ほろ酔い旅日記(チュニジア編)

2007年秋、チュニジアの旅
ラマダン期間中の為、今回ばかりは「ほろ酔いの旅」とはいかなかったけど・・・

チュニジア 旅の行程(その5)

2007-10-28 12:40:16 | 旅の行程
■10月3日(水)

 ・チュニス⇔(デブルスーク)⇔ドゥッカ(日帰り)

  フームスークからチュニスへの夜行バスは、一番前の座席に座ったのが間違いだった。
  狭い道路をスピード出してぶっ飛ばし、前にいる車やバイクを追い越しまくる。
  昼間は平気でも、暗い夜道じゃ、ずっと前方見てると、ひぇ~怖いよ~~!
  それに、ドアが開くたびに足元が冷える。これじゃあ、おちおち眠れやしない。
  そのうえ運ちゃん、夜通しラジオのボリューム全開にして、コーランの朗読を聴いている。
  おかげで浅い眠りの中、変な外国語を使ったルー大柴の夢なんか見ちゃったじゃんか!
 
  夜明け前にチュニスに到着したので、そのままローマ遺跡のあるドゥッカへ向かう。
  ジェルバから前以って電話して、旅行会社にツアーの問い合わせをしたところ、
  今のところツアーの申込は私しかいないとのことだったので、も~うそれならと、
  バスとタクシー(ルアージュ)を乗り継ぎ、自力で行くことにした。
  夜行明けで疲れてたけど、丘の上に広がるドゥッカの遺跡は圧巻、行って良かったー!

  
         <世界遺産の古代ローマ都市遺跡>


  チュニスに戻り、ホテルを取って、この日初めての食事を摂る。
  往きの飛行機でもらっておいた、ミニ・シーフードヌードル。
  ず~っと持ち歩いていてよかった~!

  
     <この旅一番美味かった!?>
   

■10月4日(木)

 ・チュニス⇔カルタゴ⇔シディ・ブサイド(日帰り)

  朝ホテルに、JICAの隊員とっしーさんが会いに来てくれた。
  ボン岬の小さな町コルバに住む彼女のお宅に、明日泊めて頂く相談をして、この日は別れる。

  その後、旅の最初に行けなかったカルタゴの遺跡へ。
  が、ガイドブックを無視した道順を辿った為、予想以上に時間がかかり、
  時間が押してしまって、遺跡全部は見きれなかった。
  最初から、ビュルサの丘を目指せばよかったよ~。

  
           <海を見下ろすビュルサの丘>  


  予定より遅い時間になったけど、カルタゴからシディ・ブサイドへ。
  チュニジアンブルーといえば、この町を連想する人がほとんどだろう。
  そのせいか、狭い町にたくさんの観光客が団体で押し寄せる。
  う~ん、もっと静かな町だったらよかったのになー。
  メインストリートは、あまりの人の多さに、ちと、ガッカリ・・・。

    
           <夕方の人気のない裏通り>


■10月5日(金)

 ・チュニス⇒ナブール⇒コルバ

  この日は、まずナブールへ行き、夕方にコルバでとっしーさんと待ち合わせ。
  
  ナブールの金曜日は、ちょうど曜日市がある日。
  お土産屋が並ぶ通りからずっと、その先の通りまで出店が続いていた。
  そろそろ旅も終わるし、せっかく陶器の町(ナブール焼き)に来ているのだからと、 
  小さめの器を2つ購入。(その直後に気付いたけど、高く払いすぎた・・・)
  駅で預かってもらっている荷物を3時に取りに行き、駅よりずっと向こうの海まで歩く。
  う~ん、どうもチュニジアの海(地中海)を見ても、ピンとくるものがない。
  ビーチで一休みしたくても、強風のうえ日陰がないし・・・。
  クロアチアやモンテネグロのように、海沿いに木陰というものがないのです。

  
    <ホテルの前のビーチで写真撮ってたら、怒られた・・・>


  夕方コルバへ行き、とっしーさんのお宅へ伺う。
  想像していたより、ずっときれいでステキなお家。
  夕食は、すぐ隣の大家さんのお宅で御馳走になりました。

  
  <大家さん家族と一緒にラマダンメニュー>  


チュニジア 旅の行程(その4)

2007-10-28 12:07:50 | 旅の行程
■9月30日(日)

 ・マトマタ⇒(新マトマタ)⇒(ガベス)⇒タタウィン⇔ゲルマッセ(日帰り)

  マトマタからメドニンへ行き、そこで一泊するつもりだったけど、
  タタウィンの方がいいということなので、予定変更してその先のタタウィンへ。
  ルアージュは、わざわざ遠回りしてガベスを経由しなきゃならない。また乗り換えか~。

