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2023-10-16 00:00:00 | 日記
Ameba

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覚醒のひかり

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勇気を持って、その瞬間したくなった事を自分に許すのです。
2023年10月09日(月) 05時27分48秒
テーマ:津留晃一さん

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占い・スピリチュアル




津留晃一










時間はレールの上を
直線に流れているわけではありません。

今、意識の質が変化すると、
時間軸というレールの線を

別のレールに乗り換えてしまい、
未来に体験する出来事が
変わってしまいます。

実はこのためにこそ、

あなたのハイヤーセルフは
あなたの未来に起こることを、
あなたに告げようとしないのです。

あなたのハイヤーセルフは、
常にもう一段上のレールに
あなたが乗り換える可能性を見ています。

未来を渡して、
その未来に束縛されてしまうことを
良しとしないからです。

あなたは体験上、
多くの因果律を知っています。

こうしたらこうなるといった
原因と結果の因果律です。

この知識によってより
豊かな未来を得ようと今を操作します。

しかしこれまで体験で学んできた人類の
この原因と結果の法則さえ
役に立たない時代が来ようとしています。

時間は絶対的なものではなく、
今この瞬間を生き切ることによって、

未来に予測された事態を
回避できることを体験してみて下さい。

「こうしたらこうなる、
だから今はこうしよう」
というような思考を
いったんストップしてみるのです。

今ここで信用を無くしたら
生き辛くなるとか、
今ここでこうしたら所得が下がる
だろうというようなことです。

今のあなたの行動と、
未来に起こることに必ずしも因果関係が

成立しているわけではなかったことを
体験し始める時がやって来ました。

もう自分の思考を使うのを止めて、
自分の人生を
自分のハイヤーセルフに委ねましょう。

勇気を持って、
その瞬間したくなった事を
自分に許すのです。

「大丈夫、これで絶対に
問題はないのだ、総ては必ずうまくゆく」
と、事情の如何に関わらず単に信じて、

今、したいことを自分に許していると、

あなたが過去に体験した
因果律に反した結果を
招くといった体験を
引き寄せ始めることでしょう。

三次元現象世界では、
今とこの次の瞬間は繋がっていないのです。

宇宙は毎瞬毎瞬、
その瞬間ごとに完全です。

今ここに完成された
完全なる宇宙があり、
次の瞬間には又別の
完全な完成された宇宙が生まれます。

我々の意識は毎瞬毎瞬
その完全な宇宙を移動することによって
時間の流れを感じているだけのようです。

今と次の瞬間は決して線で
繋がっているわけではありません。

今この瞬間、
あなたの意識がシフトすると、
別の平行宇宙へ入っていきます。

すなわち別の平行時間軸の
宇宙へと移動してしまうのです。

 
もちろん同じ意識状態の
ままでいるあなたは、

これまで通り過去において
おなじみの因果律の
体験を味わうことは
もうご存じの通りです。

あなたが信じた通りの宇宙を、
また次の瞬間に創造するからです。

しかしあなたが信じるものが
変わった次の瞬間、
その新たな信念通りの
宇宙を産み出します。

「これで良いのだ」
と知っている人は、
これで良い宇宙を産み出すのです。

「これではまずいことになる」
と知っている人は、
これではまずい環境を
創造してしまうからです。

そんな体験の一つひとつが、
あなたの時空間にゆらぎを起こし、
あなたの直線的時間の観念に
ひびを入れていくことになります。

「こうしたらこうなる、
だからこうしよう」
といった固定的思考に
挑戦してみて下さい。

必ず、あれ、なるほど
時間は繋がっていなかった
という体験が出来ることでしょう。

その時あなたの意識は、
固定的時間の束縛から
自由でいられることを知るでしょう。




貫井投稿

#宇宙#ハイヤーセルフ#今ここ#今この瞬間#原因と結果の法則#思考#未来#自分の人生#原因と結果#津留晃一







この広大な宇宙のなかで、あなたはたった独りだ……そこにはだれっもいない。
2023年09月30日(土) 05時05分24秒
テーマ:osho




 
osho







自分が喜びを感じる方向を見つけるがいい。

あなたのハートの鐘を鳴らす星に向かって進むのだ。

どこへ向かうかはあなた自身が決定すべきであって、

ほかのだれにも決めさせてはならない。
 

 私が極端の道に従う人々を批判したとき、

何度も中庸の道について語ったのはそのためだ。

なぜなら、極端はけっして全体にはなりえないからだ。

それはいずれか一方の極端にすぎない。

一方の極端にとどまることはもう一方の極端を見逃すことであり、

生の半分だけを生きることにしかならない。


あなたはとてつもなく価値のある何かを見逃したまま、

それが何であるのかをけっして知ることはないだろう。

そういった文脈のなかで、私は中庸の道について語ってきた。
 

 中庸の道、中道――ちょうど真ん中――を歩く人は、

はるかかなたまで伸ばされたふたつの翼のような両極をもっている。

彼はその両極を自らの存在の内に包み込んでいる。

