
東京都足立区の殺人事件を巡る全国初の裁判員裁判が行われている。3日午後、東京地裁に選任された女性5人、男性1人の裁判員が審理に臨み、検察側と弁護側が工夫を凝らして説明する主張に耳を傾けた。日本で最初の裁判。裁判員が審理したのは、5月に自宅近くの路上で小島千枝さんの胸や背中をサバイバルナイフで数回刺し殺害したとして起訴された事件。検察官が描く事件の流れが机上の小型モニターに映し出され、裁判員は配られた手元のメモと見比べながら見入る。弁護人は、説明資料が映された大型ディスプレーと裁判員を交互に見て語る。「死ぬかもしれないとは思っていたが、死んでほしいとは思わなかった」双方とも被害者一家のバイクの通り方や植木鉢の置き方を巡る長年の近所トラブルが背景にあると主張したが、評価は異なる。「短絡的」と検察官、「被害者側に原因がある」と弁護人。向かって右から2番目の黒い丸首シャツの女性裁判員は、弁護人の言葉に、わずかに首をかしげた。との報道であった。
裁判員制度は、なかば強引にスタートを切った。犯罪者とは言え人を裁き量刑を決める重大な任務に賛否両論である。確かに凶悪犯であっても人は人(笑)一般人である私達が量刑を決めるのは抵抗がある。一般の意識から少しかけ離れた司法へ、また一般の良識を裁判に反映してほしいと思っている。
仮に私も選任されたなら私は喜んで参加する。決して人を裁きたいからではありません(笑)私達が報道で見る凶悪犯への裁判の結果や控訴する遺族の感情。判例を基にした量刑にも納得がいかない事件も多い。世界では死刑廃止を唱える国は多い。国民性や生活や習慣・風習も加味しながら考えないといけないと思う。日本にも死刑廃止論者は少なくはない。どんな事があっても、人の命や一生を人が奪ってはいけない。との事である。少し苦笑してしまう。殺された本人の人生を奪い、これから出合ったであろう幸せや夢を奪われた被害者の人権は?どうなるのか?二人殺せば死刑だとか?訳のわからない判例など、判例自体がおかしい。そう言いながらも、私が裁判員になった時に凶悪な犯行であった場合は、いささか不安である。しっかりと事件に対して認識を持って人を裁くのではなく、被害者の側に立った判断をしたい。あくまでも裁判員に選ばれたらの話でありますが・・・・(笑)