ども、ジノです。
今回は老舗パン屋の木村屋總本店を。
木村屋と言えばあんぱんだ。
しかし、若者のあんぱん離れとコロナ禍で前年2020年の売上から25%減という厳しい戦いを強いられている。
今回はそんな木村屋總本店のいままでとこれからを。
今も続くパン業界のフロンティア精神。新たな定番を求めている。
実は木村屋總本店が生み出した新たな定番はあんぱんだけではない。
創業者はあんぱんを。3代目がジャムパン、そして4代目はむしケーキを世に送り出している。
この開拓者精神をいかんなく発揮し、今でも新商品の開発がされている。
四角く持ちやすいあんぱんやナポリタンの入ったパン、焼きそばパンも握りやすく評判が良いそうだ。
継いだ時には倒産寸前?現社長は28歳の若さで7代目に就任。
木村屋總本店は6代目の時に営業を廃止し、売上が激減する。
メインバンクから社長の交代を突きつけられ、回って来たのが、木村光伯氏だ。
そこから、経営というものの難しさと戦う日々が始まった。
運転資金の捻出のため、200人のリストラや工場の閉鎖を断行。
更にパン作りの各工程をマニュアル化させた。
こうすることで、若く経験が浅い社員でもパン作りをこなすことができるからだ。
ところが、光伯氏が販売店に赴くとシンボルでもある桜の花が中心からズレていたり、味が変だというクレームが増えてしまったという。(マニュアル化していた当時)
製造に問題をフィードバックすると、「私たちはマニュアル通りにやっています。マニュアルに問題があるんじゃないですか?」と言われた。
パンは僅かな湿度の違いやオーブンの温度の違いで焼き上がりが変わってしまうもはや生き物だ。
マニュアル化したところで全て良いものに仕上がるはずもない。
また、マニュアル化したことにより、真剣にパン作りを学びたい職人気質の社員は会社を離れてしまった。
こうした苦い過去も全力でやってのけて道を切り拓いてきた光伯氏。
今では手作りにこだわり、パン生地25g、あん25gを職人の手感覚で計り、手で包んでいる。
若者へ渋谷にあんぱんと合う牛乳を一緒に楽しんでもらうミルクスタンドという店舗、巣鴨にはサンドイッチ専門店をオープンさせるなど、伝統を守りながら、新たな挑戦を推し進めている。
木村屋總本店のこれからに期待したい。
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