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そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏まうさせさふらははわこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへひ弥陀の御もよほしにあづかりて、念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめたる荒涼のことなり
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荒涼とはあらくれないことというような意味でありまして、自分に力量があって教えた念仏なら、あるいは弟子ということができるかろしれないが、念仏は私が教えたぐらいで信じられるものでもなく、称えられるものでもないのであって、・・・・
蜂屋賢喜代 著
歎異抄講話
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南無阿弥陀仏。近頃、ようやく受け入れ
ることができてる気がします。
幼少から青年期に掛けても身近にあったはず
なのに気づきませんでした。近頃心地よい。
与えられてできる事でもなく、何かの拍子に魂に響いてきました。
念仏に、限らず身近な事象に五感、六感澄ましてみると何か得られるかもしれません。
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