金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

貝塚の開始時期

時期表記のある貝塚を見ると
秋田県と宮城県にあるものに限られていた
これ以外には時期の表記がないので層別整理できなかった。
草創期は少ないので、確実なのは早期から始まったと考えて良いのでは無いか
貝塚の始まりとしては夏島貝塚など神奈川や千葉などとされている。ここから北に広まっていったようだ。
鮭の遡上回帰漁を開始するには二至の暦が必要とされていたはず、それの利用により月の朔望が分かり、潮の動きを正確に捉えられることになり、貝拾いが生業として成立させられたものと思う。
生業の一つに貝が加えられたものの、食料の獲得は厳しく生活は大変だった様子が見えているという。
貝塚の開始は
年表


適当な記載ある年表は見付からなかった。貝塚が暦作りの母の一つなのに、重視されているようでは無い。
海は近くにあったはずなのに、マメ類のように採集することは出来ていなかった。マメは採集できるが、貝は干潮の時期を知らずには難しいのでしょう。

草創期
   岩瀬遺跡(草創期 - 中期、横手市)

早期
   岩井堂洞窟(早期 - 古代、湯沢市)
   長根貝塚(早期末 - 晩期、涌谷町)
   小梁川遺跡(早期 - 中期、七ヶ宿町)

前期
      杉沢台遺跡(前期、能代市)
      虫内遺跡(前期・晩期、横手市)
      上ノ山II遺跡(前期、大仙市)
      池内遺跡(前期、大館市)
      上掵遺跡(前期、東成瀬村)
      根羽子沢遺跡(前期、横手市)
      糠塚貝塚(前期 - 後期、登米市)
      里浜貝塚(前期 - 晩期、東松島市)
      大木囲貝塚(前期 - 中期、七ヶ浜町)
      三神峯遺跡(前期 - 中期、仙台市)

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

秋田県
            大湯環状列石(後期、鹿角市)
      杉沢台遺跡(前期、能代市)
            伊勢堂岱遺跡(後期、北秋田市)
      虫内遺跡(前期・晩期、横手市)
      上ノ山II遺跡(前期、大仙市)
   岩井堂洞窟(早期 - 古代、湯沢市)
      池内遺跡(前期、大館市)
岩瀬遺跡(草創期 - 中期、横手市)
            一丈木遺跡(中期、美郷町)
            天戸森遺跡(中期、鹿角市)
      上掵遺跡(前期、東成瀬村)
      根羽子沢遺跡(前期、横手市)
宮城県
                  田柄貝塚(後期、気仙沼市)
                  前浜貝塚(後期 - 晩期、気仙沼市)
山王囲遺跡(栗原市)
      糠塚貝塚(前期 - 後期、登米市)
      里浜貝塚(前期 - 晩期、東松島市)
                  中沢目貝塚(後期 - 晩期、大崎市)
恵比須田遺跡(大崎市)
   長根貝塚(早期末 - 晩期、涌谷町)
泉沢貝塚(石巻市)
      大木囲貝塚(前期 - 中期、七ヶ浜町)
      三神峯遺跡(前期 - 中期、仙台市)
   小梁川遺跡(早期 - 中期、七ヶ宿町)
             大梁川遺跡(中期 - 後期、七ヶ宿町)
山田上ノ台遺跡(仙台市)
上川名貝塚(柴田町)
             梁瀬浦遺跡(中期 - 晩期、角田市)
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貝類の採集
縄文人が貝類を食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、代表的な遺跡として横須賀市の夏島貝塚が挙げられる[44]。縄文早期の半ばには瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。採取対象は当初は河口等の汽水域に生息するヤマトシジミであったが、やがて内湾干潟の牡蠣礁で得られるカキや、やはり内湾の軟泥干潟から容易に得られるハイガイなどにその中心は移る[45]。

