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ROCK & CINEMA DAYS

映画とROCKと猫が大好きです

大毎地下劇場

2008-02-13 00:20:00 | 映画
私はなんといまだにシネコンで映画を観たことがないのです。映画ファンといいながらねえ。
息子たちをシネコンまで送迎することはよくあるんですが、自分は入ったことありません。
一番近いシネコンまで車で1時間近くかかります。



そこで息子たちが映画を観てる間に、イオンやらヨーカドーやらで食料品の買い出しをします。
なんと私の住んでる地区には、イオンもヨーカドーもないんですよ(!)。
だから結構私も楽しみにしてたりします。でかいショッピングセンター巡り。



とまあ、今はこんなふうに映画館から遠ざかってしまった私ですが、中学・高校・大学と、映画館には足繁く通っていました。
でも学生にとって映画料金ってバカになりません。
だから名画座は学生映画ファンにとってパラダイスでした。



大阪に生まれ育った私にとって、名画座と言えば「大毎地下劇場」。
西梅田の堂島地下センターのいっちばん南(だったと思う…最近記憶力に自信なし)のつきあたりに「←大毎地下劇場はこちら」という小さな表示があって、その表示通りに左へ曲がるともうパラダイスよ(笑)。
初めて行くと、わかりにくい場所でしたね。
薄暗いロビーの入口からは、いろんな名画たちのパンフレットやポスターが見えていました。



最初に大毎地下に行ったのは、中学2年生の時です。
夏休みにビートルズ映画の4本立てをやってたので、友達と2人で行ってきました。
すごい人でしたよ。座れないので立ち見。
「ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!(A Hard Day's Night)」
「HELP!4人はアイドル」
「イエローサブマリン」
「レット・イット・ビー」



ビートルズファンの私はすごく楽しかったですけど、友達はファンではなかったので、4本を立ち見するのはかなり苦行だったようです。
「レット・イット・ビー」になると、途中で何度も出ようとして私の方を見たけど、私が没頭して観ていたので出そびれてしまったらしいです(笑)。
この年以降、大毎地下は毎年夏休みになるとこれをやってたような気がしますが。



これをきっかけに、大毎へは何度も行くようになりました。
わたしの実家は地下鉄四つ橋線沿線だったので、乗換えなしに行けるという便利さもうれしかったです。
ビートルズの次に行ったのは、確か
「スティング」
「華麗なるギャツビー」
の2本立てでした。
ちょうどロバート・レッドフォードが大ブレイクしている時でしたね。



私はレッドフォードのファンではなかったのですが、ファンの友達に誘われて行くことに。
これがまた、ビートルズ以上の大混雑!
人波に押されて通路に座り込むことになったのですが、一旦座るともう動けない!
そのくらいぎっしりの人だったんです。
しかしこの日、私は映画ファンとして最悪の事態に遭遇したのでした。



普段なら上映中は場内に入ったりしないのですが、あまりの混雑に「席を確保しなくちゃ」とでも思ったのでしょうか。状況はもう覚えてません。
上映中にもかかわらず、扉を開けて入ったのです。
…その時、「スティング」のラストシーンでした。
「スティング」のラストなんていきなり観てどーする!
おかげで次の上映で「スティング」を観ても面白さ半減でした。



高校生になり、大学生になっても、大毎地下へはよく行きました。
入口で「大毎地下ニュース」という通信ももらいましたね。
次の上映作品の紹介なんかが載ってました。
確か「友の会」みたいなのもあったような…うーん、はっきりとは覚えてません。
いろんな名画を低料金で観ることができて、ほんとうに有難い映画館でした。



大毎で映画を観た帰りに、堂島地下センターの「インディアン」というカレー専門店でカレーを食べるのが定番コースでした。
ここはカウンターだけのお店で、メニューもカレーとハヤシライスくらい。
当時500円だったと思います。
座るとすぐにカレーが出てきて、さっさと食べてさっさと出る、実に回転のいいお店でした。
ここのカレーは辛くて有名らしいのですが、私は全然辛いと思わなかったなあ。
若かったんだね。
今では甘口カレーでも食べられないくらい老化しました。
カレーは胃もたれしちゃうのよ(哀)。



