三陸に感「写」の館

三陸にボランティアで訪問し、私達が今後成すべき事を三陸から学びました。ここに感謝の意を込め撮り貯めた画像を共有します。

GWの活動予定

2012-04-08 16:25:44 | 日記
昨年のGWは、多数のボランティアが詰め掛けることを想定し、多くのボラセンが休止していた。今年は、宮城・七ヶ浜町ボラセンがいち早く「GWは活動実施」とブログで発表した。すかさず電話で活動登録を行った。3月の南三陸町で分かった通り、まだ瓦礫は片付いていない所が多い。

災害時従事車両証明が、6月末まで延長し取得可能となった。瓦礫運搬及び、瓦礫撤去するボランティアが申請する車両限定だ。延長は当然の措置だ。

3.11関連のイベントを見るが、「震災から立ち直り、前へ進もう」的な趣旨の催しが目立つ。
復興への立ち直りは、場所により進み具合が違う。瓦礫撤去を今行うというのは、立ち直りが
遅い方という認識を持ち、私はそこの”立ち直り”へのお手伝いを重点に活動していく。

1年前の行動

2012-03-10 20:36:13 | 日記
明日で1年を迎える、東日本大震災。

震災当日の行動を振り返る。

H23.3.11(金)午後、勤め先のビル8階で、普段通りに
仕事をしていた。

午後2時48分。下からの突き上げ共に大きく横に揺れ始めた。
近くのテレビの電源をONにすると、NHKが新宿方向を揺れまくり
ながら撮影する映像が出ていた。

1分経っても揺れは収まらなかったが、天井が落ちてこない
ので、ここの震度は6ではないなと感じていた。

勤め先では総務なので、社員の安否確認(特に東北方面)
をしたり(電話不通で確認取れなかった)や、帰宅を促す
周知などを行い、帰宅困難者に非常食の配給を手伝ったり
した。

自宅との連絡は、050電話で常に連絡が取れた。発着側共
電源が遮断されていなかったことが幸いした。固定電話や
携帯は、繋がっていなかった時だ。

夕方になっても、鉄道網が寸断されていた。JRは当日中の
運転再開を断念し、帰宅不可の社員は会社に留まった。
私は、翌日の法事(あるわけ無いとは思っていたが)を
控え、徒歩で帰宅することにした。
勤務先(東京港区)から船橋まで、26キロ。

これまで、千葉県主催の「災害時徒歩帰宅訓練」に参加し、
17キロは歩けていた。

東京メトロの、運転再開に賭けていた。

東西線が妙典まで運行と聞き、都内6キロ歩き、日本橋駅
から乗車。妙典駅に深夜1時着。

200人位が一団となり、一路西船橋へ歩く。
この道は帰宅訓練で歩いた道で、慣れていた。
途中沿道のコンビニは、飲食関係全て「棚が空っぽ」の状態。
これも予想していた。出発時に会社内の自販機でペットの水を
2本、カバンに入れていた。

朝6時、無事帰宅。
都内の徒歩と合わせ、17キロ歩いた。徒歩訓練とほぼ同じ距離
だった。

東京都は、災害時帰宅のリスクよりは、都内に留まるべきとの方針
を出した。
都内で震度7となれば、今回のようには歩けないだろう。



平成24年3月・南三陸町

2012-03-07 19:42:34 | 日記
昨年11月以来の東北入り。
除雪が関越道ほど活発でないため、通行止めが多いと聞いていたが、
往路では案の定通行止めとなった。

前日夜7時に出発し、仮眠含め13時間で南三陸町ボラセン着。




先週から、町内のデパート内瓦礫撤去が始まったとボラセンのブログに掲載されていたが、やはりこの瓦礫撤去が今回の活動となった。



遠巻きに望む、志津川病院。この裏が作業を行うデパートである。




その途中、あの、最後まで避難を呼び続けた防災拠点に・・・合掌。





仙台市内に泊まった。アーケードには、近隣の小学生が”激励の寄せ書きを横断幕風に。





マスコミも集まった。




我が車の車検もあり、苦しい財政事情だが、高速ゼロ円施策が終わる3月末までにはもう1度訪れたい。



今月の予定

2011-12-04 16:01:43 | 日記
11月下旬。釜石市の仮設住宅へ、洗濯機をお届け。




12月の活動の前提として、スタッドレスタイヤの新調がある。
昨年同様、独特のタイヤサイズが災いして、在庫不足気味。来週には購入を済ませたい。

条件が整えば、12月23日~24日、三陸のどこかへ行く。
12月より3月末まで、東北エリアの高速ETCが無料になる。

サンタになって、子ども達にお菓子等を配布するイベントもあるようだ。




大船渡再訪(2011年11月)

2011-12-04 15:13:03 | 日記
団体活動として、みたび大船渡入り。


相変わらずボラセンは賑わっていた。




ボラセンから車で20分。県の水産関連施設。二階建てだが、津波はすっぽり建物を呑み込んだ。



海と繋がる側溝は、ヘドロで埋め尽くされた。この泥を掻き出した。




ヒラメの養殖水槽だけ残り、ヒラメの稚魚は海へ・・・




分かりにくいが、地盤沈下で、岸壁が高潮で浸水している。





碁石海岸。津波は来たようだが、被害を受けたように見えない。




NTT大船渡ビル。窓が板で目張り。




チリ地震津波の到達線。今回はその倍以上だった。