過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

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 ┃『STEP BY STEP』┃
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 1994(平成八)年07月25日(月) 森高千里9枚目アルバム作品
  06:♪Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey♪
  Lyrics and Music by Lennon/McCartney
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/STEP_BY_STEP_(%E6%A3%AE%E9%AB%98%E5%8D%83%E9%87%8C%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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 ┃『乱暴者 The WILD ONE あばれもの』┃
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 1953(昭和28)年12月30日(wed) N.Y.C released
 1954(昭和29)年02月25日(thu)  JP released
 1947(昭和22)年07月04日(fri) 独立記念日『ライフ』誌に掲載された、かなり誇張されたカリフォルニア州ホリスターであったバイカーの集会の記事と写真を元に、フランク・ルーニーが『The Cyclists' Raid』という短編小説を『ハーパーズ』誌に発表した。この作品の映画化権をコロムビア映画のスタンリー・クレイマーが買い取ったが、犯罪者の映画を撮ることへの反発もあり、低予算で撮られることになる。このため、全ての撮影は撮影所の中で行われ、映画の舞台はアメリカ中部の架空の街になっている。ホリスターの集会は、翌年のバイク集団の結成につながっていった。その反社会的な内容から、イギリスでは1968(昭和43)年まで公開を認められなかった
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φhttps://www.uta-net.com/song/53808/
愛https://www.uta-net.com/song/41195/
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wild_One
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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――――――――┐Third row <三行目>
39| Marlon Brando |『Wikipedia』
39|マーロン・ブランド|『discovermusic.jp』
 └─――――――――┘ 1953(昭和28)年の映画『乱暴者 The Wild One』で、ジョニー・ステイブラーという伝説的な役柄を演じたマーロン・ブランドは、ロックン・ロールを生み出した世代に募る欲求不満を見事に表現した。史上最高の名優のひとりとして称賛されている。なお、『乱暴者』でブランドと敵対する暴走族が、ザ・ビートルズとほぼ同名(The Beetles)も注目に値するヨ(=^◇^=)
 1924(大正13)年04月03日(thu) Born
†2004(平成16)年07月01日(thu) Died. 80 years old
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 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
†https://en.wikipedia.org/wiki/Marlon_Brando
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
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‡1969(昭和44)年07月01日、『アビイ・ロード』の録音初日。ジョンは、まだ録音に参加せず、ヨーコ、キョーコ、ジュリアンの4人でスコットランドに出掛けていました。この日、ジョンは、運転中にハンドル操作を誤り、ハイウェイをはみ出す大事故を起こしてしまいます。ジョンは顔を17針、ヨーコは14針、キョーコも4針縫う大怪我をし、
 1969(昭和44)年07月05日、5日間も入院しました。更に悪いことに、後日、この事故により、ヨーコは、キョーコの親権を無くしてしまいます。画像③④⑤は、退院後、事故車の前で(やけくそで)記念撮影したジョン&ヨーコ
《教訓》『車の運転は、慎重に』