そして今。
大毎地下だけでなく、ミナミの戎橋劇場もなくなりました。
インディアンのあった堂島地下センターは、おしゃれでピカピカのショッピングモールに変わりました。
私は映画館に行くこともなくなり、子供をシネコンに送迎してます。
今は満席だと入れてくれないんで、立ち見なんかなくなりました。
事前にネットで予約して、当日ケータイを機械にかざすだけでOK。
みんな座って観ることができます。
便利だなあ。



でも今でも、大毎地下が恋しくてたまらない時があります。
不便だし、立ち見で疲れたりしたのにね。













時計じかけのオレンジが好きだぁ!!!

2007-06-20 21:29:00 | 映画
「時計じかけのオレンジ」っつー新遺伝子が発見されたとの記事をヤフーのニュースで見た瞬間、

「ぎゃ~!アレックス~!」

とPCの前で叫んでしまった私って…。
久々にこの映画のことを思い出してしまいました。
私の中ではベスト1の映画なんですよ。

私がこの映画の存在を知ったのは小学生の時です。
当時は70年代前半で、フォークソングと深夜ラジオブームまっただ中。
ちょっと年上だったイトコが購読していた「深夜放送ファン」という雑誌(のちに「ランラジオ」と改称)を読んでいました。

誌面に登場するのは、深夜のDJをやっていた人気フォークシンガーがほとんど。
その頃の人気DJと言えば、落合恵子・吉田拓郎・谷村新司・山本コータロー・みのもんた などなど。
なつかしい顔ぶれが並びましたが、もうひとりなつかしい方の名前を出しますね。

ケメ。

団塊の世代の方、なつかしいでしょ?
女の子のような風貌と声で賛否両論だったケメ=佐藤公彦のインタビュー記事が掲載されていました。
ケメはその中で、好きな映画が「小さな恋のメロディ」と「時計じかけのオレンジ」だと言ってたのです。
小学生だった私は「時計じかけのオレンジ」こそ知らなかったけれど、「小さな恋のメロディ」は当然知っていましたし、映画を観たこともありました。
ケメのイメージだと「小さな恋のメロディ」が好きだというのは非常に納得できたので、「時計じかけのオレンジ」も同じような映画だと思いこんでしまいました。「オレンジ」という言葉自体かわいいものを連想させますしね。
その思いこみがまったくの間違いだと知るのは数年後。高校生の時です。

学校帰り、たまたま小さな書店に立ち寄った私は、文庫本の棚で見つけてしまったのです。
そう、アントニー・バージェス著「時計じかけのオレンジ」を。
「あ、ケメが好きだって言ってた映画の原作だ!どんな話なんだろ?」
私は本を手にとって読み始めました。
……………………………………………………!!!!!!!!
なんじゃこりゃあ!
小さな恋のメロディとは似ても似つかんどころか、哺乳類と爬虫類くらいの違いがあるやんけ!
しかも…おもしろい!

ここでこの小説を「おもしろい」と感じてしまったことにより、私の人生は大きく変わっていくのですが、当時はそんなこととはつゆ知らず。
もちろん即買いして即読しましたよ。
それで終わってれば良かったのですが、運命とは恐ろしいもので、直後になんと映画が日本でリバイバル公開されることになったのです。
当然、映画館に足を運びました。忘れもしません、大阪・道頓堀の東映パラスです。
ストーリーは知ってるからだいたい想像つくよな、と思っていた私の頭は思い切りぶん殴られました。

冒頭のシーンからしてもう圧倒です。
いきなり主人公・アレックスのどアップ。with 片目つけまつげ。
BGMはおどろおどろしい「クイーン・メリーの葬送曲」。
ぽかーんと口を開けたままスクリーンを見つめる私を置き去りにして、映画は進みます。

