この影響のために他のすべての罪がそのまま残ってしまうほどの罪です。
というのは、
もしも人々がキリストの御言葉を受け入れるならば、
彼らはすべての罪を赦していただけるのですが、
彼らはキリストの御言葉を拒絶しているため、
赦されることのない罪を行っているからです。
(マルチン・ルター)
昨夜、Jesusだけのことばでメロディが響いてきました。
Jesus,Jesus,Jesus
Jesus,Jesus,Jesus
懐かしいメロデでした。
十字架から流れてくる愛に感謝しました。
響き続けるので、寝るまで賛美をお捧げしました。
Jesus, I love You!
ルターは500年以上も前の1517年に、
カトリックの免罪符に対して95か条の抗議文を送り、
宗教改革を起こしてくれました。
さらに、それまで一般の人が読めなかったラテン語とギリシャ語で書かれていた聖書を
ドイツ語に訳して世界中の人が読めるようにしてくれました。
神とわたしの間には仲介者イエス・キリストのみ。
プロテスタントが誕生しました。
信じるだけでよい。
5つのソラ(~のみ)があります。
聖書のみ ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura)、
信仰のみ ソラ・フィデ (Sola fide)、
恵みのみ ソラ・グラティア (Sola gratia)、
キリスにのみ ソルス・クリストゥス (Solus Christus)、
神に栄光のみ ソリ・デオ・グロリア (Soli Deo gloria)
神から与えられている信仰をそのまま受け取るだけで救われる。
どんな宗教もなし得ない十字架の救い、
永遠のいのちの世界に入れます。
私は十字架のみ、賛美のみでも充分だと思います。
十字架のキリストの贖いを直接知ることができるのは聖霊さまのお働きです。
”だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、
わたしは言ったのである。
『わたしはある』ということを信じないならば、
あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。
(ヨハネによる福音書 8:24)”
神を信じる。
神が人となって受肉されたキリストを信じるだけで良いというシンプルな信仰は
すべての人の罪のために十字架で血を流して死なれて3日目によみがえり、
黄泉の世界、死の恐怖も取り除かれた神の受難と復活の約束につながります。
永遠の命を与えると言われたイエス様は、
今も生きて働いておられる唯一の「わたしはありてあるもの」と言われる神さまです。
人の知識や経験や修行も通り越した信仰。
(本来はいらないことであり、人が勝手につくるもの)
そこには勧誘による業績などから与えられる人や宗教の報酬や評価は一切ありません。
人と比べない絶対愛であるアガペの愛の世界です。
ただ十字架の愛を受けてキリストがなさったように歩ける人生をお手本にして歩くだけです。
キリストが十字架で流された血潮でいやされている
すべての罪、病、痛み苦しみ悲しみ嘆きや憎しみ・・・
人が持つすべてのすべてが十字架で流された血潮によって完成しています。
病も十字架で完成しているのですから、
義人の祈りでいやされるのです。
(わたしもいやされました。両親や娘や多くの人もイエス・キリストの名前
でいやされました。ただです。真理には束縛するものは何一つありません。)
”あなたがたの中に、病んでいる者があるか。
その人は、教会の長老たちを招き、
主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
信仰による祈は、病んでいる人を救い、
そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。
かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
(ヤコブの手紙5:14~15)”
神のなさった最大の奇跡と犠牲と贖いを信じて
今日も主なる神と共に喜びと感謝のなかで生かされますように。
コロナで人間の最も弱い感情、孤独が打ち出されています。
神さまはアダムを土のチリで造られた(創世記2:7)あと、
人が一人でいるのはよくない(創世記2:18)として助け手として
土で動物や鳥を造られました。
さらに人間の相手として
アダムのあばら骨でイヴをつくられました。(創世記2:22)
人は人と触れ合って生きるもの。
自然界と共存して生きるようにつくられました。
それができない世界になっていくと、
孤独に耐えきれずに命を断つ人も増えます。
どんな時も見捨てないのは神さまだけです。
主と出会うなら、
孤独は永遠に消え去っていくでしょう。
いつも共にいる方との新しい
(本当はもとからあったもの)人生が始まります。
インマヌエル
この御言葉は永遠に変わらない神の約束のことばであります。
”真理はあなたがたを自由にします。
(ヨハネ8:32)”
11月6日の花言葉
カサブランカ
威厳・純潔・高貴・無垢・栄華
