人間と宗教 Ⅱとして楢篠賢治の部屋が開いているうちにと思い急いで完成させタイトルをコピーし貼り付けた。そしてワードで書いといた文をコピーし本文の方に貼り付けようとしたがタイトルだけが出てきてしまう。何度か繰り返すうちにワードの文章が消えてしまうというミスを犯してしまった。
今回はもう一度トライする根気も無く次回のチャレンジとなるが。私の書こうとしていることは宗教を否定することではなく、また宗教家でもない私が宗教を肯定することでもない文章になるだろう。楢篠賢治の部屋ではそのことをこれから書き綴っていきたい。
ただ最後まで人間と宗教で貫かれるのは、他の動物には無い人間だけの能力というか、はたまた感性というか『時間の観念』を持ったがゆえに、未来を想像上で予知し不安心理になるということだと言える。そしてそれは幼児期には無く、いつのころからかその観念を身につけていく。
そしてあえて最終的なものを書くとすれば身についた時間の観念の最高峰とよぶべきかは別としても、宗教上の悟りにあたるものと言うべきか、哲学を学問としてではなく『永遠の時間の流れ』を察知する能力。自己自身の置かれている状況を時間の流れの中で別の自分として上から見ている自分に気がつく。「私はどこから来て、どこへ去ろうとしているのか」と言うたゆまない懐疑、そのときあらゆる本を読みだし自分を知ろうする哲学が始まっていく。自分を知ることイコール「人間とは何か」を知ることでもある。
今回はもう一度トライする根気も無く次回のチャレンジとなるが。私の書こうとしていることは宗教を否定することではなく、また宗教家でもない私が宗教を肯定することでもない文章になるだろう。楢篠賢治の部屋ではそのことをこれから書き綴っていきたい。
ただ最後まで人間と宗教で貫かれるのは、他の動物には無い人間だけの能力というか、はたまた感性というか『時間の観念』を持ったがゆえに、未来を想像上で予知し不安心理になるということだと言える。そしてそれは幼児期には無く、いつのころからかその観念を身につけていく。
そしてあえて最終的なものを書くとすれば身についた時間の観念の最高峰とよぶべきかは別としても、宗教上の悟りにあたるものと言うべきか、哲学を学問としてではなく『永遠の時間の流れ』を察知する能力。自己自身の置かれている状況を時間の流れの中で別の自分として上から見ている自分に気がつく。「私はどこから来て、どこへ去ろうとしているのか」と言うたゆまない懐疑、そのときあらゆる本を読みだし自分を知ろうする哲学が始まっていく。自分を知ることイコール「人間とは何か」を知ることでもある。