ベートーベン第9の軽快な楽章にあわせてレコードショップを歩くアレックス。
仲間割れを起こしテムズ河で暴れるアレックスの勇姿は、「泥棒カササギ」をBGMにスローモーションで表現され、まるでバレエのようです。
そしてルドビコ療法により、人格矯正という名の時計じかけにされてしまったアレックス。
映画前半で無差別に暴力をふるいまくったアレックスは、後半でその相手たちから暴力のお返しをされまくります。
これって、キューブリックがコメディを作るとこういう風になると言った感じですかね。

映画は1970年制作ですが、設定は1984年のロンドンです。
いわゆる近未来を描いたものですが、残念なのはレコードショップの場面。
だってね、1984年ならもうCDの時代ですよ。
さすがのキューブリックもCDまで想像できなかったんですね。当たり前ですが。
でもあのレコードショップ、かっこ良かったなあ。あんな店に行きたいと思ったものです。

映画が終わったあともぼーっっっとしてました。
たまたま公開時が夏休みだったんで、それから毎日のように映画館に通いましたね。ビデオもDVDもない時代でしたから。
最初の上映から最後の上映までずっと観てるんです。文字通り、朝から晩まで。もう、取り憑かれたみたいに。
だから、ちゃんとおにぎりとかパンとか持って入るんですよ。
あんなに夢中になった映画って他にないですね。
はい、回りからは変人扱いでした。

この映画を観たせいで、「大学に入学したら絶対映画のサークルに入るんだっ!」と決意した私は、その通り某大学の映画サークルに入り、そのサークルの上級生と結婚してしまって、いまは田舎の酒屋にいます。













「パッチギ!」の時代とフォーククルセダーズ

2007-05-19 21:16:10 | 映画
地上波で「パッチギ!」を観ました。
すでに観ていた夫から「俺らの時代の話やで。胸がキュンとなるわ~」と推薦されていたので、中学生の息子と一緒に観ましたよ。

舞台は1968年ですから、私より少し上の世代になります。
でもこの時代の雰囲気は覚えているので「あ~、そうやったそうやった。こんな感じやったわ」と、ノスタルジックな気分になりつつ、ケンカのシーンの多さに思わず「ガキ帝国」を思い出したりしてました。
「ガキ帝国」は大阪、「パッチギ!」は京都と違いはあるものの、隣同士ですから雰囲気は似てたでしょうね。

この映画の主軸である「イムジン河」。
私がフォーククルセダーズのこの歌を初めて聴いたのは小学生の時でした。
ちょうどフォークソングがブームで、私も生意気ながらギターの練習を始めた頃です。
コード進行が、C→Am→DかEm→G7…だったかな。もう記憶があやふやで正確ではないですけれど、初心者向けの曲だったんです。
「いい曲だなあ」と子供ながら感動しました。
高校生だったイトコに「ええ曲やろ~。でもこれ放送禁止やねんで。そやからラジオで聴かれへんねんで」と教えられ、「ええ?なんでやのん?むっちゃええ曲やのに。歌詞かておかしないやん」と聞き返したら「これ、朝鮮と韓国のこと歌ってるからなんやよ」と言われました。
なんで朝鮮と韓国のこと歌ってたらあかんのや?
その疑問が解けるのはずっとあとのことでした。

フォーククルセダーズは当時関西では神様扱いだったように記憶しています。
彼らの出現で日本の音楽界は大きく変わりました。
音楽界だけでなく、文化や風俗にも影響を与えたのですから。
「アングラ」という言葉も彼らの登場で初めて知りました。
特に加藤和彦は「日本のポール・マッカートニー」と称されるほどメロディメーカーとしては天才的だったし、甘いマスクで女の子に人気ありましたね。
のちに夫人だった福井ミカとサディスティック・ミカ・バンドを結成しますが、ミカもまたキョーレツな個性の持ち主だったんで、やっぱり子供心にも「すげー夫婦」と思ってました。