 https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4113781648737935/

■ビートルズ日本武道館公演舞台裏と終演後の彼らの自由な行動②
《武道館公演第一回目ステージ終演後のビートルズの自由な行動②》
<1966年7月1日 AM10:30頃>6月30日AM10:00頃にメンバーのスーツを仕立てるため全員の採寸とデッサンを行ったテーラー山形屋の宮川氏が、スーツの仮縫いのため部屋に再訪問します。デザインについてはビートルズからの要望は特に無く、宮川氏が全面的にまかされ、当時流行のコンチネンタルスタイルに仕上げます。背広(スーツ)の本場ロンドンからやって来たビートルズが、なぜこんな忙しい間にわざわざ日本でスーツを仕立てたのかは全く不明です。ちなみに「背広」の語源である"ロンドンのセビルロー通り"は、Rooftop Performanceが行われた(旧)アップルの本社(3 Savile Row)があった通りです。仕立てたこの背広は、テーラー山形屋が7月3日の早朝に届け、メンバーが試着し購入します。テーラー山形屋は、この背広を1着46,000円のところ35,000円に割り引きます。当時、大卒初任給平均が24,900円の時代で、し、た。
■ビートルズ日本武道館公演舞台裏と終演後の彼らの自由な行動③
《武道館公演第一回目ステージ終演後のビートルズの自由な行動③》
<1966年7月1日 AM11:00 頃>ジョンはカメラマン・ロバート・ウイティカーに成りすまし、車でホテルを抜け出します。南青山にある「北川象牙店」。麻布材木町にある「朝日美術店」。原宿にある「オリエンタル・バザー」などに、次々に立ち寄り買い物をしていきます。漆塗りの彫り物・香炉・中国製飾り玉などを買ったされ、購入金額は合計で500万円くらいだったと言われています。朝日美術店経営者だった「若山秀子氏」は語ります、「ジョンはピンクのキャデラックで突然やって来ました。店内で私とジョンが30分くらい話しているうちに、店の外に停めてあったピンクのキャデラックをビートルズファンが見つけ集まってきました。殺到という言葉の方が相応しいかもしれません。勿論、警察も飛んできました。そして、警察は「ジョン・レノンさん、あなたが店にいると、交通渋滞が起こるので店を出てくれませんか!」と言いました。しかし、店の前にはファンが殺到していたので、私はジョンを裏口から逃がしました。その時、『ここは、土足のままでいいの?』とジョンに聞かれたのを私は覚えています。」。
<1966年7月1日AM00:00頃>ジョンはホテルに戻ります。
<1966年7月1日PM00:00頃>朝日美術店、若山秀子氏はいくつか古美術品を持ちホテルの部屋へを訪問します。若山秀子氏は「ビートルズは公演が終わって部屋に入るとすぐ靴を脱いでくつろいでいました。ジョンは骨董品を並べたところにすぐに駆け寄ってじっくりと眺め、次々とこれはどういうものか?と質問して来ました。ジョンが選ぶものはすべて良い物ばかりで、どこかで日本美術を観てきたのか?それとも直感なのか?びっくりしました」などと証言しています。ジョンが一番気に入ったのは香炉で100万円で購入します。
■ビートルズ日本武道館公演舞台裏と終演後の彼らの自由な行動④
《武道館公演第一回目ステージ終演後のビートルズの自由な行動④》
<1966年7月1日AM11:00頃>ジョンの次は、ポールです。ポールは、ロード・マネージャーであるマル・エバンスの動向で黒のトヨペットに乗り、ホテルを抜け出します。車は明治神宮を通り、明治神宮外苑を抜けていきます。そして皇居前広場に到着し・・もちろんポールは車から降ります。皇居前広場を見渡し、二重橋まで歩いていきます。ポールは散歩でもしてるかのように...。しかし、追跡していた報道陣に囲まれてしまいます。わずか5分間の散歩...。そして!報道陣がポールに殺到しているところを、警察が見過ごすはずもありません。警察は「ポールさん、申し訳けないですが、車に戻って下さい!」と告げます。そして、ポールたちは車に乗り込みはホテルに戻って行きます。ホテル到着AM11:40頃...ポールの外出はわずか45分足らずだったと云う事です。
■ビートルズ日本武道館公演舞台裏と終演後の彼らの自由な行動⑤
《武道館公演第一回目ステージ終演後のビートルズの行動⑤》
<1966年7月1日>
 PM1:00 日本のビートルズファンクラブ(BFC)会長と映画館松竹セントラル支配人である下山鉄三郎氏、通訳の会田公氏がビートルズを訪問します。BFCはここで公認クラブとして認められ、日本のファンのために描いた絵をビートルズから受け取る約束をします。下山はジョージから日航のハッピを譲り受けます。
 PM2:00 日本武道館、昼の部開演、オープニングアクトが始まります。
 PM3:00 ビートルズの公演(第2回)が始まります。セットリストは1日目と同じで、日本テレビが収録し、PM3:50で終了し、メンバの4人とスタッフ一同は武道館の貴賓室で夜の部までの時間を過ごします。
 PM6:30 日本武道館、夜の部開演、オープニングアクト始まります。
