河崎純 Jun Kawasaki 音楽活動の記 

舞台活動予定、報告、雑文など

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ユーラシアン・オペラ 2018 東京 9月  

2018年03月09日 | 活動予定



ビオロギヤ 河崎純ホームページ  こちらでも情報更新しています。
https://junkawasakibiologia.jimdo.com/



2018年9月




音楽詩劇研究所でコラボレーションを行ってきた歌手を中心とした、初来日を含むアーティスト(歌手・ダンサー)5 名をロシア、トルコ、ウクライナ、トゥバ共和国より招き、〈ユーラシアンオペラ〉( 河崎純 作曲 ) の 新作を9月に上演と、ゲストを招いたコンサートを行い、日本、東京発の世界初演作品として発信します。
     (助成:公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京 東京都海外発文化プログラム助成)


     


音楽詩劇研究所 Jun Kawasaki Music Poetic Drama Laboratory

・音楽詩劇研究所ホームページ

http://musicpoeticdrama.com/home.html


・ユーラシアンオペラ2018 (関連企画 マンスリーイベント・音-nity 情報)

facebook https://www.facebook.com/EOP2018/

twitter https://twitter.com/eurasian2018



来日予定 アーニャ・チャイコフスカヤ(ウクライナ)、サーデット・チュルコズ(トルコ)マリーヤ・コールニヴァ(ロシア)アリーナ・ミハイロヴァ(ダンス/ロシア)ほか

招聘するアーティストは、それぞれに異なった民族的出自を持ち、自らの背景やそれを形作ってきた経験、伝統文化と向き合いながら創作を継続してきました。全員が演劇、身体 表現のアプローチをもち、自在な即興表現により、河崎純作曲の歌、アンサンブル、韓国打楽器、舞踏などとコラボレーションします。


新作公演では、トルコから韓国──アジアの東西両端から、ユーラシア大陸、その中央 に位置するロシア、シベリア、その極東の島国である日本からアーティストが集結し、新たな ユーラシアンオペラを上演します。日本からは作曲・コントラバスの河崎純をはじめ、韓国打楽器のチェ・ジェチョル、ギターの小沢あき、ヴァイオリンのヤン・グレムボツキー、クラリネット小森慶子らがアンサンブルえを奏で、舞踏の亞弥、ダンスの三浦宏予、ヴォーカル三木聖香、津田健太郎、吉松章など音楽詩劇研究所への参加メンバーも出演予定です。







コメント

イルクーツク再訪

2017年10月03日 | 活動報告



 今回7月に続いてのロシアのイルクーツクへの訪問はFALL UPという国際音楽祭への出演のためでした。22日深夜に到着して実質2日の滞在になりました。直前までしらされていなかった、トゥバ共和国出身の歌手サインホ・ナムチラクさんとの共演、突然誘われた彼女の美術制作への参加で、森の中の日本人墓地へいったことなど予定外の貴重な経験や、聞きたかったことを尋ねたりと、見聞きしたことを書きました。(左は墓地のあった森)



7月の音楽詩劇研究所(MPDL)でのバイカル・黒海プロジェクトに続き、今回のフェスティバル出演の打診があったのは8月の終わり。こんなにすぐ、再びイルクーツクへ行くことは考えてもいないことでした。そろそろ最低気温が氷点下にはいるとのことでした。ビザを受け取ったのは渡航前日ギリギリでした。ウラジオストック、ハバロフスクの極東を経由して、イルクーツクに到着。フェスティバルのホストであるエフゲニーさんが迎えにきてくれる。このときの車中で明日の本番についての詳細を初めて知る。二日間のフェスティバルの初日のゲストがトゥバ共和国出身のヴォイスパフォーマーのサインホ・ナムチラクさんで、私は二日目のゲストとのことは渡航直前にきいていましたが、サインホさんが残ることになり、エフゲニー、サインホ、私のTRIOを中心に演奏するとのことでした。サインホさんはCDを3枚ほどもっていたし、2010年にモスクワで、昨年もMPDLで公演した「ドム」というスペースのリュドミーラさんがサインホさんのコンサートに連れて行ってくれたことがあったのでみたこともありました。会場中に彼女自身がつくった布などの美術作品がセッティングされ、エレクトロニクスも用いて、たった一人でトゥバの叙事詩を一時間ほど歌い続けていました。高級サロンのような金色の地下室だったので、異世界で儀式をみているような印象でした。演奏を一緒にする機会がのちにあるとは思っていませんでしたし、その頃は実のところ北方文化についてはあまり興味をもっていませんでした。どんな共演になるか楽しみな気持ちが増しました。ホテルに着くと、私とサインホさんしか泊まっていないとのことで、夜遅くでしたがエフゲニーさんがサインホさん部屋をノックしてご挨拶だけして、眠りにつきました。「パンダ カフェ わたしはすでにおまえをまっている」と書いてあります(笑)右はサインホさん。



 翌朝、7月MPDLのイルクーツクでは、ほとんどこの方がいなかったら何も成立しなかったであろう、という人を紹介してくださった大学の日本語の先生とお会いしました。シベリアでの暮らしにはご苦労も多いことはお話からよくわかりましたが、とても楽しく「ロシア人あるある」をききました。膨大な準備のやりとりが必要だったMPDL公演でロシアの方との遅々として進まぬやりとりの難しさは、わたし少なからず痛感したので合点すること多々ありますが、やはり、ほんとうにギリギリになるまで物事が決定されず、それはそれとして、なぜそのようになるのかを知りたいと思っていました。先生の憶測によると、いちばん最後の段階で決定権のある所での判断によって、それまでの過程がくつがえすようなこともよくあるので、過程に労力をかけない、という習慣が全般にあるのではないか、とのことでした。なんでもギリギリになって決まり、なんとなく行われてゆくそうです笑。本番の会場や時間は何処??リハーサルは?誰と演奏するの??一事が万事。これまでほんとうにそんな状況がよくありました。

 先生がお勧めするせっかく美味しいコーヒーのお店に入ったのに、いつもと味が違ったそうで、そんなことからこの話になったのですが、同じものなのに、商品やサービスに関する、個体差が大きいこと。怒りを通り越して、次の段階としては、ただ哀しさだけがある、との先生の言葉に思わず笑ってしまいましたが、それを「運」だと思って、受け流すようにならないと生きてゆくのが難しいかも、3年くらいかけて段階を踏んで時を過ごし、判断できることかもしれないとのこと。私は海外はいつも仕事で訪れる、所詮旅人に過ぎないので想像しか出来ないことであります。たしかにそのことを考えてみるとそれらのことは、ロシア人元来かどうかはわかりませんが、社会主義時代のシステムの影響も大きいようにも思えます。奉仕、効率性、安定、競争社会の過剰さに慣れ親しんでしまっている資本主義的なサービスの洗練、過剰に慣れた視点からは考えられないような現象かもしれません。基盤となる国民性のようなところでのこの状況を顧みると、いちおう資本主義社会が中心となっている国際社会の中に展開してゆくには難しさもあるようにも思います。
 
 現在のロシア人の平均寿命は男女とも日本人と比較してだいたい10年ほど短いのだそうです。その要因としては、やはり食生活の習慣や飲酒、そして自殺も多いそうです。シベリアは特にそうなのかもとのことですが、特に冬期間はろくに外に出るということができないので、暖かくなった春先以降の体調にあきらかに影響を与えるそうです。平均寿命を気にして生きているわけではありませんが、自分や大切な人がだいたい何才頃死んでしまうのか、と思えば、10年の差が人生観に与える影響はかなりあるのではないでしょうか。私は社会によって保証された?生と死、、現代においてはしらぬまに、ある意味、たとえば宗教上の「約束」よりもある意味で重要な影響を及ぼしている社会保障のシステムなどについて、いつも質問してしまうのですが、やはり年金だけで暮らすのは難しい(つまり貯金や収穫が必要であるということ)とのことでした。病院は国立の病院は医療費無料、薬有料とのこと。国立病院はとてもサービスが悪く(医者も高齢化している)、これも社会主義時代の名残なのか、医者という職業の公僕性のため国立医というのは、例えば清掃人の方とほぼ賃金はおなじくらいだそうです。元来医者になるということは、ものすごく「公に対する無償ともいえる奉仕の精神」が必要な職業であるとのこと。現在は私立病院もあるのですが当然賃金は高く、しかし国家試験は同じだそうです。日本では考えにくいことですが、発想としては、労働に貴賤なしという観点からもとても理想的であり、しかし現実的には理念ありきのバランスの悪い社会保障ともいえ、これも社会主義の現実適応の困難の名残でありましょうか。

 ロシアの都市は社会主義時代のスタイルの均質なアパートがたくさんあり、多くの方はそこに暮らしている訳ですが、この均質な窓辺やそこから漏れてくる光をみていると、逆に、想像しえぬそれぞれの他者の苦労や、哀しみ、喜びの機微、無数のそれらはなんであるのかはわかるはずもなく、そのことを知りつつも空虚な想像に遊ぶのみで、いつのまにかその一つの箱のどこかに自分もまた溶け込んでいるような感覚になって、匿名性に帰す安心感、解放感があります。日本でも大きな団地等を散歩するとやはりそのような思いに耽りますが、いわゆる「団地マニア」みたいな方がいだく感覚も、きっと同じようなのでしょうか。
システムや理念と現実、欲望(こころ)。これは音楽や創作の動機として多いに関係することであると思いますし、そこに、たとえば、信仰だったり、祈りであるとか、慣習だとか、身体や病理との関係もあり、そのような話や風景は私にとってはとても自分の創作、生きていることにおのずと関わってきてしまうことです。

         

 こうした「観察者」の眼差しや想像から現実にひきもどすべく、ホテルまで戻り、車でフェスティバル会場に着くと、そこではアーチストたちが、会場美術の設営に忙しくしていました。サインホさんとレストランで昼食をとりながらいろいろな話を本番前にすることが出来ました。私はMPDL作品で取り組んでいる、シャマニズムを巡る状況の話をしたり、サインホさんはトゥバのそれや、自分の歌と美術との関わりを語ってくださいました。明日、チェレンホーバというイルクーツクから3、4時間列車で行ったところにあるチェレンホーバという街に一緒に行かないかと誘われる。そこには、巨大なシベリア抑留日本人墓地があるそうで、そこで布にカリグラフィと絵の具での彩色をその場でするのだということでした。サインホさんにとって、それは「無」というものを宥和させ、溶かしてゆくような作業であり、まさにサインホさんの創作とはそのまま鎮魂の儀式のようなものですね、と私が言うと、その通りだとのことでした。

 フェスティバルは私たちの演奏を中心にしながら、様々なアーチスト、ミュージシャンが多数参加しるインプロヴィゼーションにより、3つのコンセプトが次々に演じられました。

 はじめは同時進行で様々なことが会場で起こり、観客も10人ぐらい座れる円卓であらかじめ用意された仮面を、美術家によるインストラクションのもとにそれをつけながら動いたり声を出したりしながら、交代交代に入れ替わりながら観客も円卓に参加します。わたしも自分の演奏前に参加してみました、正直なところなにが起こっているのかよくわかりませんでしたが、おそらくものすごく意味のあることが意味を明示されぬままにそこいら中に、秩序無く、それらが、人間がやもの散らばっている状況。外側からみたらとても奇妙で心惹かれる風景、出来事でした。

 演奏のほうは、サインホさん、エフゲニーさんとともに、口琴や自作楽器のウラジーミル・マルコフさんも加わりました。千の声をもつと言われるサインホさんとの演奏はわたしのコントラバスの演奏スタイルにあってとても演奏しがいがあり、瞑想的でありながら、沸き上がる寸前の泡のような変化の種が潜み、お互いがそれをキャッチすれば、いつでも新しい別の場所へ高揚へできるような感じがしました。突然それが起こったかと思うと地を這うような低い呟き。演奏や声を聴きながら演奏するのみ。音楽。

   
   
   

 最後は詩の朗読とのセッションになりました。本番の少し前に主催者の方から、詩の朗読を日本語でしてくれないかと頼まれました。さて何をどうして読んだら良いものか。難題。パソコンをもっていたので今までいろいろな作品で用いてきたデータをひっぱりだしみました。あえて日本語への「翻訳詩」を選ぼうとか、シベリア抑留に関する詩ですとか、俗謡や先日MPDL「春香伝考」で用いた春歌かを読もうか、、、なかなか答えが出せませんでした。なんとなく今現在の自分の心持ちに近い感覚をおぼえた、金子光晴の「くらげの唄」という詩を選びました。諳んじていないので、紙に書き写し、いちおうそのロシア語翻訳も用意し、通訳のミーシャ君に発音チェックもしてもらっていました。

くらげの唄

    ゆられ、ゆられ
    もまれもまれて
    そのうちに、僕は
    こんなに透きとほってきた。

    だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。

    外からも透いてみえるだろ。ほら。
    僕の消化器のなかには
    毛の禿ちびた歯刷子ハブラシが一本、
    それに、黄ろい水が少量。

    心なんてきたならしいものは
    あるもんかい。いまごろまで。
    はらわたもろとも
    波がさらっていった。

    僕? 僕とはね、
    からっぽのことさ。
    からっぽが波にゆられ
    また、波にゆりかへされ。

    しをれたのかとおもふと、
    ふぢむらさきにひらき、
    夜は、夜で
    ランプをともし。

    いや、ゆられてゐるのは、ほんたうは
    からだを失くしたこころだけなんだ。
    こころをつつんでゐた
    うすいオブラートなのだ。

    いやいや、こんなにからっぽになるまで
    ゆられ、ゆられ
    もまれ、もまれた苦しさの
    疲れの影にすぎないのだ!
                        金子光晴 詩集『人間の悲劇』1952年

