なかなかブログもご無沙汰してしまいがちです。
今年も相変わらずなんだかんだとアタフタしております。
12年前、対馬に来た時は漁師して、畑も作って
忙しくてものんびり田舎暮らし!と思っていたのですが・・・
さて、今年から、毎度鮮魚の発送でお世話になっている、クロネコヤマトの宅急便さんの「クール便」の規格規制が厳しくなりました。
140サイズ以上の荷物は受け取らなくなりました。
例えばこのサイズ、ブリの6キロになりますと入らない発泡スチロールの大きさになります。
ヤマトさんも、色々と諸事情があり、苦渋の選択だったという事ですが、その決定には
「利用者無視」の感が否めません。
他にも運送屋さんはありますが、ヤマトさんはこれまで、この国の宅配荷物の先駆けとなり、道を開いてきました。
この会社がなければ、他の大手の宅配便もまずなかったでしょう。私の直販はおろか、今の日本の宅配流通システムそのものが確立されていなかったでしょう。
今から15年前、私が25歳の時です。
高校を卒業した私は18歳で東京にある宅配便に就職、上京しました。
まさにバブルのど真ん中でした。
経済的には何の不自由もない生活でしたが、色々と思う所もあり、5年で退職、
その後、貯金で専門学校に通いました。
遊んでもしっかりと貯蓄が出来るほど給料がよかった時代、まさにバブルでした。
しかし、家賃も払い、それまでの所得から来る様々な税金も払い、そして、専門学校の学費は馬鹿高いので、生活は窮地に陥りました。
CWニコル氏が作った環境分野の人材を育成する学校でしたが、野外実習などで、留守にする事も多く、なかなか定期的なバイトは出来ないので、登録制の日雇いのバイトでしのいでいました。
1年生は何とかしのぎましたが、2年生になる時にはほとんど貯金も残っていない状況となり、アパートも風呂無し、風が吹けば倒れるようなアパートに移りました。
そして、2年生後期の学費、確か約40万円程だったと思いますが払うめどが立たなくなりました。
そこで思い切って学校に理由を話し、年末に一月近く休んで、クロネコヤマトで集中的にバイトしました。
東横線の、川崎・武蔵小杉から銀座[ヤマト運輸本社の地下に東銀座支店があります)まで始発で通い最終で帰る日が続きました。
ほとんど休みなく一日15時間程働きました。理由を話し、班長さんも応援してくれ、とてもよくしてくれました。
くたくただったけど、皆さん、本当によくしてくれて、可愛がってくれました。バイトの最後には忘年会まで誘ってくれ、仕事中にはヤマト運輸の信念なども話してくれました。
みんな、誇りを持って働いていて、自分たちが都心のオフィスの物流を支えているという自信がみなぎっていました。
月日が経ちましたがそんなヤマト運輸を応援しています。
だからこそ、今回の決定が残念でなりません。
今日は、対馬市長もそのような声を届けにヤマト本社に出向いて、対馬の恵みが今後も全国のお客様にお届けできるよう、陳情しています。
今年も相変わらずなんだかんだとアタフタしております。
12年前、対馬に来た時は漁師して、畑も作って
忙しくてものんびり田舎暮らし!と思っていたのですが・・・
さて、今年から、毎度鮮魚の発送でお世話になっている、クロネコヤマトの宅急便さんの「クール便」の規格規制が厳しくなりました。
140サイズ以上の荷物は受け取らなくなりました。
例えばこのサイズ、ブリの6キロになりますと入らない発泡スチロールの大きさになります。
ヤマトさんも、色々と諸事情があり、苦渋の選択だったという事ですが、その決定には
「利用者無視」の感が否めません。
他にも運送屋さんはありますが、ヤマトさんはこれまで、この国の宅配荷物の先駆けとなり、道を開いてきました。
この会社がなければ、他の大手の宅配便もまずなかったでしょう。私の直販はおろか、今の日本の宅配流通システムそのものが確立されていなかったでしょう。
今から15年前、私が25歳の時です。
高校を卒業した私は18歳で東京にある宅配便に就職、上京しました。
まさにバブルのど真ん中でした。
経済的には何の不自由もない生活でしたが、色々と思う所もあり、5年で退職、
その後、貯金で専門学校に通いました。
遊んでもしっかりと貯蓄が出来るほど給料がよかった時代、まさにバブルでした。
しかし、家賃も払い、それまでの所得から来る様々な税金も払い、そして、専門学校の学費は馬鹿高いので、生活は窮地に陥りました。
CWニコル氏が作った環境分野の人材を育成する学校でしたが、野外実習などで、留守にする事も多く、なかなか定期的なバイトは出来ないので、登録制の日雇いのバイトでしのいでいました。
1年生は何とかしのぎましたが、2年生になる時にはほとんど貯金も残っていない状況となり、アパートも風呂無し、風が吹けば倒れるようなアパートに移りました。
そして、2年生後期の学費、確か約40万円程だったと思いますが払うめどが立たなくなりました。
そこで思い切って学校に理由を話し、年末に一月近く休んで、クロネコヤマトで集中的にバイトしました。
東横線の、川崎・武蔵小杉から銀座[ヤマト運輸本社の地下に東銀座支店があります)まで始発で通い最終で帰る日が続きました。
ほとんど休みなく一日15時間程働きました。理由を話し、班長さんも応援してくれ、とてもよくしてくれました。
くたくただったけど、皆さん、本当によくしてくれて、可愛がってくれました。バイトの最後には忘年会まで誘ってくれ、仕事中にはヤマト運輸の信念なども話してくれました。
みんな、誇りを持って働いていて、自分たちが都心のオフィスの物流を支えているという自信がみなぎっていました。
月日が経ちましたがそんなヤマト運輸を応援しています。
だからこそ、今回の決定が残念でなりません。
今日は、対馬市長もそのような声を届けにヤマト本社に出向いて、対馬の恵みが今後も全国のお客様にお届けできるよう、陳情しています。