過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 特別番組ザ・ビートルズ日本公演 カラー放送
 https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4141193519330081/

 50年目の7月1日に。
 2016(平成28)年07月01日 公開 BY TONRECO
 2016(平成28)年07月02日 更新済み
 http://www.tonreco.com/archives/5936

【後日談】裏ビートルズ来日学:「太陽にほえろ!」ロケ写真検証
 2016(平成28)年07月19日 公開 BY TONRECO
 2016(平成28)年07月23日 更新済み
 http://www.tonreco.com/archives/6085

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その9
 2016(平成28)年07月09日
 
【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その11
 2016(平成28)年07月17日
 
【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 続報編:写真発掘の衝撃!
 2017(平成28)年04月23日
  

【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史
 2016(平成28)年06月25日 公開 BY TONRECO
 2017(平成29)年07月02日 更新済み
 写真◆(title design/S.Takei)
ライブ活動休止から50年、我々にとっては武道館公演から50年。ビートルズがグループとしては唯一この日本の地にやってきた日、6月29日をいよいよ来週に控え、CDリリースに特集本の出版にドキュメンタリー映画公開にテレビでの特別番組の放送に関連イベント開催にと何かと慌ただしくなって参りました。
雑誌「レコード・コレクターズ」にて2009年から連載をスタートし、現在も継続中の宮永正隆氏の「ビートルズ来日学」(DU BOOKS)が、満を持しての発売。
2段組400ページを超える大著ながら、読み進めるごとに明らかにされる生々しい事実や、まるでその場、その瞬間を体感しているかのような空気が伝わってきて、わくわくすることたまらないのであります。
さて。そんなこんな読み進めること百数十ページ。インタビュー相手は、ビートルズ来日時に運転手を務めた協同企画(現・キョードー東京)の肥田勲氏。
超厳戒態勢にて、羽田空港へ6月29日の明け方間近に到着し、永田町の宿泊先の東京ヒルトンホテル(現・キャピトルホテル 東急)に入って以来、ビートルズの4人は武道館との往復以外缶詰状態。
これにはさすがにストレスがたまります。
時は第1回目の公演を30日の夜に済ました翌7月1日。
ここで、メンバーの脱出劇が始まります。
朝11時頃、まずはジョンが、続いてローディのマル・エヴァンスとともにポールがホテルを脱出。ジョンが原宿、麻布材木町、南青山で古美術を買いに、ポールが明治神宮、神宮外苑を車で回って、皇居へ二重橋前辺りまで歩いて、警官に「もうダメだ、戻りなさい」と5〜6分の散歩でホテルに帰された・・・ここまでは、誰でも知ってる有名なエピソードであります。
そして、そして。それは「20章 ポール、そしてジョンの脱出」(P136)冒頭で、筆者から唐突に語られるのです。
『ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯』(*)で、ポールがホテルを脱出した真の理由が明かされた時の驚きは今も忘れられない。
 かいつまんでいえば「中村実というタレントの世話担当の社員がローディのマル・エヴァンスを四谷(本文ママ)にあった”外国人が喜ぶお風呂”に連れて行った。マルからその話を聞いたポールは翌日同行したいと強く懇願し、無理やり1階まで一緒に降りて来た。しょうがなく中村は二人を1階ロビーに待たせ、黒のプリンスを出した。玄関につけたプリンスに気づいた私服警官が近づきポールと押し問答になり、そのうちマスコミの中には気づく者も出始めた。刑事はやむなくポールを車に押し込み走り出した。読売の社旗を立てた車を先頭に何台か追っかけて来たため、まさか四谷に行くわけにいかず、やむなく皇居見学することになった」・・・と書かれているのだ。
[*遁注]ビートルズを招聘したプロモーター、協同企画社長、永島達司の伝記。野地秩嘉著「ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た―伝説の呼び屋・永島達司の生涯」(幻冬舎)
突然のブッコミネタに「外国人が喜ぶお風呂」と書かれても一瞬ピンと来なかったくらいでありました。
つまり、ポールはホテルを抜けだしてソープランド(当時の呼称は「トルコ風呂」。日本で独特に発達した営業形態の風俗店)に行こうとしてたというのであります。
当時ポールは24歳。
「おい、マル!なんで昨日てめぇだけ、そんないいとこ連れてってもらってんだよ。オレも連れてけよ。で、誰に言えばいいいんだよ!」
そんなやり取りがあったのかもしれません。
協同企画の肥田勲氏は、
「僕は黒のキャデラック専門だったから。あれは4人全員が正式に動く時以外、使わなかったからね。」
と、ポール脱走劇の運転には関わらなかったとして、
「この時読売社が撮った写真を見るとポールがどことなく沈んだ顔つきにも見えてきます。」
の問いに
「そりゃ面白くないですよ。オフロ行くはずだったのに(笑)。」
と暗に事実と認めているようです。
では、肥田さんの協同企画の同僚にて首謀者とされる中村実氏の発言を追ってみましょう。
ちょうど10年前に出た月刊「PLAYBOY」日本版2006年6月号。