 すると詩人がやってきて、これを読んでほしいと一冊本を持ってきました。自分はそこにある吉増剛造さんの詩のロシア語翻訳を読むので、日本語の原文を読んでほしい、朗読は吉増さんのようにでも、そう出なくても良いですと。おおっ、けっこうギリギリの時間で、いま自分が正直に読むことが出来る言葉としてギリギリ選択したのですが、、、、それから古代アッカド人の発掘された詩をアッカド語で、自作のロシア語詩とのことでした。どんな朗読するかはなるように、なとかなれ!という感じ。いくつか朗読と演奏のコラボレーションをして、ステージで朗読者から詩集を渡されたので、一言読み始めると通訳のステージ脇に控えていたミーシャくんが、「カワサキさん、いまじゃありません!!」あはは。一言読み始めちゃったので、急遽本を用いたダンス?にきりかえてパフォーマンス。瞬間瞬間問われることが多いものです。即興とは「なんとか切り抜けること」ではないはずだけれど、そういうスリルがたまらないというのも確かです。準備していないからいろいろな状況が起こり、なるようになる、なることに身を任せる、そこから新しい発見を生む。これも即興。あとでvideoとかみたくないなぁ。先にステージを終えたサインホさんが、ステージ脇までビールとオリーブを届けてくれました。写真の右にいるのが彼。すこしショスタコビッチににている。テンション100で演奏する私(笑)を舞台袖で心配そうに見ております。そして案のじょう「出」を間違えた私。
    
        


 終演後はMPDLに参加してくれた歌手のマリーヤ・カルニエヴァさんと、映像のミハイル・パブロフさんと再会。今後のプロジェクトについて明日の夜会って話し合うことに。2日目はサインホさんの作品制作に参加することになり、たった二日の滞在のため4件も人にあう用事をつくっていましたので、調整がますます大変。まずはサインホさんとの美術制作。



 きょうは雪が降るかもとのことで、予定していた遠方のチェレンホーバには行かず、イルクーツクの日本人墓地へ。途中アーチストたちが暮らしていたというみるからに怪しい廃墟に立ち寄り、制作道具を調達。流行か伝統かイルクーツクでもお札のようにチンギスハーンの肖像画が飾られておりました。そのあとだれもいない雨降る墓地へ。ロシア人墓地の脇の森の中にこの地で生涯を終えたシ日本人の慰霊塔があるとのこと。道無き道をゆく。ドライバー、通訳の方も含め、雨の中、雑木林を4人が、布や1メートルほどもある筆や、制作道具をかかえて、ぬかるみ、濡れ落ち葉を踏み進んでゆきます。サインホさんは雨よけにスーパーのレジ袋を頭にかぶっているし、わらわれはあきらかに不審者ですが笑ほかには誰もいません。私はそこにいったい何の字を書くのか、、。また問われる状況、というか問うているのは私自身なのですが。サインホさんに車の中で書き方を教えてもらう。慰霊塔はありました。個人の墓石はありませんでした。遺骨の半分は特定はできないけれど日本に帰還し、半分が土の中に埋まっているとのことでした。骨と言っても火葬された骨ではないのでしょう。森を進んで行くと、墓石の痕跡、小さな墓石が撤去された跡がたくさんのこっていました。サインホさんはそのそばを制作場所に選び、4人でビニールシートと森にくる前に購入した布をしきます。私が墨を付けた一メートルほどある竹筆と字を書き、サインホさんが白と茶色の絵の具で枝を描くとのことでした。念仏のような声を発し、過呼吸気味に呼吸を整えます。私はまだ何を書くか決まっていません。なにか漢字を書いてほしいとのことでしたが、自分の名前の「純」か、たとえでいわえれた「無」以外に思い浮かびません。昨日と同じ状況ですが、さらに重い選択、、、。しかし漢字という表意文字をこの場で選択することが出来ませんでした。「無」という文字にも「無」という意味があり、それすら避けようとしてしまうのはなぜ?



 結局平仮名と「あ」という文字に、言葉にならない気持ちを込めて一筆書きで書きました。そういえば、ABCも「あいうえお」もなぜ「ア」が始めなのでしょうね。いまこの文章をかきながら思いました、きっとこの場でそれを選んだことはそこに関係するかもしれません(室町時代頃のこの並びが一般化したそうですがサンスクリットの影響があるそうです)。でも「いろはに」は「い」が先。でもあれは「歌」なので意味(色は匂えど)が先にきますね。もちろん感嘆詞として、あるいはマントラなどでもそうですが叫び、発見、驚き、「ア」は無限です。そして「あ」と書くことしか出来ませんでした。雪はこのときまだ雨でしたので、作品は雨に打たれ、滲み、まさにサインホさんがいっていたようにそのまま無へとにじんでゆくように書いたその字も消えて行きます。サインホさんは帰り日本人慰霊塔にタバコを捧げ、私もそれを真似しましたが、あとは合掌することしかできませんでした。これまでなぜかシベリア抑留が気になっていたのは、はじめては大岡淳さんとの美術作品の中での「シベリアの道化師」というパフォーマンス作品で、ともに抑留体験のある石原吉郎の散文と内村剛介さんの文章や石原さんに対する批判などを読んだ時からでした。それから約9年、今年初めて縁あってシベリアに来ることが出来ました。サインホさんはこの後パフォーマンスに向かう中国の西安入りを遅らせてまでも、シベリア抑留日本人の墓地での制作を考えたそうです。

 帰りにお願いしてロシア人墓地にも寄らせてもらいました。すこしだけ、雨の墓地を散歩。多くの墓石には故人の写真が灼きつけてありました。多くは十字架はありません。もちろんソ連時代はそれは禁じられています。ならばソ連時代は儀式的な葬式というものがあったのかと聞くと、やはりそういうものはなかったそうです。葬式はやるものであるということが当たり前のように思ってしまうので不思議に思いますが。たとえば病院で亡くなれば家に戻されそこで家族で悼むぐらいであったそうです(あとで調べたら、たとえば葬儀を司おる司祭のかわり共産党の役人がきて、科学的な唯物論的な根拠として「遺体はただ土に帰り自然と融解してゆく」という内容のことを言ったりすることもあったようです。)。墓石に写真というものもそれを強く感じさせます。墓石に記された生年死去月日をみると確かに早い死も多く、ソ連時代の勲章も飾られていました。お墓参りの特別な慣習はないそうですが墓でウォッカを呑むことがあるそうです。アジア系の人の写真はその墓石にはありませんでした。もちろんお墓にはいらない人々も多くいるそうです。葬方は基本的には土葬であるそうです。これだけ土地があればもちろん土葬でしょうね。日本でも当然人口密度が低い時は土葬であり、火葬することの宗教的意味の特別性はあとから理屈付けたものであるということも出来る訳です。シナゴーグをみたので、ユダヤ人の墓地もあるはずだとのことなので探しましたがすぐ見つかりませんでした。シナゴーグはソ連時代どうだったのかときくと、残されることが多かったようです。理由を聞くと、共産党の要人にユダヤ人が多かったからと、運転手の初老の男性は嘲笑気味にそういっていました。トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフなど革命の要人。レーニンもユダヤ人の家族の出自をもち、最初のソ連政府の要人はほぼユダヤ人といいます。真偽は分りませんがそういう説があるそうです。



 エフゲニーさんからは、「余韻」と「幽玄」と「芭蕉」についての質問があったので、できるだけ答えました。「韻」という漢字が「音」とうい時からなることは説明しながら気づきました。そして韻はライムでもあります。通訳のミーシャくんはもちろん日本語は上手ですが、われわれの会話にはひじょうに抽象的な内容も多く、ときどきスマホの電子辞書をもちいます。よく覚えていませんがおそらくロシア語ではそれなりに用いるであろう単語が、日本語に該当せず、該当する日本語をみつけ、私が確認すると、それは私がこれまでに聞いたことのない、ほんとうにそんな言葉があるのか、造語かなとおもうくらいな、難解な熟語だったりすることがよくありました。ペテルブルク出身の彼は経済学を学ぶためにイルクーツクに来て、いまアルバイトでやっているコーヒーのバリスタ、コーヒー機器の輸出入業、もしくは研究している日本の「合気道」についての研究、あるいはウラジオストックでなら職にありつく可能性がある通訳の仕事を希望しておりました。帰って作品をホテルの空室を借りて作品を乾燥させます。その間食事に行き、松の実の入ったウォッカをのみながら乾杯を繰り返す。トゥバの酒を飲む時の儀式を教わりました、左手の薬指をウォッカに浸し、その指を空に、地に、自分の背後の影に。ここで7月にお世話になったサックスのアンドレイさんにも再会。ほんとうに優しい顔をした男であります。



 さて酩酊して帰ってきた後は、サインホさんが、ぜひトゥバでもパフォーマンスをやろうと提案してくれる。イルクーツクのロシア伝統歌と、50年前の バイカル湖に唯一流れこむ大河アンガラ川のダム建設によって沈み、その村とともに消えたフォークロアを復活させるプロジェクトのメンバーの二人とあう。まだきいていませんが沢山のCDやDVDをいただく。http://drownedsongs.com/そこに合流したヴォーカルのマリーヤも含めて、私が気になっていたロシアの古謡でよくあるのですが、フレーズの最後がしゃくりあげるよう上がるのはどうしてか、という質問をしました。彼らが言うに、ひとつ考えられるのは、空へ声を届けようという意思からくるののではないか、と。広い無限の大地で、さきほどのサインホさんのトゥバや北方遊牧民族の、天上神への信仰、テングリ思想もそうですが、まず空や、天に捧げるという感覚があるのだろうとのことでした。あたりまえで気づかなかったが深いテーマかもしれないのでメールで話し合おうと浸水の歌プロジェクトのリーダーはいってくれた。

  

その後は場所を変え、マリーヤと映像のミハイルと打ち合わせ。ここでは酒をのまなかったので松の実入りウオッカの酔いも醒めました。カフェが閉まってしまったのでさらにミーティングを続けるために、他の開いているカフェを探しに歩く。まだ23時くらいだが、街の中心部でも人が少なく、次の店を見つけるのにも時間がかかかります。通訳のミーシャくんは松の実入りウォッカに酔い食事のあとに帰ってしまったので英語。お話したり黙ったりしながら、立ち並ぶアパートの両脇に大通り小通りをと、暗い街を早足に歩いていると、長い冬がもうすぐに訪れる直前の夜の街の静けさにつつまれる。電気の落ちたアパートの窓窓。ふと、なぜか墓場思い出した。見晴らしの良い、新しいショッピングモールのようなところで、まだ開いているカフェバーをみつけ、コラボレーションのための打ち合わせを2時間ほど。イルクーツクでその日、けっきょく雪は降らなかった。

  
 
朝が来る。通勤のバスを待つ人々が、小さな乗り合いバスを待ってもう街はにぎやかに動き始めていたのでのぞいてみたが、隣の野外の中国市場もソ連式な巨大な屋内市場もまだ閉まっていました。帰りはソウル経由。仁川から金浦への移動があったので、なんとか先日公演の「春香伝考」の「春香伝」のなにかにふれられないかと。韓国語できないので本屋とCD屋で「チュニャンジョン」はあるかときき、なんとか伝わる。どこかの吊り広告にチュニャン(春香)とモンニョン(夢竜)の漫画もありました。

 帰国後、ロシアアウトカーストの唄のコンサートのため石橋幸さんとリハーサルをして、いつものように古いロシアの詠み人知らずの俗謡やシベリア囚人の唄を演奏していると、友達や、道行く人、元からそこに暮らしていたアジア人や、アジア系スラブ系の混血の人、最近移民してきた中国、主にウイグル系の人々、近所の食料小売店の売る気のなさそうな若い女性、その入り口に地べたに座り込んだ少年がこちらにむけてくる眼、朽ちかけた建物、人々が暮らす家、団地
、商店街にスピーカーから鳴り響く作りの悪い音楽、、、 おなじように東京で日常にかえるわたしのなかに、たった2、3日前の風景、友達や市井の人々が、なにかを残してまた通り過てゆき、哀しみとも喜びともちがう感情から湧いてくる涙がこぼれてくる。ただ生きる、ということしかできない。
 
 三泊四日、実質2日の短い滞在でしたが、ひさしぶりの一人での渡航で、たくさんのことをしんみりと感じ、知ることのできた濃密な時間でした。

   
    

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河崎純音楽詩劇研究所 バイカル・黒海プロジェクト 日記 (その1 イルクーツク/ロシア)

2017年08月05日 | 活動報告
7/10

出発朝まで、それぞれ現地とのやり取り。眠れないまま、朝5時に家を出る。
他のメンバーより一足先に一人仁川空港。はじめてのシベリアに向けて出発ロビー。後ろを振り向くとロシア語を話すアジアの方々。骨格の問題か、日本語にきこえ、呼ばれているようで、つい反応してしまう。数年前ベルリンやイスタンブールに一人で公演やリハーサルに通ったころを思い出す。パフォーマンスや演奏のことしか考えていなかった。あの頃のように異国の言葉や風景や音や未知の情報ががそのときのように、自分の中につぎつぎと飛び込んで来る。



 空港で明日共演のアンドレイ・ギデイオンさんが待っていてくれる。古く小さな空港、さまざまな出自の人々。ウイグル系の中国の方がとくに多い。スマートフォンで何をやりとりしているのだろう。到着は現地時間夜9時頃、白夜なのでまだ明るい。風が爽やか。暗い待合室で後発隊を待つあいだ、アンドレイさんに中国人(ウイグル系)の方たちについて尋ねる。住んでいるエリアも違い、例えば友人として交流はないが、市場、商店等、売買等の交流はある。商店を営むことが多いそうだ。空港の狭く暗い一角に隙間無いほど人々が密集している。人形遊びする子、カードゲームで遊ぶ60代くらいの女性たち。重なり合うように横たわり、眠るひとたち。なぜそんなに固まっているのだろう。そこに生きる人々がどのような人生観、価値観、死生観で生きているのか、想像し、眺めることは、結局、私が生きるための慰め、励まし、安心をそこから探しているのかもしれないと思う。病や死、孤独、経済、別離、実体のない都市生活へ不安。たとえばこの旅でも多くの人々の信仰の姿や保証のない生活をみた。宗教というものに対する信仰のなく、かろうじて創作という行為のみが生の支えである私が、他人の信仰心や目の前の現実に安らぎを覚え、そこから生や死への救いをえているような不可思議な感覚。

