでに捕らえたなどと
考えてはいません。
ただ,この一事に励んでいます。
すなわち,うしろのものを忘れ,
ひたむきに前のものに向かって進み,
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる
神の栄冠を得るために,
目標を目ざして
一心に走っているのです。」


私たちはイエス・キリストを

信じることによって,

罪が赦され,義と認められます。


この箇所では,

信じた私たちが聖霊の働きによって,

清められます。


聖化の歩みです。

そして,イエスが再び来られるとき

神の栄冠を受ける体に

変えられるのです。


栄化と呼ばれます。




キリストと共に 


(コロサイ3:1)

「こういうわけで,
もしあなたがたが,
キリストとともに
よみがえらされたのなら,
上にあるものを求めなさい。
そこにはキリストが,
神の右に座を占めておられます。」


イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストと結びついています。


パウロはイエス・キリストとの

結びつきの深い意味を伝えました。


イエス・キリストを信じる者は,

キリストと共に十字架につけられ,

復活し,神の右の座に着きます。



(使徒行伝2:32,33)

「神はこのイエスを
よみがえらせました。
私たちはみな,
そのことの証人です。
ですから,
神の右に上げられたイエスが,
御父から約束された聖霊を受けて,
今あなたがたが
見聞きしているこの聖霊を
お注ぎになったのです。」


そして,キリストの再臨の時,

信じるものはキリストと共に,

栄光に包まれて現われるのです。



(コロサイ3:1-4)

「こういうわけで,
もしあなたがたが,
キリストとともに
よみがえらされたのなら,
上にあるものを求めなさい。
そこにはキリストが,
神の右に座を占めておられます。
あなたがたは,地上のものを思わず,
天にあるものを思いなさい。
あなたがたはすでに死んでおり,
あなたがたのいのちは,
キリストとともに,
神のうちに隠されてあるからです。
私たちのいのちである
キリストが現われると,
そのときあなたがたも,
キリストとともに,
栄光のうちに現われます」。




パウロの祈り


(1テサロニケ3:12,13)

「私たちが
あなたがたを愛しているように,
あなたがたの互いの間の愛を,
またすべての人に対する愛を増させ,
満ちあふれさせてくださいますように。
また,あなたがたの心を強め,
私たちの主イエスが
ご自分のすべての聖徒とともに
再び来られるとき,
私たちの父なる神の御前で,
聖く,責められるところのない
者としてくださいますように。」


お互いが愛を増しくわえること,

再臨のときまでに聖く,

責められることがない者と

なるようにと,

パウロは祈っています。





怠惰な生活を戒める


(2テサロニケ3:12)

「こういう人たちには,
主イエス・キリストによって,
命じ,また勧めます。
静かに仕事をし,
自分で得たパンを食べなさい。」


テサロニケの教会では,

すぐに再臨が来られるので,

働かなくてもよいと

考える者がいました。


そこで,再臨の前にして,

怠惰な生活をしてはいけないこと,

落ち着いた生活をすることを勧めます。



(2テサロニケ3:6)

「兄弟たちよ。
主イエス・キリストの
御名によって命じます。
締まりのない歩み方をして私たちから
受けた言い伝えに従わないでいる,
すべての兄弟たちから
離れていなさい。」




イエスは信仰の完成者


(へブル12:1)

「信仰の創始者であり,
完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に置かれた喜びのゆえに,
はずかしめをものともせずに
十字架を忍び,
神の御座の右に着座されました。」


イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストを

見上げることによって

生活することが,

大切だと教えています。




人をえこひいきしてはいけません


(ヤコブ2:1)

「私の兄弟たち。
あなたがたは私たちの
栄光の主イエス・キリストを
信じる信仰を持っているのですから,
人をえこひいきしてはいけません。」


「栄光の主イエス・キリスト」とは,

さばきの主として栄光のうちに来られる

イエス・キリストのことです。


再臨の主が人をさばくのですから,

わたしたちが人を差別したり,

裁いてはいけないのです。


そこで

「人をえこひいきしてはいけません」

と言います。




主のことば 


(1ペテロ1:23-2:2)

「あなたがたが新しく生まれたのは,
朽ちる種からではなく,
朽ちない種からであり,生ける,
いつまでも変わることのない,
神のことばによるのです。
『人はみな草のようで,
その栄えは,みな草の花のようだ。
草はしおれ,花は散る。
しかし,主のことばは,
とこしえに変わることがない。』
とあるからです。
あなたがたに宣べ伝えられた
福音のことばがこれです。
ですから,あなたがたは,
すべての悪意,すべてのごまかし,
いろいろな偽善やねたみ,
すべての悪口を捨てて,
生まれたばかりの乳飲み子のように,
純粋な,
みことばの乳を慕い求めなさい。
それによって成長し,
救いを得るためです。」