 PM7:30 ビートルズの公演(第3回)が始まり、PM8:03に演し、一行は待機していた車でホテルに戻ります。
 PM9:00 日本テレビ系列で特別番組『ザ・ビートルズ日本公演』が放送され、視聴率は関東59.8%、関西46.1%を記録し、街頭テレビでは通常9時までですが1時間延長され、新橋でおよそ200人、上野公園で80人が観ることとなります。これは、この時間帯では日本放送史に残る記録です。ちなみにこの放映は、ビートルズもエプスタインとともに部屋で観ています。
■ビートルズ日本武道館公演来日Memorial Photo Shot ⑤/⑨
<7月1日公演前のポールマッカートニー>
<1966年7月1日AM11:00頃>ポールは、ロード・マネージャーであるマル・エバンスの動向で黒のトヨペットに乗りホテルを抜け出し、車は明治神宮を通り、明治神宮外苑を抜けていき、そして皇居前広場に到着し、ポールは車から降ります。そしてポールは、皇居前広場を見渡し散歩でもしてるかのように二重橋まで歩いていきます。しかし、追跡していた報道陣に囲まれてしまいます。わずか5分間の散歩...。そして!報道陣がポールに殺到しているところを、警察が見過ごすはずも無く、警察は「ポールさん、申し訳けないですが、車に戻って下さい!」と告げます。そして、ポールたちは車に乗り込みはホテルに戻って行きます。ホテル到着はAM11:40頃で、ポールの外出はわずか45分足らずだったと云う事です。
■ビートルズ日本武道館公演来日Memorial Photo Shot ⑥/⑨
<7月1日武道館公演のビートルズとオーディエンス>
 PM2:00 日本武道館、昼の部開演、オープニングアクトが始まります。
 PM3:00 ビートルズの公演(第2回)が始まります。セットリストは1日目と同じで、日本テレビが収録し、PM3:50で終了し、メンバの4人とスタッフ一同は武道館の貴賓室で夜の部までの時間を過ごします。
 PM6:30 日本武道館、夜の部開演、オープニングアクトが始まり、PM7:30 ビートルズの公演(第3回)を行います。
■ビートルズ日本武道館公演来日Memorial Photo Shot ⑦/⑨
<7月1日武道館公演前(貴賓室)と公演後のビートルズ>
 PM3:00 ビートルズの公演(第2回)が始まり、PM3:50で終了し、メンバの4人とスタッフ一同は武道館の貴賓室で夜の部までの時間を過ごします。
 PM6:30 日本武道館、夜の部開演、オープニングアクトが始まります。
 PM7:30 ビートルズの公演(第3回)が始まり、PM8:03に演し、一行は待機していた車でホテルに戻ります。
 PM9:00 日本テレビ系列で特別番組『ザ・ビートルズ日本公演』が放送され、視聴率は関東59.8%、関西46.1%を記録し、街頭テレビでは通常9時までですが1時間延長され、新橋でおよそ200人、上野公園で80人が観ることとなります。これは、この時間帯では日本放送史に残る記録です。
 https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1966-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E9%81%93%E9%A4%A8%E5%85%AC%E6%BC%94/

写真「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン - 日本武道館 - 1966年」【オリジナル・プリント/ロバート・ウィテカー・フォトグラフィーのエンボス入り】
ロバート・ウィテカーSKU: whitaker_075_11x14p
<写真の解説>
7月1日夜の公演。 この日会場には1,700人の機動隊員や警察官が日本武道館の内外を厳重警備していた。安全を確保するため公演中も客席の照明はつけられたままだった。この写真では客電が消えていたかのように見えるのが興味深い。
Robert Whitaker, 1966 撮影:ロバート・ウィテカー(1966年)
<写真データ>
撮影:1966年7月1日
場所:日本武道館、日本
人物:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン
プリント:タイプCプリント
用紙:フジ・フイルム・クリスタル・アチーヴ・ペーパー(マット・フィニッシュ)
※商品画像は写真家から提供された参考写真です。実際の色・濃淡やプリント範囲は若干異なります。※写真作品の解説や撮影日時・場所、プリント方法・用紙などの写真データは、原則、写真家から提供された情報を元に提供しています。
写真にはロバート・ウィテカーの写真作品を管理する「ロバート・ウィテカー・フォトグラフィー」のエンボスと、限定数がある写真はその限定数が書かれています。
https://fab4.shop/collections/japan-concert/products/whitaker_075
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写真「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン - 日本武道館 - 1966年」【オリジナル・プリント/ロバート・ウィテカー・フォトグラフィーのエンボス入り】