「[総力特集]ビートルズ来日40周年記念 ビートルズ・イン・ジャパン」に「ビートルズ日本滞在103時間全記録展プログラム」からの転載として、中村氏のコメントが写真とともに1ページを割かれてに掲載されています。
ポールに「抜け出すから外に連れてってくれ」と頼まれたんです。警視庁も見張っているからだめだと私は言いました。でも、ポールが目配せで出ようと合図をして、ロード・マネジャーのマル・エヴァンスとエレベーターに乗ってしまったんです。あわててついて来た警視庁の方に、どうしても外の空気が吸いたいと言っています、ちょっと出ていいですかと頼むと、許可してくれました。ポールは別の場所に行きたかったようですが、警官が同乗していたので、外の空気を吸いたいなら公園へ行けばいいと思って、神宮外苑へ連れて行ったんです。
(以下、略:P37)
「ポールは別の場所に行きたかったようですが」
「警官が同乗していたので」
10年越しにやっと言外の意にピーーーンと来ました。
では「ビートルズ来日学」に戻ります。
「吉原とかじゃなく四谷にそんなオフロがあったのですね。」
の問いに肥田さんは
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」
と回答して、この話題は終わり、次のテーマに移ってしまいます。
おいおい。移動の飛行機の乗務員の名前や、搭乗者、JALの法被のことは執拗に追っかけといて、この話題に関してはあっさりにもほどがあるのではないか!ポールの若さゆえのリビドーを50年の節目だからこそ史実としてもっと明らかにすべきではないか!
どうせやるなら
・中村実氏インタビュー:6月30日の夜と7月1日のポール(※追記:中村実氏は故人でした。)
・マル・エヴァンスの相手をした姫インタビュー
・当時のお店の経営者、店長インタビュー
・(もし事前にポール来店を予約していたなら)7月1日のポールを待つお店の様子の証言者の声
くらい踏み込んでもよいのではないか!
・・・とも思いましたが、ま、デリカシーという言葉もございますしね・・・。
さて。場所の話になりますが、四ツ谷の歓楽街だから、てっきり荒木町辺りを想像して読み進めていたのですが、
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツン」
の言葉に、はたと思考が停止しました。
四ツ谷の大木戸の交差点って四谷四丁目交差点のことですよね?
かつてサンミュージックがあって、岡田有希子の例の件があったところ。
ほぉ・・・あの辺りにそういう場所があったのですね。
確かにそこからもう少し新宿の方へ向かえば、新宿2丁目があります。
ちょっと検索してみると・・・。
遊郭が、大正期に一か所にまとめられたのが現在の新宿2丁目の始まり。戦災で焼け、戦後赤線・青線となり現在のゲイの町へと遊里の歴史は変遷してきた。
(「日本美集落探訪」遊里を歩く 第1話 東京 城西編)
だそうで、「大木戸(四谷四丁目)あたりにも遊郭があったようだ」との記述も。
1966年当時、まだその名残があったということでしょうか?
※※※※※
・・・と。まず、ここまでをFacebookに書きました。このエピソードは、前述の永島達司の伝記で触れられたことで、知る人ぞ知る結構有名な話だったらしいのですが、「ビートルズ来日学」でもちょこちょこと「ポールが皇居に行くことになった経緯」に触れてきます。触れてはくるんだけれど
「しかし、ここではそれに関しては省略する。」(P314)
などと、サラッと逃げられてしまう。裏が取れていることが前提で書かれているようなのであります。
さて。次の日。まずはここまで書き殴り、ぶっ倒れるように布団に入り眠りに落っこちた夜が明け、寝不足で朦朧としながら起きると、Facebookのコメント欄に長年敬愛するノンフィクション・ライターの「ミスター・フィールドワーク」松沢呉一さんから情報が!
松沢呉一さんといえば、私の勝手な猛烈な片思いで、2003年リリースのブランの2ndアルバム「憧れと幻想」(いぬん堂)にライナーノーツを無理言って書いていただいたことがございます(いぬん堂牛戸社長が松沢さんと旧知の仲だったのです)。
以下、コメントを転載いたします。
よくぞ聞いてくれました(聞いてないってか)。サンミュージックの四谷寄りにかつてソープランドがありました。1990年代まであったんじゃなかろうか。ポツンと一軒だけ。
サンミュージックってもう移転したんだね。昔あった場所と、外苑西通りを挟んだ東側。今もあるかどうかわからないけど、小さい書店のある脇。
連れ込みっぽい旅館も近くにあったはず。今は反対側の裏道にラブホがあるけど。
おー!
めちゃめちゃ具体的な有力情報ではありませんか!
小さな本屋、あります。
古い旅館、あります。
外苑西通り挟んだとこにラブホ、ありますありますあります!
以下はわたしのレスです。
はい。小さな書店は今もあります。しかし建物がきれいになってますから、当時からは場所が変わっているのかもしれません。地図を作ってみました。この辺でしょうか?
そして近くに「長良川」という旅館が今も営業しています。これが「連れ込みっぽい旅館」のことでしょうか?
そのそばにいい雰囲気の銭湯があったのですが、昨日行ったら建物はそのままで廃業してて、中が雑貨屋さんになってて残念でした。
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
そんなわけで、松沢さんのお話を元に周辺地図を作成、少しずつ「ポールが行きたかった場所」が見えてきました。
ちなみにここで触れた銭湯とは蓬莱湯。
松沢さんも時々訪れていたそうです。廃業してたとは前日その前を通るまで知りませんでした。しかも1年半以上前の2014年9月末で。
それまでも何度もこの前通ってたんどけどなぁ。
隣にあるコインランドリーは今も営業してるから気づかなかったのかなぁ。
さて。そして、松沢さんから次のコメントが。
