それでも許しなさい。
人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、
と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。
(マザー・テレサ)
自分でも気づかないうちに、
自分が頑張って生きようとするほどに、
いつの間にか、
主に
「あなたはあっちに行っててください」
と、そんな空気を作ってしまっていることがあります。
マザーの体験からも見えてきます。
人間関係はとても複雑で難しい。
傷つくこともしばしばです。
でも、
そうじゃないよ・・・
Yes,But・・・Love.
聖霊さまが教えてくださる声をいつも聞けますように。
マルタとマリアの行いについて、
社会にマルタさんの存在は必要ですが、
なぜかイエス様はおもてなしをするマルタよりもマリアを褒められます。
マルタは自分が中心で精一杯おもてなしをしたかった。
何も手伝わないマリアのことに腹を立てて愚痴ってしまいました。
マリアは主が中心で主のお言葉を聴きたかった。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
しかし、必要なことはただ一つだけである。
マリアは良い方を選んだ。
それを取り上げてはならない。」
(ルカ10:38~42)
イエスさまはマルタの行為も喜ばれていたと思います。
気付かされるのはマルタのつぶやき。
せっせと用事を済ませて横にいらっしゃい
・・・なんとなくそんなイエス様の声を聞く思いになります。
人はすぐに心につぶやく思いを持ってしまいます。
つぶやく前に神様に目を向けてネ。と言われている。
すると、怒りや感情ではなく、愛が満ちてくるからです。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます」
と言われた意味が迫ります。
(マタイ6:33)
まず求めるのは神の国とその義。
「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」
と言われた時、ペテロはそのままで漁師の網を捨ててイエス様に着いていきました。
(マルコ1:17)
また他の人は、従っていく時に「父を葬ってから」と言いましたが、
イエスさまは「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。
あなたは行って、神の国を言い広めなさい」。と言われました。
(ルカ9:57~62)
主従関係は、いつも私が第一ではなく神様が第一。
私の願いを聞いてくださるから神様を信じますになると、ご利益宗教に成ってしまいます。
そうではなく、
もうすべて神様に聞かれているから大丈夫です。
感謝します。
平安に包まれて邪悪な思いが入らなくなります。
ここにもサタンや悪魔諸霊が働くのかもしれません。
私が消えてキリストが生きてくださる時、
一番私らしく生きれる、生かされるのだということを知りました。
人の思いもすべてご存知の神様だから
主のお言葉に従えば神様の最善が成る。
神さまを信頼して従う道には平安があります。
主に感謝します。
Amen.
”生きているのは、もはや、わたしではない。
キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために
ご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、
生きているのである。
(ガラテヤ 2:20)”
11月26日の花言葉
シャコバサボテン
美しい眺め・冒険心