  
          <ガベスのルアージュステーション>


  タタウィンのルアージュステーションは、町の中心から離れていてホテルまでがまた遠い。
  そのうえ、クサールが目的だというのに、タタウィンの町中には何もなかった・・・。
  タタウィンを拠点にして、クサール巡りをするのがいいという意味だったのね。
  ホテルの兄ちゃんにツアーはないか訊ねると、自分が車を出してくれるということ。
  でも、一人だけなので高くつく・・・。しかも、体調も天気もイマイチ・・・。

  
     <仕方ないので昼寝してから、スークをぶらぶら・・・>


  前日から鼻水が出るし、移動の車中で風にあたったせいか、本格的な風邪を引いたみたい。
  なんだか体がだるい。
  体のあちこちが痛いのは、ラクダに乗った筋肉痛のせいなのか、風邪のせいなのか?

  部屋で寝ようとホテルへ戻る途中、英語を話すおっさんが話しかけてきて、
  クサール巡りの話を持ちかけてきた。が、やっぱり一人じゃ高いし、何より時間がない。
  そしたら、ルアージュで行けるからと、すぐ側にある近郊の村へのルアージュ乗り場へ案内され、
  運ちゃんにあれこれ訊ね交渉してくれた。
  もう夕方だけど、帰りもタタウィンまで乗せてくれるというので、せっかくだから行くことに。
  でも、どの村へ行くのかはよくわからない。とりあえずルアージュに乗り込む。
  車から降り、6時半に待ち合わせして、運ちゃんが示す方向に歩いていくと・・・。

    
    <岩山の上にそびえる村、ゲルマッサ(後から知った)>


■10月1日(月)

 ・タタウィン⇒メドニン⇒フームスーク(ジェルバ島)

  疲労が溜ってきたことだし、タタウィンから直通でジェルバに行くことも考えたけど、
  やっぱりもう少しクサールを見ておきたい。ってことで、メドニンへ立ち寄る。

  メドニンのクサール群は、町の中に部分的に残されているだけ。
  それでも、私には満足できたし、行ってよかったと思う。
  何より人が写真を撮らせてくれるところが気に入った。

  
          <町なかに突然現れる、クサール群>


  次は、メドニンからルアージュで、橋を渡ってジェルバ島のフームスークへ。
  島ののんびりした雰囲気を味わいたくて行ったのだけど、あんまり島っていう感じがしない。
  お土産屋が他の町と変わらないせいかな~?海まで町中から、ちょっと歩くせいかな~?
  でも、フォンドック様式のホテルは良かった。
  
  
               <海で貝を獲る人>
 

■10月2日(火)

 ・フームスーク⇔ゲララ(日帰り)⇒チュニス(夜行バス)

  朝のうちにチュニス行きの夜行バスのチケットを購入し、それから海へ向かう。
  昨日の午後は閉まっていて入れなかった砦、ボルジュ・エル・ケビールを見たり、
  港の方へ行ってみたり・・・。
  う~む、なんだかイメージしていたのと違うんだよな~。

  
       <期待はずれのボルジュ・エル・ケビール>


  午後は、フームスークから日帰りで、素焼きの壺の町ゲララへ。
  小さな素朴な町を想像して行ったんだけど・・・。
  う~ん、確かに素朴でのどかではあるけど、通りにはお土産屋がズラリ!
  でもって、半端じゃない数の壺が店先にズラリ!
  な~んかこれも違うんだよな~。

  
         <もっと控えめな壺を想像してたのに・・・>

チュニジア 旅の行程(その3)

2007-10-27 18:02:07 | 旅の行程
■9月27日(木)

 ・タメルザ⇔ミデス⇒トズール

  げっ!ミデス行きを約束していたお兄ちゃんとの約束、寝坊してすっぽかしてしまった。
  (昨日の夜行列車の寝不足がたたったみたい・・・。)
  どうしよう・・・。車がなきゃ、わずか6km離れただけの、ミデス行きを諦めるしかないのか?
  そしたら、朝食時に別のお兄ちゃんが話しかけてきて、ドライバーを紹介してくれた。
  昨日のお兄ちゃんには申し訳なかったが、これでミデスへ行ける。よかった~!

  
    <ミデスに何があるって、ただこれだけなんだけど・・・>


  10時半にはタメルザに戻り、早いとこ次の目的地へ移動しようと考えていたのに、
  思うようにはいかないもので、ルアージュの乗客が集まるまで、なんと3時間半待ち!

