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居酒屋~通りすがり~

今の我々に出来る事から始めましょうや。
明日を信じて始めましょうや。小さいことでいいからさ。困った時はお互いさま…ねっ

【四】ヒコーキ遠足 ふたり旅〜九州 福岡 探訪記〜その2

2018年12月08日 17時30分23秒 | 【四】本日のオススメ!








成田空港を離陸したNH(ANA)2141便は順調に西へ向かって飛行中。

関東地方を抜け、中部地方の山岳地帯上空を通過する頃から眼下の風景は
雲が増えてちょっと見難くはなったが、抜ける様な青空と雲海が広がる間を
飛ぶ風景は やはりヒコーキ旅の醍醐味であろう。

この頃にはシートベルト着用サインも消え、CAさんのドリンクサービスなども
始まって機内はリラックスムード。機長さんの挨拶では、通常の飛行高度では
風が強くて揺れるため 少し高度を落として飛行しているとの事。
おかげで久しぶりの空の旅は 非常に快適であった。

成田離陸時、我々🏮💋の前席で若い両親に連れられた3歳くらいの男の子。
大きな声で『降ろせえ〜⁉️ ここで降ろせえぇぇ〜⁉️😭』
と泣き叫んでいたが…。😨
安定飛行に入ってからは落ち着いたのか❓お母さんと仲良くお話している。
CAさんも その様子が気になっていたのか、子ども用の飛行機の玩具を持って
ご機嫌伺い。その様子もまた「ヒコーキ旅の一コマだなぁ。」と思ったりする。

そんな様子を見ていた💋女将がボソッと一言。『いいなぁ〜😗』
🏮店主はてっきり「CAさんの子どもに対する対応」を褒めてるモンだと
思っていたがそうでは無く、CAさんが持ってきた飛行機の玩具が
羨ましくて発した一言だったワケである。
この人💋 飛行機に関してはホンマにお子ちゃまなのだ。
そう言って笑ったが、後にそう言われ笑い返される事態となるのである。

機内大撮影大会を勝手に開催していた我々🏮💋も
一通り落ち着き、CAさんからコーヒー☕️を頂いて 一息つく。
他愛のない話をしながら、福岡に着いたらどうするとかも話す。
前述の通り、我々🏮💋ふたりの福岡滞在時間はおよそ24時間。
今日の宿泊地は JR博多駅からJR鹿児島本線に乗り、基山(きやま)で
甘木鉄道というローカル私鉄に乗り換え30分余り…。
福岡県朝倉市の甘木(あまぎ)である。レールのダンナ👮が暮らしている町。

この全日空機の福岡空港到着予定は12時35分。
地下鉄で移動してJR博多駅から甘木まではおおよそ1時間との事だ。
🏮店主はダンナ👮に甘木には午後4時前後の到着を伝えているから
逆算すると、JR博多駅を午後2時半頃には出発したい。

とすると、だいたい1時間半は福岡中心街に滞在出来るからそれならば
『天神』を覗いてから行こう⁉️という話でまとまった。
JR博多駅周辺は どちらかといえば「ビジネス街」であるのに対し、
「天神」は西日本を代表する歓楽街で、だいぶ賑やかな場所らしい…。
移動も地下鉄で空港から博多へ5分。天神へは15分。
天神から博多は10分であるから移動はラクそうである。
福岡の方からは『そんな短い時間じゃ な〜んもわからん⁉️』
お叱りを受ける事この上ないが、これも弾丸ツアー🚀の悲しい宿命。
次回の福岡訪問時には必ず『天神』『中洲』で呑んだくれてやるぞ⁉️
と心に誓う️🏮店主なのであった。いつになるか定かではないが…。

そんな話をしていたら、「あと20分程で、着陸の準備を始めます。」
と機内アナウンス。えっ もう⁉️ 今更ながら、そんな飛行機の速さに驚く。
西に進む度に眼下の雲が多くなったせいで、下の様子はよく分からない
のであるが どうも山陰地方の上空を飛行している模様である。
そんなこんなしているうちに『♪ポーン』と音がして
シートベルト着用サインが点灯。続いて機内アナウンス。
『当機はまもなく着陸体制に入ります。』

いよいよである‼️ 生まれて初めての九州が射程圏内に入ってきた‼️
全日空機は徐々に高度を下げ始めた。下にあった雲の中に潜り込み、
白く視界を奪われたのも束の間、すぐに空の青が薄く顔を覗かせる。
窓の下には白い砂浜の海岸線。日本海の色は深く濃い藍色。
徐々に高度を落としながら 小さく少しずつ左旋回を繰り返す。
飛行機と陸地を挟んでいた薄雲が取れ始め、再び地上がクリアになる。
💋女将が再び一眼レフを握り、準備を始めた。️🏮店主も同様。

床下から音がする。ランディング・ギアを出したのであろう。
少し揺れが強くなった。件の男の子 今回は大人しい。
我慢してるのかな❓エラいぞ‼️

海では白い航跡を引いて船がゆく。進むに従い、その数が増えてくる。
博多や門司の港が近い事を思わせる。九州はもう目の前だ‼️

ここで今までよりも大きく左旋回をした後、
全日空機は真っ直ぐに体制を戻し高度を下げてゆく。
島影が見えたと思ったら 海を挟んで対岸に陸地‼️

まっ先に🏮店主の目に飛び込んできた建物。
それはあの福岡ヤフー・ドームであった‼️







ついに来たぜ‼️ 九州‼️ 待たせたな‼️ 福岡‼️


福岡の市街地を見下ろしながら 全日空機は順調に高度を下げてゆく。
見える街並みが段々と大きくなる。
米つぶ程だったクルマが豆つぶ程のサイズになってきた。
建物の大きさが段々と見慣れたサイズに戻ってくる。陸が迫っている。

そしていよいよ着陸の瞬間を迎えた‼️少し『ドスン』という感じの接地。
同時に振動とノイズが再び機内を覆う。逆噴射のエンジン音。
エア・ブレーキの板が垂直に立ちながら強烈なスピードを全日空機は
しっかりと抑えこみ ゆっくりとした速度でラン・ウェイを外れた。
着陸後、スポット待ちのため少し待ったがブリッジが付き乗客の降機が
始まった時刻を見ると到着予定時刻であった。
コクピットクルーの皆さま お疲れ様でした。お見事‼️







乗客の大半が降り通路に余裕が出た頃を見計らって、
我々🏮💋も手荷物を持ち出口へ。
お見送りのCAさんに『お世話になりました。』とお礼を述べて
🏮店主は飛行機の外へ。数歩歩いて後ろを振り返ると…
アレ❓ 💋女将が居ない️❓ ナニしとん。
戻って機内を見ると💋女将とCAさんが何やら立ち話。どないした❓
💋女将の話では、急にCAさんに呼び止められたのであるが
それは💋女将が持ってきた『バッグの柄』が原因であった。
それはこんな柄だからである。







