毎年のことだが、8月になると戦争に関する特集が組まれテレビで放送される。広島や長崎に投下された原爆と、その悲惨さもいつも以上に放送される。8月15日の昼頃には、サイレンが鳴り響き辺の雰囲気が一変する。
この日は日本にとって特別な日であるが、牧師が言及したことはなく、キリスト教とは無縁の、日本流サタニストの邪悪な記念行事と捉えていた。
戦時中に現人神の件で、牧師たちが投獄されたり虐げられたのは、現人神と神の違いを理解できず、戯言としかとれない牧師たちの神解釈が主要因だと最近知った。
投獄されても信仰を棄てなかったのは、ある意味模範的であり倣うべき要素もあるが、説教の中心をなすのは、如何に日本が酷く野蛮な国で、忌まわしい民の国であるかと云った内容である。
徳川幕府のキリシタン弾圧にも言及するが、説教は昔のクリスチャンの信仰の強さや深さに始まり、彼等の信仰を賞賛するかと思いきや、幕府の行なった刑罰の惨さや、日本への恨みつらみが延々と語られる。
日本が今なお、キリスト教が普及せず隣国の韓国がクリスチャンが多い素晴らしい国だと賞賛しては、日本のクリスチャン人口の少なさを固有文化や国民性が反キリスト的だからだと結論づけ、韓国マンセーを聴衆に刷り込む。
日本は豊かな国であり、先進国であるが、それすらも非キリスト的だと見なす傾向がある。欧米諸国はキリスト教国家だが、それを悪く言うクリスチャンや牧師を知らない。
クリスチャンが少ないにも関わらず、日本が先進国であるのが癪に障るのだ。クリスチャンでない者が大部分である国に、先進国になる資格がないと言いたがるが、その日の食べ物の心配をするような、貧困国になるのは嫌がる。
日本が嫌いで仕方がない。しかし、中韓が大好きで自国が国難に遭い、韓国人に「日本に神の裁きが下った」「大震災は韓国に謝罪と賠償をしないから地震が起きた」と根拠のない言葉に酔いしれ、悦に入ってる牧師やクリスチャンの多さに感嘆した。
聖書を掻き集め、古紙回収業者に売り、その金で日の丸を買って教会の敷地内の目立つ場所に掲げよ!反日をイエスの言葉に混ぜて信じている輩には、辛いことだろう。
1000円の聖画の模造品と同額の日本国旗のどちらかを、燃やしたりビリビリに引き裂き破り捨てろと選択肢を示されたら、迷わず聖画をビリビリに引き裂き火中に棄てる。
そんな選択をする私は、反日ではないからクリスチャンになる事は出来ないであろう。イエスを受け入れるのは、反日とセットになっているから受け入れ難い。
誰が提唱したかは知らないが、バカげてる。