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東日本大震災から2ヶ月 ――復興に向けて――

2011年05月12日 | Weblog
1 「失敗学のすすめ」から学ぶこと

東日本大震災発生以来2ヶ月を過ぎた。被災者の皆さんは今平静を装うが、心の中には大きな悲しみがあろう。仮説住宅の完成にも時間は係り、ただ時間の過ぎるのを待っている。
一方、原発事故に絡む忍耐は、限度を超え不満が鬱積しているかのような言動も聞こえて来る。
瓦礫の山を見れば、正直、「戦争はいやだ!繰り返えすな!」と叫ぶ声が聞こえてきそうな風景である。戦後に生きた多くの国民はそうした叫び声は脳裏に残っている。それに、止めを刺された広島や長崎においては「許すな原爆を」と世界に叫び続けながら、再使用を阻んできたことも事実である。「3.11」東日本大震災で被災した国民は、直接的な核の痛さは知らずとも「怖さ」を知っている。

戦争による被害は人災であるから、言う相手が居たので言えた。しかし、今起きている原発事故は、平和利用による自然災害事故である。苦情のやり場が無い。
『三陸海岸の津波は失敗学の原点である』と畑村洋太郎工学博士は新聞紙上で述べている。行き詰まる考え方を博士は教えてくれる。
失敗が後世にどんな風に伝えられ、消えていくのかを書き留めたのが「失敗学のすすめ」で、その中で三陸海岸の津波を取り上げていたのである。二度三度と大津波が繰り返されて、津波の被害に遭った人は石碑でそれを後世に伝えようとした。「ここより下に家を建てるな」という先人の教えについてである。その教えを無視して石碑の下に建てた家は流され、石碑は残っていたのだ。被災者たちが泣きながら残った石碑を見つめる姿はテレビでも報道された。博士は言う。
『後世の人は石碑の教訓に従わない。何十年に一度とか、百年に一度起きるようなことは自分の周りでは起きないと考えてしまうからだ。大事なことは起こってから考えるのではなく、起こる前に考えることだ。想像力を働かせ、失敗学では、起こらないであろうと証明できるならば起こらないだろう。証明できなければ起こる』
と断言し、  
『原発の場合、どの変まで考えるかが大事である。見たくないものは見えない。聞きたくないことは聞こえない。自分たちが困ることは考えないための理由を沢山並べて、結局考えない。東電は起こりもしないことを取り上げるのはおかしいと考えたのだろう』
と博士は述べている。
事実、東電の行った4月27日の社長会見によると、『「M7.3」以上は考えなかった』と述べたのであり、自ら証明したのである。
 
2 原発事故は手を打たなければ人災となる

大地震発生5時間後、初の「原子力緊急事態宣言」が発せられた。福島原発1号機の冷却装置が故障したのである。3キロ内は避難、10キロ内は室内待機。それがやがて20キロ内と30キロ内へと拡張された。
日本や世界の原発は、自国民にとっては平和利用そのものである。そうであるから事故の危険さを付近の住民は多くを語らず、忍耐に忍耐を重ねて平静を装い、否、当然のこととして避難指示に従ったであろう。しかし、30キロの外周、すなわち、規制区域外の安全対策は目に見える迅速的確な指示はないため、不安と恐怖から2日目に既に自主避難の行動に出ていた。更に、3日後に雨が降り、放射能が風で飛ばされていて北北西の飯館村で強い濃度が観測された。飛散状況は距離よりも地形によって風の飛ぶ方向へ飛散している事が明らかになった。
住民には次第に忍耐に限度のあることが感じ取れた。人災に人災の輪を掛けるような後手後手の避難指定区域を定めるが先行きは全く不明で不安が募るばかりとなっていった。
だが、放射能の拡散状況は20分で解ると専門家は述べており、図面も出来ていたという。正しい情報が早い避難に生かされず「生活が第一」との労わりはどこにも見えないままの混乱であった。安心できる対策を住民は持たされないまま、付近の住民は賢明に自主避難者に走った。