お判り頂けるだろうか❓💋女将が持ってきたバッグというのは
飛行機には欠かせない『重要なアイテムの一つ』ではあるが…。
『決してお世話になりたくない。なってはいけない。』シロモノである
救命胴衣の生地を使って作ったバッグだったからである。
CAさんも『まさか⁉️ コレがバッグになるなんて…😱』みたいな好奇心から
つい声を掛けたというのが真相の様である。そりゃ、そうであろう。
この柄につい反応するのは、航空業界の関係者か マニア位だろうから。
💋女将の話では、仕事で空港を歩くと 大抵の航空関係者、特に海外のクルーは
バックを「ガン見」する事もあるそうだ。「どこで売ってるのか❓」と
聞かれる事もあるらしい。
成田空港周辺には 飛行機の離発着を間近に見れる展望スポットがいくつかあるの
だが、A滑走路そばにある『さくらの山公園』にある物販スペース
空の駅さくら館の中に『フライトショップ チャーリーズ』というお店がある。
ここは飛行機に関連したグッズをいろいろ取り揃えているのであるが、
このバックはこのお店のオリジナル。人気商品なのである。
ただ モノがモノだけに作れる数は少なく、いつもある訳ではないので
興味ある方はホームページでご確認を。


こうして我々🏮💋ふたりは初めて九州の地に足を踏み入れた。
成田空港なら自分たちの庭みたいな感覚でどこに何があるのか分かるけれども、
ここは「よその庭」なので トンと見当がつかない。
オマケに現在 福岡空港は改修工事の真っ最中であるから 余計である。
預けた手荷物を引き取ると とにかく上の看板を頼りにキョロキョロしながら
地下鉄の乗り場を探したのであった。
完全なるアウェイ感。お上りさん状態なのである。

車体も車内もきれいな福岡市営地下鉄に揺られて15分。
見慣れぬ駅名をやり過ごしながら機内で相談した通り『天神 』で下車。
降りる人も乗る人もさすがに多い。地上へ上がる。外へ出た。
ふたり🏮💋あ然😨とする⁉️


『大賑わい』なんてレベルじゃない⁉️ 大都会である‼️


高いビルはバンバン。人はわんさか。お姉ちゃんは皆キレイ。すんげぇ〜⁉️
後ろを振り返るとそこは『西鉄 天神駅』と看板の付いたでっかい駅ビル。
道路に目を転じれば 今度は『バス🚌 の波』である。そこら中バス🚌だらけ⁉️
福岡がバス🚌王国なのは「秘密のケンミンショー」情報で知ってはいたが、
これ程走っているモンだとは思わなかった。
やはり何事も百聞は一見にしかず。見てみるモンである。

ところで。我々🏮💋ふたりは今、非常に空腹である。
成田を発つ前に軽くつまんだ以外はコーヒー☕️だけだったからであるが、
せっかくなら「何か福岡らしいもの」を食べてみたいと話していた。
で、中のアーケード街をぶらぶらした結果…。近くに「うどんとそばのお店」
があったのでふたり🏮💋で入ってみる事にした。
1階席はそこそこ埋まって居たが、2階を案内され そこに落ち着く。
出された温かいお茶を堪能していると、「お待たせしましたぁ」と
小柄なおばあちゃんが運んできてくれたのは、ふたり🏮💋が頼んだ
「親子うどん」。鶏肉と溶き卵が餡かけの様に乗った温かいうどんで
香りもよく とても美味しそうである😁

早速、箸を割って お手手を合わせ『いただきまーす‼️』
💋女将は汁から、🏮店主はうどんからすすり始めて
お互いの第一声はこうであった。『あっ…。甘い‼️』
そう、甘いのである。

関東より以北は「醤油文化」なので、濃い味付けを喜ぶ文化だし、
関西圏以西は「出汁文化」なのでカツオや昆布の風味を生かした
味付けを喜ぶ文化である。
九州はそういった点も独特で 「甘みの強い風味」を喜ぶ文化の様である。
関東でも熊本の馬刺しを提供するお店で、拘りのある所は醤油もちゃんと
「九州の醤油」を用意しているのであるが コレがまた美味い‼️
この「九州の醤油」というのがやはりキモで、関東の醤油では ちょっと
味が尖って「ビミョー」だったりするのである。
また うどんのコシも柔らか目で、噛み切り易く 食べやすい。
この辺の情報も「秘密のケンミンショー」情報の受け売りで情け無い限り
なのであるが、🏮店主は大変美味しく頂いた。『ごちそうさまでした』
💋女将にはちょっとだけ甘過ぎたのか❓ 唐辛子をよく振っていたのであった。


時間を見計らい 再び地下鉄でJR博多駅へ移動。鹿児島本線下り方面の
乗り場である5・6番線ホームに立つ。ここで言い知れぬ感情が不意に湧く。
大きく『はかた』と書かれた駅名板が 今、目の前にある。
子どもの頃からこの『はかた』の文字にどれだけの憧れを抱いた事であろうか。
鉄道雑誌を読み漁り、知識を得る度に憧れは募っていったあの頃…。
出来れば、東京発のブルートレインで夜を越え この駅名を見て
下車したいものであったが、時を超えた今となっては
こうしてこの場所に立っているだけで幸せなのであった。

『ホームの門司方に「立ち食いそば」と「喫煙所」がありますよ。』とメールで
教えてくれたダンナ👮のご教示に従い 一服しようかと歩き始めたその時…。
ホームに流れたアナウンスに耳は「ダンボ状態」となった⁉️
すると 🏮店主の中で突然、「あの虫が」目覚めたのである⁉️







『まもなく、5番線に特急「ゆふいんの森」が到着致します。』


なにぃ〜⁉️ マジか‼️ カメラ、カメラだぁ〜⁉️😱軽いパニック状態である。
特急「ゆふいんの森」号はJR九州が誇る観光特急の一つで、
博多と大分の湯布院とを結ぶ 今では数少ないディーゼル特急である。
丸い形に鮮やかなグリーンをまとった車体は それだけでインパクト大。
その存在は知ってはいたが、もちろん実車を見るのは初めてである。
そんな列車が この絶妙なタイミングで すぐ目の前のホームに到着する
というのであるから、コレを「興奮するな」と言われても どだい無理。
スーツケースを「ガラガラ」引きながら💋女将を放置してカメラを向けてた
次第なのである。この時の🏮店主は完全に小中学生であった。
東京駅や上野駅で小さなカメラを特急列車に夢中で向けていた
「あの頃の自分」そのものだったのである…。