「生ける,

いつまでも変わることのない,

神のことば」

(1ペテロ1:23)とは,

宣べ伝えた福音の言葉であり
(1:25),

キリストに関することです。


この1:24,25は,

イザヤ書の40:6-8の引用です。


人のはかなさと対照的に,

新生をもたらす

福音の不朽性が示されています。



(イザヤ40:6-8)

「『呼ばわれ。』
と言う者の声がする。
私は,
『何と呼ばわりましょう。』と答えた。
『すべての人は草,その栄光は,
みな野の花のようだ。
主のいぶきがその上に吹くと,
草は枯れ,花はしぼむ。
まことに,民は草だ。
草は枯れ,花はしぼむ。
だが,
私たちの神のことばは永遠に立つ。』」






異端


(2ペテロ2:1)

「イスラエルの中には,
にせ預言者も出ました。
同じように,あなたがたの中にも,
にせ教師が現れるようになります。
彼らは,滅びをもたらす
異端をひそかに持ち込み,
自分たちを買い取ってくださった
主を否定するようなことさえして,
自分たちの身にすみやかな
滅びを招いています。」


私たちは,

主の贖いを受け入れ続けることが,

異端からの救いになります。


主イエス・キリストは

わたしたちを滅びから救ってくださり,

主のものにしてくださいました。


異端の者は,

イエス・キリストを受け入れず,

否定します。


ヨハネは,

イエスをキリスト(救い主)

として信じることが,

神からのものであると言います。



(1ヨハネ4:1-3)

「愛する者たち。
霊だからといって,
みな信じてはいけません。
それらの霊が神からのものかどうかを,
ためしなさい。
なぜなら,
にせ預言者が
たくさん世に出て来たからです。
人となって来た
イエス・キリストを告白する霊はみな,
神からのものです。
それによって神からの霊を知りなさい。
イエスを告白しない霊は
どれ一つとして
神から出たものではありません。
それは反キリストの霊です。
あなたがたは
それが来ることを聞いていたのですが,
今それが世に来ているのです。」




神に栄光


(ユダ1:25)

「私たちの救い主である唯一の神に,
栄光,尊厳,支配,権威が,
私たちの主イエス・キリストを通して,
永遠の先にも,今も,
また世々限りなくありますように。
アーメン。」


聖書は神が唯一神であることを教え,

同時に唯一の神と救い主は,

同じ神であることを示しています。




新しいエルサレムにおける喜び


(黙示22:1,2)

「御使いはまた,
私に水晶のように
光るいのちの水の川を見せた。
それは神と小羊との御座から出て,
都の大通りの中央を流れていた。
川の両岸には,いのちの木があって,
十二種の実がなり,
毎月,実ができた。
また,
その木の葉は諸国の民をいやした。」


ヨハネは

イエス・キリストを信じる者が,

主の再臨の後に行く

天国の幻を見ました。


新しいエルサレムにおける,

いのちの祝福の豊かさを示しています。


「いのちの水」とは,

永遠の生命のことです。


イエス・キリストを信じる者が,

永遠の生命を与えられるとことを,

命の水を

与えられることで示されています。


(詩篇36:8)

「彼らはあなたの家の豊かさを
心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを,
あなたは彼らに飲ませなさいます。」


(ヨエル3:18)

「その日,
山々には甘いぶどう酒がしたたり,
丘々には乳が流れ,
ユダのすべての谷川には水が流れ,
主の宮から泉がわきいで,
シティムの渓流を潤す。」


(ゼカリヤ14:8)

「その日には,
エルサレムから湧き水が流れ出て,
その半分は東の海に,
他の半分は西の海に流れ,
夏にも冬にも,それは流れる。」



(黙示7:17)

「なぜなら,
御座の正面におられる小羊が,
彼らの牧者となり,
いのちの水の泉に
導いてくださるからです。
また,神は彼らの目の涙を
すっかりぬぐい取って
くださるのです。」



(黙示22:17)

「御霊も花嫁も言う。
『来てください。』
これを聞く者は,
『来てください。』
と言いなさい。
渇く者は来なさい。
いのちの水がほしい者は,
それをただで受けなさい。」




(黙示22:1-6)

「御使いはまた,
私に水晶のように
光るいのちの水の川を見せた。
それは神と小羊との御座から出て,
都の大通りの中央を流れていた。
川の両岸には,いのちの木があって,
十二種の実がなり,
毎月,実ができた。
また,
その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや,のろわれるものは何もない。
神と小羊との御座が都の中にあって,
そのしもべたちは神に仕え,
神の御顔を仰ぎ見る。
また,
彼らの額には神の名がついている。
もはや夜がない。
神である主が彼らを照らされるので,
彼らには
ともしびの光も太陽の光もいらない。
彼らは永遠に王である。
御使いはまた私に,
『これらのことばは,
信ずべきものであり,
真実なのです』と言った。
預言者たちのたましいの神である主は,
その御使いを遣わし,
すぐに起こるべき事を,
そのしもべたちに示そうと
されたのである。」





                       
     
2023-08-30


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