(今回はどう読んでもた寂しい50代独男のただの一人言でしかありません。
それでもお付き合いいただける方は先にお進み下さい。)
そんな今回のブログ記事タイトルのまんまで、
きっと今日のブログ記事タイトルの『夜葉桜おふみ』が読みたい気持ちにさせないんだろうなって自覚しつつ、
ならば分かり安く、『夜の葉桜を見に行く』のタイトルに変え、それに合わせて記事の最後のこだわり『お文』部分を削除すれば良いかもと考えたりもしました。
けれど今日見た葉桜も記事にするほどたいした魅力もなく、夜に見たのもたまたまで私の日記的な内容にすぎない現実に『タイトルを変えてまで人目をひきたいのか??』と自問してみました。
そして出た答えは、“やはりしょせん私にはパクリ感際どい『夜葉桜おふみ』のくだらなさの名がピッタリなのだ”と。
そう、記事の途中に出てくる一見“月”に見える外灯の光を、家で写真を見た時に「いい感じに月も写っている」といとも簡単に感動に浸ったことも、その『夜葉桜おふみ』の名前のくだらなさに繋がっているようにも思えます。
なんだかそんな救いようの無さが閲覧者の数の少なさに繋がっていくように思います。
でも自分は自分でしかなく、もし私が他人だったら、いとも簡単にブログ記事タイトルを『夜の葉桜を見に行く』に変えてしまうとしたら、自分が自分でいるために『夜葉桜おふみ』のままにしておきます。
なんだか“夜桜お七”のサビ部分
♪私は夜桜お七〜
ならぬ、
♪私は夜葉桜おふみ〜
です。
最後まで本当にお付き合いいただきありがとうございます。