すると…。タバコを吸い終わった💋女将がそばに来て一言 のたまう。
『おーおー、🏮店主。ずいぶんと「お子ちゃま」ですこと。』 😨ドキッ⁉️
ここでバッサリ、『成田の仇を 博多で返す』と言わんばかりに
飛行機の中のお返しを受けた次第なのであった…。お子ちゃま夫婦のふたり旅。

気を取り直して「車体の黒い」787系型の特急が発車した後の6番線に並んで、
次の久留米行き快速電車を待つ。
赤にシルバーの配色がきれいな3ドアの近郊形電車が入線してくる。
総武・横須賀線の電車を見慣れている身としては、
これだけでも新鮮で素直に楽しい。
一度 目覚めた「あの虫」は興奮こそ収まったものの 再び眠る気配はない。
そう。これから甘木に至る行程は🏮店主にとって飛行機と並ぶ、
待ちに待った『今回のハイライト』なのである‼️
もっとも、💋女将にとっては電車は寝るモノであって
鉄道には全く興味がないのでふたり🏮💋で盛り上がる事はまずない。
座ったばかりの💋女将の目はもうすでに「トロン」としているのであった。







文字通りの「快速ぶり」で鹿児島本線を飛ばす快速電車。
初めて見る車窓が次々に流れ 🏮店主はそれを目で追うのに忙しい。
忙しいのではあるが それがまた楽しかったりもする。
博多を出て20数分。『まもなく「基山」に到着します。』と車内アナウンス。
寝てはいないが目は完全に「トロン状態」の💋女将に声を掛け 乗り換えを促す。
快速電車は滑らかに右カーブするJR基山駅のホームに停車した。
乗ってきた久留米行きの快速電車を見送ると その陰から隣のホームに止まっていた
1両のディーゼルカーが姿を現した。
濃淡の違うグリーン2色をまとった車体である。







このディーゼルカーこそが、子どもの頃の憧れ以外に🏮店主が九州に行く
強いきっかけを作った鉄道である。第3セクター『甘木鉄道』
旧国鉄「甘木線」である。
そして この甘木鉄道に鉄道員として働いているのが、
これから🏮店主が会いにゆくレールマンさん。つまり「ダンナ👮」。
そんな彼が この8〜9年余りのいろいろな思いを胸に秘めて働く
この小さなローカル私鉄に乗って終点の甘木まで行き、彼とお会いして
美味い酒を酌み交す事を想いながら🏮店主はここまで来たのであった。
このディーゼルカーは そんな彼と🏮店主を結んでくれる最後の乗り物なのである。
基山14時57分発。

跨線橋を渡り、甘木鉄道のホームに立つ。エンジンはアイドリング中。
微かに漂う排気臭がとても懐かしい。車内に入ると関東圏では余り見ない座席配置。
向かい合わせの4人掛けと2人掛けシートが通路を挟んで並び、両端にある
扉の前後はロングシート。して最大の特徴は運転席横にある整理券の機械と運賃箱。
天井には運賃表がぶら下がっている。
そう、運賃に関する機械は全て『バス🚌のそれ』なのである。
この甘木鉄道の車両は全てこのスタイルで運賃の徴収を行なっているのであった。
だから このスタイルの車両は『レールバス』と呼ばれている。
地方ローカル鉄道が経費を掛けずに省力化する観点から この方式は今や
日本中のローカル鉄道で採用されている方式なのである。

祝日 午後の甘木行きの車内は座席の7割方が埋まるくらいの乗車率。
静かに発車を待ってる乗客は 我々ふたり🏮💋を除くと、皆さん地元の方々の
様であった。運転士が車内放送で発車を告げると扉はすぐに閉じられた。
いよいよ 発車である。

扉の閉まった甘木行きディーゼルカーのエンジンが唸りを上げる。
一瞬の間を置いて車体がグイッと前に動き出す。
ゆっくりと加速しながら少し鹿児島本線と並走すると、小さな勾配を上りながら
左に向きを変え 鹿児島本線とはお別れ。
すぐに緩い下り勾配の長い直線をディーゼルカーはゆっくり下って行く。
出発時 ふたり🏮💋で2人掛けシートに腰を下ろしたのであるが、
動き出すともう どうにもこうにも我慢出来なくなり 💋女将に荷物番を頼むと
🏮店主は運転席横に立ち、ひたすら前方を見始めた。それはなぜか❓
事あるごとにYouTubeで甘木鉄道の走行前方風景だけを収めた動画を見ていたので、
それを確かめたかったからなのである







動画を繰り返し見ているから もちろんそのまま見た通りの風景である。
でも 甘木鉄道の社員である「ダンナ👮」から いろいろな駅や施設について
話を聞いていたので、
『あぁ、これがあの話の場所だな。』『これがその件のアレかぁ…。』
と思い巡らしながら見てる前方風景はとても面白くて 楽しくて仕方がない。
その間 またもや💋女将を放置状態。後で聞くと何も覚えてない。爆睡であった。

そんな有り様であったから たちまち時間は過ぎ、ディーゼルカーは甘木の
一つ手前の駅『高田(たかた)』に停車。さあ、あと一駅で目的地の甘木である。
いよいよだ。
高田を発車したディーゼルカーは軽い上り勾配を上がるとそのまましばらく
平坦な直線を進む。前方には四方を山に囲まれた甘木の街並みがもう見えている。
川の上に掛かったガーター橋を軽い音で渡ると左カーブに差し掛かった先にホーム。
ついに来た…。

ディーゼルカー1両では持て余す様な長いホーム。レールと車輪が擦れ合い、
「キーン」と鳴く中 甘木到着を告げる自動アナウンスと共に制動が掛かる。
やがてディーゼルカーは軽いため息をつく様に駅舎に近い位置に停車した。
とうとうここまで来たのであった。終点 『甘木』
寝惚け眼の💋女将を伴い、運賃箱にふたり🏮💋分の整理券と運賃を投じ
列車から降りる。ホームの一部を切り取った造りの階段を下り、
駅舎を潜り抜け外へ出た。作りは古いが なかなか立派な駅舎である。
目の前ロータリーには大きな桜の木。







ところが降りたは良いが、肝心カナメの「ダンナ👮」がいない。あれれ…❓
実はここで『感動のご対〜面‼️』と🏮店主の想像ではなるはずが、
結果はまるでドリフのコントみたいなご対面となったのである…。


てなワケで、すいません。まだ続きます。


🏮店主。
















































【四】ヒコーキ遠足 ふたり旅〜九州 福岡 探訪記〜 その1

2018年12月01日 17時35分10秒 | 【四】本日のオススメ!