ロバート・ウィテカーSKU: whitaker_076_11x14p
<写真の解説>
7月1日夜の公演。ギターとベースのアンプが3台とも彼らが持参した最新型の「VOX 7120」に交換された。日本での演奏も3回目となり、かなりこなれてきていたということだろう。この回の音源や映像が残っていないのが非常に残念だ。
Robert Whitaker, 1966 撮影:ロバート・ウィテカー(1966年)
<写真データ>
撮影:1966年7月1日
場所:日本武道館、日本
人物:ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン
プリント:タイプCプリント
用紙:フジ・フイルム・クリスタル・アチーヴ・ペーパー(マット・フィニッシュ)
※商品画像は写真家から提供された参考写真です。実際の色・濃淡やプリント範囲は若干異なります。※写真作品の解説や撮影日時・場所、プリント方法・用紙などの写真データは、原則、写真家から提供された情報を元に提供しています。
写真にはロバート・ウィテカーの写真作品を管理する「ロバート・ウィテカー・フォトグラフィー」のエンボスと、限定数がある写真はその限定数が書かれています。
https://fab4.shop/collections/japan-concert/products/whitaker_076
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写真「ジョン・レノン - 日本武道館 - 1966年」【オリジナル・プリント/ロバート・ウィテカー・フォトグラフィーのエンボス入り】
ロバート・ウィテカーSKU: whitaker_077_11x14p
<写真の解説>
7月1日夜の公演のジョン・レノン。「日本公演はツアー活動に嫌気がさしていた時期のノリの悪い演奏だった」とする批評家もいたが、実際はそうではなく、この写真を見ても、ジョンが感情を込めて歌っていたことが分かる。
Robert Whitaker, 1966 撮影:ロバート・ウィテカー(1966年)
<写真データ>
撮影:1966年7月1日
場所:日本武道館、日本
人物:ジョン・レノン
プリント:タイプCプリント
用紙:フジ・フイルム・クリスタル・アチーヴ・ペーパー(マット・フィニッシュ)
※商品画像は写真家から提供された参考写真です。実際の色・濃淡やプリント範囲は若干異なります。※写真作品の解説や撮影日時・場所、プリント方法・用紙などの写真データは、原則、写真家から提供された情報を元に提供しています。
写真にはロバート・ウィテカーの写真作品を管理する「ロバート・ウィテカー・フォトグラフィー」のエンボスと、限定数がある写真はその限定数が書かれています。
https://fab4.shop/collections/japan-concert/products/whitaker_077
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写真「ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン - 日本武道館 - 1966年」【オリジナル・プリント/ロバート・ウィテカー・フォトグラフィーのエンボス入り】
ロバート・ウィテカーSKU: whitaker_078_11x14p
<写真の解説>
7月1日の公演。ジョン(右)とジョージ(左)が1本のマイクを分けあってコーラスする。
Robert Whitaker, 1966 撮影:ロバート・ウィテカー(1966年)
<写真データ>
撮影:1966年7月1日
場所:日本武道館、日本
人物:ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン
プリント:タイプCプリント
用紙:フジ・フイルム・クリスタル・アチーヴ・ペーパー(マット・フィニッシュ)
※商品画像は写真家から提供された参考写真です。実際の色・濃淡やプリント範囲は若干異なります。※写真作品の解説や撮影日時・場所、プリント方法・用紙などの写真データは、原則、写真家から提供された情報を元に提供しています。
写真にはロバート・ウィテカーの写真作品を管理する「ロバート・ウィテカー・フォトグラフィー」のエンボスと、限定数がある写真はその限定数が書かれています。
https://fab4.shop/collections/japan-concert/products/whitaker_078
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写真「ジョン・レノン - 日本武道館 - 1966年」【オリジナル・プリント/ロバート・ウィテカーロバート・ウィテカー・フォトグラフィーのエンボス入り】
<写真の解説>
ビートルズ日本公演、7月1日、昼の公演が終わり、夜の公演までの間にギターをチューニングするジョン・レノン。すでにパンツも夜の部の衣装に着替えている。