   
    <行き先は違うけど、日陰でルアージュの出発を待つ人々>

    
  これまた思い通りにはいかないもので、トズールへ行く途中で立ち寄るつもりだったシェビカ。
  ホテルもないし、トズールへ行くルアージュもないと言われ、あえなく断念。
  タメルザで散々待たされたことを思うと、もう冒険はできない。直接トズールへ。

  で、ここでもホテルまでの道を間違え、時間のロス。
  親切なタクシーに、タダでホテルまで連れて行ってもらいました。

  
       <カレーシュでナツメヤシのオアシスを走る>   

 
■9月28日(金)

 ・トズール⇒(ケビリ)⇒ドゥーズ(砂漠1泊ツアー)

  朝食後、昨日行けなかったラス・エル・アイン公園まで散歩。
  いや、散歩というにはかなりの急ぎ足・・・。
  この季節のチュニジアは夜明けが遅い為、朝食前に散歩が出来ないのです。

  
  <岩には、大統領の顔・・・、ではなく詩人の顔が刻まれている>


  トズールからドゥーズまでは直通ルアージュがない為、ケビリで乗り換えしなきゃいけない。
  (直通バスは15:00発なので、そんな時間まで待ってられん。)

  
   <ケビリまでは、ショット・エル・ジェリッド(塩湖)を突っ切る>


  ルアージュを乗り継ぎ、お昼過ぎにドゥーズ到着。ここでの目的は、砂漠1泊ツアー。
  暑い夏の時期なので、出発は夕方5時半頃。往きはラクダなしで、4WDで送ってもらう。

  
       <砂漠での寝ぐら(テントじゃななかった)>  


■9月29日(土)

 ドゥーズ⇒(ガベス)⇒(新マトマタ)⇒マトマタ

  朝起きると、ラクダがお迎えに来ていた。暑くなる前に、朝食後すぐに出発。
  道も目印も何もない砂漠を、ラクダで2時間ほどかけて、ドゥーズの町へ向けて進む。
  (ラクダを引いてくれるおじさんは、ずっと歩き。)  
  町の近くまで来たら、昨日の4WDのおじさんとバトンタッチ。ホッ!
  ラクダ2時間は、はっきりいって、かなり疲たよ~。

  
               <お迎えのラクダ>


  ドゥーズからマトマタまでは、ルアージュを2度乗り換え。
  (ガベスからマトマタまでの直通は、定員オーバーで乗せてもらえなかった。)
  マトマタは、ベルベル人の穴居住居があり、スターウォーズのロケ地になった場所。
  この日は、穴居住居を利用したホテルへ宿泊。

  
     <スターウォーズが撮影された、ホテル・シディ・ドリス>

 

チュニジア 旅の行程(その2)

2007-10-27 17:50:44 | 旅の行程
■9月24日(月)

 ・スース⇔ケロアン(日帰り)

  チュニスで手に入れた列車の時刻表を見て、スースから夜行列車が出ていることがわかり、
  ケロアンへはスースからの日帰りで行くことに予定変更。
  海沿いの町からちょっと内陸に入っただけで、人の雰囲気がなんとなく違う。
  町の雰囲気も気に入った。この町に、一泊したかったな~。
  
  
     <メインストリートからちょっと逸れると、静かな通り>


■9月25日(火)

 ・スース⇔マハディア⇔モナスティール(日帰り)⇒メトラウイ(夜行列車)

  この日は強行日程。スースからマハディアとモナスティールの2つの町へ日帰りで。
  スースからメトロで行けるというので、気軽に考えていたけど、実はメトロとは各駅停車の郊外列車。
  ノロノロ時間がかかって気が気じゃなかった。ラマダン期間中の為、最終列車の時間が早いのです。
  結局、両方の町とも急ぎ足。もっとゆっくりジックリ歩きたかったよ~!


  
   <真っ白な墓地の向こうは、赤い灯台と青い海(マハディア)>
  
  
     <シーズンオフの静かなビーチ(モナスティール)>
  
 
■9月26日(水)

 ・メトラウイ⇔観光列車レザー・ルージュ⇒(ラディエフ)⇒タメルザ

  スースからの夜行列車で、早朝4時半過ぎにメトラウイ着。
  チュニジア版グランドキャニオンを走る観光列車、レザールージュに乗るのが目的。
  しかし、列車の出発は10時半。つまり、待ち時間は6時間半なり~。
    
  
       <山肌を縫ってくねくね走る“赤いとかげ”>


  メトラウイへ戻り、みんな4WDや観光バスで散っていく中、私一人がルアージュ乗り場へ。
  まずはラディエフまで行き、タメルザ行きに乗り換える。
  この日泊まった、何棟もあるバンガロー形式のホテルの宿泊客は、なんと私一人だけ・・・。
  自然に囲まれたいいところだったけど、夕食時に刺されまくった蚊にはまいった!

