中学生 勉強が得意になる

しばらくは歴史に強くなるをテーマにやります

源氏物語とはなにか?

2023-07-21 22:07:35 | 歴史が得意になる

(画像お借りしました)

これもむずかしい課題です。古事記と同じように、だれっもが知っていて、誰も全部を読まない本だと思われます。

私も筋書きを追う程度で、今回も源氏物語を江戸時代に追及した本居宣長、そして、宣長を理解した小林秀雄の文章から考えます。

宣長は源氏物語の本質は「もののあはれ」だといいます。これはただの情緒ではなく、ことにふれた人の心をことばにあらわした、そして和歌のいう「あはれ」とはまた異なる「鏡に向かったように明らかに示された」心であったというのです。

これは筋書きばかり追っている小心な自分などにはわからない宮廷人、いや愛という情にふれた女性の「心」をことばでつづった結晶と思われます。

さらに宣長が指摘したのは紫式部が、使い古された、あるいは日常の「あはれ」ではなく「その時のならひ」、つまり最新流行の感覚であったことが、当時の人々を感動させたというのです。いつの時代も流行の作家は時流に鋭いのです。

ちなみに源氏物語によって絵巻が作られたことがよく知られます。これも源氏物語をよく知る人が、印象深い場面を画面に表しています。

今はくすんだような印象がありますが、現代に再現した絵巻からは、もともと銀の美しい装飾を施したまことに美しい画面だったことがわかります。

しかし、時代が下るといつも同じ場面を同じように描く、源氏物語自体も深く読むことがなくなる、それに警鐘を鳴らしたのが本居宣長であり、小林秀雄だったのだと思います。


平等院鳳凰堂はお寺?家?

2023-07-21 09:43:28 | 歴史が得意になる

京都府宇治市にある平等院鳳凰堂は今はもちろんお寺ですが、その優雅な建物はほかのお寺とはずいぶんちがいます。

これはもと藤原道長の別荘(源融の別荘だったもの)を息子の藤原頼道が寺院に改装したものだそうです。

1053年に完成したということで、今から1000年近く前の建物が残っている、しかもその時代の優美さを伝えているのはすごいですね。

その本尊阿弥陀如来像は、建物にマッチするような優雅でおだやかなお姿です。

池の前から見ると、丸く開いた格子からお顔が見えます。夕刻に堂を灯すと、お顔が浮かび上がるのと、池に映るというさまざまな工夫が凝らされているようです。

平安時代の貴族が贅を尽くして、芸術を作りだしたことがわかる場所です。

 画像お借りしました

 


遣唐使はやめるべきだった?

2023-07-20 15:58:13 | 歴史が得意になる

 太宰府天満宮

894(はくし白紙)にもどす遣唐使

遣唐使は菅原道真の検討を要すという建言(申し出)で派遣されなくなったとされます。

それ以前に道真は遣唐大使に任じられたが、派遣の検討を要請したまま、出向かなかったようです。

道真さんは地方へ行ったり、外交に出るのが苦手だったのかもしれません。若いころに讃岐守に任じられて、任地へ赴くことが非常に不本意だったと聞きます。

さらに藤原時平の讒言で大宰府へ左遷されるのも非常に残念であったと思われます。

この怨念が雷神となって、京の宮廷に雷が落ちたとして、道真の報復といわれています。

道真公の例外な出世をねたむ人々との確執、中央で活躍できなかった無念などその思いは察するに余りあります。

遣唐使については、すでに盛唐の勢いを失った中国に学ぶところは少なかった。また、そのために京では国風の文化がさかんになったとされます。

ほんとうに良かったのでしょうか?

ただ、筆者の住む福岡では公的な交渉は途絶えても民間の大陸との交易はずっと続いていて、情報はつねに得ていたと思われます。

道真公も大宰府にいて、そんな状況はよくわかっていたと思われます。

 


桓武天皇は激しい人?

2023-07-20 08:16:07 | 歴史が得意になる

 京都・五条から見た風景

 

平安京を作った桓武天皇は一挙に多くの事業を行いました。

長岡京へ遷都を試みる。・・・不吉な事件が起こって断念。平安京に都を定める。

蝦夷(えみし)を平定する。・・・坂上田村麻呂を派遣する。

遣唐使に最澄を送り、天台宗を学ばせる。・・・空海は同時に行くが、無名だった。二人は帰国して、密教を広めた。

このように平安時代初期の基礎を築いたのですが、後宮でも女性を10数人侍らせたそうです。

新しい世を始めようとする意気込みを感じますが、そこには奈良時代の理想的な世界観から現実的、支配的な思惑を感じます。

また、武士勢力の台頭を予感させる専門兵士の採用など、次の時代を導いたともいえるかもしれません。


古事記、読んだことありますか?

2023-07-19 15:44:52 | 歴史が得意になる

 高千穂峡(画像お借りしました)

日本の歴史を最初に編んだ『古事記』は誰でも知っているけれど、実際に本文を読んだ人は少ないのではないでしょうか?

「とても表記が難しくて読めない」と思うのが普通ですね。現代語訳?のような文章で読むことが出来ます。

でも、いかにも神話という内容で、昔の人もずっと扱いに困っていたようです。

それを真正面から扱ったのは江戸時代の本居宣長と言われます。

しかし、私はその宣長の文章も難しくて読めないので、小林秀雄の『本居宣長』のなかの説明を読む程度です。

それでも「古事記の言葉は歌と同じ」、それは言葉の理知的な面だけでなく、心情をあらわす面を味わなければならない、など初めて言葉で綴られた歴史の表現の理解はなかなか困難です。

それでも現代の「史実」とはなにか?を考えさせられます。『古事記』の内容は「史実」ではありませんが、どこかに「心」を残しているのではないか、それは「神」であった古き人々の「歴史」であるかもしれません。

歴史の教科書で多くの文献が紹介されますが、読むことは少ないですね。