じょーもん隠れ里

書くこと、吐き出すこと、作り上げる意志。情熱という一点においてのみ、作家であると私は言いたい。

セレンシィ葛城(かつらぎ)

2006-06-27 | 登場人物解説
女にとって男なんて生き物は、所詮理解の外のバケモンですわ。おなじバケモンなら見栄えと体で選んでも悪くないでしょう

 檻をお読みいただいている方には説明不要ですね。主人公小早川徹二の準配偶者であり、不幸な生い立ちを跳ね返しきれずに、それでも生きぬいてきた女性です。
 彼女はこの一連の物語では、サバイバーとしての役割がふられているので、作中で人生を終えることはありません(ネタバレ~)が、まぁ、せめて現実逃避くらいはさせてあげないと……。

 『檻に棲む小人たち』『忘却』の二作において、彼女は二度愛した人と別れるという経験をさせられます。一度目は実際は小早川は生きていたし、妊娠していたという特別な状況の扶けも有って、無事に乗り切ることができました。
 この再会後の二度目の永訣を彼女がどのように受け止めていくのかは、いつになるかは全く不明の最終章『架橋の讃歌』までナイショ。ひそかに楽しみにしていて頂けるといいんではないかと。

 命があることを喜ぶことと、死別には必ず残されてしまう者がいるという事実。一つの意識体にとって永遠は決して恵みではないという確信。生への讃歌と死への感謝。諦めとともに受け入れるしかない死は、魂にとってきっとよいことに違いないという思いは、それでも永遠であって欲しいという願いと、どうやって共存していったらいいのでしょうか。

 生きて残されたことは、いつかは自分が逝くべき立場になり、誰かを置いていくのだろうという確信が、諦めにならないように。有限であるものこそ、愛おしく大切に思う人の意識を貴重なものとして有り難く受け止めたい。

 人が生きて存在すれば、色々な場面で役割がふられてくる。その時に、もてる力の全てを注ぎ込んで、粛々と役割を果たすよう努力するだけでいい。理解不能な異性というものを愛すべき役割がまわってきたならば、自分や自分の未来をどうのこうの守ろうとするより、単純に愛してしまった方が遥かに単純で間違わない。
 人という塊の中に混在する様々な人格を、一応自由に行き来できる自律的生活ができていた短い期間である『檻』が終わってから『忘却』に至るまでの十数年は、彼女の中で、役割を果たすことがすんなりとできた、やはり幸せな時だったのではないかと思います。子どもを育てるという期間に、そのような単純を享受できる人生だったことは、作中で一、二を争う「絵に描いたような不幸」を伴侶にさせられている彼女にとって幸福であったのではないのでしょうか。

 ここで自白。彼女は書きにくい。思う通りに動いてくれないことでも、ピカイチ。幼少時に過負荷として味わされた不幸は、子育てにおいてフラッシュバックを伴って、虐待やネグレクトへとすんなり悪のスパイラルを辿ることが多い。そうでなくても、女性として出逢ってしまった伴侶と物理的に添うことが叶わなかったんですよね。いくつもの育児困難への要素を完璧に持っていながら、一人で双子を育てきっているところは理解に苦しみます。
 自傷行為を伴わず、社会生活も可能な程度に上手に解離していることはなんとか許せるとして、『忘却』では総合大学に教官職を得ていることを見ると、自分を扱いかねていながらも、社会生活との関わりにおいて平均以上のレベルで適応できているらしい。
 物語の中で、彼女が果たしていく役割というか、彼女が埋めていくべき立場は明確に見えているのに、そうできた原因(もしくは勝因)を私は今も理解できないでいます。普通に生きられないだろう理由は山ほど有るのに、彼女はいつも軽々と(本人はそうでないといつも愚痴ってますけどね)普通に日常生活を営んでいます。女性が図太いことの単純な証明というだけではどうしても無理が有る。
 そんなこんなで、あまりにも重要なポジションであるにもかかわらず、生き生きと描ききれていない不安はいつもあります。本当に彼女はよく分からない。困った人だ。


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マンダラ塗り絵 No.13

2006-06-25 | 時間殺しな趣味たち(マンダラ塗り絵)

 予告していた「魚」で~す。一週間、色々忙しく家にいなかったので更新できなかったのですが、なんとか、復活(できるのかな~)。『檻』の更新もさぼってしまい、ここまで来たら一週間飛ばしだ~、ごめんなさいm(__)m
 ちょっと画像が大きかった気もします。色を変化させるところも思惑通りに行かなかったです。が、全体として気に入っているので、このまま押し通しましょう。


部分アップ!

 この、ウロコの色をムラにしたのと、魚の背中の枠をキラキラで塗ったのが拘りだったのですが、出来上がったら、魚の目玉が楽しかった。丸書いて行くだけなのに面白い。
 今回も本は『Coloring MANDALAS2』SUZANNE F. FINCHERです。


カラーリング・マンダラ2という本、

カラーリング・マンダラ〈2〉

春秋社

このアイテムの詳細を見る

↑ これですが

 本屋さんで立ち読みしたとき、動物のモチーフが多かった気がして、ちょっと手を出しかねていたのですが、意外と面白いかもしれません。マンダラ塗り絵としては邪道かもしれませんが、一つ一つ魚として塗っていくのは悪くないです。もしかしたら、手を出す気になれない、いわゆるひとつの『大人の塗り絵』というものも、やりだしたら止まらないかもしれませんね。尤も、今は手持ちのマンダラを塗り潰すだけで、充分ですが。