『いつか 九州に行ってみたい。』
そんな事を小学生の頃あたりから「うっすらと」思っていた…。
思ってはいたが、血縁も地縁もない九州に行くには手段も知恵も
ましてや、お金もない小学生にとっては「夢のまた夢」であった。

鉄道が好きだった🏮店主は 当時、東京駅から数多く出発していた
九州各地に向かって走る『寝台特急』 いわゆるブルートレイン
に特別な憧れを持っていた。この歳になってもまだ憧れている。

だが、その後大きくなり 働く様になってもなかなか乗る機会も訪れず、
また日々の生活やいくつか訪れた人生のピンチに追われているうちに
「九州に行ってみたい。」という淡い夢もいつしか忘れてしまっていた。
その九州行き寝台特急も時代の流れに逆らえず 、ついに消滅。
この頃はまだ 九州は「夢のまた夢」だったのである。

そんな冴えないひとり暮らしの日々に何か変化や楽しみが欲しくて、
ブログを始めたのは 今から10数年位前の事なのであるが…。
何名か九州の方とコメントのやり取りをしていた中で 一番仲良くなり、
今日に至る長〜い友達付き合いとなる方が出来た。

その方は『妙齢の美魔女』などでは勿論無く…😨
🏮店主と同い年の同性。つまりおっさんなのだが😅、とても気のいい
優しい方で何時しか 「一度お会いしたい」との思いが年々募った結果、
とうとう今年 💋女将を伴って九州へ行く事を決めたのであった。

その方のお名前はレールマンさん
🏮店主は彼の事を「レールのダンナ👮」と呼んでいるのであるが、
根は真面目なのに なかなかお茶目で 時々チラホラとエロかったりする😁
無論、今回の九州訪問は殆ど🏮店主のわがままなので、
💋女将の飛行機代や宿代も全て🏮店主持ちである。
この企てを話したのは 今年の年明けなのだが、彼女 ひとこと…。
『よし 頑張れ‼️ 私はヒコーキに乗れるなら どこでもよい‼️』であった。

こうして年明けに始動した「九州行くぞプロジェクト」
頑張って働いてふたり🏮💋分の旅費を用意し、8月終わりに飛行機の
チケットが取れた事で プロジェクト達成の目処がついた。
とうとう、今年 九州に行けるぞぉ〜‼️😁と、その日を
指折り数えて過ごしてきたのである。


そして とうとう…。待ちに待った日が 遂に ついにやって来た‼️

2018(平成30)年11月23日。金曜日 勤労感謝の日
カーテンを開けると、窓の外は朝から雲ひとつない快晴である。

まるで これからの旅行を祝福するかの様である‼️👍 幸先が良い。
段々と高ぶる気持ちのせいか? 差し込む朝日を見て
🏮店主と💋女将も顔が自然とほころぶ。ニタニタ、ヘラヘラ。

それはそうであろう。ふたり揃っての旅行も久しぶりなら、
飛行機に乗るのは💋女将が3〜4年振り。に対して
🏮店主は、なんと20数年振り⁉️の『ご搭乗』なのである。

あれだけ毎日、日々 飛行機を相手に仕事をしていたクセして。
今も空港で仕事をしているクセして。
ずいぶんとまあ 長い事ご無沙汰していた次第であった。

そして、今回のふたり旅は なんともまぁ 忙しないのである。

一応、仕事は本日を含めて3日間のお休みを頂いたのではあるが…。
予算の都合と 飛行機の時間の都合、それに今回のふたり旅のために
預けたネコの「レオ」の体調やメンタルを考慮して 日程は1泊2日。
そのため、1000キロを飛び越え 初の九州訪問であるにも関わらず
実際の福岡滞在はほぼ24時間😨しかないという
遠足並みの弾丸ツアー🚀と相成った次第であった…。

しかし、それでも全然 我々ふたり🏮💋は大満足なのである。
🏮店主は レールのダンナに会いたいがゆえの旅だし、
💋女将はヒコーキに乗れる事と「姫路より西に行ける事」で満足。
お互い 初の訪問となる九州は福岡への期待を胸にクルマでいざ成田空港へ‼️
祝日の朝なので、スイスイと走って僅か20分で空港着。
さあ、いよいよふたり旅in福岡が始まったのであった‼️






今回の飛行機は往復とも全日空(ANA)さんのお世話になる事にしている。
なので、第1ターミナル 南ウイング1階の国内線カウンターにてチェックイン。
スーツケースを1個預けて身軽になり、搭乗まで暫しの時間 5階展望デッキにて
離発着する飛行機を眺めて過ごした。
いつもと違い、旅行者目線で見る空港の風景は事の外、新鮮で素直に楽しい‼️

時間も近づいてきたので 保安検査場に向かい、手荷物をX線に通すあいだ
🏮店主と💋女将は金属探知器をくぐる。ピンポン鳴る事なく無事通過。
そして 指定された搭乗ゲートの前で案内を待つ。表示板には「福岡」の文字。
でも ゲートの先に見えるのは飛行機ではなく、オレンジ色鮮やかなバス🚌が
並んで待っているのである。さて、なーぜ❓

実は今、🏮店主と💋女将が待っているゲートは『バスゲート』と言って
ブリッジ(搭乗橋)から直接 飛行機に乗るスタイルではなく、
外に駐機されている飛行機までバスで向かい、
横付けされたステップ車(階段付きの車)から飛行機に乗り込む
スタイルのゲートだからなのである。
このスタイルで止まっている飛行機の事を業界用語では『沖止め』
言うのであるが、普段はなかなか入れない空港の中をバス🚌で進み、
ステップ車の階段を登って飛行機に乗るのはなかなか「オツな」もので。
好きモノ故の奥深い喜びが、自然とふたり🏮💋を笑顔にするのであった。

もっとも、周りの人たちには…
「タダの浮かれた🏮おじさんと💋おばさんがはしゃいどる」と
映っただろう故、ニガ笑いを誘ったのは間違いない。どうかご勘弁を…。





バス🚌が止まる。と、目の前には 青空に溶け込む様に
鮮やかな白地にトリトンブルーをまとった機体がドーン‼️
垂直尾翼のANAの文字が眩しく見える。きれいである。
機材は『飛行機界のスーパーカブ』ことボーイング737ー800。
世界中で3000機以上売れている『737シリーズ』で現在 主力を担う機材である。
横付けされたステップ車には 乗客の列。
写真を撮りながら ふたり🏮💋もその後ろへ。
こうして🏮店主と💋女将は晴れて、NH(ANA)2141便 福岡行き
機中に吸い込まれたのであった。

キャビンクルー(CA)さんが笑顔で迎えてくれる。

『空港』という場所で働く我々ふたり🏮💋。
広い意味で共に飛行機を支える仕事仲間として。
そして今日はお客としてお世話になる立場として。敬意を持って
🏮店主と💋女将のクルーに対する挨拶は自然とこうなっていた。

