過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の『徹子の部屋』だヨ(=^◇^=)


 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
 1979(昭和54)年01月01日(月)放送なし
 1980(昭和55)年01月01日(火)放送なし
①1981(昭和56)年01月01日(木)三波伸介×小沢昭一 お正月スペシャルとして放送
 1982(昭和57)年01月01日(金)放送なし
 1985(昭和60)年01月01日(火)放送なし
 1986(昭和61)年01月01日(水)放送なし
 1987(昭和62)年01月01日(木)放送なし
 1988(昭和63)年01月01日(金)放送なし
 1989(平成元)年01月01日(日)放送なし
 1990(平成二)年01月01日(月)放送なし
 1991(平成三)年01月01日(火)放送なし
 1992(平成四)年01月01日(水)放送なし
 1993(平成五)年01月01日(金)放送なし
 1996(平成八)年01月01日(月) 放送なし
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
 1997(平成九)年01月01日(水) 放送なし
 ┏━━━━━━━━━┓
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
 2001(平成13)年01月01日(月)放送なし
 2006(平成18)年01月01日(日)放送なし
*************************************************
 http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
*************************************************
 ┏━━━━━━━━━┓     tv asahi
 ┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
 ┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
 ┌─――――――――――――┐
 |2021(令和三)年01月01日(金)|放送休止
 └─――――――――――――┘
************************************
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『新春! 徹子の部屋SP いま甦る昭和の名場面』 ┃テレビ朝日
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛09:00~11:45
 ┌─――――――――――――┐『徹子の部屋』史上
 |2013(平成25)年 1月 1日(火)|元旦放送は初めてのコトだヨ(=^◇^=)
 └─――――――――――――┘
  ①石原裕次郎(秘)青春と愛妻。
  ②美空ひばり伝説の(秘)真相。
  ③坂本九40歳の(秘)素顔。
  ④高倉健&吉永小百合。
  ⑤渥美清&倍賞千恵子。森繁VSアラカンVS丹波VS長谷川一夫も
  [番組内容]『徹子の部屋』が、2013年元日に登場! これまでにお越し頂いたおよそ1万人のお客様の中から、時代を飾った方々の映像を厳選して放送します!!
  [出演者] 黒柳徹子、石原裕次郎、坂本九、美空ひばり、丹波哲郎、森繁久彌、嵐寛寿郎、渥美清、倍賞千恵子、高倉健、吉永小百合、長谷川一夫 ほか
 http://owaraimovielink.blog136.fc2.com/blog-entry-18879.html
 http://video.fc2.com/content/20130101ScH59DFB
 http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=655/episodeID=613938/

「徹子の部屋」  - 新春!スペシャル いま甦る昭和の名場面 -
 ■オープニング
  黒柳徹子がオープニングと新年の挨拶。オープニング映像。
