うん十年ぶりに、夏の大会、母校の応援に行ってきました。
かつて県内では、ベスト8、ベスト4の常連高と謳(うた)われ、その名を県下に轟かせていた黄金期もあったのですが、結局、私学二校の壁に跳ね返され、甲子園出場は今だ果たせていません、それどころか、とうとうここ数年、部員が集まらず休部状態になっていました。
ただただ、OBとしては寂しい限りです、
少子化の影響で共学化を含めた合併とか、サッカーなどの他の人気スポーツに採られているとか、指導者、あるいは学校の方針とか、少年野球がハードになりすぎて燃え尽き症候群になるとか、要因は色々ととり正されてはいますがそれだけではないのかもしれません。
当局の主観ですが、先の震災も暗い影を落としているのかも(何もかも震災に結びつけるつもりは無いのですが)
当局の頃は、旧石巻地区を取り囲むように、内陸部の旧郡部から半分、後は沿岸部(湊、渡波、女川、雄勝、半島地区)から半分と言ったチーム構成でしたが、その構図が崩れてしまった感があります、しかも最近は人気のある高校、指導者に集まる傾向が強く二極化になっているのかもしれません。
合同合併チームと言う選択肢もあったのですが、それだけは避けたいと言う思いから、あえて休部の道を選んでいました。
数年ぶりの、部活再開、晴れの舞台です。 うわ~少ね~
相手は、仙台〇高 各局にも誰かOBがいたな~ 誰だ・・・HI HI
相手は、控え選手含めて部員五十人はいます、それに父母、OBかなりの応援です。
応援だけは負けるなと、当局も途中からばちを取って(年甲斐もなく)大ドラムを叩きました
熱くてフラフラになったのですぐやめましたけど。
結果は、こてんぱんにコールド負け、でも最後の回に記念の一点をしっかり取りました。
あれだけ、一つの物に真剣に必死になって取り組む姿勢に清々しさを覚えます。いつしか大人になって忘れてしまうからかもしれません、当局の時代は平気で相手を罵倒するヤジを飛ばしていましたが、今は、応援団を含め、勝っても、負けても相手に敬意を表するその光景が定着しています。強くても、そうでなくてもOB会として活動して行きたいものです。
最後に、 あるある高校球児(経験を基に)
思いっきりバットを振って打ちにいったにも関わらず、相手投手のボールの威力に負けてファールになった時、チームの仲間から〝ナイスカット〟と言われ、もっともな顔をしてとりあえず、うなずく、 アルアル!
アウトコース低めに素晴しいストレートを相手投手に決められ手も足も出ず見送り〝やられた〟と、思った瞬間、審判が偶然にも〝ボール〟と、言い、チームの仲間から〝ナイスセン(選)〟と言われ、もっともな顔をしてとりあえず、うなずく アルアル!
卒業後、社会人になり、みんなで居酒屋に集まり、こんな話しで大いに盛り上がる、アルアル!
部の再出発にあたり、いつしか脈々とした活気の中で、隆盛、際まらん事を念じてやまない。
ではまた・・・VE・・・E ・・・E・・・END