Robert Whitaker, 1966 撮影:ロバート・ウィテカー(1966年)
<写真データ>
撮影:1966年7月1日
場所:日本武道館、日本
人物:ジョン・レノン
プリント:タイプCプリント
用紙:フジ・フイルム・クリスタル・アチーヴ・ペーパー(マット・フィニッシュ)
※商品画像は写真家から提供された参考写真です。実際の色・濃淡やプリント範囲は若干異なります。※写真作品の解説や撮影日時・場所、プリント方法・用紙などの写真データは、原則、写真家から提供された情報を元に提供しています。
写真にはロバート・ウィテカーの写真作品を管理する「ロバート・ウィテカー・フォトグラフィー」のエンボスと、限定数がある写真はその限定数が書かれています。
https://fab4.shop/collections/japan-concert/products/whitaker_086

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 ┃ 『トーキョー・デイズ』  ┃
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‡1986(昭和61)年7月1日(火) released
 ビートルズのハンブルグ・ライヴやデッカ・オーデションの販売権を持っていたテイチクが乱発気味に次々と発売していたビートルズ物の中で異色を放つ1枚がこれ。復刻版プログラムを入れるために、LPサイズよりもTHE BEATLESの文字の分だけ箱が上方向に長くなっています。肝心の収録内容ですがコンサートの演奏曲は使えなかったので、曲の前後のお喋りやインタビューなどを収録していますが、それでも収録時間はかなり短いです。あらためて聴く気にもならないので時間は計っていませんが、両面合わせてたぶん20分もないと思います。このレコードは2000円という値段でしたが、音源としての魅力は無いに等しいのであえてその価値を見い出すとしたら完全復刻されたプログラムということになります。でもこの豪華な箱に入っていることもあってタイトルだけ見てライヴ盤かと思って買ったファンもいるのではないでしょうか?しかし、このアルバムはカセットとCDでも発売されていましたが、それらには復刻プログラムは付いていない上にCDは3000円という定価が付けられていました。それだったら海賊盤を買ったほうがマシだと思うのですが・・・。
 http://beasma.web.fc2.com/newpage15.html
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 ┃ 『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』 ┃
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 2015(平成27)年06月10日(水) 第007回 ザ・ビートルズ初来日 熱狂の103時間
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA_%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B2%90%E7%82%B9
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 ビートルズ、武道館2公演の音源をLP版で発売
 2020(令和二)年06月29日(月) 14時1分 
 写真◆66年06月30日の演奏版のビートルズのLPジャケット
 ビートルズの日本公演10+ 件から54年の記念日にあたる6月30日、当時のライブ音源がLPでよみがえることになった。
 2020(令和二)年06月30日(火)に1966(昭和41)年06月30日(木)の演奏版、
‡2020(令和二)年07月01日(水)に1966(昭和41)年07月01日(金)の演奏版がLPで発売される。ビートルズは66年6月30日から7月2日まで日本武道館で5公演を行ったが、収録されたのは2公演。初公演となった6月30日を収録し、翌7月1日の夜にテレビ放送する予定だったが、マネジャーのブライアン・エプスタイン氏が再収録を要請し、急きょ7月1日の昼の部を収録した。この残された2公演の音源が、秘蔵音源の発掘で知られる音楽レーベルのエターナルグルーブスから高品質な国内プレスのアナログLPとして発売されることになった。同レーベルからは
 2017(平成19)年09月27日(水)、ビートルズの武道館ライブをCD発売したところ完売。オリコンの洋楽チャートで初登場5位、アルバム総合チャート28位にランクインした。レーベル担当者は、今回のLP版を「歴史的に貴重な音源を、ビートルズマニアはもちろんのこと、すべての洋楽ファンにお届けしたい。アナログ人気再燃の今、温かな音とワクワク感を駆り立てるジャケットが1つになったLPレコードの魅力をあらためて感じていただきたい」と話している。
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202006290000279.html

