しかし、神は信仰を強要されません。
マザーテレサ

”神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(ヨハネ3:16)”
さらに21節まで続きます。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じないものはすでにさばかれている。
神のひとり子の名を信じることをしないからである。
そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、
人々はその行いが悪いために、光よりも闇のほうを愛したことである。
悪を行っている者はみな光を憎む。
そしてそのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光に来ようとしない。
しかし、真理を行っている者は光に来る。
その人のおこないの、神にあってなされたということが朗らかにされるためである。
神さまはすべての人がキリストの光に来ることを願われています。
ジェントルマンなので、
人が自ら心のドアを開くのを待ってくださっています。
人の心の内側にドアノブを造られたのも神さまです。
昨日、ある人から悲しい報告を聞かされました。
光にこないで闇を愛すると言われたという人のことでした。
救いを祈っているかたたちでしたので、悲しく思い、再び祈りました。
すると、
人を見ている人は人につまずく。
お金を見ている人はお金につまづく。
しかし、神を見ている人は永遠の恵みを受ける。
彼らは聞くには聞くが決して悟らない。
見るには見るが決して認めない。
御言葉と共に聴こえてきました。
以前、同じような体験をしたことがありました。
ある人のことで祈っていると、祈り終えるより早く、電話がかかってきました。
祈っていた人でしたので、驚いて、「今、祈っていたのです」と言うと、
相手の方も驚いて神さまに感謝をされました。
揺れ動く思いが頻繁に見られる方ですが、
主の愛は不変。
永遠までも変わらない愛で愛されておなじ世界に置いてくださっている。
信仰は神からの贈り物であって、努力や訓練などではなく、
ただ受け取るだけでよいことを伝え続けています。
いつも最高の笑顔でいられますように。
イザヤのことばは、
エレミヤもマタイ、マルコ、ヨハネも使徒行伝にも書かれています。
滅びに至る道は広く、救いに至る道は狭い。
神さまがそっと手を差し伸べてくださっている手を離さないで
ひざまづき、祈り、賛美して生きていきたいと願います。
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下ってくる。
(ヤコブ1:17)”
主に感謝します。
11/14の花言葉
クリスマスローズ
追憶・スキャンダル