『お疲れ様です。今日はお世話になります。』

乗り込んだ乗客がそれぞれの席に収まり 機内が落ち着き始めた頃、
CAさんは離陸へ向けて安全確認作業をテキパキとこなしている。
笑顔は絶やさないが手荷物入れの扉のチェック、乗客のシートベルトの
装着具合など、素早い目配りで確認するその姿は 正にプロの仕事
改めて、その仕事ぶりには感心しきり。さすがである‼️

ガクンと軽いショックがあって、機体が後ろに動き始めた。
『プッシュバック』の開始である。
飛行機はこの『プッシュバック』の開始を持って出発時刻なのである。
時計を見るとピタリ。オンタイムであった。

バックが止まり、トーイングトラクターが離れる。地上職員は安全地帯に退避。
コクピットクルーは、離陸へ向け機体の最終チェックに慌しい時間帯。
主翼の上のエア・ブレーキがパタパタ動く。そして、エンジン スタート‼️
低い唸り音から 徐々に回転数が上がってゆくと、機体はゆっくり前進を開始した。
地上職員が手を振って見送りする光景は やはり空港ならではのもの。

🏮店主と💋女将も 大きく手を振り返す👋👋👋
飛行機はA滑走路へ向かって ゆっくり進む。離陸へ向け落ち着いた雰囲気漂う機内。





そんな中 機内でも「やはり」落ち着きのないのが このふたり🏮💋。

そらそうである。お互い写真を撮る📸のに忙しいのである。
小さな窓を交互に覗いてはパシャパシャ。
そうそうある出来事じゃないから 出来る限り記録しておきたいし、
あわよくば 『カレンダーのネタ写真も仕込みたい。』などと
邪念もチラチラしてるワケで…。
だから💋女将の一眼レフを覗く表情は真剣そのもの‼️
🏮店主は🏮店主で 愛用の小さいデジカメの他に折角だからと
古いフィルムカメラの『オートボーイ』まで持参したモンだから、
カメラを取っ替え引っ換えに忙しいのであった。

やがて飛行機は滑走路に入る手前で、一旦停止。離陸の順番を待つ。
JALの787が白い機体を滑る様に滑走してゆく。
ジェットスター、バニラ・エアの機体が続いて滑走するといよいよ…
我がANA機の番になった。そろりと進みながら右にターンすると
CAさんから一言アナウンス。『当機はこれから離陸を開始します。』

エンジン音が大きく唸りを上げて回り始める。
機体が『グイッ』と動くと一気に加速。シートに押し付けられる体。
滑走の振動とノイズが機内を覆う。窓の景色がどんどん後方へ…。
4000メートル滑走路のちょうど真ん中辺り、第1ターミナルが見える頃
不意に振動とノイズが消え、窓の景色が斜めになる。一瞬の無重力感。






NH2141便 テイク・オフの瞬間であった‼️ 感動‼️







ANA機はフル・スロットル。成田空港の全景が見える頃、上昇しながらの
右旋回。千葉・九十九里浜から茨城・鹿島灘を見渡せる。眼下には利根川。
やがて機は西に進路を取ると 関東平野を横断した。この間 僅か15分。






こうして 我々ふたり🏮💋の『弾丸ツアー🚀』は始まったのである‼️
『レールのダンナぁ〜‼️ これから行きますよぉ〜⁉️』


以降、後半に続きます。暫し、お時間をくださいまし。


🏮店主。


































【四】新しい相棒は『バ バンだ 、バンバンバン!」

2018年06月02日 18時00分25秒 | 【四】本日のオススメ!


🚗

前回、かなりセンチメンタルな愛車の記事を書いた🏮店主。
まあ それだけ色々な思い出があったので、あんな風に書いてしまった
ワケなのであるが。

5月のある土曜日の午前中、カルディナは引き取りに来た業者の
キャリーカーに乗せられ長年住み慣れた我が家を後にした。
泣きこそしなかったものの、やはり そういう場面を見届けるのは
切ない想いに包まれるモノで カルディナの姿が見えなくなって
空になった駐車場を暫くボンヤリと眺めていた🏮店主。

そんな時、携帯に着信。見ると相手は「シュージくん」である。
出ると明るい声で一言。『これから 迎えに行きまーす😁』

そうである。
🏮店主より歳下だが、長い友達付き合いをしているシュージくんは
同時にトヨタのクルマを「バリバリ売ってる」有能なセールスマンでもある。
そんな彼からクルマの購入契約をした🏮店主なのであるが、
今日はそのクルマの『納車の日』であった。

愛車を見送った2時間後に 新たな愛車を迎える週末。
女将💋がよく言っている『別れたら 次の人』そのままに
迎えに来てくれたシュージくんのクルマに乗り込み、
新たに愛車となるクルマを受け取りに向かう。
先程までの「センチメンタルな気分は ドコ行った?」てな感じで
車中にて終始「ヘラヘラしていた」🏮店主なのであった…。😍



🚗🚗

🏮店主のクルマ遍歴において 8台目となる新しい相棒はコイツである‼️😁



トヨタ『ピクシス・バン』である。
トヨタで扱う軽自動車には「ピクシス」いう名前が付いているのだけれど、
製造元はダイハツで 「ハイゼット」という名の商用車のトヨタ版が
このピクシスバンなのである。だからマーク以外は全部同じ。

そう 皆さまご存知の通り日本中 至るところで「商売人の頼れる相棒」として
荷物を積み 運び 届ける働くクルマの代表格みたいな『軽の箱バン』を
今回新たな愛車として迎えた次第なのである。

最近の軽自動車は 俗に『ハイト系』と呼ばれる背の高いクルマが主流で、
天井が高くて 車中が広く使え 装備も豪華! オマケに安全装備も充実‼︎ と
とにかく 至れり尽くせり。その分 お値段もナカナカなもので …
下手すると乗り出し200万超えしたりする⁉️ アンビリーバボー😱



に対して、商用車である「ピクシスバン」は基本的な安全装備は付いてる
けど 快適装備の類いは最小限である。
エアコンはマニュアルだし、スライドドアの窓開閉は手動のハンドル式。
高いハイルーフと飾り気の無い車内。大きく開くスライドドアとバックドア。
働くクルマとして 無駄を省いたシンプルさがこのクルマの持ち味なのである。
購入を決めた大きなポイントがこれ。お値段がベリーグッド👍😊なのも良し。

今の乗用軽自動車からしたら 商用軽自動車の内装は確かに質素である。
けど、大昔の軽自動車を知っているおじさん世代としては
あの頃とは比べ物にならないほど 商用軽自動車でも
ずいぶんと豪華になったモンだと感慨を覚えずにはいられないワケで。