 メンバーと合流し、車で街に向かう。いつの間に夜が深くなっている。寒い街の夏の夜。漢字の、表記、併記が想像以上に多い。街の通りの名前はよくロシアの街にあるよう、人物の名前が冠されることが多いが、モンゴル系の人物の名前の通りもある。私たちの滞在する場所もモンゴル系の偉人の名である。イルクーツクといえば、デカブリストの乱、青年将校やその家族の流刑の地、政治犯の極東シベリア送りの入り口のような印象もある。「アレクサンダー中央刑務所の亡霊たち」、二年前に石橋幸さんの紀伊國屋ホールのコンサートで私はそう名付けて構成した。その刑務所もここイルクーツクにあり、まさかこの地に来るとはそのときは思いもよらぬこと。戦後、日本人抑留者が建設した建物も多い。土埃舞うが、澄んだ夜空、静かな夜。昨年のモスクワ同様に、ここでも夜遅くなると酒の販売はなく、三浦宏予さんがお土産に持ってきた泡盛をあけ、短かめに無事着を祝う。





7/11 

 今回のバイカルプロジェクトはバイカルの東、ウランーウデ(ブリヤート共和国)での二つの公演を軸に、主にブリヤートの音楽家や美術家との共演を考えていた。その当初の目論みとは異なり、共演者はバイカルの西側、全員イルクーツク在住の音楽家との共演となった。リハーサル会場も決まらぬまま、翌日の公演会場のレストランで共演者と待ち合わせ。もちろん全員初対面。事前の変更も多く、唯一直接メール等でやりとりがあったのも、紆余曲折の末、出発の一週間前に出演が決まったヴォーカルのマリーヤ・カルニエヴァさんだけであった。そのほかブリヤート系の歌手アクサナ・ジャンバローバさん、ヴァイオリン、クラリネットのリュドミーラさんとイリアさん。上演作品は楽譜を演奏することも、作品の概要やコンセプトを説明するのもわれながら難しく、くわえてリハーサル会場が決まっていないので、実際にリハーサルを進めながら説明というわけにもいかず、拙い英語で説明を始めたが、英語を解したのはマリーアさんだけであった。これはあとあとわかることになるのだが、昨年末より英語でSNSを用いてやりとりをしていたほとんどの方(美術館や交響楽団等の担当者は若い女性が多かった)は、ほぼ翻訳アプリを日常的に用いていた。同じロシアでも、モスクワやペテルブルクとの違いは想像以上だった。リハーサル会場は提供されず、貸し主の「自由に使ってください」という言葉を都合良く解釈し、咄嗟の判断で宿泊先のアパートメントにTAXIで向かいリハーサルを行う。あけたばかりの旅の荷物をメンバーが急いでかたしてくれる。両ボーカリストは想像以上に楽譜にも強く、イルクーツクの若い二人の演奏家の傍について進行を手助けしてくれた。事前に多少のやり取りをしていたこともあるが、即興系、伝統音楽、エレクトロニクス系のボーカリストとして期待していたマリーヤの存在は、こういう読譜の面でもとても心強いものだった。アクサナさんも作品のなかで自分で何をすれば良いかを感じながら答えをだしてゆく。早速母親に電話をして作品に必要なブリヤート語の確認。明日の本番にむけ、準備を整えて来るだろうとの予感。親戚がシャーマンであったそうだ。実は急遽決まった翌日のこの公演が、この後の黒海プロジェクトも含め、もっとも完成された作品の上演であった。手応え十分のリハーサル。



 リハーサルを終え、すぐに今晩の本番の会場へと向かう。20時開演だが白夜でまだまだ陽は落ちていない。アンドレイさんがととのえてくれたコンサート。アンドレイさんは打ち込み音源をバックに朗々と独奏。確かな演奏技術とエンターテイメント精神だが、そういうものに溢れすぎた東京やヨーロッパやモスクワの地下鉄で見聞きしていたら、もしかしたら気にとめず通り過ぎてしまったかもしれない。しかし音楽に対する混じりけのない熱量が伝わってきてしまうのはなぜだろう。頼まれて東京で購入したサックスのリードをプレゼントすることもできた。世界で4都市でしか売っておらず、モスクワでも手に入りにくいそうだ。

はじめてこの4人でのステージは、曲は決まっているがかなり即興的に。良い演奏ができたと思う。私の譜面の通りより歌の世界に広がりが出る。
本番を終え会場の外に出ると、ヒッピー風な初老の男性とともにいた坊主頭の小柄な女性がギターを弾きながら歌い始めた。マイナー調の弾き語りは、すぐにオクジャワやヴィソーツキーなどの「バルド(吟遊詩人のロシア語)」を想起させたが、ほとんど歌詞は分らない。アナーキーでシニカルなクレージーソングとのこと。おぼつかないギター、おそらくその内容をしっかりと伝える声、そして眉を寄せた表情に引き込まれずっと演奏を聴いた。現地のロックバンド、ジャズバンド、現代音楽の作曲家などたくさんの音楽家とお話をすることもできた。コンサートでの暖かい拍手も嬉しいが、終わったあとこうして歌を聴けたことも嬉しい。その後、地元の演奏家とセッション。大都市以外では感じることのある印象だが、音楽を聴いた後の表情に嘘がないように感じる。そう思いたいからかもしれない。アンドレイさんほんとうにありがとう。イルクーツクのこの夜の観客の皆さん、緑色の髪の坊主頭のパンクス少女、「出来事」に対して率直な反応してくれたことに感謝します。





7/12

 美術館のレストランでの公演。今回は予算の問題で、舞台監督がおらず、演出、照明、演奏のリハーサル、自分の演奏、進行を同時に考えつつ短時間で、言葉の壁を越え、海外の演奏家やスタッフと進めて行くのは正直大変だが、映像の三行さんが客観的にアドヴァイスをくれるので安心。それに思わぬ天使のような助っ人、通訳が現れた。公演前、昨日の天使、昨晩の件のスキンヘッドのパンクスがバンドメンバーを伴ってまた見に来たが、ドレスコード的なものにひっかかり入場を断られてしまったとのこと。会場スタッフとかけあって入れてもらう。彼女たちに聴いてもらいたいと切に願うから。本番では、いきなり一曲目で私がコントラバスの駒を飛ばし、弦がぶらさがり、私は演奏を一時離脱。自分用に変えた弦の設定がなじまぬまま、テンション100でいつものように弾いてしまった。そんなハプニングもあったが、メンバー、イルクーツクの演奏家は素晴らしかった。今回の全ツアーでも、マリーヤ、アクサナ、三木聖香、タイプ、表現法、言語が異なる3人が同居し、室内楽パートも実現し、目指しているユーラシアンオペラへの道に一番近づくことが出来た本番だった。ノヴォシビルスクで日本語を教えている、りかおさんと合流。日本にいる間、交渉が思うように進まぬとき、SNSで愚痴をきいてもらったり励ましてもらったり、ほんとうに気持ちを支えてくれた。心強し。終演後に外で彼女たちがまた歌っているが、私は精算等のため聴けず。さようなら、またいつか。

 


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河崎純音楽詩劇研究所 バイカル・黒海プロジェクト 日記 (その2 ウランーウデ ブリヤート共和国/ロシア)

2017年08月05日 | 活動報告
7/13

 シベリア鉄道でウラン=ウデに移動。7時間程度。バイカル湖沿いを行く。青い、蒼い。10年以上ぶりのロシアの長距離鉄道。停車駅で人々を眺める。車窓に頭をつけてそれを眺める人々を、さらに私が眺めている。ロシアやトルコでもよく見る風景だが、特に商いに関して、あまりにも非合理的に見える風景がいつも印象に残る。人々が買わぬものを作り売り続けている。それを繰り返すことが、与えられた生の逃れられない定めであるかのように。合理的な「工夫」というものが感じられぬその姿に、なにか安堵のような感覚も覚えてしまう。苺は一つも売れず、なにか呟きながら、走り出す長い列車を目で追う。季節こそ異なるが、それは十数年前、モスクワから北の街アルハンゲリスクへ向かう列車で見たのと同じ景色。そのときは雪降る前の秋の黄色い景色。




 

 鉄道の長さと同じだけ長いプラットホームのウラン=ウデ駅に到着。モンゴル系のブリヤートの人々。後に共和国の人口比率としては30パーセントと知るが、バイカルの西、イルクーツクとの違いは、生活の場が、スラブ系ロシア人や他民族と混ざり合っているという印象。ソ連時代のある種屈折した民族共和政策をみることができる。ロシアのなかのアジア、というよりも、アジアのなかのロシアといってよいのかもしれない。モンゴル経由のチベット仏教、ロシア正教、ブリヤート固有のシャマニズム信仰。書きながら思い出したのだが、先に書いた、駅での物売りには中国、アジア系の人の姿はなかったように思う。ブリヤート、アジアの街にきたと実感。日本人の起源の一つであるという。小さく裾の広い山々。工場の煙突。中1程度のロシア語で、メンバーのレストランでの注文や買い物のお手伝い。



7/14

 マリーアさんがイルクーツクより鉄道で一足遅く来る。ぜひ彼女も含めリハーサル前に、少数民族の暮らしや家、資料が閲覧できる巨大なテーマパーク?自然公園?(ザバイカル民族学博物館)へ、みんなで行きたいと思い、無理をいって通訳のアレクサンドル(サーシャ)にアレンジしてもらう。住居などの実物も貴重であることはもちろんだが、シャマニズムや、文字の導入、ソ連邦のなかでの位置づけなどの資料や写真も興味深かった。わたしたちの上演作品の原作に描かれたエヴェンキ族に関するものも多数。エヴェンキ族は現代の朝鮮人の祖ともされていて、実際「アリラン」の言葉の無意味語(「アリラン」、「スリラン」)のいくつかはエヴェンキ語に共通するらしい。古代朝鮮系民族と大和民族の繋がりを否定できない嫌韓論者のなかには、エヴェンキ族を現代韓国人の祖とし、現代の韓国人と日本人の繋がりを否定する根拠にしたりしているようだ。インタネーット上にはそのような汚く貶める言葉を沢山見ることができる。エヴェンキ族は彼らにとっては、無条件に蛮族として貶斥の存在ということになる。この作品にとりかかった時点では、この地にいることは考えもしなかったことであり、昨年モスクワでこの地での公演を示唆してくれたセルゲイ・レートフさんにはほんとうに感謝である。見学後18日の会場エスノギャラリーオルダでリハーサル。12日とは全く異なるアレンジを、二声のヴォーカル表現を中心にアイデアを出しながら探る。マリーヤの的確なスコアリーディングが即興表現をより豊かにしてゆく。さりげないアイデアに自己主張はない。声のアンサンブルのアイデアが次々と出てくる。今後のユーラシアンオペラへの道に欠かすことが出来ない存在だと思った。





7/15

 フェスティバルの送迎車で一時間ほど車に揺られというより、カラダを車体にぶつけながら会場へ。黒海方面とのSNSでのやりとりも続くので毎日3時間ほどの睡眠だから、それでも眠る。会場に着く。草原の丘。野外フェスティバル。この作品と大きく関わるこの地で声を響かせることが出来ることに感慨を覚える。それに浸る間もなく。控え室でブーザ(肉まん)をご馳走になっていると、リハーサルを終えたブリヤートの歌手ナムガルもあらわれた。渡航確定の時期が遅れたためにメインステージを確保できず、サブステージとしてわれわれにあてがわれたのは、なんとも頼りない小屋を輪切りにしたような場所であった。それはそれで気に入ったのだが、メインステージからエスノロックなサウンドが大音量で草原にこだまするので、さすがにやりにくい。仕方なくそれなりに語気を強めて交渉。アジア系中心のフェスのなかで、隣は呑気そうなロシアの農民の遊びや祭、それからこの地に存在する、ロシア正教の古儀式派(セメイスキ)の祭を再現していた。明るいサウンドと踊りだった。そういえば、と思いマリーアのルーツを尋ねると、母方のルーツがこのセメイスキとのこと。われわれのステージはさっきまでそこでショーをしていたセメイスキのみなさんが優雅にそこで食事をしていたその場所である。


 
 小屋でのリハーサルを終えて、出番直前に進行をいそいそと打ち合わせていると、通訳の若い学生がやってきて、日本語で、機材が燃えたのでできないとのこと。笑う(笑)。結局、メインステージでラストに出演することに。大音量、舞台の大きさや使い方を想定して構成を考え直すために、陽の落ちたメインステージを観に行く。演奏は23時半とのこと。酒でも飲もうとするが、出店も店じまいして、この広い草原からビールは消えてしまった。メインステージから遠く離れ、闇に包まれつつある会場の入り口付近にある野外設営の便所の帰りに、われわれが演奏するはずだった小屋をみると、はかない蛍光灯に底だけが照らされていて、なにか西洋のおとぎ話に出て来る田舎の小屋のような佇まいだった。静かな環境なら、ひっそりここでショーをしても美しかったなぁと思うが、いざメインステージへ。群がる蛾とその死骸。サウンドチェツクなしの、セッティングの間、なにを応答しているのか分らないけれ、マリーアがMCとやりとりして埋めてくれている。本番開始、あとはやるだけ。





