朝鮮人強制連行という話は
1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物
によって作られました。
1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、
当時の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、
さらに、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、
帰国運動は行き詰まりました。
そのため、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が
旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したという嘘話を本に書き、
左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに
引用したので、事実のように広まりました。
しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、
これらが疑わしいことが分かった為、在日の歴史学者は
強制連行とは戦時徴用のことだと、ひそかに定義を変更し、
トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。
「強制連行のうそ」
「戦時中に日本に徴用された!だから外国人参政権を!」→徴用
実は在日朝鮮人61万人のうちわずか「245人」でした 2010/03/11
★在日朝鮮人、戦時徴用わずか245人
・戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で
日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた
在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、
分かった。
自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し
外務省が明らかにした。
永住外国人に地方参政権を付与する法案の推進派は
在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを
理由の1つとして挙げてきた。
*下記のリンク先が消されていました。
参考になるものを見つけた場合、差し替えさせて頂きます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/367230/
ニコ動 強制連行245人 9:00~
2010/3/10 衆議院外務・高市早苗(自由民主党・改革クラブ)
「教科書が教えない歴史 (4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社
1938年国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立
日本・台湾 15~45歳までの男子、16~25歳までの女子が徴用
朝鮮 徴用の代わりに、内地の企業による求人活動が許可される
1942年人手不足により、「官斡旋」による募集が始まる
日本・台湾 既に徴用済み
朝鮮 日本企業への就職が斡旋される。しかし、雇用先を辞めても罰則なし。
1944年朝鮮に初めて徴用令発布(実質、六ヶ月間で終了)
日本・台湾 既に徴用済み
朝鮮 本人の意志を優先した為、達成率は79%に留まる。
注釈)強制連行は徴用の歪曲であり、その徴用も朝鮮人には中々課されなかった。
なお、徴用で来日し、残留した朝鮮人はわずか245 人。出典)朝日新聞1959 年7 月13日付
朝鮮人に対する徴兵は1944年に9月に始めて行われた訳だが。
つまり、それ以前に入隊した朝鮮兵はすべて志願兵だ。
しかも、そのほとんどが半島内での訓練期間中に終戦を迎えてる。
密入国の実態
■【済州島四・三事件】
1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の
武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。
南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。
1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。
済州島の古来よりの複雑な歴史背景によって、朝鮮本土からの迫害や
差別を受けていた島民は、
新天地を求めて日本本土へ移住あるいは出稼ぎに行き、
併合初期に来た最初の20万人ほどの朝鮮出身者の大半は、済州島出身であった。
敗戦による独立によって、そのほとんどが帰国したが、この事件で済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、
そのまま在日朝鮮人となった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。
この事件から逃げるために日本に密航してきた
祖先が特別永住者におおいことを!
*
こちらも敢えて、直接飛ばないようにしています
ttp://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/4195ed4bcd31d5e71dbde3d3c710e8f4
日教組・マスコミが隠してきた 朝鮮半島の真の歴史【拡散希望】14へ続きます。
1965年に朝鮮総連活動家の朴慶植という人物
によって作られました。
1959年から、朝鮮総連は帰国運動を大々的にやっていましたが、
当時の北朝鮮は、朝鮮戦争の後遺症のため経済状況が非常に悪く、
さらに、帰国者が犯罪者扱いされていることが原因で、
帰国運動は行き詰まりました。
そのため、在日が日本に居座る理由が必要になり、朴慶植という人物が
旧日本軍が善良な朝鮮人をトラックで拉致したという嘘話を本に書き、
左翼ジャーナリストや評論家が事実を確認せずに
引用したので、事実のように広まりました。
しかし、1990年代になり、実証的に強制連行を調査したところ、
これらが疑わしいことが分かった為、在日の歴史学者は
強制連行とは戦時徴用のことだと、ひそかに定義を変更し、
トラック連行説との違いを曖昧にするために強制徴用という言葉を作り上げました。
「強制連行のうそ」
「戦時中に日本に徴用された!だから外国人参政権を!」→徴用
実は在日朝鮮人61万人のうちわずか「245人」でした 2010/03/11
★在日朝鮮人、戦時徴用わずか245人
・戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で
日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた
在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、
分かった。
自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し
外務省が明らかにした。
永住外国人に地方参政権を付与する法案の推進派は
在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを
理由の1つとして挙げてきた。
*下記のリンク先が消されていました。
参考になるものを見つけた場合、差し替えさせて頂きます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/367230/
ニコ動 強制連行245人 9:00~
2010/3/10 衆議院外務・高市早苗(自由民主党・改革クラブ)
「教科書が教えない歴史 (4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社
1938年国家総動員法(国民徴用令は1939年)が成立
日本・台湾 15~45歳までの男子、16~25歳までの女子が徴用
朝鮮 徴用の代わりに、内地の企業による求人活動が許可される
1942年人手不足により、「官斡旋」による募集が始まる
日本・台湾 既に徴用済み
朝鮮 日本企業への就職が斡旋される。しかし、雇用先を辞めても罰則なし。
1944年朝鮮に初めて徴用令発布(実質、六ヶ月間で終了)
日本・台湾 既に徴用済み
朝鮮 本人の意志を優先した為、達成率は79%に留まる。
注釈)強制連行は徴用の歪曲であり、その徴用も朝鮮人には中々課されなかった。
なお、徴用で来日し、残留した朝鮮人はわずか245 人。出典)朝日新聞1959 年7 月13日付
朝鮮人に対する徴兵は1944年に9月に始めて行われた訳だが。
つまり、それ以前に入隊した朝鮮兵はすべて志願兵だ。
しかも、そのほとんどが半島内での訓練期間中に終戦を迎えてる。
密入国の実態
■【済州島四・三事件】
1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の
武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。
南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。
1954年9月21日までに3万人が、完全に鎮圧された1957年までには8万人の島民が殺害されたとも推測される。
済州島の古来よりの複雑な歴史背景によって、朝鮮本土からの迫害や
差別を受けていた島民は、
新天地を求めて日本本土へ移住あるいは出稼ぎに行き、
併合初期に来た最初の20万人ほどの朝鮮出身者の大半は、済州島出身であった。
敗戦による独立によって、そのほとんどが帰国したが、この事件で済州島民は再び日本などへ避難あるいは密入国し、
そのまま在日朝鮮人となった者も数多い。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減した。
この事件から逃げるために日本に密航してきた
祖先が特別永住者におおいことを!
*
こちらも敢えて、直接飛ばないようにしています
ttp://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/4195ed4bcd31d5e71dbde3d3c710e8f4
日教組・マスコミが隠してきた 朝鮮半島の真の歴史【拡散希望】14へ続きます。
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