それは🏮店主がまだ子供だった昭和40年代の話。

当時、軽自動車といえば まだエンジン排気量は360ccの時代であった。
『スバル360』や『ホンダ N360』と聞けば、懐かしさを憶える方も多いと
思うのだが、今の中型バイクよりも小さい360cc・30馬力程度のエンジンで
大人4人を乗せて走るのである‼️😨

さもありなん。その動く姿は子供心にoh!モーレツ⁉️の一言。

なんせ走り始めると『バリバリバリ』と辺り一帯に響き渡るエンジン音は
まるでカミナリみたいな爆音である。クルマの後ろからは青白い排気ガスが
『モウモウ』と吹き上がり、姿が見えなくなっても どこへクルマが走って
ったか 分かるほどなのであった。内装なんて鉄板剥き出し。

その後、免許を取った昭和50年代頃の軽自動車は規格変更になり、
エンジン排気量は550ccに変わった。これで少しエンジンはパワーアップし
多少良くなって来たモノの それでもまだまだ非力でスピードは出なかった。
当時、軽自動車は高速道路を走るのに80キロの速度制限があって、
その制限速度を超えるとチンコンカンコンとチャイムが鳴る仕組み
だった事など 今の若い方には想像できるだろうか?
内装も360cc時代から比べるとマシにはなったが まだまだチープ。

そんな時代の軽自動車を見てきた🏮店主からすると 今の商用軽自動車は
非常に良く仕上がっているクルマだと思うのである。
逆を言えば、今の乗用軽自動車の内装や装備が過剰過ぎるのであって
安全性に関する事がきちんと出来ていたら、クルマはこのくらいが
丁度いいのではないだろうかと思う次第なのである。



ただ、軽自動車もかなり走行性能も良くなり パワーアップが進んだ分、
1度事故を起こした時の被害の大きさは計り知れない。また加齢による衰えが
これから年々少しずつ進むであろう事も 頭の隅に置いて行かないといけない。
それらも考慮した上で 今回のクルマにはオプションである
衝突軽減ブレーキLEDヘッドライトを付けてもらった。
仕事でもクルマに乗る身ゆえ 「安全を担保する」システムには
カネの無いなりに投資をしたという事なのである。



🚗🚗🚗

シュージくんの運転するクルマでお店に到着し、
いくつかの必要書類への記入が終わったら いよいよ
初めて目にする新車とご対〜面‼️のお時間と相なった。



今回のピクシスバンは 🏮店主にとっていくつかのお初です的な事がある。

まず 『トヨタでの新車を購入』は お初である。
過去に前述のカルディナ以外に 若い頃「スターレット」という1200ccの小型車に
乗ってた時期があるのだが、やはり中古車で購入したので 新車購入はこれが初。

2番目は ボディーカラーが『白』を買ったのも初めて。
新車 中古車問わず、それまで乗ってきたクルマのカラーはダーク系がほとんどで、
黒・紺・グレーばかりだったが 🏮店主の髪も髭もだいぶ白くなって来たので
「トータルコーディネートしてみた」ってワケ…? では勿論なく。😁
『今まで買った事のない色』で新しいクルマを楽しみたい❗️との
心境の変化からであった。

もっとも、最近のクルマはちょっとキレイな色を選ぼうとすると
「ハイ。この色 オプションでーす。」とメーカーはすぐに金を取ろうとする。😨
ピクシスバンの場合、標準で用意しているカラーは「白」と「グレー」だけ
なので 消去法で「白」になったという事情もあった。
でも これで充分。お天道様の下で見る白いボディーはとてもキレイなのである。



キー🔑を受け取り、ドアを開けてみる。ボタンを押してロック解除。
鼻をくすぐる新車の匂い。この匂い、ほぼ20年振りである‼️😍
幾つか付いている運転席周りのスイッチについて簡単なレクチャーを受けたら
お店の店長さんからご挨拶を受け 納車のセレモニーは終了。
この瞬間から ピクシスバンは晴れて🏮店主の愛車になった次第であった。

『納車の日にぶつけたら 洒落にならないからね〜。😁』
シュージくんがニヤニヤして憎まれ口。ハイハイ、分かってますよ〜。



お店を後にした後、『クルマの慣らし』と🏮店主の『運転感覚の慣らし』
を兼ねて 納車初日に80キロ。翌日の休みにも100キロを運転してみた。
過去のクルマと違い、キャブオーバーの運転席は 高い位置から見下ろす
視界の良さは抜群に良い‼️ 見切りがとてもしやすいのである。
反面、その分重心は高くなるので コーナーでの挙動の変化には
多少の慣れが必要かと。これは早く慣れるしかない。

そんなこんなで 新しい相棒との新しい生活が始まった。
このピクシスバンも これから🏮店主と💋女将を乗せて生活を共にし、
また様々な場所へ運んでくれる事だろう。
それと共に この大きな荷室の中には様々な思い出が詰め込まれて
ゆくのであろう。今からとても楽しみである。
しばらくは 普段の買い物やら通勤やらの使用が中心だが、
実は7月に2人でちょっとだけ遠出をする計画があったりする。😊
勿論、相棒はこのピクシスバンで。

さてと…。昨年からのクルマ問題はこれにてひと段落ついた。
次にクルマに関する事でひと段落つくとしたら…?
次は『ローンの完済』である⁉️😱

てなワケで、これからはせっせとローン完済目指してお仕事に
勤しむ🏮店主なのでありました。



社長〜‼️ もうちょっと お給料上げてくれると嬉しいなぁ〜⁉️
よろしくお願いしまーす😁


🏮店主でした。











































【九】我が愛車に贈る『感謝と送別の辞』

2018年05月12日 19時41分19秒 | 【九】店主の独り言…




皆さまもご承知の通り、『平成』という時代があと1年少々で終わる事になった。
来年の今頃は 新たな天皇陛下のもと 聞き慣れない新元号での時代が始まるとの事である。


30年前、昭和天皇が崩御された事で…
64年に及んだ『昭和』という時代が終わりを告げ
当時、官房長官だった小渕恵三さんが「新しい元号は『平成』であります。」
とテレビを通じて発表した記者会見を まだつい最近の事と思ってしまう🏮店主。


20代前半にこの時代を迎え、来年54歳という老年期の入口に差し掛かるまでを
🏮店主が過ごしたこの『平成』という時代は、皆さま個々にとっても…
あるいは日本という国そのものにとっても…
根幹を揺るがす出来事が多かった時代ではないだろうか?