書店か長良川で聞けばわかるんじゃね? ワシはそういう聞き込みが得意中の得意なので、聞いたろか?
そして私のレス。
松沢さん地元ですよね?是非是非!
(注)実際は、松沢さんの地元ではありませんでした。
と言ったものの、これは
「知りたいことがあるのなら、知ってそうな人のところに行って聞いちゃえばいいじゃないか!というアドバイスなんだ。」
と気がつくと、私の足は四谷四丁目交差点の方へ向かっていました。
まずは、公園前の文象堂書店へ。
店内をしばらく本を探してるふりしてうろうろし、60代後半と思しき人のよさそうなお父さん(多分店主だろう)を確認。
「この年齢なら確実に知っているだろう」
と、今まで一度も買ったことのない「週刊文春」手にレジへ。
お金を払って本を受け取るタイミングで、
「ちょっと今、この辺の昔のことを調べてるんですけど。この辺りに”大人のお風呂屋さん”があったって聞いたのですが・・・。」
と口火を切りました。
「ああ、蓬莱湯さんだったら、やめちゃったよ。」
「いえ、この公園辺りにソープランド、トルコ風呂があったって聞いたのですが・・・。」
(文象堂書店さん前の公園がその場所では?というのは松沢さんの仮説でした。)
「ちょっとわからないなぁ・・・。」
「お店はもともと通り(外苑西通り)の向こう側にあったからねぇ・・・。」
「昔は、四ツ谷四丁目当たりまで、色街だったんですか?」
「いやぁ、わかりませんねぇ・・・。」
このお父さんがウソや隠し事してる様子には、とても見えなかったのですが、過去地元にそういうお店があったという事実を隠してるってことありますかね・・・。
松沢さんからは、
「トルコ風呂という文字が煙突に書かれていたと思う。」
という情報もいただいており、そんな煙突があったら地元の人が知らないなんてことがあるだろうか。あの時、奥に奥さんらしい人もいらっしゃったので、言いたくなかったのか・・・。
一発でなにか手掛かりが得られるものと思っていたら、全くの空振りに終わってしまいました。
気を取り直して、すぐそばの旅館長良川へ。
いざ、入り口に入る。
自動ドアは開くと「ピンポーン」とチャイム音。
「ごめんくださーい」
しーーーーーん。
ドアが閉まると「ピンポーン」。
しばらくしてまたドアが開いて「ピンポーン」。
「ごめんくださーい」
しーーーーーん。
そんなこんなを繰り返すこと5分ほど。全く音沙汰無し。不用心過ぎ・・・・。
旅館長良川はまた来よう。残念ながら2ヶ所とも空振りに終わってしまいました。
落ち込みながら辺りを歩いていると、お年寄りを一生懸命探している自分に気づきました。
手当たり次第「この辺にトルコ風呂があったの知ってますか?」と聞きたい衝動に駆られました。
数時間後。食事を取りに外に出た私は、とにかく短い時間で食を済まし、足は再び旅館長良川に向かっていました。
ちょうど、旅館から出てくるおばあさんを発見。
「スミマセン。この旅館の方でしょうか?」
「え?そうだけど・・・。」何だかめちゃめちゃ警戒されている様子。
「ちょっとおうかがいしたいことがありまして・・・。」
「いやいや、私はここに泊まってる人だからね!」なんだよ・・・。
「今、中に宿の方っていらっしゃいます?」
「いるよ。」さて、気を取り直して、いざ、入り口に入る。自動ドアが開き「ピンポーン」とチャイム音。
「ごめんくださーい」反応はないが、奥で掃除機か何かの音が聞こえるので人がいるのは間違いない。
「ごめんくださーい」大きな布袋に洗濯物を抱えた男性の姿が見えて、こちらに気がついてくれました。年は50代半ばくらいだろうか。おそらく旅館のご主人ではないでしょうか。
「お忙しい中、申し訳ありません。今この辺りの昔のことを調べてまして・・・。」
「はい。」いきなりこちらの聞きたいことから入るのも不自然だから、まずは相手のことを聞くことから。
「こちらの旅館の創業は?」
「えっとねー、昭和29年。」
「長いんですねぇ。場所はずっとここで?」
「うん、そうだよ。」いざ、本題へ!
「ところで、この辺りにトルコ風呂が1軒だけあったということを聞いたのですが・・・。」
「あ、うんうん。あったよ。ホテル新御苑のとこ。水晶ビル。」
「水晶ビルとは、具体的にどこに当たりますか?」
「その通り(外苑西通り)の向こう。水晶ビル、M◯◯ビルだよ。地下にトルコ風呂があって、もともとはその上が料亭だったんだよ。」
「大きな煙突があったって聞いたのですが・・・。」
「うん、あったよ。かつてこの辺は色街だったから、その名残りだったんだろうけど。ある時期からは料亭はやらなくなって、お風呂だけになったんだよ。」
「経営者は一緒だったということですか?」
「うん。そうだと思う。」
「トルコ風呂はそこ1軒だったんですか?」
「うん。」
「お忍びで行くところだったと耳にしたのですが、そんな大きな煙突があって目立たなかったのですか?」
「だってあの辺ってそれ以外、ボロボロの家がたくさんあったくらいで、ホント何もなかったんだから。人通りも少なかったし。」
「ビートルズが来日した時、それこそお忍びで来たって話があるんですが・・・。」
(正確には「ビートルズのスタッフが来た」または「メンバーが来ようとした」です)
「うん、そんな感じだと思うよ。巨人の選手もよく来てたって話だし。」
「90年代まで営業してたって話もあるんですが・・・。」
「うん。そうかもね。今のビルが建つまで、最近までやってたんじゃないかなぁ。」
「お店の名前とか覚えてらっしゃいます?」
「いや、わかんないなぁ。」
さすがに忙しい中、長い時間付き合ってられないという感じで、少しずつ私に背を向けて奥に向かおうとされる様子が感じられたので、
「どうもありがとうございました!」
と深くお辞儀をしお礼をし、旅館長良川を後にしました。
だ、だ、大収穫でありました!
その足で、四谷四丁目交差点を右に曲がり外苑西通りを大木戸坂下方面へ下ると、すぐに左手に「ホテル新御苑」(おそらく松沢さんが「今は反対側の裏道にラブホがある」とおっしゃったのはここ)が見えます。