  
             <廃墟のタメルザ旧村>
 

チュニジア 旅の行程(その1)

2007-10-27 15:21:19 | 旅の行程
ここら辺で(今更ですが)、簡単に今回の旅程を・・・。

  

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■9月21日(金)

 ・成田発 21:55⇒
 
  仕事が終わってから、成田空港へ直行!

  あ、成田に着いた途端に・・・。
  この時から、初めからあるよなないよな旅の予定が、いきなり変わりそうな予感。
  (女には女の事情があるのです

 
■9月22日(土)

 ・パリ着 4:00

  
       <早朝の人気のないシャルル・ド・ゴール空港> 

 ・パリ発 8:30⇒チュニス着 11:00

  チュニジア到着。まずはホテルを取ってから、午後はメディナ見物。
  迷路のようなメディナの中。延々とお店が続くので、適当に歩いていると、
  自分が今どこにいるのかわからなくなってしまう(方向音痴だから余計)・・・。
  え~、印象は前に書いた通りです。


  
         <メディナの入り口、ビクトワール広場>

 
■9月23日(日)

 ・チュニス⇒スース

  朝起きて窓を開けると、今にも雨が降りそうな、どんよりとした曇り空。
  この日は、カルタゴやシディ・ブサイドなど、チュニス近郊を観光する予定だったけど、
  せっかく行くなら青空の日がいい。ってことで、急遽予定変更、スースへ移動。
  スースへの移動中は雨が降ったり止んだり。でも、スースに着いた時には、陽が射していた。
  スースに移動したのは正解でした。
 
  
        <メディナ最古の建造物、リバド(砦)>


旅のフォトアルバム(チュニジアの子供たち その3)

2007-10-25 22:32:24 | 旅のフォトアルバム(チュニジアの子供たち

申し訳ございません、もっと手抜きで
今回はタイトルなしです・・・。

内陸へいくと、髪型や洋服など、
なんとなくアフリカっぽい子が多くなってきた!?




(ケロアン)



(タメルザ)



(タメルザ)



(タメルザ)



(トズール)


旅のフォトアルバム(チュニジアの子供たち その2)

2007-10-23 22:37:20 | 旅のフォトアルバム(チュニジアの子供たち

いきなりですが、またまた中休みのフォトアルバム。

タイトルは、かなり手抜きです・・・。




お土産屋さんでお店番(チュニス)




スークでお店番(スース)




(スース)




はにかみ・・・(スース)




店仕舞い後の夕方のメディナにて(スース)


3番目の写真のタイトル募集中!


チュニジアって、どんな国?

2007-10-23 02:00:58 | チュニジアについて
なんだかガイドブックの真似事のようだけど、自分の復習の意味を込めて
チュニジアの基本情報を載せておきます。

旅の前に予習しとけって!?


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■正式国名 : チュニジア共和国

■面積 : 16万4,154平方キロメートル
       (日本の約5分の2というものもあれば、約半分というものもある)

■人口 : 1017万5000人(2006年)

■首都 : チュニス

■元首 : ズィン・エル・アビディン・ベン・アリ大統領(あらゆる場所で、写真を見かけた)

■民族構成 : アラブ人95%以上、残りはユダヤ人、ヨーロッパ人など

■国教 : イスラム教(スンニ派)。ユダヤ教徒キリスト教徒も少数いる。

■言語 : 公用語:アラビア語。フランス語も広い範囲で通用する。
        英語の通用度はとても低い。

■通貨とレート : チュニジアン・ディナール(TD)が基本。補助単位はミリーム(M)。
             1チュニジアン・ディナール=1000ミリーム。
              D1.000=約95円(2007年9月21現在)

■気候 : 沿岸部は夏は暑くて少雨、そして冬は比較的おだやかな地中海性気候。
       夏でも朝晩は冷え込むことがある。
       内陸部は大陸性気候で、日中は暖かく朝夕は冷える。
       年間を通して上着を持っていると心強い。

       (9月末から10月ともなれば、けっこう涼しくなっているのかと思えば、
       日中はかなり暑かった。
       内陸部へ行けば、朝晩かなり冷え込むのかと思えば、これまた予想に反して、
       暑くも寒くもなく過ごしやすかった。どちらかといえば、暑い?
       あ、砂漠の夜はちょっと肌寒かったかな?ま、日によって、いろいろなようです。)

■時差 : 日本との時差は-8時間。サマータイム期間中は日本の-7時間。
       (一部の国を除いたヨーロッパと同じってことですな。)

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チュニジアって、どこにあるの?

