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朝の光(聖書の言葉)

6.信仰  (菜の花を飾りて)  

6.信仰  (菜の花を飾りて) 


マタイ15:21―28 

(カナンの女の信仰)


ローマ11:25-28 

(イスラエルの再興)



「婦人よ,あなたの信仰は立派だ。

あなたの願いどおりになるように。」

(マタイ15:28)




(マタイ15:21-28)

(カナンの女の信仰)


今日の聖書の箇所もまた,

歴史と個人の問題をテーマとして

考えることができます。


神様の救いの歴史です。


この救いの歴史は,

エジプトで奴隷であったイスラエルを

神様が救い出されるところから始まります。


イスラエルだけでなく世界へと広がって行き,

異邦人である悪霊にひどく苦しめられていた

カナンの女の娘にまで及びます。


憐れみを求めるカナンの女にイエスさまは,

初め何もお答えになりませんでした。


日本語の訳では,

弟子たちが

「この女を追い払ってください。」

(マタイ15:23)となっています。


「追い払う」の元の言葉では,

「赦す,釈放する,解放する,

願いをかなえて去らせる」

という意味の言葉が使われています。


弟子たちは,

カナンの女をイエスさまに

執り成そうとしているのです。


弟子たちが執り成しても,

イエスさまは

「わたしは,

イスラエルの家の失われた

羊のところにしか遣わされていない」

(マタイ15:24)

とおっしゃいます。


それにもかかわらず,

悪霊に苦しめられている娘の母親は,

イエスさまの前に平伏し,

「主よ,どうかお助けください。」

(マタイ15:24)

と言います。


しかし,イエスさまは,

「子どもたちのパンを取って

子犬にやってはいけない。」

(マタイ15:26)

とおっしゃいます。


それでも,母親は

「主よ,ごもっともです。

しかし,

子犬も主人の食卓から落ちる

パン屑はいただくのです」

(マタイ15:27)

と,主の憐れみをひたすらに求めます。


この異邦人のひたすらな願いに,

イエスさまは

「婦人よ,あなたの信仰は立派だ。

あなたの願いどおりになるように。」

(マタイ15:28)

とお答えになりました。


このとき,娘の病気はいやされます。

こうして,救いはイスラエルを越えて,

異邦人へと及ぶのです。




(ローマ11:25-36)

(イスラエルの再興)


パウロは,ローマの信徒への手紙の中で,

異邦人の救いと

イスラエルの再興という課題を取り上げます。


ローマの信徒に次のように書き送ります。


「あなたがたは,

かつては神に不従順でしたが,

今は彼らの不従順によって

憐れみを受けています。

それと同じように,彼らも,

今はあなたがたが受けた

憐れみによって

不従順になっていますが,

それは,

彼ら自身も今憐れみを

受けるためなのです。

神はすべての人を

不従順の状態に閉じ込められましたが,

それは,

すべての人を憐れむためだったのです。」

(ローマ11:30-32)



神様はすべての人を憐れむために,

イスラエルを選び,イスラエルを救い,

そして異邦人を救ってくださったのです。


この救いの歴史の中で,

悪霊に苦しめられていた異邦人の娘は,

母親のひたすら憐れみを求める

信仰によっていやされたのです。        


今年の「原爆の日」には,

こども代表が「平和の誓い」の中で,

ヨハネ・パウロ2世の言葉を引用しました。


それは,1981年2月25日,

広島の平和公園の原爆死没者慰霊碑の前で,

世界に向けた

法王のメッセージからとられています。


「戦争は人間のしわざです。

戦争は人間の生命を奪います。

戦争は死そのものです。

過去を振り返ることは,

将来に対する責任をになうことです。

広島を考えることは,

核戦争を拒否することです。

広島を考えることは,

平和に対して責任を取ることです。」


この中で述べられている

「過去を振り返ることは,

将来に対する責任をになうことです。」

という言葉は,

メッセージの中で繰り返されています。


人間は歴史に対して,

責任を取らなければならないのです。

その歴史を導いてくださるのは,

神様です。

歴史に対して責任を取るということは

神様に対して責任を取ることなのです。


その神様の思いは,

すべての人を憐れむことなのです。


戦争は人間の罪に起因しています。

戦争の残酷さは,

人間の罪の残酷さなのです。


その罪の残酷さの責任は,

人間が取らなければならないのです。


(新共同訳聖書)

(2005年9月20日)

(松隈牧師)


☆彡


マタイ15:21―28 (カナンの女の信仰)

イエスはそこをたち,
ティルスとシドンの地方に行かれた。
すると,
この地に生まれたカナンの女が出て来て,
「主よ,ダビデの子よ,
わたしを憐れんでください。
娘が悪霊にひどく苦しめられています」
と叫んだ。
しかし,イエスは何もお答えにならなかった。
そこで,弟子たちが近寄って来て願った。
「この女を追い払ってください。
叫びながらついて来ますので。」
イエスは,
「わたしは,
イスラエルの家の失われた
羊のところにしか遣わされていない」
とお答えになった。
しかし,女は来て,イエスの前にひれ伏し,
「主よ,どうかお助けください」と言った。
イエスが,
「子供たちのパンを取って
小犬にやってはいけない」
とお答えになると,
女は言った。
「主よ,ごもっともです。
しかし,小犬も主人の食卓から
落ちるパン屑はいただくのです。」
そこで,イエスはお答えになった。
「婦人よ,あなたの信仰は立派だ。
あなたの願いどおりになるように。」
そのとき,娘の病気はいやされた。
 

2019-06-18

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