5月の連休明けから学校に行けなくなる子どもが多くなると言われていますが、夏休み明けも多いそうです。例年になく猛暑が続いていますから、涼しい部屋から外出するだけでも確かに勇気がいります。
「家が一番安全な場所。
家に居ると嫌な思いをしなくて済む」
家(自分の部屋)に自分の居場所があるということは決して悪いことではない。
それすらなく辛い思いをしている子どもも沢山居ると思いますから。
学校という選択肢しかない状況では、その環境に意義を何も見いだせない子どもにとっては、
単に我慢を強いられるだけでなく、自己否定に繋がり、ストレスだけが増していきます。
学校へ行かないという選択肢があったとしても、では、教育の場というものをどこで誰が保証してくれるのか。
最近はフリースクールも増えてきてはいますが、地域の学校のように近くで通えるところはまだ少なく、学費的にもハードルが高く、利用しやすい選択肢にはまだなっていないように思えます。
しかし、「学校へは行かない」という選択肢を本人が選べるというのは、「学校へ行けなくなった」とは違い、二次的な障害に至る危険を避けるための有効な手立てでもあります。
その場合、孤立を避けるために社会との繋がりをどう構築していけばいいのでしょう。
子どもが感じている生きづらさというものを多様性の中の一つの有り様として認識できる社会であれば、選択肢に広がりを持てるようになります。
ただ現実はどうかというと、まだまだ少数派の域を出られません。
先ず家がある。
学校のほかには?
本人のやりたいことは?
本人の行けるところは?
行きたいところは?
家でする必要があることは?
家以外でしたほうがいいことは?
無理のない程度で、続けられることは?
本人の気になる事柄に関して話題を提供してくれる人は?
本人の興味関心に理解を示してくれる人は?