映画に挿入されていた「悲しくてやりきれない」もすごくいい曲で好きでした。
この曲は「イムジン河」が放送禁止になったことを悲しんだフォーククルセダーズが、「イムジン河」を逆回転させて歌詞をつけたものだと聞いたことがあります。
映画ではオダギリジョーが歌ってて、主人公が橋の上でギターを叩き壊すシーンで流れていました。
このシーンはほんとに悲しい。
死んだ男の子の通夜で在日朝鮮人のおじいさんが主人公に怒号を浴びせたあとだからです。
あのおじいさんも、主人公に文句を言っても仕方がないことをわかっていながら、それでも抑えることができなかったんですね。
主人公は、何も知らずいい気になって「イムジン河」を歌っていた自分に情けなくなってしまったんだろうなと思います。あの橋のシーンは。
あのシーンがあったからこそ、その後のラジオ番組で「イムジン河」を歌うシーンがより感動的になりました。

朝鮮学校の男の子たちが京大に学生運動用の武器を売りに行く場面で「中核」と書いたヘルメットがありました。
ああ、そうだった。京大って中核だったっけな、といろんな大学のセクトを思い出したりもしました。
私が大学へ行ってた頃は「女子大生ブーム」で、学生運動は知識としてしか記憶してないですが。

最後の乱闘シーンは出町らしいですね。
私は大学時代に京都に住んでた…と言っても金閣寺の方なんで、出町あたりはうっすらとしか覚えてませんが、鴨川ともうひとつの川が合流するあたりでしょうか。
あの川が朝鮮学校の生徒たちと府立高校の生徒たちにとっての「イムジン河」ってことですかね。
でも、あの両方の学校の不良たち、あの時代によくいた不良そのまんまですね。
「いたいた、こういう子」って笑っちゃいました。
長ランとか、アフロヘアにマスクした女子とか、もう~(笑


ロッキーホラーショーの思い出

2007-04-20 20:10:19 | 映画
「ロッキーホラーショー」の1976年日本公演のチケットを引っぱり出してきました。
大阪の朝日座のチケットですね。



で、お気づきでしょうが、なんと 未 使 用 のチケットなんですわ。
なんで行かなかったかと申しますと…。
この時私は高校生で、友達と3人で観に行く予定だったのです。
友人Aが代表してチケットを購入。3人とも違う高校へ通っていたので、学校内でチケットをもらうことはできません。
で、Aがもうひとりの友人Bに「当日の2時にナンバ駅の改札に集合しよう」と言ったのです。

ところがBは待ち合わせの駅を間違え、私に「ナンバ駅」ではなく、地元の「○○駅」と伝えました。
で、当日。私とBは○○駅で来るはずのないAを待っていました。
今のようにケータイのない時代です。いつまでたってもやって来ないAと連絡もとれず、私とBはベンチに座ってダラダラ文句を言い続けてました。
なんかもう、朝日座までわざわざ行くのもかったるくなって(第一、Aと会えるかどうかもわかんないし)、女ふたりでずーっとどうでもいいことばっかり話してました。

数時間後(どれだけしゃべってたんやて)、電車からAが降りてきました。
3人が同時に「あ゛~!」と叫び、そこでことの真相がわかった次第。
結局、Aだけが舞台を観たんです。ああ、3000円が…。当時の3000円って高校生には大金でした。
しかし心優しいAは、私達の分までパンフレットを買ってくれていたのです。
そのパンフレットはいまだにチケットとともに私のお宝です。

で、責任はどーとるんや~!のB。
さすがに悪いと思ったのか、次の年に初来日したKISSのチケット取りをしてくれました。
オンラインでチケットが買えないアナログな時代です。
12月の寒い夜、徹夜でウドー音楽事務所の前に並んでましたよ。
おかげでど真ん中の席でKISSが観られました。

…あぁ、でも、やっぱりロッキーホラーショー観たかったよ…。