7/16

 映像の三行さんは撮影で休みなし。私やそれ以外のメンバーはオフ。ノボシビルスクからきたりかおさんの友人のブリヤート人、サーシャさんが街を案内してくださる。サーシャさんはバレーの振付家。まだ50才を過ぎたばかりだが、引退して年金生活を送っているそうだ。チベット密教寺院を見学。はじめてラマ僧のお経を聴く。街を一望できる丘に立つ。正教会の屋根もみえる。もちろんシャーマニズムには大きな寺院、聖堂などはない。その後、レーニンの巨大な頭像を観に。さしずめ無宗教時代の「聖像」である。写真でみるとチープな観光名所に見えたが、本物は大きかった。いつ頃どういう経緯で出来たかは聞いても分らなかったが、信仰入り乱れるこの土地では、社会主義への求心力としてこのくらい巨大な頭像が必要だったのかもしれない、などと想像する(1971年に出来たようだ)。今年はロシア革命100年。岩田守弘さんが芸術監督をつとめる国立バレェ劇場の脇には、バレェダンサーの男女の銅像がある。われわれはそこで記念撮影などしていたが、ひとしきり撮った後、ほんの短い間、それを、自らの生きてきた道を思い返すように一人見つめるサーシャさんの眼差しが印象的で、こっそり写真を撮ってしまった。その後本屋に立ち寄りサーシャさんにブリヤートのことをいろいろ質問する。シャマニズムの現在や、生活、習慣。朝まで話せるとおっしゃっていた。ブリヤート族はわたしたちのユーラシアオペラ作品でベースにしている中国の女性が書いた小説に登場するエヴェンキ族と近い存在であるが、エヴェンキ族とは異なり、モンゴル文化の影響が強くそれに伴いチベット密教、比較的早い段階での文字社会の受容があり、文字に関しては、書道の伝統も残っている。言語として印象的だったのはロシア語のキリル文字ではあらわせない音が、キリル文字の特別表記としてさらに33文字あるということ。それだけ複雑な音の種類を使い分けるということだ。音の種類と旋律の密接な関係はとても関心がある。たとえば日本語は表音文字31文字で母音のみと子音母音の組み合わせからなるが、それは、音素数としては少ない方だ。音素が少ないと旋律的要素や節回しがより重要になる。音素が多いと言葉そのものの表情が多様なので、それらがより少なくなる傾向があるように感じる。ブリヤート族の歌はどのようなものだろうか。もっと知りたい。



 あとで調べたところによると、我々が記念撮影したバレェ劇場の踊る男女の銅像は、有名な「麗しのアンガラ」というバレェ作品のヒロインと相手役。ヒロインはアンガラ(西ブリヤート族の娘 アンガラはイルクーツクを流れるバイカル湖から流れる唯一の川。)は、ロシア人の青年エニセイに一目惚れされる。アンガラは父バイカルが富豪イルクートに嫁がせようと制止するをふりほどき出会うことになります。あの銅像の前で束の間佇んでいた元バレェダンサー、振付家のサーシャさんもきっとこの作品も演じたことであろう。エニセイではないはずだから、父親による呪いの風の悪霊かもしれない。悪霊の音楽(黒い旋風)はブリヤート民族音楽の打楽器的、シャマニズム的要素が引用されたようだ。植民地主義的発想ではある。この作品はロシア人とブリャート人の友好を描いた作品であるとのこと。





7/17

 朝からリハーサル。前日にマリーアはイルクーツクに帰ったので、日本人のみ。みなで知恵を絞る。マリーアや「最後のシャーマン」を演じる亞弥さんがいないからということともまた違う不在を強く感じるが、その不在ということ事態を表わせばよいのだ、という答えに至る。そこからは構成が出来るのが早かった。この作品をはじめて2年。今回少人数ながら工夫をし、作品の本質的な部分がやっとみえてきたようだった。帰国後、またフルメンバーであらためて作るのも楽しみである。そこから新しいアイデアも生まれた。三浦宏予さんが、コントラバスを弾きながら舞うオープニング。ダンサーは、ものを美しくみせる。私もダンサーではないがそうありたい。美しいものを獲得したり購入したりするのではない、そのものが美しくあるために私という存在があること、できること。韓国のドラを宏予さんが抱いた時、ドラが語る表情の美しさや歴史。そして三木さんが小さなドラを丹田あたりでまわし続けて歌う。まるでアルメニアのパラジャーノフの映画のワンシーンのように。それを私が演じる、彼ら(エヴェンキの部族)の文化や慣習を収奪するものが、近代、科学、合理性、健康、教育、、、、大義をかざし奪い取る。もちろんその大義は否定できるものではない。

 
 リハーサル後はサーシャの振り付ける子供劇場?的なものを見るためにキャンプ(ラーゲリ)へ行く。ラーゲリといわれると、はっとする。キャンプ=ロシア語でラーゲリだが、ラーゲリというと、「収容所」を思い出してしまう。とりわけ、日本では、シベリアの日本人捕虜収容所を。石原吉郎、鳴海英吉、内村剛介、その言葉を上演台本に用いてきた。そしてオシップ・マンデリシュターム。マンデリシュタームがシベリアから空想のアルメニアを謳った難解な詩篇を新潟大学の鈴木正美さんに翻訳してもらい、トルコで知ったアルメニアの作曲家コミタスのことを、渋谷のUPLINKで作品にしたのは数年前。そのときはセルゲイ・レートフが一緒だった。

 バスに揺られて行くと、それは郊外にある、子供のための広大な野原と宿泊施設。夏休みのサマーキャンプの場所だが、もしかしたここはらかつての「収容所」跡かもしれないと、捕虜や囚人の極寒、熱暑のラーゲリも想像した。子供劇団にはサーシャのまだ10歳になる女の子がバイカルアザラシの役で出るとのこと。髪を頭で二つ結った、シャイで愛らしい子。40人ほど子供が客席にスタンバイした。しかしふたを開けるとそれは子供劇団ではなくサーシャの家族劇団のバレェ・ショーだった。二十歳を過ぎた息子も手伝う。観客の子供たち参加型の遊びの要素も含まれているし、忘れられてゆくブリヤート語教育の要素も含まれていた。バレェのことは詳しくないが、小屋の中で赤いタイツをはいて踊るサーシャ。ロシア人の中では格段に背が小さいはず。西洋バレェ的な身体に恵まれているとはいえない。岩田さんもそうだったであろうが、早く振付家になったのはそのためであろうか。ロシアでは、その時代を知っているサーシャがそういうのなら、ソ連時代から子供の習い事が盛んであるという。サーシャさんもそんな風に10才の時、習い事の一つとしてバレェをはじめたそうだ。いわゆる勉強のための学習塾ではない。受験「産業」中心のの日本ではこの状況は考えにくい。こういう時期にスポーツや芸術に対する完成や素養が磨かれるということだろうか。またソ連時代は人材輩出という目論みもあったのだろう。なお現在の大学進学率(ほぼ国立)が多いが、ブリヤート人では90パーセントとのこと。両親のいない子供(学費無料)や母子(父子)家庭、障害への補償は厚い。ソ連時代の教育は非常に高度なものとして優れた教科書なども紹介されている。ソ連時代の社会保障制度の名残か。日本では課外教育における差。そこにかけるお金の差が、学歴等の格差に如実に関連しそれに比例する。ふと思い出すシベリア鉄道での風景。地下道や街頭で売るジャンク品のようなものの商売。トルコのイスタンブール、ガラタ橋でもよくみる体重計の測量サービス。需要と供給の非合理生、生き方と教育はどのように関係あるのか?あるいはさらに根深く民族固有の人生観と関わるのか。




 

7/18

 バイカルプロジェクト最終本番。お世話になった方々も見に来てくださる。イルクーツクとは客層が異なる。イルクーツにも多くの中国、モンゴル系、ブリヤート人の方がいたが、観衆の中には、アジア系の方は数えるほどもいなかったはずだ。文化や習慣は分離している。ここウラン=ウデはそうではない。宿に帰る途中のスーパーの外にいつもたむろしている老年の小集団。タバコをせびられたり、言葉が通じていないのに長く話しかけてきたり。アル中っぽくもある。アジア系の「良い顔」!この老年の小集団にはロシア系の人もまざっていた。とても印象にのこる顔の人たちだったので、毎日絡まれるのが楽しみだった。もしかしたらみな幼なじみなのかもしれない。日がな一日タバコを吸い、酒を飲み何のうわさ話や思い出を語り合っているのだろうか。毎日通った食堂。憂いある表情で恥じらう10代半ばの娘と、素直でお手伝いを良くする10才前後の息子。夏休みなのでいつも店で手伝いをしている。この子たちにお土産を手渡すべく、店に立ち寄るがけっきょくごちそうになってしまった。店主はキルギスタンに出自をもつウズベキスタン人。テュルク系の味と顔立ち。





 本番。メンバーの集中力が高い。最後のパート、観客も含めてドローンを歌い、歌が混ざりあうことを目論むがこれはほぼ失敗。終演後、件のチュルク(トルコ)系の顔の店主が声をかけてくれた。黒の正装気味のシャツでわざわざ見にきてくれたのだった。黒海へ、イスタンブールに向けての橋がかかったような気もした。ウォッカ飲む。
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河崎純音楽詩劇研究所 バイカル・黒海プロジェクト 日記 (その3 イスタンブール/トルコ)

2017年08月05日 | 活動報告
7/19
 
 大都市と異なり、こういう小都市(ウランーウデ)にはふたたび仕事で訪れる機会もあまり望むことが出来ない。もう見ることがないかもしれぬ風景や顔を心にとどめておきたいと思った。メンバーと慌ただしく別れて大都市イスタンブールへ移動。モスクワで飛行機大幅に遅れ、便の変更手続きと荷物の変更に空港中を奔走し、パスポートコントロールをやりなおし、ギリギリ次の便に間に合う(後にきいたが、別れたメンバーがイルクーツクへの帰路、私が借りたコントラバスを同乗させたシベリア鉄道3等車で乗車拒否され、たらいまわしでほんとうに大変な思いをしたそうだ)。途中アテネも経由。ギリシアには行ったことがない。アテネという呼び方に慣れているが、アシン、ロシア語ではアフィンと呼ぶ。陽の落ちる時間、外に出る。赤く染まる空と黒い山。あれがオリンポスの山々か?稜線がくっきりとし、みるみる夜空の青が濃くなってゆく。空港の外にでてタバコ。イスタンブールの空港に深夜到着。迎えの車で真っ暗なの市街地に消える。街は大きく変わったときいたが、暗いのでまだわからない。空港で感じたことは、きいていたとおり、アラブ系の方が多く緊張感が高い感じ。
 トルコ人の声は大きい。話し言葉というより、呼びかけの声が大きいように思える。そして男性の声は低い。想像するに、歴史的にもさまざまな文化、習慣が往来、交錯するこの地、特にイスタンブールでは、ゆきかう雑踏の中で大声や通る声で呼びかけ応えたり、商品を売るという習慣がずっと染み付いているのだろうか。身近にたとえれば、街全体がアメ横でしょうか。車のクラクションも同じように。

 宿に着くと世話人のような若いアメリカ人の女性はやや酩酊気味。ジンをすすめられ部屋に行くと雌の老犬と雄の若かい猫を飼っている。犬はビリー。猫はザッキー。ビリーはビリー・ホリデーの歌声のようなサドネスな表情。ザッキーはザッキー・ミューレンというトルコのスター歌手で賑やかに歌うドラッグクイーン的な存在とのことで、それぞれそれに由来する。ザッキー・ミュレンのことは知らないというと、早速YouTubeでみせてくれた。






7/20

 午後、ギター奏者のシェヴケットの勤める大学にコントラバスを受け取りに行く。よく知っているはずのベイオルグ。カディキョイの街の変化を確かめ、土地勘を取り戻しながら。缶ビールを買おうとするが、あるはずの店に酒が置いていない。政情が関係しているのだろうか。やっとみつけた一軒ののキオスクのような店で購入すると、新聞紙でつつまれた状態で手渡される。やはりなにか事情があるような。

 何年ぶりかの再会。気が合い、共に仕事をしたプロジェクト日本トルコ現代音楽制作Sound Migrationの後も、振付家アイディン・ティケルさんとのプロジェクトのリハーサルでもトルコに行くと必ず会って、家に招待してくれて朝まで飲み明かしたこともあった。シリアにある最古のキリスト教徒の末裔が暮らす地域の音楽のCDをプレゼントしてくれたこともあった。それはとてもアラブな音楽だった。今回のトルコはそもそも彼のグループKONJOとのコラボレーションが目的であった。KONJOのメンバーともグループメッセージを通じてコミュニケーションをとり続けてきた。しかし会場と機材の都合で出演ができなくなった、と伝わったのは、私がウランウデに着いてからのことだった。私の英語のコミュニケーション能力では限界もあり、うまくニュアンスが伝わらず、メンバーに不快な思いもさせてしまったらしいし、少なからずこの一件でグループの不和もうまれたらしい。私はウランウデで、自分の事情と詫びる思いを伝え、シェヴケットは個人として私のプロジェクトに参加してくれることになったが、それもいろいろあり、今回はシェヴケットは参加できないことになってしまった。親しい間柄のシェヴケットとこのようなやりとりをしなければならなかったのはとてもつらいことだった。

 シェブケットは以前会ったときよりもさらに太っていた。大学の構内(といっても庭のないビル)に入ると、話しかけてくる生徒と気さくに応える彼をみて、彼が信頼されている教師なのかがよくわかる。生徒の一人とそのパートナーがコントラバスを用意してくれる。持ち主のこの若い女生徒はCDもだしている歌手だが、コントラバスも習い始めたとのことで、せっかくなので弾いてもらうと、Bフラットのブルースを教科書通りにひいてくれた。シェヴケットはセロニアス・モンクをちょろっとピアノであわせる。わたしもちょっとだけ弾く。校内のカフェで話すと、彼女はどんな教則本を用いるのがよいかなど熱心に聞いてくるので、一度イスタンブールに滞在中レッスンをすることになる。シェヴケットに街の様子や変化を尋ねたり散歩しながら宿に戻る。いろいろな思いをしたこの街で、夜中に到着する亞弥さんとチェさんを待つ。どこにもでかけずにゆっくり二人を待った。





7/21

 この日は唯一のオフ。二人を案内しながら散歩。イスタンブールも次のオデッサも未確定事項があり、そのやりとりが残っていたが、ビデオ撮影したり楽しいひととき。チェさんは早速、新市街と旧市街を結ぶガラタ橋で太鼓を叩く。チェさんとの最初の出会いは新宿のガードだった。もう15年くらい前のこと。そこで太鼓を叩き歌を歌っていた。チェくんの印象ではこの街や人々に韓国の、とりわけ釜山の人々と共通するものを多く感じるという。たしかに。同じアジアの極東と極西の港町。