新しい元号での時代では、世界は混沌としていて先行き不透明な中ではあるが
少しでも穏やかで平和な世の中になって欲しいと 切に願う次第。


さて そんな今日この頃ではあるが…。
やはりこの『平成』の世に生まれ、🏮店主を含めて3人のオーナーの下
トータル13万7千キロを駆け抜け、車齢19年を迎えた我が愛車を ついに
手離す事になった。

出来る事なら いつまでも乗って居たいと思うほど気に入っていた愛車なの
ではあるが…
それを維持し、コンディションを保つ事が物理的かつ経済的に年々難しく
なりつつあって 本格的に修理しようとすれば、軽の新車が買える程の
金額にまで膨らんでしまうのである。

昨年から 散々悩み、考えた挙句の結論として…
約10年の時間を共に過ごした我が愛車を手離し、新しくクルマを購入する事と
なったのであった。


今回は、そんな去り行く我が愛車に『感謝と送別の辞』を贈ろうと思う。



🚗




🏮店主と共に約10年の時間を過ごした愛車の型式名は
平成11年式『トヨタE-ST215G』 名前をカルディナという。
俗に言う『ステーションワゴン』のボディータイプで、排気量は2000CC。
4速オートマチックトランスミッション、駆動方式は4WDである。

この トヨタ カルディナ。初代デビューは1992(平成4)年 11月。
今の時代は『ミニバン』と呼ばれる背の高い箱型ボディーに3列シート、
7〜8人が乗れるクルマが大人気で 各メーカーもチカラを入れて
販売しているのであるが。

1990年代は、乗用車ベースで荷室を大きくし 走行性能も良かった
ステーションワゴンは大人気だったのである!
そのステーションワゴンが『大きなブーム』になったのは、
スバルが1989(平成元)年に発売した『レガシィ』がその火付け役
なのであるが、その売れ行き好調な『レガシィ』の様子を見て
打倒❗️レガシィと トヨタが送り込んだ刺客こそが
このカルディナなのであった。

当時はトヨタに限らず 各メーカーが競ってステーションワゴンの開発と販売を
繰り広げていたが、卓越した走行性能と充実した装備、それに世間に対する
『ワゴンと言えばレガシィ』とのイメージ戦略が効を奏し、さすがのトヨタも
販売には苦戦したと聞いている。

2000年代に入ると スバルのレガシィこそ人気は高かったモノの…
ステーションワゴンに変わって台頭してきたミニバンに照準を合わせて
各メーカーがミニバンにシフトする一方、ステーションワゴンは
徐々にその売れ行きもボリュームも下降線を辿る運命となった。
カルディナも2回に渡るモデルチェンジを経たのちに、2007(平成19)年3月に
生産を終了し、その役目を終えている。

🏮店主の愛車であるカルディナというクルマは、そうした歴史を
先代2人のオーナーと共に辿り、縁あって🏮店主のもとへ来たクルマ
なのである。

ただ。そんな絶版車となったカルディナではあるのだが、街中では今でも
意外に見かける事が多い…? 様な気がするのである。
年式も🏮店主のクルマとさほど変わらない。5ナンバーサイズだから
狭いスーパーの駐車場みたいな場所での取り回しも割とラクだし、
程よいエンジンパワーのお陰で 街乗りから高速まで特に不満もない。

大きい荷室の使い勝手は「さすがワゴン❗️」と呼べるもので、我が家の
買い出しには大変重宝した。
何せ、ビール🍺も 炭酸水も ミネラルウォーターも毎月 箱でのまとめ買いで
あるし、ちょっとした家具位なら 後部座席を倒せば入ってしまう程 荷室の
使い勝手は良かったのである。



🚗🚗




実は先程の項では書いてなかったのだが、🏮店主のカルディナには
一つ大きな『特徴』と言うか目玉になる装備が付いている。

それは…。後部座席の上まで開く『大型サンルーフ』がそれである❗️
スイッチ一つで クルマの屋根全体の「2/3」まで開く大開口サンルーフの
解放感は本当に気持ち良くて サイコー‼️な装備で、
🏮店主はもとより 上を見上げると「飛行機がよく見える」ってことから
💋女将も大のお気に入りなのであった。
しかもこの大型サンルーフ装着仕様のカルディナは特別仕様で、サブネームに
『エアリアル』という名前が付いている。
その名の通り「風や日差しの気持ち良さ」をリアルに五感で感じる
贅沢なオプション装備なのである。

知り合いだった2代目オーナーから このカルディナを譲り受け
乗り始めてからの🏮店主は 当初、こんなにたくさんの思い出を作るクルマに
なろうとは、夢にも思わなかった…。







それは やはり 💋女将との思い出が一番多い事に尽きる。
大した事はしてないけれども、毎日の生活の中でいつも寄り添っていた片隅に
このカルディナが『名脇役』として居たのだから。

初めての成田オフ会でお越し頂いた「💋女将」と「東大阪のオカン」の送り迎え。

💋女将との初デートの相棒も このカルディナ。

大阪でのオフ会参加の為に その前日から東海道の下道をトコトコと下り…
御前崎の灯台に昇リ、浜名湖のバイパスを渡り、嵐山では大雨に降られ、
大阪ではたくさん笑ったこと。帰りは奈良経由の夜行ドライブ。

飛行機撮影や 空港見学、ジャンク市のお供は必ずコイツ。

買い出しや 天候不順時の💋女将の送迎。ネコの「レオ」を初めて迎えに行って
不安そうにミャーミャー鳴く声が聞こえるクルマもコイツだったっけ。

そして今でも忘れられないのが…
💋女将を 東京から成田に連れて帰る時の事である。8月も終わりに近い夕暮れ時、
成田に向かう利根川沿いの土手道を抜け、田んぼの一本道を後部一杯の荷物と
💋女将のチャリまで横倒しで載せたカルディナが走る。

茜色に染まる空の中を飛行機が降りてくる。稲穂の海が風に揺れていた。
💋女将は何も語らず 頬杖付いて ただ外を見ている。🏮店主も無口。

いろいろな想いと決断の末、ふたりで生活する事になった。
「一緒に暮らせる嬉しさ」と「これからどうなるのか?」って不安の交錯。
その気持ちの混ざりあった中、無口な車内で 陽気な唄とお喋りを流すラジオ。
これから2人には どんな未来が待っているのか…?