 ■石原裕次郎石原裕次郎  (バラエティ/情報)
徹子の部屋で石原裕次郎出演した時の秘蔵映像の様子を紹介。11月の寒い時期でも海に行っており、体が黒なっているなど大好きな海での船乗りについて話した。また、子供の時は泳ぐことができなくて水は怖なかったが、親父にスパルタ教育で泳げるようになったと語った。
石原裕次郎は、母には大学まで苦労をかけてしまったと話し、家に寄り付かなくなる時もあったなどと話した。その時に、大学から落第しないように気を使っていなど学生時代について語った。
黒柳徹子は、石原裕次郎の思い出で話し、今回の石原裕次郎のVTRは石原まき子が保存していた徹子の部屋の映像であるなどと説明した。
石原裕次郎が映画デビューするきっかけは、兄の石原慎太郎が「太陽の季節」の賞の授賞パーティーで映画のスタッフに目に止まり、映画のアシスタントのような形で共演する長門裕之と南田洋子する形だったという。そこで、遊び程度で出ることになったと語った。そして、撮影後に事務所など契約で揉め事になったなどと語った。
  石原裕次郎は、子どもは時は学芸会など人前出るようなことが苦手でズル休みを良くしていたと話した。また、女性も苦手で、喫茶店も嫌いでデートのやったことができず、硬派な感じで年上の女性と遊んでいたなどと語った。そして、唯一デートをしたのは奥さんだけであると話した。
石原裕次郎は、大スターになり周りのプレッシャーで逃げ出したことがあったと話した。23歳の時に、映画会社の人が甘やかす環境に自分がないように感じで逃げだして自由になりかったなどと当時のことを話した。
学生の時は銀座などでよく遊でいたが、今は家で飲むことが多くなったなどと話した。また、狂った果実で共演した北原三枝の結婚について、北原三枝はファンだったなどと話した。さらに、三船敏郎と共演して、制作にも携わった黒部の太陽では五社協定で大変なものであったが、充実して楽しい現場であったと話した。
黒柳徹子は、石原裕次郎の思い出について、石原裕次郎はとても格好の人だったなど生前の思い出話を語った。
 ■坂本九
黒柳徹子が次の映像を紹介する、坂本九について思い出を交えながら説明した。
坂本九の秘蔵映像を紹介。坂本九は、9人兄弟の末っ子で、父親の一緒にいることが多かったことがあるそこで、お金が近所の人にもらうことが多かったと話し、兄弟に貸すときにだまされてそこで世の中の厳しさを学んだなどと家族の思い出などを話した。
また、坂本九は子どもは番長と呼ばれないと嫌な子だったと話した。そこで川崎に引越して番長に登りつめて、生まれ育った田舎の友達に番長になった報告などしていたなど語った。
坂本九は両親について、「豪傑夫婦」であったなどと話し、父は世間体は強い人だったが、母を恐れていたなど話した。また、父は外に女の人を囲っていて母と一緒に、相手の女性の所の掛け合いの現場に出向いていたなどと話した。
また、坂本九は母が亡くなった時に、父が病室で寝ている母に軽いケンカをお互いしたという。そのあと、病室を出ていた父を見送ると、母が坂本九に嬉しいそうに父のことを尋ねたなどと話し、夫婦の良さを感じたなどと語った。
  坂本九は、父は損な役割であると愚痴をこぼし、家は女系の家庭では静かに過ごしていと話した。また、今後の目標として46歳までの大きなバライティショーをやってみたいなどと語った。
黒柳徹子が次の映像を振り返り、坂本九との思い出話を話した。
 ■美空ひばり
黒柳徹子が次の秘蔵映像を紹介する美空ひばりについて、思い出話を交えながら説明。
美空ひばりは、近藤真彦が「おばさん歌がうまいね」といった真相についてトーク。美空ひばりと近藤真彦は互いに知らなかったからお相子であると気さくに語った。また、モノマネがうまいのは中村メイコが一番上手であるなど話した。さらに、美空ひばりは盛り上がり、歌を一節歌うなどした。
  美空ひばりは、中村メイコの一緒にタクシーに乗った時にお金を持たずに乗ってしまい、歌を歌って本人だと認めさせたなどと話した。また、カラオケが大好きで安全地帯の「ワインレッドの心」などみんなで盛り上がることが好きであるなど語った。
黒柳徹子は美空ひばりにメイクについて質問すると、大人になってから鼻を整形したと疑いをもられたと話して、もっとよくするなどと明るく語った。また、メイクも簡単に眉のラインを描いているなど語り、服なども自分で用意することがあるが、森英恵さんに舞台用の服を用意してもらうと語った。