 それにしても観光客が街で昼からビールをのむ姿は少なく、グランドバザール方面の旧市街では、以前とは比較にならないくらい多くのイスラム教徒の方がお祈りしている。ひとことで言ってしまえばイスラム化が進行している。シェブケットは昨日、駅舎に飾られたプロパガンダの写真パネルについてイスラムファシズムの状況を説明してくれた。この街の信仰の状況や、明治維新と時を同じくする(日本の明治維新を手本、参考にした)。ケマル・アタテュルクによる政教分離等による西洋近代化の過程は、現エルドアン政権が姿勢を強く打ち出す前から気になっていた。なぜなら以前はこの街の宗教性というものがあまりに希薄におもえたからであり、わたしの友人たちに関してはそれはなおのことであった。多くの一般日本人の現在の宗教観に近いのだろうか。政教分離、教育改革、文字改革、男女平等、その近代的生活の礎をつくる功績をたたえいまでも独裁者ともいわれるムスタファ・ケマルの肖像画のない建物はない。トルコ人の99パーセントがイスラム教徒であるにもかかわらず。現エルドアン政権の経済危機を背景にイスラム的平等主義的傾向が支持を得て、それがイスラム原理的ファシズムとして結びつく。

 夜、長く共同作業した振付家のアイディンさんから連絡があり、会うことに。アイディンは大学を二年前にリタイアしていまは田舎に暮らしていると聞いていたが、たまたま仕事でイスタンブールに来ていた。自分の年齢、事情もあるが、ある時を共に長く過ごした方でも、遠く距離が離れていると、別れの時は、今生の別れを感じてしまうもので、それは何年か前東京で彼女を見送った時がそうであったし、その後別の仕事でベルリンのプロジェクトで、リヒテンシュタインでの公演後あわただしく別れた時もそうだった。今回はこうして会うことが出来、明後日はわれわれを朝食に招いてくれた。また明後日会えるが、それはまた今生の別れかもしれない。





7/22

 アジアサイドのモダのカフェバーで本番。ヨーロッパからアジアへと渡る。チェ君はその船の上で太鼓を叩いた。海を渡り会場に着くと思ったよりも大きく、サウンドチェックも入念に。話にきいていた通り、この街は若者を中心に盛り上がりを見せていた。共演のYakazaアンサンブルは室内楽とエレクトロニクスのアンサンブルで、日本文化への興味が強く、日本映画の台詞をサンプリングし、尺八も含んでいた。サーデット・チュルコフさんとひさしぶりの再会。カザフスタン系の移民でトルコで生まれ、いまはチューリッヒに暮らす。今回はたまたま親族の結婚式でイスタンブールにいるということだったが、結局この3日間はサーデットと毎日コラボレーションすることに。当初には全くないプラン。パンソリにも近い語りと歌のあいだを引き裂いて出てくるようなレンジの広いほとばしりが、暖かくさらに乾いている。いつか再会を望んでいましたが、おもわずこうしてまた演奏できてほんとうに嬉しい。マイク、セッティング、どんどん主張して現場を仕切って行く。相変わらず。健在。移動して生きてきた力強さに裏付けられた声。以前、Sound migrationでイスタンブールで稽古を3週間ほどした。構成を固めて行くことに抵抗する。即興を大事にしているのは、音楽が彼女の生き方そのものだからであるのだろう。生きることは即興だから。イスタンブールでは、バイカルプロジェクトと異なり作品のことはあまり考えずとにかく、共演すること。チェ君やサーデットと即興で演奏すると、自分の音と身体が結びついていることがよくわかり、借りたばかりの楽器の音と身体が関係を結んでいないことがよくわかる。そのことに3日間苦しむ。





7/23

 朝は、アイディンさんがわれわれを朝食に招いてくれる。ほんの3年前のある時期、毎日通った病院の最上階の彼女のスタジオのそば。大学での忙しい仕事から解放されて以前より気持ちや表情が穏やかなようだ。部屋の壁には新作で使うはずだったオブジェが飾られている。なにかうまくスポンサーにコンセプトを理解されず中止にしてしまったようだ。二年間練習して上手く行かなかったら公演はしないと言っていた私との「ダブルベース」を思い出す。公演を行うことが条件で助成を受けるので、プロデューサーの畠さんが困ってなんとか説得した。



 イスタンブールでのコンサートをコーディネートしてくれた日本に住むエンギンさんのお父様が営むアートアトリエ、ギャラリー。結局サーデットと我々4人でいろいろな組み合わせで即興。休憩中に、シェヴケットの生徒のエスラさんに楽器のレッスン。出会いと再会のパーティーも落ち着きを見せていたが、最後は楽器をもってきた演奏家や表現者と即興でセッション。シェヴケットも楽器を持たずにやってきてくれる。私が持参した小さな打楽器と部屋の壁とヴォイスで演奏。さすが、いいところで音を入れる。アイディンは予想通りチェ君の杖鼓(チャンゴ)に関心を示して、杖鼓の叩き方を教わった後太鼓を叩きながらダンス。そしてチェロのドゥユグさんとフルートのケマルさん。サーデットやチェくんの強靭な音楽になんとかついていっていっていたので、繊細なハーモニーを奏でる二人の西洋の現代音楽的響きも嬉しい。明日のセレン・ギュリュン、サーデットとのコラボレーションに加わるべき一要素はあえてこの西洋的要素だと思い、明日の劇場でのコンサートにドゥユグを誘う(これがあとでちょっとした問題になるのだが)。シェヴケットの私へのプレゼント(彼はいつもプレゼントをくれる)は、フランス語の原詩。ロートレアモン「マルドロールの歌」。私が仏文科卒ということを覚えていたのだろう(実際は卒業したけれどほとんどフランス語はできないが)。彼はたしか子供時代、父親がベルギー滞在が長くフランス語も堪能。セレンも尋ねてきてくれる。昨年出会い、日本で共演を重ねたセレン、旧友シェヴケット、サーデット、毎日のように稽古を重ねたアイディンさん、わたしにとってイスタンブール。全員がこの同じ場にいることの奇跡。そして新しい出会い。まさに「イスタンブールー東京ミーティング」であった。コンサート後は食事。シェブケットは自分の腹をなでながら「エロティックスモウ」なる謎の言葉を残す。








7/24

 劇場でのコンサート。7月のイスタンブールで公演を行うことは難しい。バカンスのため、公演をやるようなスペースほぼ全てクローズ。そこをなんとか交渉して日本在住の映画プロデューサーのエンギンが会場を探してくれた。それでも機材、資金の調達は難しく、シェブケットのKONJOとの共演は直前で実現不可能になってしまった。しかし当日会場の劇場に行くとピアノから機材まできちんと用意されていた。とても良い感じの公立劇場。入場客も既に満席の200人を超えているという。セレンのボスポラスの波の響き、青、開かれた海、サーデットの移動を続けるアジアの地を這いまわるような声、ある意味でこの両面はイスタンブールのエッセンスである。ユーラシアンオペラ、アジアの端。同じアジアの東の端。韓国の太鼓。亞弥さんの舞踏。そこにドゥユグの奏でる20世紀の西洋現代的な響きが加われば私の目指すユーラシアオペラに近づくのだが、劇場で二人にも相談し、ドゥユグのために新しい演出、構成を劇場で考えなおす。劇場の構造を利用したいイントロダクションが思い浮かぶ。ドゥユグは西洋の現代音楽のようなフレーズを街角で演奏するように石壁に腰掛け開演前から練習のように演奏をしているなかへ、ドラを演奏しそれを中断するように一つの厳かな儀式が始まるようなオープニング。そこにチェ君の祝祭的な韓国の太鼓の乱舞が会場側の出入り口からあらわれる。そして亞弥さんの舞踏。



 トルコの近代化は日本の明治維新に重なるところがあり、エルドアン政権の元、その功罪がシリアやIS、クルド人、アメリカ、ロシアなどとの国際関係の中で、歪んだ形で発露している。街のアラブ、イスラム化は顕著であった。

 ところで私の住む埼玉県の蕨市近辺ではクルド人の方が多く暮らし、また中国人の方も多く暮らしている移民の街である。昨年はクルド人の春祭が盛大におこなわれ、私もそれを覗いてみた。素敵な祭だった。

 アジアの両端で西洋化の恩恵を最も受けてきた日本、トルコ。現代のグロテスク表層を構造化し、しかしその深層に眠り横たわるなにものか。それがなにかを私は未だつかむことが出来ない。それを探ることがユーラシアンオペラなのかもしれない。集まったお客さんにとってそれはどのようなものだったのだろう。カーテンコールのあと、たまたまチェくんが登場した出入り口にわたしたちが全員並ぶことになったので、わたしたちはそこで200人以上のお客さんほぼ全員と握手で別れの挨拶をすることになった。



 それにしても自分の演奏はままならなかった。チェくんの太鼓、亞弥さんの踊りと演奏していると、やはり音と身体は不可分なものだと実感する。しかし借りたばかりの楽器と私の身体の関係がまだ結べない。私は普段このコントラバスと格闘したり遊ぶように、愛憎のすべてをつぎこむように、そこからさまざまな音色を、声を引き出すように楽器と関わっているつもりだが。バイカルでは私が音符を書き、アンサンブルのなかで自らそのノートを弾くことが中心であったが、今回はもっと身体に密着した演奏になった。しかし昨日持ち主のシェブケットの生徒のエスラさんがこの楽器をいわゆるジャズやクラシックの音色の範疇で演奏をしたのを聴いた時はさしたる違和感を感じなかったし、素朴な良い音色だとも思った。その楽器で出来る最良のものを引き出すということは、いつも思うことだが、わたしにはまだそれが難しかった。楽器(音)と身体の関係を痛感した。


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河崎純音楽詩劇研究所 バイカル・黒海プロジェクト 日記 (その4 オデッサ/ウクライナ)

2017年08月03日 | 活動報告
7/25

 オデッサへの移動。慣れ親しんだ街の喧噪から、ふたたびはじめての街。ウクライナは以前内陸、首都のキエフに行ったことがあるが、オデッサは黒海沿岸、かつてロシア、ソビエトとアジアの玄関口で開放的な都市という印象もある。しかも真夏。インディペンドな国際演劇祭ということだったが、今年は舞踏をフューチャリングした舞踏フェスティバルとして、オデッサの舞踏グループの主催者のドミトリー(ジーマ)・ダツコフさんがオーガナイズしたものだ。彼は交渉の段階から熱心で、私たちをメインパフォーマーとして準備してくれていた。メディアへの広報も積極的に行い、なんとかこのフェスティバルを成功させ、次に繋げて行きたいという熱意がひしひしと伝わる。金銭的にもひじょうに苦しいということだったが、それは容易に想像できる。それそのものが目的のような純粋で気持ちのこもったフェスティバルに違いない。




 ジーマ本人が空港で出迎えてくれる。夜の空港、夜の街。運転手さんは歓迎の意か、坂本龍一の映画音楽(シェルタリングスカイ)が流れていた。そのまま滞在先のアパートへ。中心街ということだったが街は真っ暗で、アパートの門をあけると、なんとも言えぬ悪臭(これは数時間後アーニャをここで迎えたとき、オデッサ特有の匂いだといって、それは猫の糞と古い建物特有の匂いだそうである)。埃だらけのアパート。250年前の建物だそう。部屋の調度品も古く、汚れている。画家の女性とフェスティバル関係者の若者のカップルの両親が持ち主で、ここに暮らしている訳ではない。あまり英語は通じなかったが、チェくんが一生懸命コミュニケーションをとってくれる。画家であり坊主頭の彼女はとても照れ屋さんであった。彼らが鍵を渡し帰ったところで、数日であるがなるべく良い環境で生活したいと思い、勝手にインテリアを急場でしつらえる。一時間もすればここでアーニャ・チャイコフスカヤさんとの再会。アーニャはウクライナ人だがペテルブルグに暮らし、キエフから列車で長時間かけてやってくる。昨年秋のモスクワミーティングで出会い、今年のプロジェクトでの再会をお互いに望み、ウクライナのフェスティバルとの連絡も彼女がしてくれたものだ。彼女は昨年の私たちのプロジェクトをとても気に入り、そのときも翌日のセッションのリハーサルも自ら望んで時間を早めて、新しいクリエーションに期待を寄せてくれ、彼女の最良の音楽のパートナーであり師匠でもある、ロシアの現代音楽、ジャズ界のイノベーターであるトランペットのヴァチエスラフ・ガイボロンスキー(スラヴァ)を演奏に呼び寄せてくれたのだった。終演後は彼女の旦那さんが私費でパーティーを開いてくれた。アーニャはテンション高めで、共通の友人であり同じく昨年共演したもの静かなアジア系のダンサーアリーナ・ミハイロヴァのことを、クールウーマンといっていたので、思わず笑ってしまった。いちおう自らとの差異を認識したうえでこのように表現するのか、と。私や私たちは、この対照的にもの静かなアリーナさんの存在をとても心地よく感じていた。たしかにその通り笑対照的。

 彼女の敬愛するスラヴァそしてわたしも以前共演させていただいたコントラバスのヴラディーミル・ヴォルコフ。トリオで音源を作ったそうだ。お願いされたので、なんとか日本での紹介に尽力して行きたい。しかしスラヴァの体調は悪く、重い病気に冒されているとのことだった。


 アーニャ到着。いきなりテンション高い。まずはビール、ビール。黒海にまつわる音楽の動画をみる。有名な「黒海の沿岸にて」(これをみたからか、彼女は翌日歩きながらずっと「チョールナエ モーリエ(黒海)」と口ずさんでいた。)、それから私は石橋幸さんのコンサートでよく演奏している「オデッサ監獄の歌」を。どちらも古い歌で、ソ連時代の国民的歌手(ソビエトジャズのイノヴェーター)でこの街出身のレオニード・ウチョーソフが歌ったものだ。とにかくビール、ビール。眠る。今回のツアーでは、アーニャはわれわれの母のごとく頼もしく(チェくんはお母ちゃんと呼んでいた)、笑いを提供し、よくしゃべり、われわれの金銭的な面倒もみた。





