「オーミケンシ」と「RVH」(いずれも東証2部上場)を取り上げた記事。
「オーミケンシ」は、全従業員(といっても2百人ほどですが)を対象に退職勧奨を実施するとのことです。
「東証2部に上場する「オーミケンシ」は5月13日に「事業再構築案に関するお知らせ」と題したリリースを行い、不採算のレーヨン短繊維・紡績糸やテキスタイル(織物)関連事業から撤退すると表明した。併せて「全従業員」(3月末時点の単体ベースで219人)を対象に退職勧奨を実施することを決めた。
不動産賃貸事業や環境問題対応の研究部門などは残すとしているが、前期の売上高90億円のうちおよそ8割に相当する70億円を稼いだ繊維部門からの撤退に伴い、「会社側は200人程度にやめてほしいと考えている」(関係者)という(オーミケンシはダイヤモンド・オンラインの取材に対し、「現在、従業員と面接中であり、退職の規模については決まっていない」と回答)。
従業員の9割を削減するというのはリストラというよりほとんど廃業に近い。」
歴史のある会社で、不動産の含み益があるようです。
「さかのぼると旧彦根藩士の子息・夏川熊次郎氏が「近江絹綿」として滋賀県彦根市で1917(大正6)年に創業した100年企業だ。1949(昭和24)年には東証と大証に上場し、翌年大阪に本社を移転した。
一時アパレルブランド「ミカレディ」を展開し、700億円近い年商を上げていたこともあったが、繊維産業の衰退で長い低迷が続き、すでに見る影もない。ただ、創業者の孫にあたる龍寶裕子氏が筆頭株主で、夫で一時社長を務めた元大蔵官僚の龍寶惟男氏が第10位株主に残っている。
連結有利子負債は6月末時点で106億円に達しており、今回の解体的リストラは銀行からのプレッシャーがあったことが容易に想像できる。老舗の強みで不動産の含み益を活用して倒産は回避した形だが、ここまで追い込まれる前に柱となる新事業を育てておくべきだった。」
戦後の大きな労働争議(近江絹糸争議)でも有名な会社のようです。
当サイトでも何度か取り上げた「RVH」の方は、今年4-6月期の売上高がわずか4億円で前年同期比96.8%減となったとのことです。
2000年に東証マザーズに新規株式公開したものの、赤字続きで、「株主や経営陣がコロコロと代わるパターン」になったのだそうです。
「こうしたなか企業買収を相次ぎ行い規模拡大にかじを切ったため注目が集まった。
14年11月には脱税が発覚した士業専門広告会社の「DSC」(翌年「リーガルビジョン」へ事業譲渡、あの「東京ミネルヴァ法律事務所」倒産の黒幕企業である)が傘下入りした。
16年1月には不正会計が発覚した脱毛サロンの「ミュゼプラチナム」の支援企業となり、17年2月に「たかの友梨ビューティクリニック」を運営する「不二ビューティ」も子会社化してエステ事業を強化したかと思えば、18年2月に今度は経営不振が続いていた岐阜の有力レディースフォーマルウェアメーカー「ラブリークィーン」も買収した。
その結果、RVHの19年3月期の連結売上高は実に587億円に達した。DSC買収前の14年同期は5億円足らずだったから大躍進だ。
しかし、RVHは不振子会社を再生するノウハウもグループの戦略立案能力も持ち合わせていなかった。結局資金繰りを維持することが困難になり、リーガルビジョンについては18年11月に売却。ミュゼと不二ビューティも今年2月にたかの友梨氏が株式の52%を保有する会社への売却を決めた(実行は4月)。さらにコロナ禍で業績が悪化したラブリークィーンも6月に入り手放した。直後にラブリークィーンは破産している(負債6億円)。」
「結局、RVHに残ったのはIT関連の事業だけ。第1四半期決算では繰延税金資産を取り崩し最終赤字は50億円に膨らんだ。さらに未払い法人税等が16億円もあるのに対し、現預金は6億円しかない。500億円超の年商はいわば「張りぼて」だった。」
ソルガム・ジャパン・ホールディングスとの関係についてもふれています。
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