愛や感謝に飢えている人たちの方が多いのです。
マザー・テレサ

今日は愛するO君の洗礼記念日です。
O君は愛娘の中学時代からの親友のひとりです。
O君は我が家で家庭集会をしていることを娘から聞いて
多くの友人を誘って来てくれました。
来た人すべて(創価学会員一名を除いて)が救われました。
当時、月に2回、土曜日の午後から家庭集会をしていました。
翌日曜日は礼拝に来て泊まった人たちを芦屋の教会の礼拝に連れていって一緒に賛美を捧げていました。
O君は礼拝に来るたびに、
「自分がわかってから洗礼を受けます」
と言っていました。
自分が神さまをわかってからだと死んでもわからない。
わたしは、すべての人は死んだら天国に行くと信じています。
生きてるうちにこの神さまと出会ったら
もっとしあわせな人生を過ごせるよと伝えています。
少しずつ心を開いていった彼は、
ある日曜日、
教会で一緒に礼拝に与ったあと、祈りのなかで洗礼を受けました。
祈られて聖霊の圧倒的な満たしのなか、
そのまま30分以上寝ていました。
やがて起き上がった彼の第一声は、
「俺、なんでもっと早く洗礼を受けなかったんだろう」
でした。
いまでも忘れられない光景でした。
新しく霊的に生まれ変わったO君は美しくキラキラ輝いていました。
やがて彼はアメリカの大学に進学しました。
よく国際電話がかかってきました。
『娘は学校に行ってていないけど・・・」
というと、
娘ではなくわたしに質問があると言います。
すべてが聖書を読んでいるなかで起きた疑問からの質問でした。
毎日聖書を読んでいる彼を神さまが守って下さっている。
なんと嬉しい喜びだったことでしょう。
不思議な国際電話での聖書の学びをわたしも一緒にすることができました。
若い日、幼い日に救われた魂は主の喜びです。
天国で盛大なパーティが開かれる幻をどれほど多く見せられてきたことでしょう。
すべてのいのちは神さまがつくられました。
神さまが息を吹きかけ、ご計画をもって生かしておられます。
神さまは永遠まで守り導いてくださいます。
疑いながらも、まず信じてみる。
答えは聖書のなかにあります。
真理なので、損することはなにひとつありません。
「わたしにわかるように聖書を読ませてください」
幼子のこころで聖書を読んでいると、
必ずどこかで聖霊のタッチが起こります。
嬉しくって感謝いっぱいになります。
目の前に光ある喜びの世界があったことを
知るようになります。
洗礼を受けた翌朝の世界がキラキラ輝いていたことを体験した人の証は数え切れません。
すべてのつくられたものが創造主の愛の中に還り、
喜びに生かされますように。
明日は兄の洗礼記念日です。
わたしが教会で日、月と2日間、
礼拝メッセージを担当をした日でした。
ヨハネ9章から示されました。
病で苦しんでいた兄は、京都からその都度電話をかけてきました。
祈ると「いやされた」と言って電話を切っていました。
教会に来てほしいと伝えると素直に来てくれました。
兄は月曜日の礼拝に来て神さまが触れてくださって救われました。
当時は日、月と礼拝がされていました。
あの日、何を語ったのか覚えていませんが、
必要なことは聖霊が語られる、
その声に従って礼拝を守ることができました。
誰も聖霊によらなければ、イエスを主と呼ぶことはできません。
兄が病のなかで、あらゆる妨害から守られ救われたことを感謝しています。
”イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
弟子たちはイエスに尋ねて言った、
「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。
本人ですか、それともその両親ですか」。
イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」
(ヨハネ9:1~3)”
3月24日の花言葉
ハナビシソウ(カリフォルニアポピー)
希望の持てる愛・私を拒絶しないで