7/26

 朝、郵便局に行くアーニャとみんなで散歩。街中がサフランの樹とそこから落ちた白い花びらと鼻をくすぐる柔らかな刺激。朝のオデッサ。アーニャに拉致されるよう手を引かれ、ウチョーソフの銅像と写真撮影。アーニャが建物についての説明をたくさんしてくれる。歴史的な街で、二次大戦のとき独ソ戦1941年のドイツ軍からの攻撃で多くの建物が壊され、今もそのまま壊れかけては増築されて残っている。そういえばイスタンブールはとにかく声や車の音、そしてなにかものを直すためになにかを叩いている音や機会の音が四六時中しているのだが、ここオデッサでも道路工事が多い。つまりきちっと作ったり、作り直していないから、このようなことになるわけだが、なんだかその「いい加減さ」にかんして、私はなじみを覚えるし、なにか自分の感覚にフィットするところもあるのだ。ペテルブルクはそれほどでもないが、モスクワはもう街の原型をとどめぬほどに道路や新築ビルの工事が進んでいるそうだ。この街の建築はたしかに特殊なものが多いが、それにしてもアーニャは建物の歴史をよく教えてくれる、なぜだろうと思って、後から考えたがこれは彼女の最愛の夫が建築家であるということも関係あるのかもしれない、と書きながら思った。

 その後彼女の推薦により、オデッサ在住のミュージシャンもわれわれの音楽に加わることになり、早速バンスリという笛をもってアパートにやってくる。笑ってしまうほどのインテリヤクザのイケメン。あはは。かっこよすぎて笑ってしまう。アーニャの旧友だそう。ヴィターリ・トカチュク氏(ぼくの名前は打楽器の音みたいなんだといってました)。本来はギタリストで、秋には豪華客船での演奏の仕事で沖縄に来るらしい。アーニャが歌う、ウクライナ古謡、民謡のチェック、歌詞の内容を教えてもらう。人生の歌(長いバラッド)、自然の歌、宗教の歌、子守唄などをピックアップ。コサックや匈奴(スキタイ)の記憶も想像させる古い歌。ウクライナの古謡もそうだが、シベリアやロシアの森の古い歌い方で、一節の最後をしゃくり上げるように歌うことが多い。なぜだろう。



 会場の美術館を下見。東西の古典美術が展示される中、現代ウクライナの美術プロジェクトも。よく解読できませんでしたが、ウクライナ紛争で亡くなったウクライナ側の兵士の軍服の肖像画が、銃、恋人、母親、普段着、趣味の様子と共に無数に描かれていた。この展示部屋は当日の出演者が舞台へ入る控え室の候補であった。もし若いウクライナのダンサーたちがここで控えて舞台へ出たらなにか精神的、肉体的に及ぼす作用はどんなものであろう。私には想像できない。そうすることは控えた。



 その後ダンサーが待っているリハーサル会場に向かう。伝統的なブラスアンサンブルのスタジオ兼学校みたいな古い施設。階段の壁にはマーチングバンドのウクライナカラーの水色と黄色をいれた衣装を身に着けた演奏家の肖像写真がたくさん飾られている。どこか古めかしい。気温は30度近いがどこも冷房はつけない。

 5人ほどのダンサーにワークショップしながら、作品に参加してもらう予定だったが全員で10人この日は6人ほど来るという。いろいろと設定を考えて行ったが、まずわたしの下手な英語はほぼ通じなかった。アーニャが懸命にウクライナ語(ロシア語)に通訳してくれる。個性派揃いの面々だが、短時間のリハーサルでなにができるのか。亞弥さんには伝えたい舞踏のこともあるし、わたしもなんとか作品の意義を伝えたい。言葉の違いは根深い。自由に踊りたい人、逆にもっと演劇的なシナリオを必要とする人。このあたりは日本でも同じか。問題は山積み。なんとも明後日の本番への不安を感じさせつつ、時間終了笑。夜9時。タフなアーニャはアパートで一休みしたあとわれわれをオデッサへ案内。たっぷり酒などをきめて、夜の黒海、オデッサ階段へ。夜の港にたたずむ軍艦、文字通り漆黒の海。ビーチまで延々と歩き、ビーチのパラソルで寝そべり、食事をしながら眠る。安っぽいフュージョン音楽のBGMと波の音。対岸の灯り。黒い水に足を浸す。半眠。しかしアーニャはよく歩く。

 シェヴケットの家が火事になったという(Facebookの本人の投稿。かなりの燃え方。ここで食事をしたこともある)。なんということ。きのう別れ際、交渉ごとにも疲れ果てていたこともあり、再会を誓い、つい涙ぐんでしまった私の目を彼はみていた。だからこれ以上気づかれぬように不自然に足早に別れたけれど。愚痴も聞いてくれて、感謝。しかし、それから二日もたたずの出来事。

7/27

 リハーサル2日目。シナリオが必要ということで、朝5時前から起きて台本の作成。英語で書き、google翻訳に頼ってでもなるべく単語を選びながらロシア語に翻訳し、舞台図を入れながら、すべて手書きで。最善を尽くす。車の迎えが来る10時までになんとか間に合わす。その後昼食をしながら打ち合わせ。散歩。ソ連風な食市場でアーニャが小魚とスイカを購入。アーニャが調理して部屋で食べる。美味。
 
 ハリコフからの3人のダンサーも加わり、リハーサル2日目。チェくんがみんなで思い切り体当たりでいきましょう、と。心強い。台本も功を奏し、昨日よりスムーズに事が進む。構成の確認。これでやっと明日の午前中からのリハーサルで、身体的な訓練や、亞弥さんの実演を交えながらのリハーサルができる準備ができた。それから、最後の場面で客席に消えた10人のダンサーが全員それぞれ記憶にある子守唄を小声で歌いながら、死を模した亞弥さんの身体に身体をくっつけて全員の生身の肉体で墓標をつくるというプランの目処が立った。チェくん曰く「なんとか細い道を駆け抜けた」。アーニャもダンサーたちになんとか伝えようとしてくれている。いつも通り音楽は最後。でもヴィターリもひとつも不安な顔をせず事の成り行きをみつめ、ときどき通訳してくれる。リハーサル後は本番のために早退したハリコフからの3人のダンサーの公演を見にゆく。舞踏的ではあるが、アンサンブルが重視された作り。日本の舞踏界はややインナートリップ、自己探求の世界に閉じている印象が私にはあり、思えば亞弥さんが主催する神田楽道庵のワークショップの講師を私がはじめたときのトピックはここにあった。アンサンブル重視なのは古典音楽をはじめとする音楽やバレェの伝統や影響だろうか。音楽との関係は音楽の支配率が高いと思った。アーニャはこの録音された音楽にとても高い評価を与えていたが、私はそれほど良いとは思わなかった。会場には先ほどまで一緒にリハーサルしていた面々の姿も。外で飲みながら話す。今日あたりからリーダーシップをとりはじめ比較的英語が出来るアンドレイが熱心に語ってくれる。彼は仕事は、ダウン症などの子供(アウティズムといっていた)への情操教育的、イルカセラピーなどを仕事でしているそうだ。そういえばメンバーのヴラディミール(ボーヴァ)とイレーナは、病院で子供やお年寄りにクラウンをする仕事をしているといっていた。福祉とダンス表現がやはり結びついているようだ。生真面目で妄信的でもあるおとなしく優しいボーヴァは外で女の子と腰を寄せ合いながら恍惚とした表情でチークダンス踊っていたのだった。そんなButohフェスの夜 in オデッサ。


7/28

 朝からリハーサル。なんとか少しでも亞弥さんが舞踏のエッセンスを伝えられればと、内容重視の時間までこぎつける。あきらめずに何度も繰り返す。そういえば人数的には、立教大学での演習の作品発表の授業を思い出す。感覚がいつもに近づいてきた。しかし個性派が多く嬉しい。飛び入りもいた(あとで若干の問題に笑)。





 ゆっくり昼食をとって本番会場の美術館へ。オーガナイザーでダンサーのジーマが我々の要望に応え自らステージを雑巾がけしてくれる。なんとか通し稽古。会場のセキュリティーなど解決しなければならぬ問題も新しく起こる。もろもろを曖昧にクリアし、バルコニーで一服。アンドレイがロシア文学やヴィソーツキー、オクジャワの話。ヴィソーツキーの歌詞と私も大好きなペテルブルグのバンド、アウクツィオンの歌詞の差異を説明してくれる。ものすごく意味の深い言葉と、音響的な詞。どちらも深いメタファーを含む。言語表現が危険視されるソ連時代なら当然のことかもしれない。こうして根の深い暗喩に民衆たちの一部は熱狂したのだろう。私にはそれが両方必要だというと彼も同意した。楽屋でロシア式の本番前の精神統一をみんなで手を繋いで。アーニャが率先して行う。



 本番。みなの集中力が素晴らしい。そしてアーニャの動きは美しく亞弥さんと交錯する。ぴったりと亞弥さんの動きと合わせてゆっくり立上がり、歩き出し歌う。チェくんの二つのソロは祝い事として。アーニャの古謡。そして坪井君のソロソングをヴォーカリーズ、言語なしで。韓国語で、ウクライナのオデッサのこの場に対する言祝ぎ。そしてさいご全員一斉に小声でそれぞれに歌う子守唄と、アーニャのヴォカリーズがあわさりながら、死を演じる亞弥さんの身体に纏ってゆく。全員が生きたまま墓というオブジェになる。これもまた一つのユーラシアンオペラへの道。ありがとう。




 終演後、金曜夜のオデッサの中心街。イスタンブール以上の人の波。祭ではないらしい。花火があがる。そういえば偶然にもウランウデでも帰国日の前は花火があがった。参加する予定だった舞踏パレードなるものには、この人の波で合流することが出来ず。彼らのアジトのようなアトリエへ。皆すでに踊っている。あちこちで踊っている。内の外もなく雨の中庭でも踊り続けている。なにかを求める真摯とその危うさ。ただみつめることしかできなくなり再会を期し別れをつげ、その場を後に。夜遅くて食事の出ないレストランをまわり、アーニャが執拗に交渉するもみつからず。野外のファストフードの屋台村へ。あわただしくも静かに短く最後の夜を過ごそうとしていたら。「やつら」が群れなしてそこにやってきた。一人年配のもの静かなベルリン在住でモスクワのイレーナが静かに感謝の念を伝えてくれる。きりをつけなければと本当にお別れ。部屋でまたアーニャと飲む。アーニャ節炸裂で笑いが絶えない深夜4時。終わった、。





7/29~7/31

 帰国。最後の早朝の朝食までアーニャがアレンジしてくれる。空港まで送りにきてくれたジーマは別れ際まで、熱く舞踏のことを語り、質問してくる。熱く楽しい別れのひととき。荷物トラブルあり。人生最長の空港内トランジット×2。地べたに寝起きする。途中で購入してひたすらトランプ。子供の頃からゲームというものが一度も上手かったことがない私だが、人並みに「大貧民」はいくらか勝つことが出来て嬉しい。初日のイルクーツクの空港の待合室の中国のウイグルの人々を思い出す。場所を点々と空港内をノマドする。私たちは「移動のための移動」であるが。
 
 ユーラシアンオペラということと、今回は予算が十分に得られず少人数での渡航になってしまい、現地の歌手を中心としたコラボレーション中心のツアーであった。またその歌手は今回は全員女性であった。残念ながら男性の歌手はみつけることができなかった。彼女たちを一同介して、日本のメンバーと作品をつくることがユーラシアンオペラの帰結点であるが、特に、トルコのサーデット、セレン、そしてウクライナのアーニャ、もし彼女たちが一同に介すのなら、それを采配することは私には難しいかもしれない、と真剣に思った。イルクーツクのブリヤートの歌手アクサナさんも再会を望みいろいろな情報をくださる。個のはなつ、ものすごいエネルギーと熱、姐さんパワーにやられた。そして、、私には、わたしの作品にはイルクーツクのマリーヤや、いまは彼女のルーツであるソウルに暮らすアリーナのようなクールビューティーが必要だ!!!