 6月30日 鈴木祥 55年前の今日、ビートルズは武道館で歌っていました。6月30日に1回、7月1日と2日に2回ずつ合計5回のステージをこなしています。ビートルズのギャラは10万ドル。当時のビートルズのギャラとしては破格の安さでした。ただし、放映権を得ていた日本テレビからするとドエライ高い金が動くステージだから録り損ねるわけにはいかないと躍起になって撮影したそうです。6月30日のステージは日本での初ステージという事で本調子は出ず。通常よりもキーが下げられたおかげでノッタリクッタリ、だらけた演奏に聴こえます。マイクスタンドのネジが緩んでいたせいでポールのマイクはグラグラしています。これだけステージをこなしているのだからちょいちょいマイクスタンドの不備にもあっているはずでマイクスタンドの仕組みぐらい理解しとけと思うのですがどうでしょう?とりあえず、演奏の出来が良くないのでキーを元に戻した7月1日の昼の部が再び撮影され、これがその日の夜にテレビ放映されたのです。
 6月30日のコンサートがブートレグとして登場したのは1971年。ズバリ、日本製のブートレグ"Live In Tokyo"でした。白ジャケット、白レーベルのレコードでした。これがごく少数出回ったあと、白ジャケットに赤いレーベルに曲名とタイトルが入ったヴァージョンが登場。音源はテレビ局から持ち出されたものとの事ですがこの辺は定かではありません。作ったのは某ファンクラブの中心人物です。これがアメリカに渡ると、ここからダビングされたコピー盤が登場。これがかの有名なペパーのジャケット撮影風景をあしらった"On Stage In Japan The 1966 Tour"。作ったのは以前ブタマークでおなじみのTMOQをやっていた人物。あまりにたくさん売れた為に多数の再プレスが存在します。ここに載せたのは初版盤。ビートルズの海賊盤史上、初のフルカラージャケットも武道館公演でした。"In A Judo Arena"がそれ。これもコピー盤が色々あります。もうひとつ有名な武道館のブートレグは真っ青なジャケットが印象的な"Tokyo Sixty-Six"。これを作ったのはレコード盤のロゴをあしらったContra Band Music"。これらアメリカ版3種類はどれも同じプレス型を使っていますがCBM盤はレコードの盤質が悪くノイズが多いためかなり音質が劣って聴こえます。このレーベルの常ですが再版を重ねるたびにジャケットやレーベルに手抜きをしたりさらに盤質が悪くなったりするので、このアルバムは壁に飾る意外に使い道はないです。
 7月01日のコンサートを収録したアルバムはあまり多くなく有名なのは"Welcome The Beatles"。これも実は日本製。アメリカのやはりTMOQの残党が作ったアルバムが最も優秀な音質で1日のコンサートを収録しています。武道館コンサートは2日分が収録されていますが意外にもビートルズのコンサートをカラーで完全収録している映像は武道館の物しかありません。
 6月30日のコンサートはかつて正規盤のビデオが出ていたため容易に見る事が出来ました。ただし現在は廃盤中。30日のコンサートはエプスタインがボツとした為そのままテレビ局に置いておかれましたが放送に使用した
 7月01日のコンサートの映像はマスターをエプスタインが持ち帰ったため日本には残っておらず、またエプスタインが死亡したためオリジナルのビデオは行方不明。現在見る事が出来る7月1日の映像は日本テレビが一度電波に乗せた映像を記録用にと録画しておいた物。そのせいで画面には横帯状の太いノイズが見える。ただし、1日の映像はこれしか残っていない為これがマスター映像としてアップルに管理されている。武道館のコンサートの演奏はあまり褒められた物ではないが質が優れている為に非常にたくさんのブートレグが出されている。つい先日、西新宿の業者が正規盤扱いで2種類のカラーレコードを発売した事も記憶に新しい。
 https://www.facebook.com/groups/501660143243651/posts/4072382399504723/

 

 THE BEATLES『SESSIONS』
 2017-06-06 22:03:48 テーマ:The Beatles
 先日、50th AnniversaryのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandが発売されて、公式で聴けるアウトテイクが一気に増えた。この公式のアウトテイクの歴史を振り返る上で、起点となる重要なアルバムとして、GET BACK と SESSIONS がある。これ、どっちも未発表アルバムとなった。この2つのプロジェクトを起点とするアウトテイクの一部は、1995、1996年のTHE BEATLES ANTHOLOGYとして日の目をみるんですけど、もしSESSIONSのプロジェクトがなかったら、THE BEATLES ANTHOLOGYはなかったかもしれない。ということで、SESSIONSについて、まとめてみたい。