(ホテル前を左折後、外苑西通りに向かって撮影)
ここを左に曲がり、ホテル新御苑入り口の前を通り、細い通りを挟んだ隣りのビル、M◯◯ビルこそが、我らが探し求めていた場所のようです。一面ガラス張りの作りであることが、旅館長良川ご主人の言うところの「水晶ビル」ということだったのでしょう。

現在は某企業の自社ビルとなっており、ウェブサイトによると「新社屋ビル竣工、本社を東京都新宿区四谷に移転」が1996年(平成8年)とあります。
(定礎には「平成八年十一月吉日」の文字がありました)
「90年代まで営業してた」という話に関しては、「90年代はじめまで営業していた」という可能性はありそうです。
そんなわけで、本日のヒアリングでポールトルコのあった場所は「おそらく」特定が出来ました。
gooに古地図と現在を照合させるサービスがあるのですが(goo地図>古地図)、昭和22年の航空写真では、正直何もわかりませんが、昭和38年の航空写真を見ると、確かに何か立派な建物があることがわかります。

昭和22年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)

昭和38年の航空写真(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
ちなみに明治時代の古地図と照らし合わせると、この場所は「理性寺」というお寺だったとされます。

明治時代の古地図(goo地図>古地図より)
(画像クリックで拡大地図にリンクします)
トルコ風呂と理性寺・・・なんともなんとも。
そんな訳で「裏・ビートルズ来日学」はまだまだ深掘りをしなければなりません。

・一体この店の名は?
・どんな規模のどんな店だったのか。
・地元の方はこの店のことをどう思っていたのか。
・煙突も写った当時の画像はないのか?
・90年代に廃業した経営者は今いずこへ?
・かつて花街であったこの一帯の様子とは?
興味は尽きません。
しかし、ポールよ。もし当日11:00頃の脱出で目的を果たせたとして、当日のスケジュールは
 12:30 開場
 14:00 前座演奏スタート
 14:05 ビートルズホテルを出発
 15:00 ビートルズ演奏スタート
これで、トルコ風呂行こうって無理がありはしませんか?(私は行ったことないけど)
せめて夜の部が終わってからの方が、警備も手薄でよろしかったのでは?・・・・いや、僕らは24歳のビートルのリビドーにどうこう難癖をつけるわけにはいかないのであります。
最後に。「アンソロジー」(リットーミュージック)から来日時のことを語ったポール言葉を引用します。ポール 僕らはずっとホテルに閉じ込められてて、その間、いろいろな業者がやってきては象牙やら何やらいろいろなみやげ物を見せてくれた。みんな東京へショッピングに行くのに、僕らはホテルから出られない。一度抜け出そうとしたら警官が追いかけてきたよ。何とか外に出た時も、東京の警官隊の半分を動員して僕らにつけるんだ。僕は皇居を見に行きたかったんだけど、警察はそのアイデアにあまり乗り気じゃなかったね。(P215)コラ。うそつけwww!!
※※※※※
[追記]
「ビートルズ来日学」にあった協同企画の肥田勲氏の発言
「大木戸の交差点の新宿寄りに1軒だけポツンとあったの。周りは住宅街だから、お忍びで行くとこにはピッタリのとこ。」
と旅館長良川主人の証言は合致しましたが、松沢さんの記憶にあった外苑西通りを挟んだ、文象堂書店、旅館長良川側にも看板なり何か印象に残るものが合った可能性は高そうです。引き続き追いかけたいと思います。
[追記2]
念のため書いておきますが、この文章にポール・マッカートニーに対する悪意などの他意は一切ありませんし、1966年の来日時に「ポールがトルコ風呂に行こうとしてそれがかなわなかった」ということが100%事実である裏付けは私には取れておりません。文中の書籍での記述や、証言者の発言から、それが事実だと想定してのフィールドワークです。また、文中の取材先などの表記や画像の掲載、表現に問題がございましたらご指摘ください。
そして、これは、飽くまで本家「ビートルズ来日学」宮永正隆さんの長年の緻密で執拗なインタビューと検証への最大限の敬意がまずはじめにあっての、そこでちらっと見えた連載や書籍ではやりづらいかもしれない「スキマ」への好奇心が発端の取り組みです。
(わざわざ言うのも無粋ですね)
→続き:【裏ビートルズ来日学】ポールとソープと新宿風俗史 その2
 http://www.tonreco.com/archives/5856

‡1966年07月01日 ビートルズの日本公演を武道館から独占生中継(視聴率56%)
 1966年05月15日『笑点』放送開始
 https://www.ntv.co.jp/info/history/ryakushi.html