 高かったので、衝動買いをなんとか踏みとどまったのですが、ポスカに筆タイプというものが出ているのを発見。う~。筆が好きなのに、発色でポスカに堕ちた私には、魅力的すぎる組み合わせだ。これで、万が一、書き味に惚れてしまったら、一本300円以上のものを、買い揃えたくなるのは必定。一本試したい。でも、怖い……。というわけで、神戸のユザワヤからレジを通ることなく帰還いたしました。これは、ビーズとレースと刺繍(最近は画材コーナーと文具コーナーで煩悩していることが多い)が趣味という私には奇跡に近い出来事です。
 
 とはいいながら、次はど~んと、マットなものを塗ろうかと思うのでした。

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マンダラ塗り絵 No.12

2006-06-16 | 時間殺しな趣味たち(マンダラ塗り絵)
今回の道具は

 三菱鉛筆水性フェルトペン PURE COLOR 12色
 トンボ油性色鉛筆
 呉竹フィス顔彩12色

実は、これを塗り上げた日は、6月7日。ポスカ入手前。
これを仕上げた段階では、気に入らないのは色鉛筆のムラだったんですが
周囲の緑もポスカだったら、きっと綺麗に映えたはず。
すっかり ポスカ教に入門してしまいました。塗り直したい位です。

淡く色を混ぜるのは、水彩絵の具だと思った通りに行かないということも
次回載せる予定の『魚』マンダラで納得いきました。
自分で色をおき始めて思うのは、世の中に溢れているイラストって結構
洗練されているんだなぁ……、ということ。

色を綺麗に発色させたいだけなのに、本当に思い描く色にならない。
空や海を自分が受けとったイメージ通りに紙に写し取るのは、
考えただけで気の遠くなりそうな試行錯誤の繰り返しに違いない。

今日は少し、小説書きの方に気が行っているので、マンダラに対して
ぶつくさ言うのは、ここまでにします。

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マンダラ塗り絵 No.11

2006-06-15 | 時間殺しな趣味たち(マンダラ塗り絵)
 今日のマンダラ

三菱鉛筆水性フェルトペン PURE COLOR 12色
トンボ油性色鉛筆 

 カラーリング・マンダラの著者・正木晃さんは、黒と白は調味料で少なめに使うように書いてらっしゃいます。なにせアクの強いというか、どこにおいても目立つ黒ですから、印象的に程よく使うのは、なかなか難しいものがあります。
 今日のマンダラですと、使いすぎている気もしますし、『いやいや、これで黒を置くならここしかないような』とも思います。

 黒はラメ系大好き(だったらしい)私には必須カラーになりつつあります。黒は隣り合う色を選ばない。舞台などもそうですが、暗さがあって初めて、光がより輝いて見える。昼間のネオンが侘しいように……とでもいいますか、黒で締めるマンダラの方が、他の色で閉じるマンダラより華やかになる気がします。

 白と黒を正木晃さんは、同格に扱っていますが、私の個人的な使いどころの傾向では正反対の二つの色です。マンダラのイメージを『花みたい』『葉みたい』『波みたい』『星みたい』『風みたい』などと想起させてくるモチーフ的役割を果たす部分に『色』として登場するのが白。
 逆にモチーフを際立たせるために、その背後に闇として置くか、マンダラの世界を限定するための、境界線として存在する黒。

 この塗り上がった作品は、個人的好みとしては、『あんまり~』といった所ですが、黒と白を考えるきっかけにはなりました。
 黒を印象的な色として、白を柔らかく広がりのある背景として塗れる日が、私に来るのでしょうか。冒険的に態とそうしてみるのも楽しいかもしれませんね。

 塗ってるだけなのに飽きないのは、そんなふうに工夫したくなる何かがあるからなのかしら?


 拍手を~♪

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マンダラ塗り絵 No.10

2006-06-14 | 時間殺しな趣味たち(マンダラ塗り絵)
ポスカデビュー作品。

マンダラ塗り絵であれこれ見ることが多い。同じパターンなのにあたりまえだけれど、同じように見える作品がないのは面白い。自分の塗り上がりをみても、似たような仕上がりにならないのですよね。本当に楽しい。
塗って楽しく、できて満足。見せてうきうき。比べてびっくり。一粒で何度も美味しいマンダラ塗り絵ですねぇ。

今まで子どもに隠れてこそこそ塗っていたのですが、ついに見つかってしまった。早速、ぬりぬり始めてましたね。塗り方は、ま、子どものすることですから、クォリティに対する拘りはまだなんですが、始めると止まらないのは大人と一緒ですね。というより、大人より途中で止めるというのが難しいようでした。終わるまで殆ど一気でしたね。宿題もテレビも本もあとまわしで。

しかも、次に塗る予定のところに名前を入れてキープしてるし……。やられた。
「あ、そのマンダラ塗りたかった」といったが、アカンベされてしもうた。

それにしても、何度もグチを言っているけれど、マンダラをデジカメで撮るのは本当に難しいですね。暗くなるし、蛍光灯を当ててもカメラの影になるし。
マンダラ塗り絵をアップしている方を、よくお見かけしますが、どうやったらあんなに綺麗にとれるのか、不思議に思う今日この頃でした。

マンダラばっかやっとらんと、奥の細道もやらなきゃね。


それにしても、綺麗な字をなぞっている筈なのに……。
どして、こんな風な癖字になるんだ?


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