  美空ひばりは子供時代は無口で母がインタビューを代弁しており、えばっていると周りに誤解されていたと話した。また、大人になると、しゃべることも多くなったなどと話した。また、亡き母について、歌は母のために歌っていると話し、芸能界で生き抜くために支えてくれていたことへの感謝であるなどと語った。
 ■丹波哲郎
黒柳徹子が次に紹介する丹波哲郎の思い出を振り返りながら紹介。
丹波哲郎の秘蔵映像を紹介。小学生時代は、勉強を悪かったが健康な子であったなどと話した。また、軍隊に入隊した時は、ふてぶてしいと誤解されやすいこと多かったので殴られることが多かったなどと話し、芸能界ではこの言動がプラスになったなどと語った。
丹波哲郎は「死」ついて、怖くないと話し、自分とは死を楽しみに生きていると言う感覚で生をまっとしているなど語った。
 ■森繁久彌
黒柳徹子は次の映像を紹介する嵐寛寿郎と森繁久彌について、思い出話を話しながら説明。
森繁久彌の秘蔵映像を紹介。森繁久彌はテレビはまやかしであるなどと話し、黒柳徹子は顔がシワシワであるなどと冗談を話した。また、昔は五社協定を破るのような感じの俳優として活動しているが、大陸で見聞を広げる前は夫婦善哉の主人公のようにダメなやつだったなどと語った。
森繁久彌は、苦労をかけた母のために映画を見せるために映画館に行った時に、自分の映画を見たのか聞いたら、顔を伏せて映画を見ていないと涙を浮かべながら話した。
森繁久彌は両親について、50過ぎの子供であったなどと話した。また、涙だもろくなったことについて話ながら、どのように老けていくのは難しいがいか生きていくかを考えていくことが大事だなどと語った。
このあと、「疾風!鞍馬天狗」の嵐寛寿郎と渥美清&倍賞千恵子が登場。
 ■嵐寛寿郎
嵐寛寿郎の秘蔵映像を紹介。「疾風!鞍馬天狗」で活躍した嵐寛寿郎は、73歳で奥さんが37歳であるなどと話し、明るい性格になったなどと語った。また、子供の頃は奉公にでて大変で、主人が亡くなったことをきっかけで役者業に進むようになり、映画に出ることをきっかけに「疾風!鞍馬天狗」で活躍した。さらに、今までの奥さんには、お金を借りているので頭が上がらないと明るく話した。
 ■渥美清
黒柳徹子は、男はつらいよなどで活躍した渥美清の思い出話を交えながら紹介した。
渥美清と倍賞千恵子の秘蔵映像を紹介。「男はつらいよ」の寅さんの役は、浅草で子供頃見た人たちが元になっていると話した。また、渥美清と黒柳徹子は付き合っていると記事が出ていると、ちんどん屋の写真で登場して、2人で面白かったなどと話した。さらに、「男はつらいよ」の寅さんを続けてきて、イメージが定着して寅さんのようになってきたなどと話した。
このあとは、高倉健&吉永小百合 奇跡の共演
 ■高倉健&吉永小百合
黒柳徹子が次の映像を紹介する、高倉健と吉永小百合の思い出話を交えながら紹介。
高倉健の秘蔵映像を紹介。高倉健はテレビ映るのは苦手で、酒を飲まない性格であるなど話した。また、東京に上京したのは好きな女性の後を追って出てきて、役者として働くようになったなどと話した。
高倉健と吉永小百合の共演した秘蔵映像を紹介。吉永小百合は映画で共演した時に、寒い時に、相手の撮影現場を見ていたなど撮影の時の様子を話した。また、高倉健はやさしい人と言われることに息苦しいと感じているなどと語った。
 ■吉永小百合
吉永小百合の秘蔵映像を紹介。吉永小百合は結婚生活で裁縫が苦手で自分習いはじめて上達してきたなどと話し、自分は障害があると頑張るタイプの性格であるなど語った。また、整理整頓がとても苦手で、軽く散らかっていると落ちつくのであるが家族から注意を受けるなどと結婚生活を語った。
このあとは、長谷川一夫に黒柳がうっとり。
 ■長谷川一夫 
黒柳徹子が次に紹介する映像の長谷川一夫について、思い出話を交えながら紹介。
長谷川一夫の秘蔵映像を紹介。長谷川一夫は着物で登場し、昔の思い出ある着物を着ていたなど衣装について説明した。また、着物を格好での色気のある演技について話すと、黒柳徹子がうっとりしながら話を聞いた。
  長谷川一夫が戦争体験について話し、入隊するときに役者で年もいった時があったため死にものぐるいでやってきたという。その時に、感の悪い同期の隊員に練習に付き合うなどしていた。そしてある時に長谷川一夫が上官に命令で悪戦苦闘していると、感の悪い同期の隊員が助けてくれて涙したなどと語った。
