公孫樹
テセウスの船とは ギリシャの話しであり その話しを種に ギリシャの哲学者たちが 論議したらしい。
話しによると クレタ島から帰還した若者と船を アテネの人々は歓迎し その船を記念に保存した トキの経過は少しずつ木材を朽ちさせて行った。
傷んだ部分を新しい木で補修した 補修に補修を重ねその部分は 船のすべてとなり もとの木材がなくなってしまった もとの木材を失った船は テセウスの船と呼べるだろうか?・・・そのことが論議の的となり それを論点として 哲学者たちは話題を展開した それには恰好な問題であったのであろう。
テセウスの船ではあるまいが ここ十年ほど掛かって 描き続けている 20号の公孫樹の絵だが(この様な絵が何枚かあるのだが・・・) 何度かもう出来上がった と思った そして筆を置いたことがある。
だが2・3日すると嫌になる そして根気よく筆を加え続けて来た その都度描き切れたと思って その日は終えるのだが・・・しかし翌日見ると失望する 困った 困った・・部分に部分の描き込んで行くのだが 描き始めた頃のイマジネーションから離れてしまった。 丁度テセウスの船のように・・ 描きだした精神は何処へいったのか?・・・そしてとうとうこれ以上描けないと 絵が叫びだし 絵は裏返ったまま 壁際に長く置かれてしまった。
4月・5月と入退院が重なり 絵を描く心情にはなれなかった。 入院の間いろいろな本を読んだ 若い日読み残した本を十余冊 読書は病床のわたしを 何よりも慰めてくれた。
帰宅後 壁際の絵と再会した 安穏な筆さばきに 自ら腹が立った スクラッパーと云う用具がある 丁度餃子に用いるコテのようなものだが わたしは何本かのスクラッパーを 持っているが それを用いて剥がしてみたが スクラッパーは上滑りして先が利かない 掻き落そうとしたがツルリと滑り駄目だった 画材屋で売っている用具は 格好はよいが非力なのであった。
長年飼っている瓶のメダカに 餌を与へているとき たまたま居たのが 向かいの住人のKさんであった 何かよい工具が あるのではなかろうか?・・・と尋ねてみた すると工具箱を見せて呉れた その中には スクラッパーの様な工具が沢山あり その中の1本を拝借した。
この拝借した工具で 画面の上(うえ)の層の絵の具を削ぎ落した 荒い画面が無愛想に削り出された Kさんの工具は流石に大工さんの持ち物――ウーン!と日本の工人の高さを感じさせて呉れた。
それは凝固した油と 絵の具をカリカリとこそぎ落し ボロ布で空拭きから ペトロールで拭き落す そうした作業をした 翌日からコロ―の絵から学んだ グレー(ウルトラマリーンとイエローオカー白を適宜に混ぜる)を用いて描き進んだ。
250ccのバイクで 亀岡の黄葉する公孫樹を見てから 十星霜 テセウスの船を造ったトキのように 描きだした しかしもとの姿は 何処へ行ったのかと思いだしていた いまその画面はシルバー・グレイとなっている。
描いた公孫樹は 亀岡平野の中央にあり 亀岡地方は 霧の名所と謳われている ここには国分寺があった イマもなお小さな寺はあるが そこには多くの石仏が積み上げられ 往時を偲ぶことが出来る 公孫樹はその国分寺のご神木である。
こうして 描きついでいくと 霧に覆われた公孫樹となった わたしは今度こそ筆を置くことにした。
公孫樹 カンヴァス 油彩
80.4㎝×65.4
テセウスの船とは ギリシャの話しであり その話しを種に ギリシャの哲学者たちが 論議したらしい。
話しによると クレタ島から帰還した若者と船を アテネの人々は歓迎し その船を記念に保存した トキの経過は少しずつ木材を朽ちさせて行った。
傷んだ部分を新しい木で補修した 補修に補修を重ねその部分は 船のすべてとなり もとの木材がなくなってしまった もとの木材を失った船は テセウスの船と呼べるだろうか?・・・そのことが論議の的となり それを論点として 哲学者たちは話題を展開した それには恰好な問題であったのであろう。
テセウスの船ではあるまいが ここ十年ほど掛かって 描き続けている 20号の公孫樹の絵だが(この様な絵が何枚かあるのだが・・・) 何度かもう出来上がった と思った そして筆を置いたことがある。
だが2・3日すると嫌になる そして根気よく筆を加え続けて来た その都度描き切れたと思って その日は終えるのだが・・・しかし翌日見ると失望する 困った 困った・・部分に部分の描き込んで行くのだが 描き始めた頃のイマジネーションから離れてしまった。 丁度テセウスの船のように・・ 描きだした精神は何処へいったのか?・・・そしてとうとうこれ以上描けないと 絵が叫びだし 絵は裏返ったまま 壁際に長く置かれてしまった。
4月・5月と入退院が重なり 絵を描く心情にはなれなかった。 入院の間いろいろな本を読んだ 若い日読み残した本を十余冊 読書は病床のわたしを 何よりも慰めてくれた。
帰宅後 壁際の絵と再会した 安穏な筆さばきに 自ら腹が立った スクラッパーと云う用具がある 丁度餃子に用いるコテのようなものだが わたしは何本かのスクラッパーを 持っているが それを用いて剥がしてみたが スクラッパーは上滑りして先が利かない 掻き落そうとしたがツルリと滑り駄目だった 画材屋で売っている用具は 格好はよいが非力なのであった。
長年飼っている瓶のメダカに 餌を与へているとき たまたま居たのが 向かいの住人のKさんであった 何かよい工具が あるのではなかろうか?・・・と尋ねてみた すると工具箱を見せて呉れた その中には スクラッパーの様な工具が沢山あり その中の1本を拝借した。
この拝借した工具で 画面の上(うえ)の層の絵の具を削ぎ落した 荒い画面が無愛想に削り出された Kさんの工具は流石に大工さんの持ち物――ウーン!と日本の工人の高さを感じさせて呉れた。
それは凝固した油と 絵の具をカリカリとこそぎ落し ボロ布で空拭きから ペトロールで拭き落す そうした作業をした 翌日からコロ―の絵から学んだ グレー(ウルトラマリーンとイエローオカー白を適宜に混ぜる)を用いて描き進んだ。
250ccのバイクで 亀岡の黄葉する公孫樹を見てから 十星霜 テセウスの船を造ったトキのように 描きだした しかしもとの姿は 何処へ行ったのかと思いだしていた いまその画面はシルバー・グレイとなっている。
描いた公孫樹は 亀岡平野の中央にあり 亀岡地方は 霧の名所と謳われている ここには国分寺があった イマもなお小さな寺はあるが そこには多くの石仏が積み上げられ 往時を偲ぶことが出来る 公孫樹はその国分寺のご神木である。
こうして 描きついでいくと 霧に覆われた公孫樹となった わたしは今度こそ筆を置くことにした。
公孫樹 カンヴァス 油彩
80.4㎝×65.4