納豆好きのポン吉でありました!!
納豆好きのポン吉でありました!!
こんばんは。本日は、二回目の種まきがあるため、ポン吉を保育園にあずけてから、紫波に行ってきました。
前回の分は、今朝ポン吉ジジとポン吉ババによってハウスに移動されていました。ハウスに移動する作業が実は一番大変であるが、ラッキーだった(笑)。
種まきマシーン。やる気に満ち溢れています。
種籾。すくすく成長してください。こちらは全てヒメノモチ。
正味2時間で終了。その後、ラーメンを食べに行き、一休みしてから先ほど帰宅しました。
話は変わりますが、遠野市ではこの度の東日本大震災で、沿岸の後方支援を担っていますが、福祉センターの前にあるサッカー場で自衛隊が野営しています。今朝通りがかりに一こま。
ちょっと見にくいですが、なんと隊員たちが道路の清掃をしていました。自衛隊で汚したわけではないが、掃除してくれている。とても頭が下がる一こまでした。まだまだ遠野で野営していると思います。皆さんで、感謝の言葉をかけましょう。そして、日本のために共に頑張りましょう!!
被災地に届けばいい、そんな思いで・・・・
鯉のぼり!!上げたくても流されてしまった人、亡くなってしまった子供たち。思いが被災地や天国まで届いてくれるとうれしい。ポン吉の笑顔と共に。
お見舞い・ご冥福をお祈りいたします。
こんにちは。日曜日に、種まきを行いました。
ポン吉さんが見守る中、淡々と行われ、午前中には終了しました。と言っても半分だけ。残り半分は明日になります。育苗機で目を出させた苗を、ハウスに移動する作業が大変です。
ポン吉にも手伝ってもらいました。
来年当たりは、本格的に手伝ってもらえる予感がします(笑)。
作業が終了したのは、ちょうどお昼。さて昼食と考えることもなく、農作業後の恒例になってきている、あるところへ・・・・
はい、妻の実家から車で3分、隠れ家的焼肉店として何度か紹介しておりましたが、またしてもこちらへ・・・
こちらは冷麺。他店とは一味違った感じです。おいしいです。是非試してみてください。ちなみに、麺の量は1.5人前位ありそうな感じですので、注文の品をおさえて注文した方がいいと思います。肉は後でも頼めますので。
そして、、、
モツ、二人前。4人前位ありそうな盛です。こちらも頼む際は徐々にの方が良いと思います。
本日から明日にかけて荒れる模様です。被災地の皆さん、またえ当ブログを見てくださっているみなさん、体調の管理にはくれぐれもお気をつけ下さい。また、地震により地盤が緩んだりしていて、自然災害も予測されますので、お出かけの際は充分にご注意下さい。
震災の復興が徐々に進んできておりますが、まだまだ通常へと回復するまでは時間がかかり、長丁場となりますが共に頑張っていきましょう。一週間前にはまさかの停電・・・しかし、被災地のことを思えばこれだけですむのだから、贅沢言ってられないと感じます。
さて、話は一昨日のことになります。トラネコ師匠が愛してやまない、満ニラを食うべくして花巻へ。というか、用足しのついででしたが。。。遠野を出る前に行こうとは決めておりました。
時間は12時30分、予想よりは混んでいませんでした。外まで並んでいるイメージしかなかったので、30分は並ぶ覚悟でした。
注文はもちろん『満ニラ餃子』!!味は3種から選ぶのだが、しょうゆ
をせんたく。な、な、な、な、なんと、、、、注文してわずか30秒で出てきました。
いやー、確かに旨かった!!トラネコ氏が愛する理由がわかった気がする。東和とはちょっと違うと言うのもわかった気がした。次は味噌!!その次は塩!!とせめて行きたい(笑)。
最近のポン吉さん!!