 ■エンディング  黒柳徹子がエンディングの挨拶。
 http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/150671/index.html

黒柳は「一切編集をしない。ほぼ生放送の状態。だから皆さん本心を話してくれるんでしょう。」と語っている[6]。
「テレビ放送60年、ともに歩む 黒柳徹子さん」『朝日新聞』2013年1月1日 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B#cite_ref-.E3.83.86.E3.83.AC.E3.83.93.E6.94.BE.E9.80.8160.E5.B9.B4.E3.80.81.E3.81.A8.E3.82.82.E3.81.AB.E6.AD.A9.E3.82.80.E3.80.80.E9.BB.92.E6.9F.B3.E5.BE.B9.E5.AD.90.E3.81.95.E3.82.93_6-0

 ブルゾンちえみ、1年で失速 本人語る「『35億』超えはしんどい」
 2018(平成30)年05月08日(火) 5:59配信 デイリー新潮
 2018(平成30)年05月03日(木)号『週刊新潮』掲載
 2018(平成30)年05月10日(木)号『週刊新潮』掲載
 写真◆今が正念場 
〈男はガムと一緒。味がしなくなったら、また新しいガムを食べればいい。だって、地球上に男は何人いると思っているの? ……35億〉。こんなセリフで、お茶の間を席巻したブルゾンちえみ(27)。だが、ネタが続かなければ一発屋に終わるのが芸人の世界だ。最近は、すべり気味ともいわれるブルゾンだが“生き残り”の二発目はあるのか、本人に聞いてみた。ブルゾンちえみがブレークしたのは、
‡2017(平成29)年の元日(日)に放送された「ぐるぐるナインティナイン」(日テレ系)である。
「あの番組はオーディションが6回も7回もあるんです。だから合格するたびに宝くじに当たったような気持ちでした。自分の出演部分は家で見ていたのですが、終わったらずっと携帯が鳴りっぱなし。ツイッターもフォロワーが900人ぐらいだったのが、いきなり数千。今では66万人まで増えています」そのブルゾンは岡山出身。教育者一家に生まれ、島根大学教育学部に進んでいる。だが、何を思ったか大学3年で中退してしまう。
「私が入った教育学部は、先生になりたい人ばかりで皆目標があって生き生きしているんです。だけど、私は教員免許を取っておけば何とかなるだろうと思ったぐらいで、結局やりたいことが無くて学校をやめたんです」それからは、劇団に所属したり、音楽専門学校に通うなど、やりたいことを探す日々。そして5年前、ワタナベエンターテイメントカレッジに入学したことが芸人の世界に入るきっかけに。ブレークしてからの活躍ぶりは言うまでもない。
■『徹子の部屋』が目標■昨年の「24時間テレビ」ではマラソンランナーに選ばれ、「35億」は流行語大賞のトップ10にも選ばれた。一時はテレビで彼女を見ない日がなかったほどだが、それが重荷にもなったという。
「“35億”がヒットしてからは、新ネタのことばかり考えていました。受ければ受けるほど次のネタをどうしようかと不安になるんです。ドラマの話が来た時も、バラエティに出て力を蓄えるべきじゃないかと心配でしょうがなかった」“一発屋”で終わるのが怖くて仕方なかったという。
「そもそも私が作るネタって面白いことを言っているわけじゃないんですよ。でも、人って“すごい”とか“気持ちいい”と思ったときにも笑う。私のは、そんな笑い。だから、自分の考えたことを全力で出すことしか考えていません。それでウケなかったらしょうがないですから」4月には男と女の「価値観」をテーマにした新ネタを披露したが、「35億」を超えるのは簡単ではない。が、彼女にはもう一つ目標がある。「私はサシでじっくり本音を語り合うのが好きなんです。一度出演させてもらいましたが、いつか黒柳徹子さんの『徹子の部屋』みたいな番組をやらせてもらえるよう頑張りたいです」一発屋で終わらなければいつか「ちえみの部屋」が出来るかも知れない。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る