🏮店主は この日の光景を… 一生忘れないであろう。
そんなワンシーンの相棒も やはりこのカルディナだったのだから。

それだけ 思い出が「詰まりに詰まった」名脇役の愛車なのである。



🚗🚗🚗

そんな思い出多い愛車であるカルディナを手離す決意をしたのは何故か?
主な理由はふたつある。

まずひとつは経年劣化によるコンディション悪化が挙げられる。

🏮店主のカルディナは 前述の通り『車齢19年』である。
産まれた赤ん坊がもうすぐ成人するほどの時間の流れの中、
動く機械としてのクルマは様々な環境下に晒され傷んでくるわけで。

昨年の段階でリアのショックアブソーバーは油の滲みから機能が低下し
オルタネーター(発電機)は やはり発電能力の低下から電装品の作動が
不安定になり易くなった。
ラジエーターも経年劣化から「いつ壊れてもおかしくない」と
トヨタから言われる始末。上記3点の交換修理だけで31万円の見積り。







外装は更に酷く、ボンネットを中心に塗装が剥がれてきていて
表面のクリア塗装などは 走る度にペリペリ剥がれて勝手に飛んで行く。
その分ボディーはサビが進むから、塗り直しなんぞしたら
いったい幾ら掛かる事やら…。

一時期 真剣に借金してまで修理する事も考えていたのであるが…。
劣化してるであろうゴム製品まで交換となったら更に金額はハネ上がる。
しかもクルマが旧い分、お金掛けて修理しても 次に何処が壊れるのか?
分からないのである。

そこまでの財力は当然無い🏮店主。有ればとっくにやっているワケで。
そんな借金までして修理することは 道楽を通り越して
ほぼ『博打』になってしまうのである。
お気に入りの愛車ではあるが、さすがにそんな『博打』は打てない。
そんな心の葛藤の末に 段々と気持ちは手離す方向に固まってきた次第と
なってきたのであった。







そしてもうひとつは維持するための費用が余りにも高い事
コンディションの件もお金のことではあるが、『費用』って点で言えば
毎年掛かる維持費用の方が圧倒的に負担は大きいのである。
これは、クルマを所有している方ならどなたでも思う事ではないだろうか?

例えば自動車税なんぞ その典型であろう。
自動車税はその排気量によって税額が分かれているが、そもそもの税額設定が
高すぎると思っている🏮店主。皆さまも概ねそう思っているかと。

カルディナの場合、排気量は2000CCだから自動車税は本来なら年39800円。

これでも十分過ぎる程 高いのであるが これは生産年度から12年目までの
クルマに対する税額設定(1600〜2000CC)であって、13年を超えたクルマに
対する自動車税は『15%の増税』が加算され年45400円も支払う事になるのである⁉️😱 こんなアホな制度がまかり通る今の日本。

どうもこの15%の増税の根拠というのが「燃料消費の少ないエコカーへ買い替え促進目的」だそうだが、どうも根拠は曖昧だし 何より旧いクルマを大切に乗ってきた人に対するイジメに他ならないのではないだろうか?
経済活性化のため、もっとクルマが売れるようにしたいのなら メーカーが魅力ある商品を作るのは勿論だが、 同時に国も「クルマは贅沢品」的な発想の税制を止め、買い替えや維持のしやすい税制の構築をしないと早晩 日本の自動車産業はアメリカみたいに衰退するのではないのだろうか?
現に今の若い人はクルマどころか 免許すら要らないという人も多いのである。
大金を投じ、高速道路を整備しても クルマに乗る人が減ればそれは単なる無駄使いにしかならないのではないだろうかと思っている。

ガソリンの二重課税もそう。何でも金取れ的な発想はいい加減やめてもらいたいモノである‼️ 『国 栄えて、庶民貧す』では意味がないのである‼️

そんな貧する庶民の一人である🏮店主。気持ちではそう憤慨しているのであるが、
現実の生活では いくら愛情があってもお金が無くては始まらないのもまた事実。
男女の仲然り。クルマ生活もまた然りである。

そんなふたつの理由から、カルディナとの生活にピリオドを打つ事になった次第。
そう決断し、新しいクルマの購入を決め 既に契約も済ませた。あとは納車を待つのみである。
そういう意味での楽しみは確かにあるが、今の🏮店主の心中は…
正直言って複雑なのであった。



🚗🚗🚗🚗





このカルディナは納車と引き換えに業者に引き取られ 解体される事になる。
機械として生まれた以上 、機械として使用され 役目を終えた後 解体されるのは
「機械の宿命」というもので致し方ないと思っている。

だが、いろいろ記した思い出が詰まっている事のほかに🏮店主がこのカルディナに
想いを寄せるのは 実はそれだけではない。
なんだか、人の人生に近いというか…。身につまされる想いがするからである。

祝福と歓迎のうちに初代オーナーに納車されたであろう新車時代は
人で言えば就職して 期待と不安を胸に働く キラキラして眩しい若い人みたいだ。
🏮店主にも そんな時代があったなぁ…。かなり昔の話だけどね。

新しいクルマに乗り換える為に 初代オーナーがコイツを手離し中古車として
次のオーナーを待つあいだ、コイツには不安や心配は無かったのだろうか?
会社の都合で 退職を余儀なくされ、不安や心配をしながら過ごした経験のある
🏮店主の事とだぶって見える。

そして…。機械として懸命に働くも 少しずつ傷み、不具合や不調が出てきても
それでも懸命に走ってくれるその姿は、老年期の入り口に差し掛かり身体の
衰えや不具合と折り合いをつけながら日々を過ごす🏮店主と変わらない。

かなりセンチメンタルだが、そんな想いもずっとこのクルマにはあって
それがまた手離す事をためらう一因になっていたのであった。

だが、それももう終わりである。

今は もうただただ感謝しかない。労いしかないのである。

思えば、不具合をいろいろ抱えながらも よくここまで無事に走り続けて
くれてたモノだと思う。そういう意味では、やはり日本の自動車メーカーは
部品メーカーも含めて非常に優秀で 高品質なクルマを作るんだという事を
改めて証明をしたのではないだろうか。さすがである。


最後に。我が愛車 カルディナへ…。

この10年、無事に走り続けてくれ、様々な場所へ我々ふたりを運んでくれた事

本当に感謝しています。そして 本当にお疲れ様でした。

あと僅かで 一緒にいられる時間が終わります。正直 今でも残念な想いはあります。

でもこれも仕方のない事です。そこはどうか勘弁して下さい。

今まで ありがとうございました‼️ そして…。さようなら…。



🏮店主。





























































































【八】季節の約束 今年も再び…。

2017年04月22日 19時06分13秒 | 【八】フォトサロン『テンシュ』


4月も下旬を迎え、成田もそろそろ「初夏の訪れ」を近くに感じる様になりました。


あれだけ 楽しみにしていたさくら🌸前線も「あっ」と言う間に通り過ぎてしまい、
今では すっかり葉桜に…。


そんな「季節の約束」を今年も果たしてくれた さくら🌸に敬意と感謝を込めて。



















最近、世界中に垂れ込める「暗くてキナ臭い」出来事が多い中ですが、
いつまでも… この穏やかな風景が続く世の中であって欲しいものです。



















飛行機とさくら』が絡む風景は 春の成田の風物詩。
来年のさくら🌸の季節には、是非ともお越し下さいませ。きれいですよ〜。



🏮店主