貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使い下さい。
主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。
主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使い下さい。
主よ、今日一日、
人は人であるという理由だけで、
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。
マザー・テレサ
カトリック教会のミサで賛美されている大好きなマザーのことばです。
マザーのこのことばを読んでいくと、
人の各器官はなんのためにつくられているのかを
知らされます。
イエス・キリストに出会った人は
十字架の愛と復活の喜びを知りますから、
この愛を誰にでも言いたくなります。
言論の自由が奪われても
神さまは愛であることをさんびし続けます。
御言葉や賛美を覚えると、
心と頭に刻まれていきます。
迫害下にあったパウロもすべてを神さまが導かれていました。
聖霊の導きはどんなものより強く
どんなものより真理です。
”神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、
神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。
わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、
語らないわけにはいかない
(使徒行伝4:19~20)”
1月26日の花言葉
ヒアシンス(白)
しとやかな愛らしさ・悲哀・心静かな愛