でも必ずユーラシアンオペラとしても、それぞれの歌手としても、日本にも紹介してゆきたい。イスタンブールではKONJOとの共演は叶わなかったが予定通りセッション的なミーティングを行い、バイカルではマリーヤ・カルニエヴァと、ウクライナではアーニャ・チャイコフスカヤとは、クリエーションを通じテーマを共有する深いコラボレーションが出来た。





公演はすべて違う内容で行った。日本からのメンバーの対応力と底力に感服する次第。まずは9月の東京公演で、映像も含めどのように発展して行くかご期待ください!!ありがとうございました。



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ユーラシアンオペラ=21世紀の神謡集=北東アジアのマジックリアリズム 6月22日(木)

2017年06月16日 | 活動予定
「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく 2017」初演!! 6月22日(木) 渋谷 公園通りクラシックス

ユーラシアンオペラ=21世紀の神謡集=北東アジアのマジックリアリズム

 お正月に悶々と作曲した室内楽バージョンの部分が、小沢あきさんの指揮のもと昨日のリハーサルで初めて音になりました!とっても複雑な曲ですが、ヴァイオリンのヤン・グレモボツキーさん、クラリネットの小森慶子さんが想像以上の音にしてくれます。2015年から上演している「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく」は北方狩猟遊牧民族のエヴェンキ族のお話が元になっていますが、シャーマニズム、無文字社会、について考えながら、架空の民族の音楽を想像しました。音楽も生活は社会に翻弄されながら形を変えます。変わって行くもの、変わらずに残るものはなんだろうか。

 今年も「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく」の旅がはじまります。7月はロシア、ブリヤート共和国、トルコ、ウクライナで現地の歌手、演奏家、ダンサーと共演します。
9月はふたたび東京で、初演時のメンバーや新しいメンバーとともに。わたしたちのユーランシアンオペラの試み、6月22日2017年バージョンの初演にぜひお立ち会いください。




2017年バージョンは

・津田健太郎さん、吉松章さん、坪井聡志さんのヴォーカルアンサンブルが架空の民族の民謡を合唱を創造します。架空の民族ですから、今のこの世の中には残らなかった、あるいは存在しなかったであろうアンサンブルの方法を探してきました。

・三木聖香さんが歌うのは、それらが「作品」「歌曲」「商品」として形にされたもの。それによって失われるもの、生まれる新しい意味。(三木さんはご自身でも日本の民謡を学び、いま「民謡」として形に残ったものを歌うことから、その源を想像しています。)

・そして歌のない室内楽バージョンでは、さらにその旋律や歌唱の断片が、すべて楽譜、音符という形で、いちど書き留められます。抽象化され、不安定で、複雑です。地や根を失い、「歌」を失い、共有されるノリやリズムも失い、しかしそれでもアンサンブルすること。そのぎりぎりのところでのアンサンブル。すべて解放された冥界というものがあるのならば、そこで鳴っている「音楽」を想像したりながら作曲しました。死者の音楽を生者が奏でる。すべて生者の想像にすぎないのですが笑紙に書かれ、言葉にして伝わってきたこと。伝わらなかったもの。声。音。痕跡。身振り。それらの痕跡。三浦宏予さんのからだには何が投影されるのか。

・わたしたちのたくさんの「想像」の連鎖は、チェ・ジェチョルさんの韓国の打楽器、亞弥さんの、シャーマニックな音と踊りに撹拌されるのです。

音楽詩劇研究所  Jun Kawasaki, Music and Poetic Drama Laboratory MPDL
ユーラシアンオペラ 終わりはいつも終わらないうちに終わっていく 2017
バイカル・黒海プロジェクトバージョン
作曲 演出 河崎純

「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく 2017」
2017年は新たに作曲された室内楽バージョンとして、ヴァイオリンにヤン・グレモボツキー(ドイツ)、クラリネットに小森慶子の二人の名手を迎え、ゲストの韓国打楽器のチェ・ジェチョルの歌と踊りを交えたニューバージョン初演。

演奏 ヤン・グレモボツキー ヴァイオリン
   小森慶子 クラリネット
   小沢あき ギター
   河崎純 コントラバス
   チェ・ジェチョル 韓国打楽器、  
歌  三木聖香 津田健太郎 坪井聡志 吉松章
ダンス 亞弥 三浦宏予

構成、演出 河崎純
宣伝美術、演出助手 三行英登
音楽監督 小沢あき
舞台監督 白澤吉利

渋谷 公園通りクラシックス

〒150-0042 東京都渋谷区 宇田川町19-5 東京山手教会 B1F
03-3464-2701

http://koendoriclassics.com/

開場:19:00 開演:19:30
料金:予約:3000円 当日:3500円

予約 http://koendoriclassics.com/information/(会場webより)
   info@musicpoeticdrama.com(音楽詩劇研究所)
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本日は 2017年度日本演劇学会 全国大会 (慶應大学日吉キャンパス)で

2017年06月03日 | 活動予定
今日は2017年度 日本演劇学会 全国大会というところで、慶應大学のABRアートベースリサーチセンター(ABR)で制作している「牛久きおくうた」の新バージョンを発表します。今回は千葉県市原市の上総牛久商店街の旅館大津屋の82才のおかみさんのライフストーリーを元に作詞、作曲した4曲の組曲「大津屋きおくうた」を軸に構成しました。作曲から音源構成までおかみさんへの膨大なインタビュー音源を覚えるほど聞込みました。わたしもインタビューに伺いました。作曲し、インタビュー音源をコンピュータによみこんで解体して構成、ループしていると、ちょっとコンピューターで音質を変化させるだけで、生や死を想起させかたが生まれ、さまざまな連想を生みなにか罪悪感とともに、ほんとうにさまざまな情緒がわき起こります。ほんとうに温かい人柄のおかみさん。その声。そしてその声をヘッドフォンで聴き続けていると自分のなかのさまざまな感情にアクセスしてしまい、気がおかしくなってしまうような。そこに音楽や歌を「創作」して「伝達」するという原理のようなものも感じます。今月中には直接おかみさんに歌を「贈り物」として届けにゆきます。

 ドキュメンタリー演劇や、教育演劇についての発表も多く行われると思いますが、その最後に音楽詩劇研究所でも活動している坪井聡志さんとひとあばれしてきます!「ダた」の「ドキュメンタリー×80」という曲が頭のなかをずっと流れております(このあいだ演奏したばかりですけれど)。


「牛久きおくうたver.2」

千葉県市原市牛久商店街にある旅館大津屋の女将のライフストーリーから、パフォーマーの坪井聡志が詩をつくり、作曲家・コントラバス奏者の河崎純が歌をつくった。今回はそれらの歌を出発点にして、声、身体、楽器、といった要素を重ね合わせながら一つの作品を立ち上げる。「この歌はどこに行くのだろう」
と、それを問わなければならない。個人のライフを聞き取り、それをライフストーリーやドキュメンタリーといった形にして作品化する。そんなことは可能なのか?してもいいのか?できてしまったとして、やってしまったとして、それはどんな姿をしているのだろうか?本作は、そういった種々の問になんとか答えるための、一つの想像だ。生まれるのは演劇なのか、音楽なのか、はたまたドキュメンタリーなのか。それらのどれでもないのか、それとも、それら全てなのか。やってみなければ分からないし、やってみても、分からないかもしれない。とにかくやらねば。

作曲:河崎純  
構成/演出:河崎純・坪井聡志
出演:河崎純(コントラバス)
坪井聡志(voice)

「大津屋きおくうた」 作詞:坪井聡志 作詞協力:後藤一樹 作曲:河崎純 歌唱:三木聖香



2017年度 日本演劇学会 全国大会  テーマ:演劇と教養


http://www.jstr.org/project/pro01_2017/project201706.html

ダた 「ドキュメンタリー×80」

ドキュメンタリー×80 / ダた





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Jun Kawasaki contrabass solo concert 6/8

2017年05月20日 | 活動予定
6月8日(木)

久しぶりにひとりでコントラバスを演奏します。日暮里の小さくて、ひっそりと、佇まいの静かなBARです。

風の息、水の声、砂の言葉


1800円でドリンクは別になります。 日暮里 Bar ポルト http://barporto.cocolog-nifty.com/blog/cat36255918/index.html

19:00open(リハーサルなどで遅れる場合もあります)
Live〜1部20:00~/2部21:00過ぎ~(1ステージに1オーダーお願いします)
23:30close


厄まっしぐら、ですが、人に支えながらいきさらばえております!このところは、かかわっている慶應大学アートベースリサーチセンター(ABR)「牛久 きおくうた」プロジェクトのパフォマンスのために、慶應ABRで取材を続けた市原市小湊鉄道上総牛久商店街。今回は「大津屋旅館」の82才のおかみさんの生まれ今に至るライフストーリーを歌にし、サウンドアートや台本をつくっています。
自分で歌うわけでもないけれど、誰か、が歌うための歌をたくさんつくってきましたが、この作業ほど、歌を「作る」ということの難しさや不可能性を感じたことはありませんでしたし、でもこれが自分の「仕事」なのかなぁ、と強く実感できたこともありませんでした。録音したおかみさんの語りを何度も繰り返し聴きながら、そこに浮かび上がる声をトレースしながら、歌詞を作る、旋律を作る、歌手が録音する、音を作る、そしておかみさん本人に来月半ばには初めて届けする予定。結局よろこんでいただきたいという想いにつきますし、とても緊張します。おかみさんは私の母と同じ昭和10年生まれでした。

◎ダた
.5月28日(日)ワンマンlive「ダたはかつて」

open 19:00 start 19:30  Adv. 2,300円 Door. 2,800円※ご入場時に別途ドリンク代600円)

SARAVAH 東京  〒150-0046 東京都渋谷区松濤1丁目29-1 渋谷クロスロードビル B1
TEL/FAX 03-6427-8886   contact@saravah.jp

2017年、結成20年を迎えたダたですが20周年記念ライブはまだまだやりません。新しい形へまだまだ変化しなければ20周年は祝せません。変化そのものが実はとても重要なのです。かつて時々自動の朝比奈尚行さんから頂いたコメントです。

- ダたは変容しつづけている。だからぼくたちはダたを断定できない。さらにその変容は可能性の別名だと気付くと、ますます断定は不可能になる。というか、ダたの存在すら確定できなくなる。これって最高にかっこいい。-


◎慶應大学ABR

慶應大学アートベースリサーチセンター(ABR)「牛久 きおくうた」プロジェクトのパフォマンスのために、阿佐ヶ谷TAVギャラリーでの初演に続き、第2、3弾。

6月3日(土)日本演劇学会大会にて「アートベース・リサーチと演劇」
6月24日(土)カルチュラル・タイフーンにて「牛久 きおくうた」パフォーマンス

◎河崎純 音楽詩劇研究所

6月22日(木) 音楽詩劇研究所

音楽詩劇研究所  Jun Kawasaki, Music and Poetic Drama Laboratory MPDL
ユーラシアンオペラ 終わりはいつも終わらないうちに終わっていく 2017
バイカル・黒海プロジェクトバージョン
作曲 演出 河崎純

ユーラシアンオペラ=21世紀の神謡集=北東アジアのマジックリアリズム

「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく 2017」の初お披露目になります。
2017年は新たに作曲された室内楽バージョンとして、ヴァイオリンにヤン・グレモボツキー(ドイツ)、クラリネットに小森慶子の二人の名手を迎え、ゲストの韓国打楽器のチェ・ジェチョルの歌と踊りを交えたニューバージョン初演。7月にブリヤート共和国、トルコ、ウクライナで上演し、秋には再び東京に戻り東京公演を行います。


演奏 ヤン・グレモボツキー ヴァイオリン
   小森慶子 クラリネット
   小沢あき ギター
   河崎純 コントラバス
   チェ・ジェチョル 韓国打楽器、  
歌  三木聖香 津田健太郎 坪井聡志 吉松章
ダンス 亞弥 三浦宏予

構成、演出 河崎純
演出助手 三行英登
音楽監督 小沢あき
舞台監督 白澤吉利

渋谷 公園通りクラシックス

〒150-0042 東京都渋谷区 宇田川町19-5 東京山手教会 B1F
03-3464-2701

http://koendoriclassics.com/

開場:19:00 開演:19:30
料金:予約:3000円 当日:3500円

予約 http://koendoriclassics.com/information/(会場webより)
   info@musicpoeticdrama.com(音楽詩劇研究所)

・7月3日(月)
神田 楽道庵 
「内容未定」
開場 19:00  開演 19:30
予約 1800円 当日 2000円
2017「「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく」2017秋 東京公演、新作への向けて、ショーケース形式で作品を発表する予定。

(新作へ向けて新たに参加者も募集します。ジャンルや経験も問いません。ご興味をもった方もぜひこの公演においでください! 参加希望の方はこの公演を1000円でご覧になれます。その旨を明記いただいたうえ予約を必須とさせていただきます。)
 info@musicpoeticdrama.com(音楽詩劇研究所)


★この後7月は音楽詩劇研究所「河崎純音楽詩劇研究所バイカル・黒海プロジェクト」(アーツカウンシル東京 助成)で、ブリヤート共和国、イスタンブール(トルコ)、オデッサ(ウクライナ)で公演してきます。

◎ブレヒト・ロルカ
2017.6.23(金)
http://brechtlorca.com/about_brechtlorca.html

昨年の北習志野でのアプローチを土台に今回は映像の三行英登も交え久々に3人で行うコンサートです。

open 19:00 | start 19:30  小沢あき(ギター)河崎純(コントラバス) 三行英登(映像) 入場無料(但しワンドリンクオーダー)投げ銭* カンパ制の軽食があります。

Café ★ Lavandería 東京都新宿区新宿 2-12-9広洋舎ビル1F | 地図  http://cafelavanderia.blogspot.jp/  tel.03-3341-4845

◎ダンス

7月はダンスとの共演が続きます。

2日(日)野村あゆみさん(七針)
6日(木)入江淳子 さん(ストライプハウスギャラリー)
8日(土)津田健太郎さん(ストライプハウスギャラリー)
9日(日)深谷正子さん 上野雄次さん(生け花)(ストライプハウスギャラリー)

◎楽道庵月曜ワークショップ

河崎純音楽詩劇ワークショップ

5月22日(月)6月12日(月) になります。

19時より  
https://www.facebook.com/%E6%9C%88%E6%9B%9C%E6%A5%BD%E9%81%93%E5%BA%B5%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%97-608053552603445
/?ref=ts&fref=ts

◎ RIQUOséʃəリコセッション

6月27日(火)
@CLOP CLOP(クラップ・クラップ)
東京都杉並区松庵3-39-11 TEL.03-5370-2381
Open 19時 Start 20時
出演:RIQUO(Vo,Key) 河崎純(Wb) 若杉大悟(Dr)

◎石橋幸ロシアアウトカーストの唄

5月21日(日)新宿ゴールデン街「ガルガンチュア」  TEL: 03-3202-5996  start 19:30  charge ¥2,000  ※要予約
5月29日(月)シアターX  1,000円(全席自由) start 19:00
6月11日(日)新宿ゴールデン街「ガルガンチュア」  TEL: 03-3202-5996  start 19:30  charge ¥2,000  ※要予約
6月16日(金)Café ★ Lavandería  tel.03-3341-4845 start 19:00 入場無料(但しワンドリンクオーダー)投げ銭* カンパ制の軽食があります。
6月18日(日)新宿ゴールデン街「ガルガンチュア」  TEL: 03-3202-5996  start 19:30  charge ¥2,000  ※要予約
6月20日(火)中目黒 ロシア料理 かふぇたぬきや
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3・10赤坂 3・12 稲毛

2017年03月03日 | 活動予定
器楽曲の作曲にどっぷりとつかった日々でしたが、三木聖香さん、Selen Gülünさん二つの弾き語りのコンサートで演奏します。それぞれ、彼女たちのオリジナル曲を中心に演奏します!




