5.愛にとどまる (ぶどうの木)
ミカ4:1-5
(終わりの日の約束)
エフェソ2:13-18
(キリストにおいて一つとなる)
ヨハネ15:9-12
(互いに愛し合いなさい)
「父がわたしを愛されたように,
わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。」
(ヨハネ15:9)
Ⅰ
(ミカ4:1-5 終わりの日の約束)
今日の旧約聖書の聖書箇所は,
神様がわたしたちに平和を
もたらすことを示しています。
ミカ書では,
つぎのようになると言います。
「主は多くの民の争いを裁き,
はるか遠くまでも,
強い国々を戒められる。」
(ミカ4:3)
わたしたちは,
神が歴史の中に働いておられることを
証しなければなりません。
歴史の中に平和を望まれる神が
働いておられることを信じれば,
人々は次のようになります。
「剣を打ち直して鋤とし,
槍を打ち直して鎌とし,
国は国に向かって剣を上げず,
もはや戦うことを学ばない。」
(ミカ4:3)
Ⅱ
(エフェソ2:13-18)
(キリストにおいて一つとなる)
平和を求められる神は,
キリストを平和として遣わし,
十字架につけ,
神との和解を
人間にもたらしてくださいました。
神との和解と共に敵との和解を
もたらしてくださいました。
今日の第2の聖書箇所で,
パウロは次のように言います。
「実に,
キリストはわたしたちの平和であります。
敵と味方この二つのものを一つにし,
御自分の肉において
敵意という隔ての壁を取り壊し,
規則と戒律ずくめの律法を
廃棄されました。
こうしてキリストは,
双方を御自分において
一人の新しい人に造り上げて
平和を実現し,
十字架を通して,
両者を一つの体として神と和解させ,
十字架によって敵意を滅ぼされました。」
(エフェソ2:14-16)
キリストの十字架によって,
神との和解は成立し,
敵意は滅ぼされました。
そこで,イエス・キリストによって,
神と人とは和解し,
人と人とも和解します。
この和解を伝え,和解に生きることが,
平和を造り出すことになります。
そして,パウロは次のように言います。
「神はキリストによって
世を御自分と和解させ,
人々の罪の責任を問うことなく,
和解の言葉を
わたしたちにゆだねられたのです。」
(Ⅱコリント5:19)
キリストが言われたように
「敵を愛し,迫害する者のために祈り」
(マタイ5:44)ましょう。
「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,
正しい者にも正しくない者にも
雨を降らせてくださるからです。」
(マタイ5:45)
Ⅲ
(ヨハネ15:9-17)
(キリストの愛にとどまる)
この愛を知らせ,
実行するために神の御子は人となりました。
だから,
キリストは今日の福音の聖書箇所で,
言います。
「父がわたしを愛されたように,
わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。」
(ヨハネ15:9)
キリストの愛にとどまるときに,
わたしたちの心に平和が宿り,
平和を造り出す働きへと
わたしたちを導きます。
(2003年8月2日)
松隈貞夫牧師