2007-10-21 20:38:59 | チュニジアについて
チュニジアって聞いたことはあるけど、はっきりいって、どこにあるのかわらかない!
って人も多いことと思います。

ということで、今更ながらチュニジアの位置がわかる地図↓↓↓。



これでもわかりにくいですね~。
それもそのはず、大きく線引きされたアフリカ大陸の大国と大国との間、
日本の国土のわずか5分の2の大きさほどの、小さな国がチュニジアなのです。

西はアルジェリア、南東をリビアと国境を接し、あとは地中海に面しています。
地中海を挟んですぐのところに、イタリアのシチリア島が見えます。

なるほど~、嘗て栄えたカルタゴが、再三にわたりローマ軍に責められ滅ぼされたり、
その後100年以上忘れ去られた地が、ローマの植民地となり復興を遂げ、
再び黄金時代を取り戻した・・・、というのが納得できます。
エジプトなんかより、ずっとローマと近かったのね。

近年では、フランスの保護下にあったわけだけど、フランスとも地中海を挟んですぐ。

う~ん、こうして周りの国との位置関係を確かめると、歴史も断然わかり易くなる。

とりあえず、これで、チュニジアの位置が再認識できたことと思います。

ファティマの手

2007-10-20 18:16:10 | チュニジアについて
前回の記事の扉の写真、よく見ると手の形をした模様が描かれているものが
いくつかあるのに、気が付いた人がいるかな?



例えば、このドア、言われないとわからないかもしれないけど、
上の方に下向きの手が2つ描かれていますね。

これは、「ファティマの手」を意味します。

模様ではなくて、ドアノブを見かけることもよくありました。

  

家によって、その色やデザインが違っていたりするから、探して歩くのが楽しい♪

これは、チュニジアだけでなく、マグレブ(北西アフリカ ※「日の沈む処」という意味)共通のようで、
「ファティマの手」は、一種のお守り、護符なのだそう。
偶像崇拝を禁じているイスラム教だから、信仰の対象ではなく、あくまで魔除けらしい。

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ファーティマというのは、実在の女性の名前。
イスラムの開祖モハメッドの四女として生まれ、
名門の娘でありながら、貧しい者に手を差しのべ、
病気の人々の手当ても進んで行った。
その後いろいろあって、26歳の若さで亡くなったらしいが、
イスラム教徒の間で、彼女は理想の女性として敬愛されているのだそう。

彼女の慈悲深い手をかたどったのが「ファーティマ(ファティマ)の手」。
彼女が救いの手を差しのべてくれるという、願いが込められている。

手の指は5本あるが、この5という数字もイスラム教では神聖なものとされていて、
イスラム教の5行、「シャハーダ(信仰告白)」、「サラート(礼拝)」、「サウム(断食)」、
「ザカート(喜捨)」、「ハッジ(メッカへの巡礼)」を表している。
また、掌に目の形を描くと、お守りのパワーが増すともいわれており、
これは、カルタゴの守護神の目で、ファーティマと共に所有者を保護してくれるというわけだ。
(以上、『地球の●●方』から抜粋してパクリました)
*****************************************



ケロアンでは、わざわざ探さなくても、ここもあそこも・・・というように、
「ファティマの手」がドアノブになっている家が並んでいる。

写真を撮っていると、一人のお兄ちゃんが英語で話しかけてきて、
ドアノブを次々指差して、「ファティマの手」だと教えてくれた。
そんなの、知ってるってば!

世界中の友達(勝手に友達と呼んでるだけ?)から、
ポストカードを送ってもらうのが好きだというそのお兄ちゃん、
もういいからっていうほど、けっこうしつこく付きまとってくる。
(私は一人で写真を撮りながら、自分のペースで歩くのが好きなので、
こういう輩に付きまとわれるのが好きではない)

でもね、鬱とおしかったけど、知らなかったことも教えてくれました。


この家のドアノブも「ファティマの手」

しかし、よく見ると、もう一つ違う形のドアノブがついている。



これは、ベルベル人とアラブ人の混合家族を意味するそう。
どっちがどっちだったか、忘れちゃったけど、
確か、ベルベル人同士の結婚だったら、ドアノブの2つともが「ファティマの手」。
アラブ人だけの家族だったら、「ファティマの手」はついていないってね。
(あれっ、逆だったかな?でも、ベルベル人の住居には、手のマークがついてたしな~。)

これがホントかどうかネットで調べてみたけど、よくわからない。
知ってる人がいたら、教えてくださ~い!

「ファティマの手」は、アクセサリーやキーホルダーなんかにもなっていて、
お土産としても人気があるようです。