3/10(金)赤坂Sala http://www.livecafe-sala.com/company_information_34_1.html
19:00op/19:30st
¥2,000(1ドリンク付き)
三木聖香(vo,pf)河崎純(cb)/反田詩音(vo,pf) ほか

音楽詩劇研究所や舞台音楽で多くの私の歌曲を歌ってくださる三木聖香さんです。私の曲は難曲?も多いので、その取り組みにはいつも驚嘆と感謝!しかし今回はほぼ三木さんのオリジナル曲とピアノ演奏です。想いや考えがあり最近はオリジナル曲の作詞や作曲を控えていたそうですが新たな曲がすこしずつ生まれだしてきたようです。端正に作りこまれた歌とピアノの世界に、さらなる風をそこに吹き込むことができるように、リハーサルを重ねながらアレンジしています。40分ほどのステージですが、どこか、この世の中の現実感とは違うところで聴こえてくる歌、音楽。異世界、異空間への誘います。




3/12(日)稲毛CANDY https://www.facebook.com/events/382172055487270/
start18:30
前予約¥3000当日¥3500(1drink込・税込)

Selen Gulunセレン・ギュリュン(p、vo)fromトルコ、
Marcello Allulliマルチェロ・アルーリ(as)fromイタリア
河崎純(cb)



世界各地で公演を続け、先日新しいCD作品Selen, Gulun Marcello Allulli,Emanuele de Raymondiトリオで 「KAPI」を発表したDUOに参加します。私のイスタンブールでの活動が縁で、昨年東京でであったセレン。ボスフォラスの海面のさざ波の輝きを思い出させる爽やかな海風の響き。しかしその波の下の深い哀しみから生まれいずる旋律。セレンさんも昨年からお互いの曲を演奏したり、即興演奏したりして関係が深まってきました。来月はダンサーとのコンサートを企画中。




三木聖香 Seika Miki
幼少の頃からクラシックピアノを学び、声楽も学ぶ。都内ライブハウスを中心に、ピアノ弾き語りで自作曲によるライブ活動を開始。また、シャンソニエでシャンソンを中心に歌う。ポピュラーからアヴァンギャルドまで幅広く活動し、2013年自主企画によるシアターピース「海の言霊」(共演:瀬里奈)を発表。現代曲の分野では、バスクの小説家 キルメン・ウリベ来日企画での「橋の中間で」、ドイツのヴァイオリニスト、アユミ・パウルとヴァイリオンとヴォーカルのための河崎純作曲作品を初演。歌手として舞台公演への出演も多い。音楽劇「愛の門」(演出:今井尋也)でメインボーカリストを務め、エアロヨガによる西遊記「tenjik tenjik」(演出:河崎純)など多数出演。2015年より河崎純主催 音楽詩劇研究所に参加。これまでに「捨て子たち星たち」「終わりはいつも終わらないうちに終わっていく」に出演し、Ayumi Paulとの共演や2016年のアルメニア、ロシアツアーに参加するなど海外での活動も始動している。

https://seikamiki.jimdo.com/

KAPI - Gülün / Allulli / de Raymondi

長年の友人関係にあった3人のミュージシャン、Marcello Allulli、Emanuele de Raymondi、そしてSelen Gülün によって生み出された異文化混合プロジェクト。
完成するまでに実に数年間を要したアルバム『KAPI』に収録された楽曲は、多くの時間、旅、様々な場所とすばらしい経験が重ねられ、チームワークを通じて、互いの楽曲家が深い魂にふれた結果の作品である。
エマニュエルはこのアルバムの一片となる楽曲の制作をすでに開始していたが、マルセロのサックスでオリジナルの楽曲をもっと練り上げたいと考えた。二人が新しい曲の構想を練っているとき、セレンの声質が完璧にマッチすると考え、プロジェクトへの参加を打診する。セレンは以前、エマニュエルとマルセロそれぞれ別々に作曲と演奏をした経験から、このプロジェクトに魅力を感じ、参加を決めたのであった。
2013年3月にローマで会った際に、セレンとマルセロは彼らの音楽の断片を形にするという新曲のアイディアを用意した。
いつでもこのトリオは、演奏する機会があるときには、オリジナル楽曲の断片からアイディアと音の層の練り上げを最優先し、制作している。
2015年2月、最終的に彼らはイスタンブールのBilgi大学音楽スタジオにて、セレンとマルセロの楽曲も収録したアルバムを完成させた。

SELEN GÜLÜN | セレン・ギュリュン

作曲家、ピアニスト、歌手、編曲者。様々な現代音楽のスタイルでの作曲やパフォーマンスが特徴。彼女が作曲した音楽は、母国トルコのみならず、オーストリア、ドイツ、オランダ、英国、スウェーデン、デンマーク、イタリア、フランス、米国、ブラジル、日本、カンボジア、パキスタン、リトアニア、ロシア、モザンビーク等、世界各国で演奏されている。これまでにCDアルバム、「Just About Jazz Live 」(recjazz, 2005年)、「Selen Gülün Trio Sürprizler」 (recjazz, 2006年)、「Selen Gülün by Selen Gülün」 (re:konstruKt, 2009年)、「Answers」 (pozitif, 2010年)、「Başka」 (linrecords, 2013年)を発表。「Answers」は、ディスクユニオンのJazz Tokyo Weekly Chartにて第6位を獲得、「Başka」は第4位を記録。作曲作品はthe Dartford Symphony Orchestra 、the Vellinger String Quartet (UK), Ensemble TRIS (Austria),、sa.ne.na Percussion Ensemble、Istanbul Modern Music Ensemble (Turkey)などに取り上げられている。また、AKMusicより2016年発売のライブ盤「The Women's Matinee」はトルコの女性作曲家たちをフューチャーしたコンサートシリーズである。五十嵐一生、河崎純、小泉P克人、柴田亮、小沢あき、細谷紀彰、中村亮 などの日本の様々なジャンルのミュージシャンとも共演。Charles Mingus Composition Award, やthe British Council Visiting Arts、Creative Collaboration in Musicなど、数多くの賞を受賞。イスタンブール大学国立コンサーバトリーで音楽を学んだ後、イスタンブール大学経営学科を卒業。その後、イスタンブールのミマール・シナン大学国立コンサーバトリーにて、さらに音楽教育を受ける。1996年には、奨学金を得てバークレー音楽大学に進学。1998年には同校のジャズ作曲学科を首席で卒業。イスタンブールに帰国後、2003年にはIstanbulTechnical UniversityのCenter of Advanced Studies in Music (MIAM)にて音楽の修士号を取得。

http://selengulun.com/ |

MARCELLO ALLULLI | マルチェロ・アルーリ

イタリアのもっとも多才なサックス奏者の一人、Marcello Allulliは、MAT Marcello Allulli Trio, Maria Pia de Vito Rita Marcotulli Quintet, Glauco Venier Ensemble, Ceccarelli-Allulli duo guest Greta Panettieri, Mufloni, RAJ Trio with Michele Rabbia, Ettore Fioravanti Quartetなどの多くの国内有数の国際的な演奏グループの特別ゲスト、メンバー、リーダーである。2011年から2016年にかけてthe Jazzit Awardsのベストサックス奏者に選出。これまでの共演者にはKenny Wheeler, Norma Winstone, Fabrizio Bosso, Antonello Salis, Maria Pia De Vito, Rita Marcotulli, Roberta Escamilla Garrison, John B. Arnold, Ettore Fioravanti, Roberto Gatto, Michel Godard, Tony Scott, Dave Binney, Shai Maestro, and Kamal Musallamがいる。彼はアメリカ、アラブ、日本、ヨルダン、イスラエル、レバノン、インドネシア、インド、トルコ、フランス、ドイツ、スペイン、ベルギー、ノルウェー、オーストリア、フィンランド、ポルトガル、デンマークなど世界中でツアー。また彼はイタリアではもっとも格調高いthe Umbria Jazz Festival, Auditorium Parco della Musica in Rome, Clusone Jazz Festival, Time in Jazz in Berchidda, Atina Jazz Festival, Poiesis Festival in Fabriano, University La Sapienza of Rome, Villa Celimontana Festival, Teatro Ambra Jovinelliなどで数多く演奏。MAT Marcello Allulli Trioは批評家と聴衆からの 好評を博してきた。偉大なトランペット奏者Fabrizio BossoをフューチャーしたMATの最初のアルバムHermanos は Jazzit magazineで2011年のベストアルバムに選出。2014年にはAntonello Salis, Glauco Venier, David Boato, and Greta Panettieriをゲストに迎えたアルバムMATをリリース。ボストンのバークレー音楽大学を卒業。

LINKS:http://marcelloallulli.com/ | https://soundcloud.com/marcello-allulli-trio

4/19 渋谷公園通りクラシックス  https://www.facebook.com/events/372013166514983/

Selen Gülün (piano, vocal) & 河崎純 Jun Kawasaki (contrabass)
開場19:00
開演19:30
予約¥3,000.- 当日¥3,500.- (1drink付き)

Time: Doors open 7.00pm. Music starts at 7.30pm.
Charge: 3,000 yen (adv.), 3,500 yen (door) (incl. 1 drink)
Koendori Classics: http://koendoriclassics.com/access/

Selen Gülün セレン・ギュリュン (composer, pianist)
http://selengulun.com/

河崎純 Jun Kawasaki (composer, contrabass)
http://kawasakijun06biologia.blogspot.jp/

[English below]


LINKS: http://selengulun.com/ | http://facebook.com/selengulun | http://bit.ly/selengulunyoutube | http://bit.ly/selengulunitunes | http://selengulun.bandcamp.com/ | https://soundcloud.com/selengulun|http://bit.ly/selengulunspotify | Twitter/ Instagram: @selengulun


SELEN GÜLÜN
As a leading contemporary musician in Turkey, Selen Gülün combines her Western music education and her Turkish soul. It is possible to hear traces of Turkish music in her work as composer, pianist, vocalist, and arranger. She has attained critical acclaim internationally. Her music has been performed in countries around the world including Austria, Germany, Holland, the UK, Sweden, Denmark, Italy, France, the USA, Brazil, Japan, Cambodia, Pakistan, Lithuania, Russia, Mozambique, Australia, and Turkey. Gülün has released five albums: Just About Jazz Live (recjazz, 2005), Selen Gülün Trio Sürprizler (recjazz, 2006), Selen Gülün by Selen Gülün (re:konstruKt, 2009), Answers (pozitif, 2010), and Başka (linrecords,2013). Answers reached #6 and Başka reached #4 in the Jazz Tokyo Weekly Chart. Her compositions have been premiered by the Dartford Symphony Orchestra and the Vellinger String Quartet (UK), Ensemble TRIS (Austria), sa.ne.na Percussion Ensemble, and Istanbul Modern Music Ensemble (Turkey). Her new album The Women’s Matinee, born out of her concert series featuring the works of women composers in Turkey, will be released in December 2016. She has performed with a wide range of Japanese musicians including Issei Igarashi, Jun Kawasaki, Yoshihito “P” Koizumi, Ryo Shibata, Aki Ozawa, Noriaki Hosoya, and Akira Nakamura. She has received many awards including the Charles Mingus Composition Award 1998 and the British Council Visiting Arts, Creative Collaboration in Music 2003. She studied music at the Istanbul University and the Mimar Sinan University State Conservatories and graduated from Istanbul University’s Business Administration Department. In 1998, she received her B.A. in Jazz Composition summa cum laude from the Berklee College of Music. She received her Master's in Music at Istanbul Technical University's Center of Advanced Studies in Music (MIAM).

LINKS: http://selengulun.com/ | http://facebook.com/selengulun | http://bit.ly/selengulunyoutube | http://bit.ly/selengulunitunes | http://selengulun.bandcamp.com/ | https://soundcloud.com/selengulun | http://bit.ly/selengulunspotify | Twitter/ Instagram: @selengulun

JUN KAWASAKI | 河崎純
A Japanese contrabass player and composer, Kawasaki is highly esteemed especially in his improvisational performance which is seemingly scooped out of his inner self. Born in 1975, he studied contrabass under Tetsu Saito and Motoharu Yoshizawa while in university. He has performed with many distinguished musicians in and out of Japan. Recently, he is focusing on collaborating with Russian musicians, especially with Sergey Letov, the most important Russian avant-garde jazz saxophone player. Apart from solo activities, Kawasaki has participated in different groups in Japan, such as Maria Kannon (a legendary hardcore rock group), EXIAS-J (a well-known experimental improvisational group), aujourd'hui il fait beau (a unique trio with a vocalist/guitarist and a percussionist). Kawasaki has also composed and performed extensively for theater and dance pieces. His major works include music for Camille Claudel (a dance piece conceived and choreographed by Senrei Nishikawa, a traditional Japanese dancer), About 1hr. 20min. on Oct. 1 &2 in Brecht Festival (Japanese theatre company, Port B), Hamlet Machine by Adults and Children (produced by SPAC Shizuoka Performing Arts Center in Japan), etc. He is also a music director for a unique theatre company, Futsu Gekijo in Tokyo. With a deep interest in words, Kawasaki has conducted for many years a series of seminars and concerts involving poetry readings and music. Kawasaki has performed in many countries of the world, including the US, Russia, France, Poland, Ukraine and Lithuania. He was also a member of Sound Migration, a collaborative music piece between Japan and Turkey (Şevket Akıncı and Saadet Türköz from Turkey) which was premiered in Istanbul at the International Contemporary Dance & Performance Festival (iDANS) in 2010 then toured in Egypt, Hungry, and Japan. He has released one CD: Jun Kawasaki: Left Bank, Right Bank.

http://kawasakijun06biologia.blogspot.jp/ | http://musicpoeticdrama.com/junkawasaki.html | http://blog.goo.ne.jp/jk50654396




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