「日本武道館のビートルズ」未公開写真を奇跡的に発見!
 2018(平成30)年10月01日(月) 06:00FLASH編集部 エンタメ・アイドル
 2018(平成30)年09月11日(火)号『週刊FLASH』日本武道館のステージに立つビートルズの4人。今回、世界中のファンが見たこともない彼らの写真が発掘された。
「社会現象となった1966年の日本公演は、写真撮影や録音はもちろん、椅子から立ち上がるだけで警備員に制止される “非常事態下” での開催でした。そんななかで、これだけ多くの写真を撮影した度胸のあるファンがいたんですね」写真の歴史的価値を語るのは、ビートルズ研究家として活動する藤本国彦氏だ。
「メンバーの衣装などから推察すると、計5公演中の
‡1966(昭和41)年07月01日(金)昼公演の写真です。このときのステージを、正面からこれほど鮮明に撮影した写真はありません。非常に希少価値の高いものです」写真のネガを持っていたのは、青森県在住の岩田宣浩氏(71)。拓殖大学の学生だった岩田氏は、アルバイトの警備員として現場にいた。
「当時は大学の体育会に所属していて、先輩に誘われたんです。日給1万数千円と、当時としては異例の高待遇。ビートルズのファンではなかったですし、私がフィルムを持っていたことも忘れていました」2018年の1月、岩田氏が古い荷物を整理していると、正体不明のフィルムを発見。地元紙を発行する東奥日報社に預け、同社が現像すると、14コマにメンバーの姿が写っていた。
「演奏中、会場で盗撮を発見すると、フィルムを没収し、その場で感光させて処分していたのです。5公演で数十本は没収しましたが、そのなかの1本が、私の手元に残っていたのですね」岩田氏はその撮影者のことをうっすらと記憶していた。
「おそらく2階席の正面にいらっしゃった20代くらいのカップルの方だったと思います。ステージを熱心に隠し撮りされていました」ステージには背中を向けていたため、4人の姿を見たのは一瞬だったという岩田氏だが、「彼らがすごい音楽を奏でていた」という記憶だけは、52年たった今も消えないという。
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 https://smart-flash.jp/entame/51110
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 51年前の今日、ビートルズが初来日。武道館公演の全曲完全解説
 2017(平成29)年06月29日(木) 執筆者:川瀬泰雄
‡1966(昭和41)年06月29日(水)午前3時39分、台風騒動の中、日航機412便「松島」がビートルズを乗せて羽田空港に到着。この日は1日中、記者会見や取材などが中心となった。翌30日夜から7月1日昼夜、7月2日昼夜の3日間の5公演が武道館コンサート。初日30日夜、前座が終了した後19時35分頃、待ちに待ったビートルズが登場。ダーク・グリーンの大きな襟のついた、黒い上下のスーツ。上着はダブルのボタンで、赤いシャツ、というのが生で初めて見るビートルズの衣装だった。見慣れたリンゴのラディックのドラムと、ポールのヘフナーのバイオリン・ベース。しかし、ジョンとジョージのギターは初めて見るエピフォン・カジノだ。この日のギターやベースのチューニングは半音下げてあった。台風の中の来日での疲れのせいでの考慮だったのだろう。ただ、そのために全体のチューニングにしまりがなく、それに加え、武道館のステージのマイク・スタンドのセッティングやステージの揺れなどのおかげで、回転してしまうマイクをポール・マッカートニーが歌いながら何度も直すシーンがあるという、あまり良いステージではなかった。この公演でテレビで収録されたのは6月30日の夜と7月1日の昼の部の2回。7月1日の昼の部はさすがに前日のマイクセッティングなどは直してあり、ビートルズの楽器もレコードで聴くのと同じ、正しいチューニングに直されていた。前日の衣装の黒い上着が白地に赤のピン・ストライプの上着に変わっている。黒のズボンと赤いシャツは同じだった。日本テレビでオンエアされたのは、この1日の昼間に収録されたステージが、その日の夜にオンエアされた。今回はこの
‡1966(昭和41)年07月01日(金)昼の部のコンサートと、レコーディングされた音源とを比較してみることにする。1曲目「ロック・アンド・ロール・ミュージック」ビートルズは登場すると、簡単なチューニングやギターの音が出ているかどうかを確認する。ジョン・レノンがいきなり、ギターでコード「E7」を「♪キャ・キャ・キャ・キャ」と弾き、歌い始める。ジョンの歌に続いて、全員の音が入って来た時に、軽い驚きがあった。この曲のイメージとしてはリンゴ・スターの叩くシンバルは8分音符で叩いているのだと思い込んでいた。ステージで1小節で4回という4分音符でシンバルを叩くのを見て、「あれ!こんなに楽に叩いているの?」と手を抜いているのではないかと思ったほどだった。1957年にイギリスで発売されて以来、ビートルズがずっと聴きまくっていたチャック・ベリーの曲。レコーディングでこの曲はポール・マッカートニーがピアノを弾き、そのために珍しくジョージ・ハリスンがベースを弾いて4人で演奏している。しかもテイク1でOKを出しているほど演奏し慣れた曲なのだ。このポールの弾くピアノのドライブ感が耳に残っていたためにちょっと弾んだ8ビートと錯覚していたのだった。ステージではいつものビートルズと同じ編成でポールがベースを弾き、ジョージがギターを弾いている。その結果、ピアノで弾いていた「♪If You wanna dance with me」の歌のバックのユニゾンのフレーズはギターが弾いている。曲が終わると同時にジョンが2曲目「シーズ・ア・ウーマン」のイントロの「E7」を2拍、4拍のリズムで「♪ンッ・キャ・ンッ・キャ」と弾き始める。「♪E7→D7」を2小節ずつ弾き次の「A7」を弾くと同時にポールのベースと、リンゴのドラムスが参加してくる。そしてポールのリード・ボーカルだ。ワン・コーラス目はジョージはまったくギターを弾かず客席に向かって手を振っている。この曲もレコードのリズムトラックのレコーディングではジョージは間奏しか弾いていないのだ。