お気楽野郎のてきとうブログ

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*ただし、政治、韓国・中国・朝鮮関連記事のまとめたものを書き込むことがあります。

日教組・マスコミが隠してきた 朝鮮半島の真の歴史【拡散希望】21

2011-10-08 19:07:05 | 日記
■ 【新・関西人国記】腹くくり梅田守る
大阪マルビル会長 吉本(よしもと)晴彦(はるひこ)さん(78)-[3]

復員したものの、大阪・梅田はバラックが立ち並ぶ闇(やみ)市。
ご先祖さんの土地に勝手に家を建てられて、あずかり知らん借地権やら
また貸し権やらが百二十件も発生しとる。今では想像もつかんが不法占拠は
民事でしか片付けられん時代やった。
 一人ひとりと話して金を渡して出ていってもらったが、けん銃片手に「戦争に
負けたんやから、おまえの土地やない」と押しかけるやつまでおった。
裁判やったら十年はかかる。金はもったいないが時間をケチったんですわ。

 《昭和21年に吉本不動産管理事務所を設立したが、23年のドッヂ勧告、
25年の富裕税で吉本家の土地は本家、分家ともほぼ3分の1に。それでも世間が
落ち着きを取り戻し、2年がかりで不動産を整理した》

またしょうもないことをしよる奴が現れたんです。二十七年の暮れ、今のマルビルの
あたりに一晩でベニヤの店舗を六十軒も建てた事件屋がおったんですわ。
 このまま営業されたらたまったもんやない。そこで顧問弁護士に相談したら
「いっそつぶしてしまえ」と。
 よっしゃ、と僕も腹をくくった。親しかった建設会社から六十人の人手を借りて、
曽根崎署に予告電話を入れてぶち壊した。二十分で更地にしよりましたわ。
 そしたら「梅田に暴漢あらわる」とラジオが放送して僕は暴力団扱いですわ。
僕は留置場行きになり、事件屋も構造物損壊で告訴しおった。俗に「梅田村事件」と
呼ばれとります。
 告訴合戦になって民事は完全勝訴したんやが、昭和三十五年に刑事で不法占拠を
裁ける「不動産侵奪罪」ができるきっかけにもなった。その後の整理作業でよう
やっと更地にできたのが昭和四十八年。いやー、長かった。(聞き手 平岡康彦)






◆三国人ってなんだ?

石原慎太郎が、不法滞在で悪いことをする外国人を「三国人」と呼んで問題になりました。差別用語だそうで。
しかし、在日の人たちは、戦後自分たちのことをみずから「三国人」と呼んでいたのです。
敗戦後、日本には「戦勝国民(アメリカ人ならびに中国人)」と、「敗戦国民(日本人)」がいました。
日本に併合され、日本と一緒に米英と戦っていたはずの
在日朝鮮人は、「敗戦国民日本人」と同じにみなされることを
断固として拒み、「我々は戦勝国民である」「敗戦国日本の法律は、我々には通用しない」と日本人に対して
あらゆる横暴の限りを尽くしました。
それに対して、見かねたGHQが、
「在日朝鮮人は、戦勝国民に非ず」と、彼らは「戦勝国でもなく、敗戦国でもない第三国民だ」と言ったのです。
すると彼らは、「我々は第三国人だ」と名乗りだしたのです。

三国人の不法行為

警察権力は彼らにたいしては無力になり、人々を救ったのはヤクザだったと言います。
思い当たるんです。
おじいさんたちが、朝鮮人が日本人の土地を奪ったと言っていたのはこのことなんですね。
ヤクザにまじって、朝鮮人と闘ったという話も身近な人から聞いてたというのに、在日さんの悪口を言う人は
「謂われない差別をしている」と思っていたあたし。
大いに謂われはあったわけです。
ttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/mondai2.htm
*こちらも、敢えて直接飛ばしません。





アメリカ人が見た戦後の在日朝鮮人

 戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。
 朝鮮人は依然として口喧しい、感情的・徒労的
 集団である。彼らは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとはせず、かえって戦勝
 国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は一般に日本の法律は彼らに適用され得な
 いものとしてアメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。
 そのため国内に非常な混乱をおこした。占領当初の数ヶ月、在日朝鮮人炭鉱労働者の
 頑強な反抗のために日本の重要産業たる石炭産業の再建は損害をこうむった。
 



日教組・マスコミが隠してきた 朝鮮半島の真の歴史【拡散希望】22

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