ホンタイシリーズはフィクションであります。ここでの表現は作品としての表現であり、私の主張ではありません。ご容赦ください。
音楽番組といったって、ほとんどアイドル集合な番組だったりする。
アイドルのよさはある。しかし、ほとんどアイドルだけで作られた番組を音楽番組として放送してはたしてファン以外からの支持はあるか。
アイドル以外はどうであろう。ところが、才能ある者らはアイドルの楽曲をつくっていたりする。かといって才能ある者等に支えられたアイドル楽曲をじっくり聴くなんてことしない。ファンじゃないから。
己でつくって己で歌う。手作りな歌は必要である。
音楽には
馴れというのがあって、アイドル楽曲に馴れたらアイドル楽曲を聴き続ける時期が続くことになる。
米国の音楽は、くやしいけれど豊穣である。多様な音楽を聴くことに馴れた米国なのだろう。
音楽業界の衰退は世界規模であるが、商売以外のところで米国の音楽はくやしいけれど豊穣である。
多様な国の多様な音楽に馴れることは重要である。
タモリは多様な国の多様な音楽を聴き続けている変わり者である。
だからあの番組で黙ってがまんして司会を続けたって大丈夫なのさ。タモリはあの番組後の夜はきっと多種多様な世界の豊穣音楽によって己を浄化しているのさ。