ツー・コーラス目からはポールのピアノが歌のメロディをなぞる音がオーバーダビングされているのだが、ステージではそれをジョージがギターで弾いている。間奏後のサビはカットされていて、エンディングのポールのシャウトで盛り上がって終わる。初めてポールの喋りが入ってきた。「ドウモ、ドウモ、サンキュー」という日本語混じり。次にジョージが歌う曲を紹介する。3曲目「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」。ジョージはギターを来日直前に入手した2台目のリッケンバッカー360/12、新しい12弦ギターに持ち替える。7フレット目にカポタストが付いている。ちなみに前日30日夜の半音下げたチューニングの時は、6フレット目にカポが付いていた。サビのジョンのスリー・フィンガー風のピッキングは良く聴こえている。曲が終わると、今度はジョンの喋り。4曲目「デイ・トリッパー」を紹介する。ほとんどレコードと変わらない構成。ジョンの魅力的な声が印象的だ。曲終りですぐに喋り無しで5曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」のイントロだ。このボブ・ディランにインスパイアされた曲も、この時期よく演奏していただけあって、ほとんどレコードと変わらない演奏である。間奏ではワルツを踊るようなステップを見せる余裕さえある。ビートルズの実力が発揮されている。4人だけでこのサウンドをキープしているのは、ハンブルク時代から演奏し続けてきた4人のライブ経験が生きている。前座をつとめた日本人のバンドはほとんどが、歌手とバンドという昔からのスタイルだった。ビートルズは演奏と歌やコーラスを4人だけで賄っているのである。今度はジョージが挨拶代わりの曲紹介、6曲目「アイ・フィール・ファイン」。ジョンがイントロのフィードバックの「ギヨーン」という音を出そうとして、ギターをアンプに近づけて、ギターの4弦の開放音の「D」を弾くが、それ程効果は出ていない。そのまま印象的なイントロのリフをアップ・ストローク中心のピッキングで弾く。この曲もレコード通りのグレードの高さを見せつける。曲が終わるとまたジョージの喋りで7曲目「イエスタデイ」を紹介する。曲紹介と同時に、ジョージではなく、ジョンがギターでコードを弾き始める。ポールがベースを静かに、ほとんど触る程度に弾きながら歌っている。たまにジョージがストリングスのフレーズのようなオブリを入れるが基本的にはジョンのギター1本のバックでポールが歌っている。これまでのステージでの「イエスタデイ」はポールがアコースティック・ギターに持ち替えて歌うというケースが多かったので、このパターンは初めてだった。ポールの歌が「ウー・ウー・ウー・ウー・イエスタデイ」で終わると、そのままポールがリンゴの歌う8曲目「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を紹介。リンゴはこの意外とテクニックが必要な、少し弾んだリズムのドラムスを難なく叩きながら歌っている。前日はリンゴのボーカルマイクのセッティングが低すぎて、歌いにくそうだったが、このステージでは正しい高さに直っている。歌い終わってリンゴが左手でマイク・スタンドをどけている時に、「サンキュー・リンゴ」とジョンの声が入り、9曲目「ノー・ホエアー・マン」を紹介する。「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」についで一番新しいアルバム『ラバー・ソウル』からの選曲だ。この2曲はコーラスが中心の曲なので、セット・リストに入らないと勝手に思いこんでいた。これは嬉しい驚きだった。レコードではジョージが間奏の最後で出す、1弦の5フレットでのハーモニックスの「ピーン」という音は昨日、5フレット目の「E」が出にくかったために7フレット目の「B」を弾き直し「ピーン、ピーン」と2発鳴らしたが、この日は始めから7フレット目の「B」のハーモニックスを鳴らしていた。間奏後のコーラスで、ジョンが歌詞を間違えポールを見ながら適当に誤魔化すシーンがあったが、これも良くあるジョンらしいので、よいシーンが見られたということだろう。ポールの「ドウモ、ドウモ」の喋りの後、またまた驚きの曲紹介だ。わずか2週間前に発売されたばかりの複雑なコーラスの10曲目「ペイパーバック・ライター」を紹介した。さすがにこの曲は絶対にセット・リストに入らないと思っていただけに、本当にビックリ。突然、ジョンとポールのハーモニーで「♪ペイパーバック・ライター」と歌いだし、伸ばしているところに重ねて、ジョージが「♪ペイパーバック・ライター」と追いかける。そこにギターのリフが重なってくるという複雑な構成の曲だ。レコードではコーラスのダブル・トラッキングなどで、もっと複雑な音の積み重ねだったが、ステージでも十分に聴きごたえのあるハーモニーやアレンジになっていた。そして、とうとう最後の曲になってしまった。11曲目「アイム・ダウン」である。ポールがずっと作り上げたかった本物のロックン・ロールであり、「ロング・トール・サリー」に匹敵する曲を作るということを意識して作った曲だ。いまや、この2曲はステージ最後の曲の定番になっている。レコーディングでは2回ある間奏の2回目は、ジョンがVOXのオルガンを弾いていて、前年の1965年8月15日の伝説のシェイ・スタジアムのコンサートでもジョンは肘でオルガンを弾いていた。武道館のステージにもVOXのオルガンはセットしてあったのだが、残念ながら、一度もオルガンを使うことはなかった。曲が終わると、アンコールは無し。4人は手を振りながらステージの後ろに消えていった。3日間で全5回のステージをこなし、最初で最後のビートルズ来日公演は終了した。
 ≪著者略歴≫川瀬泰雄(かわせ・やすお):東京音楽出版(ホリプロ)で井上陽水、浜田省吾、山口百恵など、キティ・レコードでH2O、岩城滉一、吉永小百合などの音楽プロデュースを担当。独立後は、松田聖子、 岩崎宏美、裕木奈江などを制作。約 1,600曲を手がけた。『真実のビートルズ・サウンド』、『プレイバック 制作ディレク ター回想記』、『ニッポンの編曲家』、4月13日発売の「真実のビートルズ・サウンド完全版 全213曲の音楽的マジックを解明」(リットーミュージック)の著書もある。  
 http://music-calendar.jp/2017062901

