珍しく畳海月日記に書いた内容が、読書感想から外れてしまったので、なんとなくこっちにも載せてみようかと思いつきました。よって、内容は繰り返しですので、日記読者の皆さま御免なさいm(__)m。
物語書きのタイプあれこれ
物語を書く人には、プロット組み情熱派と、妄想暴走派と、見切り発車派と、情景最優先派なんてのが居そうですね。
どんなに長い話でも、プロット組みにのめり込むタイプの作家さんの話は、きっちり完結します。途中、どれほど寄り道が入っても、彼らが何処かに辿り着けば、物語は終わってしまうということを、作り手の人が分かっているんですね。このテの人の作品は、完結に至る不安を抱かなくて済みそうです。五條瑛氏、東野圭吾氏、真保裕一氏あたりがそうでしょうか。
次の、妄想暴走派ですが、もうこれは思い込みに想いを塗り重ね、次から次へと世界が膨らんでいくタイプ。書きはじめたときには既に骨格というか物語の世界観が確立しているのですが、書けば書くほど細部までが現実感を濃く醸しだし、一つの世界を作り上げるタイプ。短編連作や中編連作の形をとる人もおりましょうが、基本的にどこまでもどこまでも暴走していくタイプ。
百巻で完結させると宣言しておきながら、とっくに通りすぎても終わる気配がないライフワークを持ったり、五冊くらいで終わると宣言した話を二十冊くらいまで平気で書いてしまう栗本薫氏なんかがこのタイプではないでしょうか。田中芳樹氏なんかも、男性でありながらこのタイプかもしれません。
完結がするのかどうかが先ず不安であることと、基本的に波があって、突然憑物が落ちたように、その話を書かない時期が周期的にやってくるらしいのがこれで、どうでもよければ害の無い存在ですが、読み手として入れ込んでしまうと『お前な(作家さんに対して失礼)、この話完結させてから死ねよな……』と呟きたくなることが多い。
見切り発車派の人は、取り敢えず登場人物が何人か出来上がった所で走り出してしまうタイプ。筆力があって結構読ませてれる人もいますが、基本的に矛盾が一杯あって、いわゆる『突っ込み処満載』な物語を書いてくれる人です。書いてる本人が何処に行くのか知らない分、とんでもない展開が待っていたりしますが(もっともそれが矛盾の素です)、楽しく爆笑しながら読んだり、ほろっと涙したりさせてもらえるのですが、絶対に数カ所以上『それはないでしょ~』という部分がある人ですね。はっきり誰とは申しませんが、SF、時空もの、異世界もの、パラレルもののライトノベルというジャンルに多い気がします。
情景最優先派の人は、先ず絵が浮かぶんでしょうね。シーンというか。とても印象的な一枚の絵。そこに辿り着くために、物語をがんばって生み出すタイプ。このテの作品は、ラストに至るまでの物語の構築具合によって名作にも駄作にもなります。ツボに填まると感動ひとしお。
勿論、混合型もありますが、心当たりありませんか?
あと、物語以外の部分で、蘊蓄披露型、蘊蓄効果演出型、蘊蓄無視型という分類もありそうです。
披露型は、知った事実に感動して、それを教えたくてたまらずに、素(す)の作者が解説にしゃしゃりでるタイプ。司馬遼太郎氏なんかが典型でしょう。
蘊蓄をストレートに出さず、物語のあくまでも膨らみの部分に上手く取り入れるタイプ。これはもう、井上靖氏なんかの歴史ものに顕著。過去が舞台なのに現実感を下さる凄い手腕です。
蘊蓄無視は、妙に時代感に乏しい時代小説とか、全然サイエンスの香りがしないSFとか、あり得ないスパイものとか、色々ありますね。とにかく、書き手が神様。書き手のルールによってのみ物語が進んでいく。それだけで一冊の本になりそうな(実際なったりする)用語解説だの、設定集などがでてきたりします。フランク・ハーバート氏の『砂の惑星』シリーズや、トールキン氏の『指輪物語』、ル・グィン氏の『ゲド戦記』など思いつくだけでも沢山ありますが、これらに特徴的なのは、物語の中のルールを読者が覚えなければならない点ですね。下手をすると歴史や習慣、言語まで!
それでも読ませるものを描けるというのはものすごい。下手が真似をすると読むに堪えないものが出来上がります。
どう思われます?(笑)
取り敢えず拍手なんていかが?