親父のまねをして、保育園からのお便りをじーっと見てました(笑)。端から見ると、ホントに読んでいるみたいでした!しかもカメラも気にせず。成長を感じます。
こんにちは。だいぶご無沙汰しておりました。それも、あの震災の影響でした。
この度の震災で、亡くなられました多くの方々、心よりご冥福をお祈りいたします。また、被災されました方々、心よりお見舞い申し上げ、一日も早い回復、復興されますことを願っております。
平成23年3月11日14時46分、誰しもがあんな恐ろしいことが起こるなんて、想像もしていなかっただろう。まさしく、震災は忘れたころと言うよりも、突然にやってきた。ここ数年、数十年の間には確実に起こるだろういわれていた、三陸沖の地震と津波。しかし、こんなに早く来るとは、私は予測していなかった。
その日、実家でちょっとした大工作業をして、釘を打っていた。すると、ごお~~っという地鳴りが聞こえ、また地震かと安易な気持ちでいた。すると、携帯の緊急地震速報がなった。地震速報がなっても、そんなに揺れは来ないだろうと作業を続けていた。しかし、尋常じゃない揺れだと後に気付き、外に飛び出した。家が崩れるかと思った。蔵が崩れるかと思った。車がひっくり返るかと思った。未だ経験したことも無い揺れだった。
即座に、近所の老人を確認しに行った。大丈夫ですかとの問いに、大丈夫だとも、物がいっぱい落ちてきて大変だと回答が。怪我等も無かったので、余震が来るから気をつける様にと言って、その家を後にした。後に、それがその方と最後の会話になるとは予測もしていなかった。
その他の近所もう一軒の状態を確認し、実家に戻りブレーカーを下げ職場に向かった。信号機は停電により点灯せず、仕事を切り上げて家に帰る人があふれかえり、大渋滞とまでは行かないが、交通量が多かった。スタンドは停電の影響でどこも既に締め切っていた。
ポン吉は、保育園だし大丈夫だろうという安易な気持ちで職場に向かったわけだったが、後に携帯が使えず一般回線もつながりにくい状態により、安否が不明に。兄き協力を求め、色々と捜索してもらったが、どこにも見当たらず。後に、メールで妻から無事を確認。しかし、妻も仕事が忙しくなり、保育園に先生と一人取り残されていたそうです。親として失格な行動だったと反省・・・
仕事も、夜の11時に終了し、明かりの無い町を車で走り、唯一開いていたローソンに駆け込む。しかし、おにぎり、パン、カップラーメンなどは既に売り切れ状態。何も買わずに店を出た。
その日は電気も何も無いため、上郷の実家に泊まることに。着いたのは、深夜0時を回っていた。皆、電気もないので就寝していた。俺の布団に兄が就寝していた。暗闇の中、別の布団を探す。もう何でもいいやと薄汚い布団で寝ることに。寒かった・・・余震が何回もあった。余震はあるが、とても静かな夜だった。ホントに静かだった・・・・・
ドン・ドン・ドン!!と、深夜3時戸をたたく音。私は疲労によりまだ就寝中。兄が最初に気付いたらしい。起きていき、外に出て行った。火事だ!!その一言で、反射神経が働いた!!起き上がった瞬間、火事のにおいが充満していた。最初は実家が家事だったのかと思った。しかし違った。昼間、安否を確認しに行った人の家が火事になったのだ。外には、近所の第一発見者の人と、釜石の被災地へ向かうためにたまたま通りかかった警察官がいた。昼間声を掛けていった、老人の姿が見当たらなかった。既に一階の軒から火が噴き出していた。玄関に鍵が掛かっていなかった。少しあけてみたが、中は既に煙が広がり、熱風が吹き出してくる。これはまずいとすぐに閉めた。
数時間後、老人は遺体で発見されたそうです。避難所に行って、皆と過ごしていれば。。ご冥福をお祈りいたします。
そうこうとしているうちに、震災から三週間がすぎた。復興に向けて着々と進み始めている。他県からも沢山の支援がきている。隣の市である遠野市、本当に重要な役割を担っているんだと毎日感じている。まず、出来る小さいことからはじめようと思う。
ポン吉くんは相変わらず元気にしています。2週間妻の実家に預けていましたが、先週から遠野入りしました。久々に会った時は、成長を感じた。子供の成長はあっという間。まさしくそのとおりだった。
髪が伸びてきました。身長も伸びてきました。今日からは新しい保育園に通っています。もう少しで兄になります。オヤジとは逆で、たくましくなってきました(笑)。