『THE BEATLES/LIVE IN JAPAN 1966 EXTRA :50TH ANNIVERSARY EXTRA EDITION』
プレス盤2CD+プレス盤2DVD
  型番 SGTEXJPCD1/2DVD1/2
販売価格 2,800円(内税)
【2016年最新リマスターによるエンハンスト・ステレオとオリジナル・モノによる完全収録初CD化】
【現存する武道館2公演のオリジナル・マスター映像が最新リマスター音源によるリストア・バージョンで初収録】
【第一弾収録のTV放送3バージョンとは異なる編集となるオリジナル・ビデオ・バージョンとLDバージョンも新たに収録】
【本邦初公開の貴重な記録映像やニュース映像さらに66年当時のTV初放送記録まで最新編集ドキュメンタリーを2時間半収録】
2016年ザ・ビートルズ来日50周年アニバーサリー・エディションとして既にリリースされているSGT.レーベル『THE BEATLES IN JAPAN : 50TH ANNIVERSARY EDITION』(2DVDDLset)の第二弾となる『50周年エクストラ・エディション』が登場!今回は最新リマスター2CDと第一弾未収録映像を中心に収録した2DVDでビートルズ日本公演の貴重な歴史的資料として見逃せないコレクターズ・アイテムです。CDには現存する6月30日公演と7月1日公演を最新リマスター音源で収録したもので今回初登場のエンハンスト・ステレオ・リマスターはモノしか存在しないマスター音源を最新リストア技術でステレオ化したものでこれまで埋もれていた音までより鮮明になり立体感を増したリマスター音源は現状最高のベスト・クオリティといえるでしょう。オリジナル・モノと両方収録しているので聴き比べも容易に出来るのでその違いは一聴瞭然です。さらに映像もDVD1には前回HMCと同時リリースした未編集オリジナル・マスターをCD同様のエンハンスト・ステレオ・リマスター音源とオリジナル・モノ音源両方を音声切り替えオーディオ・オプションで収録しており再生しながらの聴き比べも可能です。さらに第一弾収録のTV放送3バージョンとは異なる編集のオリジナル・ビデオ・バージョンとLDバージョンも新たに収録。かつては最も画質が良いとされた初ビデオ化バージョンとその後リリースされたLD(レーザー・ディスク)バージョンもあわせて収録しているのでそれぞれの編集の違いを見比べることが出来ます。意外と良好なLD映像も今となっては貴重な収録です。DVD2には前回未収録の初登場映像多数収録した最新編集ドキュメンタリーを2時間半に渡り収録。今年になって公開されたAP通信やロイター等の海外記録映像は日本に残されたニュース映像では見られなかったシーンも多く空港や記者会見、武道館周辺のグッズ販売等貴重映像がたっぷり収録されています。ボーナス・ビデオには断片ながら66年当時のTV初放送時の記録や前座映像も収録。今年になって発掘されたものも含め内容的には第一弾未収録でまとめた必見映像多数でビートルズ日本公演第一級の研究資料といえるでしょう。第一弾と併せて来日50周年に相応しい究極のコレクターズ・アイテム第二弾です。

