FUYUのつれづれ日記

愛する日本の事や歴史、日々感じた事など。

シアトル酋長の手紙

2013-08-04 22:52:12 | ネィティブアメリカン

ローンレンジャー本日2回目観て来た。やはりこの映画は感謝もせず人間の欲望だけで地球からの資源を奪いつくし、ついには地球の存続も危ないところまで傷つけた人間への警告の映画だった。

もちろんエンターティメントなので楽しめますが、きちんとメッセージが込められています。

ジョニー演じるトントはネィティブアメリカンですが、彼の頭に乗っているカラスは、たぶんワタリガラスでしょう。先住民にとって神聖な生き物です。ネィティブのワタリガラスの伝説は、世界を創造したと伝えられています。

「ワタリガラスが森を作り、人を始めとした生き物が住み着いたが、あるときに寒波が襲い、生き物は死に絶えそうになった。一計を案じたワタリガラスは、ワシに太陽まで飛んで行ってそのかけらを持ち帰ってほしいと頼んだ。ワシは承諾し、身を焦がしながらも火を持ち帰り、大地の様々な所に火を灯した。それが、生きとし生けるものの魂となった」

その他のバリエーションとしては、人々が暗闇の中で何も持たず暮らしているのを不憫(ふびん)に思ったワタリガラスが、「二枚貝の暗闇の中から誘い出す・神が隠した太陽を神の娘の子供としてカラス自身が娘に受胎し、神の孫となって神に頼んで太陽を開放する・天上界(空の家という表現)へ変装して忍び込み星と月と日を盗み出し、人々に開放する」といった各話に、「人々に暮らしや家を与える、作り方などを教える」といったものが付加される形で創世の神話がなっている。」「ウィキペディアより」


このように人間を導く役割がワタリガラスですね。映画の中でトント達ネィティブ達とその土地を略奪し先住民を虐殺した白人達をしっかり描いています。地球すべてのものに感謝を捧げ地球と共に生きていた先住民とおのれの欲望のみで地球から搾取する人間と・・・。これ以上書くとネタばれになるのでタイトル通りのシアトル酋長からの手紙を掲載します。アメリカのシアトルという地名は、ネィティブアメリカンのシアトル首長の名前そのものです。

1854年、アメリカの第14代大統領 フランクリン・ピアスは先住民の土地を買収。居留地を与えると申し出ました。1855年、首長シアトルは この条例に著名しましたが、居留地とは名ばかり。それまでの豊かな土地から不毛の土地へと強制移住させられたのです。そのときにシアトル首長が大統領へ語った言葉が以下のものですが、この言葉はいくつかあるようで、どれが本当なのか議論があるようですね。でもシアトル首長の言いたかった意味を汚す事はないので、いくつかのバージョンも受け入れられているようです。

この言葉は今、すべての人類が本気で考えなければいけない事だと思います。



空が金で買えるだろうか? と、酋長シアトルは話し始めた。

雨や風をひとりじめできるだろうか?



母は、わたしにこんな話をした。

この大地にあるものはみな、わたしたちにとって神聖です。

松の葉。砂浜。暗い森にたちこめる霧。

草地も、羽音をたてて飛んでいる虫たちも。

みんな、わたしたち一族の思い出のなかに、

神聖なものとしてあるのですよ。



父は、わたしにこういって聞かせた。

わたしは知っているよ、木々の幹を流れる樹液のことを、

血管を流れる自分の血のことを知っているようにな。

わたしらは大地の一部だし、大地はわたしらの一部なのだ。

いいにおいのするあの花たちは、わたしらの姉妹だ。

クマ、シカ、大ワシ、あれたちはわしらの兄弟だよ。

岩山の峰、草原、

ポニー ・・・ みんな、同じ家族なのだ。



遠い祖先たちの声は、わたしにこう語った。

小川や大川をきらめき流れていく水は、ただの水ではない、

おまえの祖父のまた祖父たちの血でもある。

すきとおった湖水のなかのおぼろげな面影は、

わが一族のいのちの営みの記憶をものがたる。

せせらぎの音は、おまえの祖母のまた祖母たちの声よ。

川はわれらの兄弟。川はわれらのかわきをいやす。

川はわれらのカヌーを運び、またわれらの子らを養う。

おまえも川にやさしくあれよ、

兄弟たちにやさしくあるのと同じように。



亡き祖父の声は、こう語った。

大気は貴い。大気はすべてのいのちを支え、魂を与えてくれる。

わたしに誕生のいぶきをおくってくれた風は、

臨終のといきもまた、受け取ってくれたのだ。

この大地と大気を、いつまでも神聖なものとして守るように、

草原の花々のかおりに満たされた風を、だれもが、

心ゆくまで味わいにいける場所として。

最後の肌赤き人たちが、荒野とともに消え、

かれらの思い出が、草原をよぎる雲の影にすぎなくなったとき、

浜辺や森が、それでもここにあるだろうか?

祖先たちは、わたしにこう告げた。

われらは知っている、大地はわれらのものでなく、われらが大地のものであることを。



亡き祖母の声は、こう語った。

おまえが教わってきたことを、おまえらの子らに教えなさい。

大地はわたしたちの母であることを。

大地にふりかかることはみな、大地の息子とむすめにも、

ふりかかるのだということを。



聞いていただきたい、わたしの声を、わたしの祖先たちの声を、

と、酋長シアトルはいった。

あなたがた白人の宿命は、わたしたちには測りがたい。

何が起きるだろうか、バッファローが殺しつくされたときに?

野生のウマがみな、かいならされてしまったときに?

何が起きるだろうか、森の秘密のすみずみまで、

人間のにおいで満たされてしまったときに?



豊かな丘のながめが、電話線でよごされてしまったときに?

しげみはどこに? 消えてしまった。

ワシはどこに? 飛び去ってしまった!

何が起きるだろうか、わたしたちが速足のポニーと狩りとに、

最後の別れを告げるときに?

それはいのちの終わりであり、そして生き残りの戦いの始まりなのだ。



わたしたちは知っている。

血が人をつなぐように、すべての存在は網のように結ばれあっていることを。

人は、このいのちの網を織りだすことはできない。

人はわずかに網のなかの一本の糸、だから、

いのちの網に対するどんな行為も、自分自身に対する行為となることを。

わたしたちは、この地を愛している。

生まれたばかりの赤ん坊が母の鼓動を愛するように。

わたしたちの土地を買い取られるならば、

わたしたちと同じに、この地を大切になされよ。

この地の秘める思い出を、心にとどめおかれよ、

この地を受け取られたならば。

あなたがたの子どものまた子どものために、

大地や大気や川を、いつくしみ守られるように、

そしてわたしたちが愛してきたと同じに、この地を愛されるように。