縄文時代早期(約1万年~6,000年前)前半は、有楽町海進によって海域が拡大していく時期にあたり、貝塚の形成が始まる。この地域最古といわれる夏島貝塚(神奈川県横須賀市)は干潟に生息するマガキとハイガイを主体とし、クロダイ、マゴチ、スズキ、ハモなどの骨が出土した。骨製釣針も出土しており、既にこの時期に高度な漁撈技術があったことが窺える。
東京湾東岸には汽水性のヤマトシジミを主体とする取掛西貝塚(千葉県船橋市)が形成され、クロダイ属、ボラ科、ニシン科、コイ科の魚骨が出土し、海水から淡水に至る広い範囲で漁撈活動が行われていた。縄文時代早期後半になると貝塚数は増加するが、数は未だ少ない。

 

夏島貝塚から撚糸文系土器、貝殻沈線文系土器、貝殻条痕文系土器という早期から終末までの土器が層位的に出土した。
小型の土偶が作られる。 
++++そうなのか 撚糸文土器の時期はまだ海進以前と見える

貝塚  貝塚は、この時期の前半には、海が進入して出来た海岸地域に作られていた。
貝塚はヤマトシジミが主体であった。
狩猟とともに漁労が活発化した。最古級の神奈川県横須賀市夏島貝塚、千葉県香取郡神崎町西之城貝塚。
 押型文土器期に属する愛知県知多郡南知多町先苅(まずかり)貝塚は海面下13メートルの深さから発見された。

決定的だったのは、1956年の夏島貝塚(神奈川県)の年代測定による約9500年前というC14 年代だった。しかも黄島貝塚(岡山県)、福井洞窟(長崎県)、など続々と古いC14年代の例が増えていった(いまでは大平山元遺跡(青森県外ヶ浜町)の16000年前の土器片まである)。
そのため旧石器時代と縄文との間に長い空白時間ができ、縄文時代草創期という新しい期をおくことにした。
ーーーーーーーーーーーーー

『縄文人の海と幸』釼持輝久

 横須賀市夏島にある縄文時代早期の夏島貝塚は、日本列島の中でも最も古い(約9500年前)貝塚で、砂泥の干潟に生息するマガキとハイガイを主とした第1海層からは、魚類ではクロダイが最も多く、次いでマゴチ・スズキ・ハモが多く出土している。漁撈具としては骨類の長さ2.5cmの釣針とその未製品が出土している。すでにこの時期に釣針を使った漁撈技術が出来ていたということである。

 夏島貝塚でも第一貝層より少し新しい第二貝層は、砂地の海岸に生息するハマグリやアサリを主としたものになり、海の環境が変化していったことが窺える。

釣針も鹿角製で、釣糸掛用の突起のあるものや大型の釣針が出現するなど、漁撈の多様化が認められる。
 横須賀市吉井にある吉井貝塚は、マガキやハイガイを主食とする早期末の貝層と、岩礁海岸に生息するスガイやイシダタミを主とする中期後半の貝層がある。
 早期末の貝層は厚さが2mもあり、出土した魚骨の種類・量とも豊富で、なかでもマダイが最も多く魚全体の52%を占め、次いでボラ・クロダイ・ブリ・スズキと続く。マダイの体調は35~50cmのものが75%を占め、他の魚も大き目のものが多い。ところがこれらの魚は、時期が新しくなるにしたがって小型化する。マダイで中期の貝層から出土したものは、30~40cmのものが中心となる。
 漁撈具も、数多く出土している。最も多いのが鹿の角や四肢骨などで作ったヤス先と釣針である。釣針は大型と小型のものがあり、大型のものは軸が太く長さが6cmにもなる。体調が60cmを超えるブリやマダイが多く出土していることから当然ともいえる。
 ヤスはヤス先が1本のものと共に、この時期にペン先形をしたヤス先を2・3本組み合わせたものがある。また、出土したスズキの厚い鰓蓋骨の中には、ヤスで突いた痕が残るものも出土している。

 三浦半島の縄文時代早期の貝塚の厚い貝層や出土した動物遺体を見ると豊かな海の幸に恵まれていたように思える。しかし、横須賀市若松町の平坂貝塚から出土した人骨に残された、11本の飢餓線や変形関節症の痕などから、不安定な厳しい生活であったことが窺える。
 夏島貝塚や・平坂貝塚は「水産日本」原点とも言うべき遺跡である。
貝塚を調べることによって、現在、日本の水産業が抱える問題を考えるヒントがあるようにも思える。


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