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西洋服装の歴史&寛衣から窄衣へ移る時代(中世)

2012-12-04 11:51:09 | 日記
西洋服装の歴史&寛衣から窄衣へ移る時代(中世)
古代ローマの後継者となった東ローマ帝国は、ビザンティオンを首都としてヘレニズム直系の高い教養と文化を身につけ、中世唯一の先進国となっていた。ビザンティン文化の特質はギリシア的優雅さに東方の華美さを加え、キリスト教精神を通じて宮廷中心に開花したところにある。この傾向は、服装上ではローマ的な巻衣形式と北方的二部形式、および東方的装飾のみごとな結合となって現れている。男性は膝(ひざ)丈のチュニックにホーズhoseをはき、パルダメントゥムpaludamentumとよぶマントを右肩にブローチで留めた。女性はくるぶし丈のチュニックを着、その上からローマと同じパルラかまたはパルダメントゥムを着た。チュニックの両肩と裾(すそ)には男女ともはめ込み模様や刺しゅうを施し、上層の男性のパルダメントゥムの胸元には方形の装飾が、また上層女性のパルダメントゥムの肩と裾にはきらびやかな刺しゅうの飾りが施された。

ビザンティンも含めて全体としてみると、中世は強力な東方文化との接触のなかで、キリスト教と古典文化を受け継いで大きく成長していく時期であり、近代に至るヨーロッパ文化の土台を形成する時期であった。とりわけ11、12世紀のロマネスク時代は、キリスト教精神が全ヨーロッパの時代精神として、あらゆる文化のうえに反映し、特異な芸術様式を展開した。その特徴は水平線を強調した重厚な壁体とアーチ型丸屋根構造のロマネスク建築に象徴的に現れている。そしてこの特性はまた服装でも、全身を緩やかに覆い包む寛衣の形式に類型的に現れている。代表的な衣服は男女ともカートル(kirtle、シェーンズchainse)という麻製の下着にブリオー(bliaut, bliaud)という表着で、この上にサーコート(surcoat、シュルコsurcot)とよぶ袖なしの上っ張り、もしくはマントを着た。マントを除けばいずれも緩やかなワンピースで、男性は膝丈、女性は床丈で、ベールや顎(あご)覆いをつけた。ブリオーはやがてコト(cote、コットcotte)という名称にかわり、女性は背側で胴部を紐(ひも)締めにしてしだいに身体に沿う外形になり、一方、男性は腰丈のブリオーにホーズの形式が一般になる。

こうした人間の枠の大きさを越えることのなかった袋のような寛衣も、13世紀から15世紀にかけてのゴシック時代になると、限界を越えた垂直線の強調と、輝くばかりの色彩や装飾を伴った大胆なものに一変する。尖頭(せんとう)アーチと肋骨穹窿(きゅうりゅう)(リブ・ボールト)構造のゴシック建築において、この特徴は象徴的に示されている。十字軍以来の商工業の発達や都市の勃興(ぼっこう)が、かつての封建性から解放して人々に新生活の気運をみなぎらせたからである。初期には引き続いてサーコートが用いられたが、14世紀になるとコトハーディ(cote-hardie、コタルディcotardi)とフープランド(houppeland、ウプランドhouppelande)が現れる。コトハーディとは奇抜な表衣の意で、男女とも上体にぴったりあわせて仕立ててある。男性のコトハーディは腰丈でローウエストであるが、これはやがてダブレット(doublet、プールポアンpourpoint)へと発展する。脚部にはタイツ状のホーズをはき、その結果として上部で過重の外形になった。一方、女性のコトハーディは胴部がタイトなのに対して脚部は極端に緩く、しかも引き裾に仕立てられている。襟ぐりは低くV字形で胸当てがつき、ハイウエストを特徴としている。女性はヘンニン(hennin、エナンhennin, hnin)とよぶ丈高いとんがり帽をかぶり、男女ともクラコー(crakow、プーレーヌpoulaine)というとんがり靴を履いた姿はまさしくゴシック建築との類型を示している。14世紀も後半になると、女性はその上に、両脇(わき)を窓状にくりぬいた形の重ね着サイドレスサーコート(sideless surcoat、シュールコトゥベールsurcot ouvert)を着用した。これに対するフープランドはハイネック、ローウエストのガウン形式で、広袖の縁にはダギング(dagging、フェストネfestonn)という独特の切り込み装飾が施され、シャプロンchaperonという頭巾(ずきん)がかぶられた。



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