100年の伝統あるボストン・マラソンの日 市内各道路は交通規制で車が自由に走れない
そこで 和くんが車を出せないこともあり ボクたち二人はフリータイムで一日を過ごすことにした
「フリーダムトレイル」にするか それとも「ダックツアー」にするか
出掛けに迷いながらも Tおばさんにおすすめポイントを聞いてみたら
即座に ビーコンヒルズの「エーコン通り」を教えてくれた
少し分かりづらいところだと言いながら ていねいに地図を書いてくれ
石畳の通りでBOSTONの古きよき面影の残るところとのこと
実はボストン観光案内本の表紙を飾っているところで
まずはそこを目指して出かけることとした
グリーンラインの地下鉄が見えました
ここは BOSTON UNIVERSITY WEST というボストン大学の駅です
(WESTがあるということはCENTRAL駅もありEAST駅もあるという広大なキャンパスです)
地下鉄駅を上がると最初に目に飛び込んできたのは「パーク通り教会」
1829年7月4日 William・Loyd・Garrison が初めて奴隷制度反対演説を行った場所
教えられたとおりに 州議事堂の裏手に回って行きます
と 道路を横断する手前に南北戦争に従軍した連隊のモニュメントが・・・
Robert・Gould・Showと第54連隊(黒人兵だけで編成)の顕彰碑
命がけでワーグナー要塞攻略に挑戦し、Show(彼は白人)はじめ多くの黒人兵が命を落とした
議事堂正面の左に 若きケネディーの彫像がある
(州議会が開かれていると門があけられていて 像の側近くまで行けるのだそう)
ジョセフ・フッカー(Joseph Hooker、1814年11月13日-1879年10月31日)
アメリカ合衆国の職業軍人であり、南北戦争のときは北軍の少将を務めた。
クエーカー教徒禁止令に違反したとして 北米最後の魔女狩りで殉教した MARY・BARRETT・DYER の像
メアリーの最期の言葉は
「いいえ、私はあなた方の罪深さを贖うために来たのです。主の無垢な僕(しもべ)に反するような非正当な法を撤回することを求めています。 そう、私は決して懺悔などしません。」であった。という
ビーコンヒルの町中を歩き始めます(ボストン発祥の地の佇まい)
ガーデニング意識の高いボストン市の高級住宅街です
小さな公園につきました Tおばさんによるとこの近くだそう
ありました 気が付かずに通りすぎてしまいそうなくらいにちっぽけな通りである
PRIVATE WAY となっていて 確かに「ACORN ST」と表示
川原石がつまれた石畳の道路が残るのはここだけということで一見の価値はある
これでまず最初の目的は果たした
これからどうしょう? とりあえずビーコンヒルを歩いてみよう・・・
ゆう子が夢中になり木蓮の花を無心に撮りつづけている
(赤レンガの石畳が情緒たっぷり)
チャールズ通りに面して 見慣れたAQUAがまた駐車してある
歩き続けているうちに
全米最古のボストン・コモン(移民の共有地)公園についてしまったぞ
このケロッグポンドは夏場は水が入れられ水浴びの そして冬はスケートリンクとなって
子どもたちの憩いの場となる
当初の期待通り リスが人を恐れずに何匹も走り回っている
南北戦争で命を落とした兵士や水兵たちの慰霊碑(Soldiers & Sailors Monument)
この写真 今回の旅行でのベストショットで気に入っている(リスの動きのタイミングがいい)
チャールズ通りを横切り パブリックガーデンに出た
エドワード·エヴェレット·ヘイル (1822年4月3日- 1909年6月10日)
アメリカの作家で、歴史家だったユニテリアン牧師
スワンボートに観光客が乗っている(動画で撮影したかったなあ かわいかった)
ゆう子のangleも橋が入り なかなかいいショットになっている
中島公園を思い出させた
八重桜が満開 シスターたちとしばし眺めていた
ゆう子の写真でも桜の雰囲気を満喫
ジョージ・ワシントンの大きな銅像もある
再びボストンコモンに帰ってきた
ゆう子が手を後ろに組みゆったりとリラックスして散歩の味を味わっている
LEARNING像
INDUSTRY像
RELIGION像
アメリカ軍隊生みの親 COMMODORE JOHN BARRY の碑
彼は1797年に大統領のジョージ·ワシントンから、アメリカ初の委託海軍将校となった
何度も公園を往来しているうちにマラソン応援の人たちが続々と戻ってくる
ボクらは疲れきり 食事を調達して「Tおばさんの家」に帰ることにした
無事 WEST駅に到着
家に帰り着き おばさんに挨拶すると これからマラソン応援に出かけるところだという
「いってらっしゃい」と言葉をかわし
部屋で昼食後に ベッドに横になりながら何気にテレビのスイッチを入れた
テレビからニュースキャスターの驚くべきニュースの報告・・・
しばらく見ていたが
気がついて 記念にアメリカのテレビ画面を記録に残そうと写真に撮った
この時はまだ「テロ」とは認識していなかったが 確かに爆破事件が起きていた
帰国してから ゴール地点を地図で確認するとジョン・ハンコック・タワーのところ
公園で巻き込まれることなく タイミングよく舞い戻っていたのは奇跡に近い
(地図右端の公園にいてBOYLSTON Stから一歩ゴール方向目指していたら 危なかった)
そんなハプニングのまっただ中で テロの危険を味わう羽目になろうとは・・・
これがプラグマティカルな「やってみなきゃわからない」世界の現実なのか