 1980(昭和55)年。EMIにJohn Barrettって人がいた。この人は、1960年代後半にEMIに入社して、1981年のThe Beatles E.P.s collectionのボーナスEP収録のThe Inner Lightのステレオミキシング・セッションにも参加したした人です。彼が、癌に罹患しちゃって、エンジニア職を離れなきゃいけないって時に、当時、Abbey Road Studiosゼネラル・マネージャーだったKen Townsendが、Barrettでもできる仕事として、ビートルズのマスターテープの整理を命じたんです。いい話だね。ちなみにKen Townsendは、Rubber SoulからSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの時期にビートルズのバランスエンジニア、テープオペレータ、また技術的な問題の解決なんかをやっていた。有名なADT(人工ダブルトラッキング)を開発したのも彼。これは、WavesのReel ADTというプラグイン。Ken TownsendのADTをモデリングしたもの。John Barrettの仕事は、膨大なビートルズのマスターテープを聴いて、その内容を記録することだったんだけど、彼は、発表できそうな音源集を独自に編集して、カセットテープに記録していったわけ。しかし、このテープは日の目を見ない。その頃のアップル・コア(ビートルズ)とEMIの関係は冷え切っていて、John Barrettがまとめたデータを元に未発表曲集なんて発売できる状態でなかった。アップル・コアとEMIが揉めてたのは印税の支払いに関することだったので。同じ頃、Abbey Road Studiosでは、改装をやっていて、その完成披露として、一般公開するって企画が持ち上がっており、その目玉として、John Barrettがまとめたテープを元にしたThe Beatles Live At Abbey Roadというフィルムを制作して、公開しようってことになった。これは実現して、
‡1983(昭和58)年07月から09月の間、フィルムが公開されて、そのサウンドトラックがまとめられたわけです。内容は、
 Love Me Do (Take 18)
 How Do You Do It? (Take 2)
 I Saw Her Standing There (Takes 2, 11 & 12)
 Twist And Shout (Take 1 RS1)
 One After 909 (Take 4)
 Don't Bother Me (Takes 11 & 12)
 A Hard Day's Night (Takes 2, 3 & Take 9 RS2)
 Leave My Kitten Alone (Take 5)
 I'm A Loser (Take 8)
 She's A Woman (Take 1)
 Ticket To Ride (Take 2)
 Help! (Take 5)
 Norwegian Wood (This Bird Has Flown) (Take 1)
 I'm Looking Through You (Take 1)
 Paperback Writer (Take 2 RS3)
 Rain (Take 7 RS1)
 Penny Lane (Take 9 RS1)
 Strawberry Fields Forever (Take 1, Takes 7 & 26, Take 26)
 A Day In The Life (with count-in)
 Hello, Goodbye (Take 22 RS2)
 Lady Madonna (Take 4)
 Hey Jude (Take 9)
 While My Gutar Gently Weeps (Take 1)
 Because (Take 7)
 #9 Dream - John Lennon (with spoken intro by Ringo Starr)
 この時に、曲間にナレーションが入っているのだが、それを担当したのが、Roger Scottって人で、この時にも流出した音源があるってことになってるけど、その話は、今回は割愛。このThe Beatles At Abbey Roadは非常に話題になって、Paul、George & Ringoも驚いたよう。これで、EMI側が気をよくして、先走って、後にSESSIONSになるプロジェクトが立ち上がる。EMIは、John Barrettのテープを元にして、アルバム制作をしようとするわけだけど、癌を患っていたJohn Barrett自身は1984年に他界。そして、このリミックス作業をGeoff Emerickに依頼する。Geoff EmerickはRevolver以降のビートルズのメインのバランスエンジニアです。EmerickはBarrettが残したレコーディング記録を元にしてリミックス作業をして、アルバム SESSIONSを完成させる。内容は、
 https://ameblo.jp/hkiryu/entry-12281422941.html

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