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年金暮らしのおじさんがどうでも良いような日々のあれこれを書き綴った日記 その155(2025年5月25日)

本屋さんの思い出

◇ 生麦駅前の本屋さん
 先週、生麦中学校への通学路の坂の上から「鶴見事故」を目撃した思い出を書いたら、その頃のことが溢れんばかりに思い出されてきた。京浜急行生麦駅前を思い浮かべたら、その景色のなかに駅前にあった小さな本屋さんが現れて来た。書店名などもう記憶のどこにも残っていない。間口一間半、奥行き二間ほどの小さな本屋さんで、昭和の時代、私鉄沿線の駅前ならどこにでもあったような佇まいのごく普通の本屋さんだ。中学校からの帰り道なので、友達に誘われて寄り道したり、他の道を行った以外の日は必ずのように立ち寄っていた。文庫本が並べられた棚を端から端まで毎日のように見ていたので、棚のどこに何の本があるか自然に覚えたし、昨日まであった本が無くなったのは売れてしまったのかということにも気が付いた。
 コナン・ドイルのシャーロック・ホームズを初めて読んだのは中学生になってからだった。友人が全集の全巻を貸してくれた。イラストが挿入されているようなジュニア向けのものではなく、出版社は覚えていないが今の文庫本と変わらないものだったように記憶している。貸してくれた友人の兄の蔵書のようで、読み終わって一冊ずつ返す時に、一編ごとのあらすじと感想を求められたので、多分兄から読めと渡されたものをこちらに回したのだろうと思った。あらすじとかトリックを簡単に説明しなければならないという義務のようなものを感じて、物語の全体像の把握と、ひとつふたつ記憶に残るような台詞とか記述、使われたトリックなどを自分なりに反芻しながら読むようになった。この最初の経験が、読み終えた本の概要を誰かに伝えられるように読むということが習慣になったように思う。最初に出会ったのがミステリーで、しかもコナン・ドイルのシャーロック・ホームズというまさに正しい入り口から入った。“三つ子の魂百まで”という言葉の通り、私の読書体験がここから始まった。

 江戸川乱歩の「心理試験」という短編小説を原作としたNHKドラマを観たのがきっかけだった。ネットで確認すると、このドラマが放映されたのは昭和38年の8月の一回だけで、私はこのドラマを見た翌日の下校時に生麦駅前の本屋さんで「心理試験」を購入して読んだ。これが私が自分で支払って求めた二冊目の本だった。一緒に収録されていた「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「押絵と旅する男」など、まだうぶな中学生三年生が受けた衝撃は簡単に言葉に出来ないほど強烈で、結局、この年の秋までにこの本屋さんの棚にあった江戸川乱歩短編集を全部買って読むことになった。
 「心理試験」を読み終えて、“どうしても読まねばならぬ”と一大決心をして、夏休みのお盆が過ぎた頃、鶴見銀座にあった「天下堂書店」でドフトエフスキーの「罪と罰」を購入して読んだ。この本が自分の小遣いで購入した三冊目になる。今になってはこの偉大な小説についてまったく何も、ただのひとつも覚えてはいないが、主人公の青年が金貸しの老婆を殺す場面を読んで、「心理試験」の主人公が金持ちの老婆の殺害を決意した心情の出処はここか、見つけた、と大発見でもしたように興奮したことだけは覚えている。
 今から思えばシャーロック・ホームズから入って乱歩へという、ミステリーの王道の一歩目と二歩目だった。

◇ 鶴見銀座の天下堂書店
 京浜急行の鶴見駅から一国(京浜第一国道)まで“鶴見銀座”という商店街が続いていた。まだ本物の“銀座通り”を知らなかった中学生にとっては、とにかく何でも売っている鶴見銀座商店街だった。京急鶴見駅の近くに天下堂書店という大きな本屋さんがあった。今は本屋というと「大型書店」を思い浮かべてしまうが、当時の私にとって天下堂書店はそれはそれは大きな本屋さんだった。真鍮の取っ手の付いた重たいガラス扉を押して中に入ると書店独特の匂いがして、その重たい空気感が何よりも好きだった。何の気なしに入った神田の書店でこの空気を感じて思わず立ちすくんだことがあったが、本屋さんには独特の匂いがあるのだ。天下堂書店で思い出すのは、男性の書店員さんがカバーをかけるその手業の鮮やかなことだ。今でも本を購入すると“カバー、どうしますか?”と訊かれ、お願いしますと言うと、天地が決まっているカバーに裏表紙を挿入し表紙の側折り返して一丁上がりだが、その当時は一枚のカバー表紙の上に「文藝春秋」だとか「世界」などを置き、裏表紙と表紙を折り返し、背の天地に当たる部分にハサミを入れて内側に折り返し、上下を折り返して裏表紙側と表紙側に畳みいれる、それを目の前で一瞬に鮮やかに決めてくれるのだ。その手業の見事さは見惚れるほどのものだった。いつかこの店員さんが<!>と私をもう一度見るような本を出して、“カバーを”と言ってみたいとずっと思っていたが、それは一度もかなわなかった。今思い返しても悔しいほど残念なことのひとつになっている。

 友人が貸してくれたホームズ全集の巻末にあった既刊広告を見たのか、それとも「解説」で読んだのか、コナン・ドイルの「失われた世界」という文庫本をこの天下堂書店で購入した。この文庫本が私が買った最初の一冊だった。この時は見事な手業の書店員さんがレジにいなかったのか、別の店員さんが普通にカバーをかけてくれた。この「失われた世界」はギニア高地を舞台に有尾人が出て来る冒険の物語で、ホームズ全集を読ませてくれたお礼の気持ちを込めて、友人に“読むように”と貸してやった。友人は読まないだろうが、お兄さんには読んでもらいたいとその気持ちがあった。もちろん、友人にはあらすじと結末を話してやることは忘れなかった。読んでもらいたい本を読んでもらいたい人に渡す、これも最初の一冊だった。

 高校一年生になってすぐの頃のことだ。同級生に誘われて横浜の映画館に「007 ロシアより愛をこめて」を観に行った。この映画のことは後でゆっくりと語りたいと思っているが、その帰りに立ち寄った、横浜東口のダイヤモンド地下街の有隣堂を見た時の驚きは強烈なものだった。世の中にこれほど広い本屋さんなんてあるのだろうかと驚愕した。生麦のまだ頬に赤みの残る少年は新しく出来た鶴見の駅ビルで驚き、通学の途中で降りて歩き回った川崎駅ビルの人の多さと華やかさに愕然とし、横浜駅前の地下街で腰を抜かしたのだ。目で見て空気を肌で感じて、匂いを嗅ぎ取って世界の広さというものを実感した。17歳になったばかりの頃のことだ。
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