隠れ里トップへ
物語書きのタイプあれこれ
物語を書く人には、プロット組み情熱派と、妄想暴走派と、見切り発車派と、情景最優先派なんてのが居そうですね。
どんなに長い話でも、プロット組みにのめり込むタイプの作家さんの話は、きっちり完結します。途中、どれほど寄り道が入っても、彼らが何処かに辿り着けば、物語は終わってしまうということを、作り手の人が分かっているんですね。このテの人の作品は、完結に至る不安を抱かなくて済みそうです。五條瑛氏、東野圭吾氏、真保裕一氏あたりがそうでしょうか。
次の、妄想暴走派ですが、もうこれは思い込みに想いを塗り重ね、次から次へと世界が膨らんでいくタイプ。書きはじめたときには既に骨格というか物語の世界観が確立しているのですが、書けば書くほど細部までが現実感を濃く醸しだし、一つの世界を作り上げるタイプ。短編連作や中編連作の形をとる人もおりましょうが、基本的にどこまでもどこまでも暴走していくタイプ。
百巻で完結させると宣言しておきながら、とっくに通りすぎても終わる気配がないライフワークを持ったり、五冊くらいで終わると宣言した話を二十冊くらいまで平気で書いてしまう栗本薫氏なんかがこのタイプではないでしょうか。田中芳樹氏なんかも、男性でありながらこのタイプかもしれません。
完結がするのかどうかが先ず不安であることと、基本的に波があって、突然憑物が落ちたように、その話を書かない時期が周期的にやってくるらしいのがこれで、どうでもよければ害の無い存在ですが、読み手として入れ込んでしまうと『お前な(作家さんに対して失礼)、この話完結させてから死ねよな……』と呟きたくなることが多い。
見切り発車派の人は、取り敢えず登場人物が何人か出来上がった所で走り出してしまうタイプ。筆力があって結構読ませてれる人もいますが、基本的に矛盾が一杯あって、いわゆる『突っ込み処満載』な物語を書いてくれる人です。書いてる本人が何処に行くのか知らない分、とんでもない展開が待っていたりしますが(もっともそれが矛盾の素です)、楽しく爆笑しながら読んだり、ほろっと涙したりさせてもらえるのですが、絶対に数カ所以上『それはないでしょ~』という部分がある人ですね。はっきり誰とは申しませんが、SF、時空もの、異世界もの、パラレルもののライトノベルというジャンルに多い気がします。
情景最優先派の人は、先ず絵が浮かぶんでしょうね。シーンというか。とても印象的な一枚の絵。そこに辿り着くために、物語をがんばって生み出すタイプ。このテの作品は、ラストに至るまでの物語の構築具合によって名作にも駄作にもなります。ツボに填まると感動ひとしお。
勿論、混合型もありますが、心当たりありませんか?
あと、物語以外の部分で、蘊蓄披露型、蘊蓄効果演出型、蘊蓄無視型という分類もありそうです。
披露型は、知った事実に感動して、それを教えたくてたまらずに、素(す)の作者が解説にしゃしゃりでるタイプ。司馬遼太郎氏なんかが典型でしょう。
蘊蓄をストレートに出さず、物語のあくまでも膨らみの部分に上手く取り入れるタイプ。これはもう、井上靖氏なんかの歴史ものに顕著。過去が舞台なのに現実感を下さる凄い手腕です。
蘊蓄無視は、妙に時代感に乏しい時代小説とか、全然サイエンスの香りがしないSFとか、あり得ないスパイものとか、色々ありますね。とにかく、書き手が神様。書き手のルールによってのみ物語が進んでいく。それだけで一冊の本になりそうな(実際なったりする)用語解説だの、設定集などがでてきたりします。フランク・ハーバート氏の『砂の惑星』シリーズや、トールキン氏の『指輪物語』、ル・グィン氏の『ゲド戦記』など思いつくだけでも沢山ありますが、これらに特徴的なのは、物語の中のルールを読者が覚えなければならない点ですね。下手をすると歴史や習慣、言語まで!
それでも読ませるものを描けるというのはものすごい。下手が真似をすると読むに堪えないものが出来上がります。
どう思われます?(笑)
取り敢えず拍手なんていかが?
隠れ里トップへ