緊迫した状態から一段落をすると風評がでるものである。残念ながら風評被害は瞬く間に広がってしまった。
野菜、米、牛乳、そして魚に至るまで放射能の数値は安全・危険の区別なく情報が乱れ飛び、外国まで瞬時に飛んでしまった。「正しく知って、正しく備えること」と知識者は助言するが、国民が取るべき適切な行動について指定区域外には国から明示されず、判断に苦しんだ者が多い。科学に弱い人々は科学的現象を具体的に示されなければ、理解に苦しみ混乱に至ること当然である。未曾有の災害であるだけに情報の発表の仕方と報道のあり方に統制の必要性を今度ほど感じたことはない。国民は目に見えないだけに「核」に不安を強く感じている。報道の基本として、情報の把握と集約、報道の目的を吟味し、報道の一本化を図って国民を惑わすことのないよう矛盾や誤解を避ける配慮は重要なことである。

信頼できる一本の情報であれば、従い安いものである。信頼の置けない言動をすれば全て風評となり、風評の伝播は早い。マスコミは風評の発信元を正そうとはしない。報道統制を嫌うからでもあろう。政府、保安委員会、保安院、そして東電の会見はそれぞれ立場の違いがある。聞く側の国民が、何をどうすれば安全性を保てるのかを国は感じていたろうか。報道すればよいと捉えたか。
政府の発表後の責任はマスコミにあり、と言わんばかりである。国の機関で無い、マスコミのまちまちの報道は、厳格に統制された報道内容でない限り、煽りの元になったことは確かだ。風評は核の分裂の如く広まりながらも、国を始め、食い止めようとする者や機関がない。無責任な時代は続いている。はっきりと正すもの、正せるものは正すべきである。
一般国民は、原子力発電に関する科学的・物理的専門知識は乏しい。また、東京電力が一都八県に及ぶ電力を供給している原発を、福島に建設されていたことを知る者は少ないようだ。
農水産物の消費王国は東京地方である。そうした関係の中において、物流関係や物資援助輸送の段階で入荷拒否や緊急物資の輸送中断が生じ、更には避難民である児童に対する差別的感情を一部にあったことは、「化学の無知」及び「エゴ」から起こった偏見そのものであろうと思う。つくば市内の学校で発生したことが一層疑問を感じた。
「沖縄に基地はいらない」と一部に叫ぶ国民の声がある。原発事故によって「福島産はいらない」とまで言う者が居るという。この二つの動きは、無責任なエゴから生じるような気がしてならない。
今後は浜岡原発を含め検証はされようが、原発事故問題で人災に発展させては断じてならないのである。

3 生の報道から現実を検証。カメラの正直さ

一方、テレビの報道は津波の現場にたやすく案内してくれた。日が経つに付け新たな現場のリアルな映像を見る事ができた。その時現場に居た者こそ感じた驚きや嘆きの声が意識せずに取り込まれていた。「あー、あー、これが3時5分の釜石の状況です」とビデオの中に残してくれた。感動せずには居られなかった。
どんな場面でもカメラの映像は確かに切迫した真実を伝えてくれる。「あの波を見ればもう海のそばには住みたくない」と答えた避難者の声からは、10mの堤防を難なく超え、町を襲った津波の恐怖を感じ取れた。
津波の威力を捉えた映像は、その場に居合わせたプロのカメラマンは極めて少ない。避難者が避難しながら撮ったものが多く、でいずれも貴重な記録である。

正に上空から捉えた津波到来の映像を自衛隊が撮影していた。映像で、民家をなぎ倒してできた瓦礫の山や家屋・自動車を押し浮かせて低い畑に方向を変え、農道を逃げる自動車をも飲み込んでしまい、やがて海に瓦礫を吐き出す光景は地獄の夢を見ている苦しさに変わり、これが津波の威力であり、その凄さは恐竜の舌と爪を感じたが、正夢であったのである。

また、一生に一度の経験であって欲しいが、松並木のあたかもゲートを通り抜けるかの如く進入するシーンや、家屋と家屋の隙間へ我先に流れ込んでくる波の勢い、次の波では全ての2階建て家屋を押しつぶし、次から次と押し寄せる波に街の建物は吸い込まれてしまった。波状攻撃はこれだと知った。

山となった瓦礫が押されてくる動きを見て、水が見えないため津波とは感じなかった避難者もいた。波に浮かされ屋根まで上って助かった人も居た。自動車ごと浮かされ、流されている間にガラスが破れ、窓から出られて助かった人もいた。生と死の境界線に立った人の経験談には生きるための強さを感じとれた。
やがて、記録の文献も出ようが、千年に一度の天災を目の前にして、平和ボケと言われながら生きてきた我々は学ぶ事が多すぎる。子供らに特に自然科学を侮ってはいけないことを学ばせたい。
 