CD ONE
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ECHANCED STEREO REMASTER
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL MONO MASTER
OPENING ACTS/THE BEATLES
Live at the Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966

CD TWO
JULY 1, 1966 AFTERNOON CONCERT - ECHANCED STEREO REMASTER
JULY 1, 1966 AFTERNOON CONCERT - ORIGINAL MONO MASTER
OPENING ACTS/THE BEATLES
Live at the Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966

DVD ONE
JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT 
- ECHANCED STEREO REMASTER / ORIGINAL MONO MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966

JULY 1, 1966 EVENING CONCERT 
- ECHANCED STEREO REMASTER / ORIGINAL MONO MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966

JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL VIDEO VERSION

JUNE 30, 1966 EVENING CONCERT - ORIGINAL LD VERSION
* track same as video version

NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 147min.

DVD TWO
WELCOME TO JAPAN DOCUMENTARY
THE BEATLES CONCERT FOR JAPAN
WAITING FOR THE BEATLES
THE BEATLES GO HOME! PROTESTS IN TOKYO 1/2/3
THE BEATLES GO HOME! ABC NEWS 1/2
WAITING FOR THE BEATLES AT AIRPORT 1/2
THE BEATLES ARRIVING IN JAPAN 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15
THE BEATLES AT HILTON HOTEL
PRESS CONFERENCE 1/2/3/4/5/6/7/8
TV SPECIAL 1/2/3/4/5
NEWSREEL 1/2/3
TV SPECIAL
NETWORK NEWS

EXTRA RARE VIDEO
OPENING ACTS
INTRODUCTION / WELCOME BEATLES / LONG TALL SALLY / DYNAMITE / WE'VE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE / KOI NI SHIBIRETE / CARAVAN
BONUS EXTRA
1966 BROADCAST EXCERPTS / BACKSTAGE DOCUMENTARY / AP NEWSREEL (SILENT)
 NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 
 http://strangelove-records.com/?pid=121366590

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『THE BEATLES/ IN JAPAN 1966:50TH ANNIVERSARY EDITION』
【2DVD(Dual)】
   型番 SGTAEJPDVD1/2
 販売価格 3,800円(内税)
【現存する武道館2公演の映像が新発掘オリジナル・マスターから初収録】
【来日40周年特番『ビートルズの103時間』と貴重な『ビートルズ来日・嵐の5日間』を初収録 さらに66年当時放送幻のTVドキュメンタリー&ニュース映像収録】
【来日記者会見日本語字幕付映像で完全再現】
【今や貴重な78年初のTV放送と今回初収録となるポール逮捕騒動時期の80年さらに 88年と過去に放送されたすべてのTV放送3バージョンを収録】
2016年今からちょうど50年前となる1966年6月に実現した最初で最後のザ・ビートルズ日本公演。これまで日本公演の映像決定版としてSGT.レーベルからリリースされていたエクスパンデッド・ エディションの続編というべき”50周年アニバーサリー・エディション”が緊急リリース!
DVD1には現存する武道館2公演の映像を新発掘オリジナル・マスターから収録。TV放送や既発ビデオのような曲表記やテロップのない未編集映像は2016年HMCレーベル同様のオリジナル・マスター・コピーからの完全収録でこれまで編集された形でしか見ることの出来なかった6月30日公演の未編集映像は50年目にして初めて陽の目を見る注目の初登場映像です。また
7月1日公演はオープニング・アクトも含め過去最長かつ最高画質で初登場となるものでこちらも注目です。さらに
66年当時の貴重なTVドキュメンタリーと来日記者会見日本語字幕付完全再現映像が再収録されている他来日40周年を記念して放送されたドキュメンタリー
『ビートルズの103時間』も収録。
DVD2には66年以降にTV放送された3回のバージョンをすべて収録。6月30日公演が初めて公開された
78年のTV放送バージョンと今回が初収録となるポール逮捕騒動で日本公演中止となり放送された
80年バージョンそして当時画像補正が施され注目された
88年TV放送バージョンをすべて収録。
さらに貴重なドキュメンタリー『20世紀のファイルから:ビートルズ来日・嵐の5日間』も今回初収録でエクストラにも初収録のニュース映像が追加されています。内容的にはトータル8時間近くにも及びDVD4枚組相当をDVD二層式による2DVDセットにまとめられており注目の初登場映像を中心に来日50周年に相応しい歴史的なビートルズ日本公演究極のコレクターズ・アイテムです。

DVD ONE 6.30 EVENING CONCERT ORIGINAL MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan June 30th 1966
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

7.01 AFTERNOON CONCERT ORIGINAL MASTER
Live At The Budokan Hall, Tokyo, Japan July 1st 1966
OPENING ACTS
INTRODUCTION
WELCOME BEATLES
LONG TALL SALLY
DYNAMITE
WE'VE GOTTA GET OUT OF THIS PLACE
KOI NI SHIBIRETE
CARAVAN

THE BEATLES
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

DOCUMENTARY IN JAPAN
DOCUMENTARY IN JAPAN YEAH YEAH YEAH - NEWS FILM 1966
TV DOCUMENTARY
PRESS CONFERENCE
COMPLETE INTRODUCTION / PHOTO SESSION
PRESS CONFERENCE PART 1
PRESS CONFERENCE PART 2
PRESS CONFERENCE PART 3
At Pink Pearl Ballroom, Hilton Hotel Tokyo June 29th 1966
103 HOURS OF THE BEATLES IN JAPAN PART 1/2/3/4

DVD9 (Double Layer) NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono
- Japanese Subtitle time approx. 30+46+38+49+59 = total 224min.

DVD TWO
TV BROADCAST 1978 VERSION
TV INTRODUCTION / OPENING
ACT CONCERT
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN

ENCORE
/ YESTERDAY TV OUTRODUCTION TV BROADCAST 1980 VERSION
TV INTRODUCTION PAPERBACK WRITER PAUL NEWS IN JAPAN
THE BEATLES STORY pt.1
THE BEATLES STORY pt.2
THE BEATLES STORY pt.3

CONCERT
OPENING
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
I'M DOWN

TV OUTRODUCTION
TV BROADCAST 1988 VERSION
TV INTRODUCTION
ROCK AND ROLL MUSIC
SHE'S A WOMAN
IF I NEEDED SOMEONE
DAY TRIPPER
BABY'S IN BLACK
I FEEL FINE
YESTERDAY
I WANNA BE YOUR MAN
NOWHERE MAN
PAPERBACK WRITER
I'M DOWN
HISTORY AND EXTRA 20TH CENTURY FILE :
BEATLES 5 DAYS IN JAPAN NEWS ARCHIVE 1/2 DVD9 (Double Layer)
NTSC 16:9 (4:3) Dolby Digital Stereo / Mono time approx. 39+72+43+55 = 209min 
 http://strangelove-records.com/?pid=124341406

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