Mr-booのなんでやねん!知らんけど~‼️生駒大好き生駒人❗

年賀状(*^^)v


大晦日に酒飲んで年を越す・・・・ぼーっとした元旦の朝(*^^)v郵便受けの年賀状を取りに行くのも幸せ(笑)年賀状だけで長く続いている懐かしい友人も少なくありません・・・年賀状で彼の状況を思う・・・・元気そ~だとか・・・来なければ心配にもなる(苦笑)年に1回の安否確認(笑)私の状況も同じように伝わってる・・・今年は飲みましょう!!とお約束の言葉に・・・ほんま会いたいと感じる(*^^)v私はええ風習だと思います。でも確かに年末に大作業になる年賀状(苦笑)
調査によると・・・・年賀状は続けるべき日本の文化と回答した人は65.0%。反面・・・・・年賀状の作成が面唐ナあると答えた人も67.8%いたといいます。多くの日本人が年賀状は書かなければならないと思いながら・・・いざ作るとなると「面唐ュさいと感じている結果・・・・まさに正解(苦笑)。そこで!調べてみました年賀状(苦笑)なんで??こんな風習が広まったのか???

昔の日本人は年始回りとして、親戚や知人の家を回り、年賀の言葉を交わすのが一般的でした!そのために新年に書状を送るのは略式と見なされていたとか!新年の挨拶を書状で出す風習を最初に始めたのは、平安時代の貴族たちとされるそうです。戦国時代の年賀状もいくつか現存しているそうですが!これらは使者に持って行かせたり別件のついでに届けさせたりしたもので、とうてい庶民が気軽に出せる代物ではなかったそうです。
江戸時代に入ると!御用飛脚!町飛脚!など公私の配達制度の発達や、寺子屋制度による識字率の向上もあり、庶民にも年始挨拶の書状を出す習慣が広まっていったそうです。しかしながら・・・当時の事(笑)天候や交通事情によって配送が遅れるのは当たり前!!元禄時代の俳諧集『当世俳諧楊梅』(とうせいはいかいやまもも)には、年始の書状へのお礼が梅雨の季節に届いたという川柳が残っているとか(苦笑)
江戸時代の武士は年始回りで同僚の家々を訪れていたのだが、お互い玄関に名刺受けを置くのが習わしだったとか。相手が所用で不在だった場合にそこに訪問者は祝いの言葉を書いた名刺を入れて帰ったといいます。名刺が新年の挨拶の代わりとなっていう事ですが!これを年賀状のルーツとする説もあるそうです。
社会が発展した明治以降は付き合いが広くなり、一人ひとりに年始回りを行うことが難しくなった。そこで活用されたのが1873年に東京・京都・大阪で発売された郵便はがき(*^^)v全国一律料金!内容を簡潔に伝えられる!一度で大量に出せるといった利点を持つ郵便はがきは、新年の挨拶の習慣と結びつき急速に普及していったそうです。
1906年に年賀特別郵便規則の公布により法的制度が確立された頃には、年賀状は完全に新年の挨拶の主流となっていたとか!戦後以降は、お年玉つき年賀はがきの発売や多色刷り印刷ブームなどの発展を遂げて現代に至っています。
しかし・・・・その年賀状も岐路を迎えています( `ー´)ノ調査会社アンケートによると、10代から30代男女のうち、新年の挨拶で、最も利用回数が多いと思うサービスは・・・・やっぱりメール36.6%が年賀状35.6%を上回ったそうです( 一一)午前0時に挨拶のメールや電話をした経験については・・・あるが78.4%。年賀状を送る予定については・・・あるが54.8%、ないが45.2%と半々にまでなっている( 一一)。歴史をみても・・・相手に気持ちを伝える挨拶の形は時代とともに変わり続けてる・・・・そんな感じでしょうか?


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