Weekly IT OSEMI

コロンブスの卵

よい初夢を見るために

2007-01-01 18:11:17 | Weblog
あけましておめでとうございます。
 縁起のよい初夢が「一富士二鷹三茄子」ではあるが、これほど日常的にモチベーションの低いテーマはないだろう。つまりこれらは初夢ばかりでなく、通常の夢にも現れにくい。また、ふだんのなんでもない日に富士山の夢を見てもありがたくもなんともないことになる。夢はすべて性夢だ、とかリビドーの発露だとか考えず、見たい夢、覚めて感慨深い夢のほうがよい夢なのだと思っている。
 初夢は元日の夜、つまり一月一日から二日にかけての睡眠中に見る夢をいうが、よい夢を見るためにはある種の準備が必要だ。準備とはあるイメージをいくつか抱くこと。あるイメージをあるシーンにあてはめて、プロットを築いていく。たとえばこんな風に‥‥
 適度な広さの庭がある。庭は白い柵に囲まれている。‥‥
 ぼくは胸あたりまでの高さのその柵にそって歩いている。白い板の柵は上部が三角にとがっていて10センチごとにきちんと並んでいる。その白さが朝もやの中を歩くぼの目にやわらかく繰り返される。庭には小さな池が真ん中にあってその周りには赤や黄色の背の低い花が可憐に咲いている。朝もやの中で、赤い花はピンクに、黄色やその他の色の花もみんな原色を薄めた色合いに咲いている。池の向こうに水色の椅子がふたつ並んであり、そのひとつに誰かがすわっている。女の子のようだがはっきりは見えない。
 ああ、ぼくは朝の散歩を楽しんでいたのだ。そして昨日の朝もここをこうして歩いていてあの水色の椅子に女の子らしい影が腰かけていた。それから‥‥とぼくはこれから起こることが徐々に「思い出されてくる」ことに気がつく。
 ここまでで充分だ。こうして目を閉じれば、この続きが始まることがわかるから‥‥
 こうしてよい夢の世界が広がっていく。その中に自身を侵入させ、たゆたい漂うままにまかせることで自然に夢が進行していく。風景や少女やほかの人や生き物が視野を延ばせば映像として、その細部まで見えてくる。声や音やにおいまで五感に届いてくる。
 ぼく自身がその中で行動するとき、それを見るぼくは遊体離脱も体験できる。夢の中で動いているぼくとそれを眺めているぼく、そしてベッドに横たわって夢を見ているぼく自身さえ見ることができる。いくつもの世界を行きつ戻りつ、自由な時空間に遊ぶことができる。これが夢の醍醐味である。
 もしよかったら、今夜ためしてみるとよい。きっと思い通りのよい夢を見られるから‥‥