4 復興に向けて

NHKは固定カメラを災害対策として全国に45箇所に設置し地震発生時の速報に努めているという。三陸地方はリアス式海岸のため、高台が至る所にある。都心では防犯カメラを街頭の多くの要所に設置されているように、三陸の丘に震災対策用監視カメラの設置は必須と考えられる。
NHKの福島原発の全景と変化の様子の映像を「30km離れた場所から」と断りを入れながら報じていることは、東電の西方に並ぶ阿武隈山系の山中から見下ろしているものと推測される。
三陸海岸は至近距離の丘に、波に耐えられる高さの高台は容易に求めることができる。
復興対策は国で始まったばかりであるが、自然の強さを活かしながら、「3.11」の尊い人命の損失を忘れないうちに、恒久的な監視カメラの新設を各自治体に期待したい。
報道によれば、津波の直前に桟橋の下の海水が引くのを目撃していた人がいた。映像もあり、モニタリングをしていれば「引き潮」の状況が明らかに判明した。これを各港町で目撃されていれば、避難すべき決断と行動は早かったでしょう。そして、もっと安全な場所への誘導もできたはずである。
「波は来ない」「防波堤があるから大丈夫」と言った、間違った安心感をも排除できたろう。

幼い頃の体験からであるが、波の強さを知るため子供にもできる体験として、はがき大の版画板を両手に持って、川やプールの流れに逆らってみて欲しい。力の掛かり具合(水の力)が体験できる。一平方メートルの面であれば4トンの力が掛かるという。恐るべきことは「射流」という津波の先端の巻き落ちる波の力は数千トンになり、久慈市の事例で、厚さ15センチの鉄筋コンクリートの壁は跡形も無く破られてしまい、鉄骨はくの字に曲げられていた。
津波から難を逃れるためには、何といっても「逃げる」ことが一番である。疾走力・持久力を強め、一刻も早く逃げる方法と安全な場所を一層工夫して、日頃の生活の中に取り入れて欲しいものである。
仙台市の場合は高台が無く多くの死亡者が出た。自然の高台がないなら人工的に避難所を作る以外に無いでしょう。
起きてしまった大災害後の対応を見て、前警視総監は新聞に寄せて「大切な準備とは、いざと言うときに必要な経験と知恵を結集する平素の訓練に他ならない。準備はなかったわけではない。しかし必要な経験と知恵の結集は遅れた。」と残念がった。「官僚排除による政治主導」は、絵に描いた餅であった。現場に弱い政治主導であり、空しく言葉だけが残骸の如く残ってしまった。権力のトップには、各分野のプロを育成し活用することが大きな任務である。
既存の組織体制と法律や官僚の蓄積された経験を活かすことなく、思い付きの名ばかりの新組織を乱立させても、国民の要望する緊急対策とはなっていないようである。緊急時における責任者の不作為行為は人災に直結する。
又、「自衛隊は暴力装置」と考える思想も災いとなっている。今に至って「感謝している」と述べたが、反省の弁は誰からも何処からも聞こえてこない。どんな言葉を並べても、避難民から「やはり東京の人という感じだね」と言われたが、本心からの言葉でなければ訪れる意味は薄れる。
多くの避難生活を余儀なくされている被災者は、「元の場所に戻りたい」と考えている人が圧倒的である。故郷を無くしたくない、元の故郷は一番いいという思いには私にも同情できる。
歴史的には、地形や地質の条件から、デルタ地帯に住居が発展し、また、津波が繰り返されても通勤に近いという「楽をする」ことを求めて港に近い場所に住まいを求めてきたのであろうことは容易に理解できます。
今後、復興のためには困難な条件を克服し、労働の場は港に近い場所に設定されようが、津波に襲われても財産の再生はできる。
また、「財産よりも生命」を重んじ身の安全を最優先とするならば、「港の見える丘」や「海の見える希望の丘」を切り開き、高台の丘に住まいの場を移すことが課題となるでしょう。正に試練のときである。
  
 三陸地方独特の新興住宅建設が完成し、職場は復元され、心から喜べる祝い歌や祭りの笛太鼓の音が聞こえてくるのは近い将来に実現されることを期待したい。


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