日鉄鉱業に謝罪を求める会 with 西鉄也(ブログ編)

国も責任を認めたじん肺裁判で、唯一未だにその責任を認めていない日鉄鉱業。私たちは絶対にあきらめない!

「余命五年」と告げられたとき

2009-04-19 15:07:35 | コメント募集
「余命五年」と告げられたとき、残された時間を人はどう生きていくのだろう。

それは当事者でないとわからない。

「いちおう健康」と思っている、毎日仕事に追われている私にはわからないが心熱くなる新聞記事をもらった。

じん肺で父親を亡くした服部道子さんの大学卒業である。

難病をかかえたまま迎えた57歳の大学卒業式。
最後の最後まで夢を追い続ける服部さんの行動に私も胸うたれた。

式典での学長の挨拶
「人生に行き詰った時には服部さんの努力を思い出してほしい」

じん肺に侵され亡くなった父親を持ち、経済的な理由で高校・大学には行きたくても行けなかった。

故谷村静野(服部道子さんのお母様)さんの「意見陳述」から
 
 『主人が働けなくなって、当時、中学1年、小学5年、3年と4歳の子供を抱え、私は朝早くから夜遅くまで、日雇い労務者として働きました。
 4人の子供たちには大変苦労をかけました。娘の中学の服でも、1枚のセーラー服を姉と妹で5年間も着ていました。
 そのセーラー服は、長女が転校前、入学のときに買った服でした。その後転校した中学の制服はセーラー型ではなくボックス型でした。次女の卒業式に私が出席したとき、セーラー服を着ていたのは私の子だけでした。子供はそのことを私に一言も言いませんでした。私は働きながら主人の看病をしていましたので、卒業式以外に学校に行ったことがなく、娘の服まで気がつきませんでした。
 私は、娘がどんなにか恥ずかしい思いをしただろうと思って、かわいそうで、卒業証書を受け取る娘の姿は、涙と悲しさで見ることはできませんでした。
 子供たちはみな成績もよく、出来の良い子でしたが、貧乏のため志望の学校に行かせられませんでした。』

余命宣告された今、夢と希望を持ち熱く生きる服部さんの姿をご紹介します。

57歳の春
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新聞記事の掲載誌一覧

・朝日新聞 2009年3月19日 夕刊21面
・毎日新聞 2009年3月19日 夕刊15面
・産経新聞 2009年3月19日 夕刊14面
・読売新聞 2009年3月19日 夕刊15面

記事としてとりあげて下さった各誌担当者様に感謝いたします。

文責 西鉄也