彼は真ん中に立っているが、その翼は両方の極に同時に届いている。

彼は全体的な生を生きる。


 しかし、別の文脈においては、私は中庸の道に“対立すること”を語ってきた―

―生を理解することはそれほど単純ではない。

それは世界でもっとも複雑な現象だ。

そうであって当然だ。

なぜなら生は、この全存在のなかで意識がもっとも進化した状態だからだ。


 生は実に複雑な現象なので、人にはけっしてそのすべてを語ることはできない。

あなたはたったひとつの局面についてしか語ることができない。

そして、生のひとつの局面について語るとき、

あなたは知らないうちに他の局面を否定することになる。

あるいは、少なくとも無視せざるをえない。

生はそういったすべての矛盾対立するものの組み合わせなのだ。

だから、あなたがひとつの局面について語っているとき、

それに対立する局面――それもまた、あなたが今語っている局面と

同じように生の一部なのだが――否定され、打ち消されることになる。


 私の話を理解するということは、

特定の文脈において語られたことを理解するということだ。

けっして何かをその文脈から切り離して受け取ってはならない。

そうでないと、あなたはただただ当惑し、混乱するばかりだろう。

ときとして私は中庸の道について語るが、

それはさっきも言ったように、それが生の全体を含んでいるからだ。

その美しさはその全体性にある。

またときとして、私は極端の道を擁護する立場でも語ってきた。

なぜなら、極端には極端の美しさというものがあるからだ。


 中庸の道を歩く人の生は、つねに生ぬるい。

彼はきわめて用心深い。

彼は極端に走ることを恐れて、ひとつひとつのステップを実に計画的に進む。


 中庸の道に従う人は、情熱的に生きることができない。

彼は、生の松明を両端から同時に燃やすことができない。

それができるようになるためには、

人は極限を生きることを学ばなければならない。

極限を生きることには強烈さがある。

が、それには全体性がない。

だから私が強烈さについて語るときは、極端の道の方を強調してきた。


だが、こういったことはすべて、一定の文脈のなかで語られている。

 私はまた、道はないとも言っている。

道という考えとともに、いつも私たちはすでに完成された高速道路、

超高速道路を想像する――あなたがただその上を歩くだけでいいような。

私が、道などないと否定しつづけてきたのはそのためだ。


 現実の世界において、あなたは歩くことによって

道をつくり出さなければならない。

あなたたが歩くにつれ、一歩一歩、小道がつくり出される。

別の言い方をすれば、あなたは境界線も、

道も、道路標識もない、未知の領域に入りつつある。

あなたの歩みが道をつくり出していることは確かだが、

あなたがその上を歩くことはできない。

あなたはすでにそこを歩いてきてしまった――そうやって道は拓かれてきたのだ。


 そして覚えておきなさい。

“あなたの”の道はほかのだれのための道にもならないということを。

なぜなら、それぞれの個人はきわめてユニークであり、

もしだれかほかの人の道に従ったら、その人は自分自身の

アイデンティティーを失い、自分自身の〈個性〉を失ってしまうからだ。

だが、アイデンティティーや〈個性〉をもつことこそが、

〈存在〉におけるもっともすばらしい体験なのだ。


 自分自身をなくして、あなたはいったい何を得ようというのか?

 ただ偽善者になるだけだ。

いわゆる宗教的な人々がみな、世界で最悪の偽善者なのはそのためだ。

彼らはイエス・キリストやゴータマ・ブッダやマハヴィーラに従っている。


 これらの人々はただ偽善者であるだけではない。

こういった人々は臆病者でもある。

彼らは自分の生を自分自身の手につかんでいない。

彼らは自分自身の尊厳に何の敬意も払っていない。

彼らは自分がだれなのかを見いだそうとしていない。

彼らは自分ただ、ほかのだれかを真似ようとしているにすぎない。

彼らは上手な役者にはなれるだろうが、けっして自分自身にはなれない。


そして、あなたの演技がいかに美しかろうと、いかに正確だろうと、

それはつねに表面的な何か、あなたの上に積もったほこりの層にとどまる。

ちょっとした状況の変化だけでそれは吹き払われ、あなたの現実が姿を現わす。


 あなたが自らの独自性を失うということはありえない。

 それはまさにあなたの本性だ。


 とりわけ反逆者にとっては……この独自性の主張こそが、

彼のまさに基盤、彼のまさにスピリチャリティ、彼の全存在となる。

だがそれは、彼が自分のエゴを主張するという意味ではない。

なぜなら、反逆者はあなたの独自性をも同様に尊重するからだ。


 人々は平等でもなければ、不平等でもない。

そういった哲学はまったく心理学的な事実、科学的真理に基づいていない。

平等というまさにその考え自体が、まったく根拠のないものだ。

それぞれにユニークな人間たちが“等しい”などと、

どうして考えることができるだろう?


 もちろん、人々には平等の機会が与えられるべきだ――

が、何のために? 

とても奇妙な目的のためだ。

人々は自分自身になるためにこそ平等の機会を与えられるべきなのだ。

別の言い方をすれば、等しくはない。

ユニークな存在になるためにこそ平等の機会を与えられるべきなのだ。

そうなれば、さまざまな花、さまざまな色彩、

さまざまな香りの多様性が、この世界を豊かにしてくれるだろう。

(中略)

 この広大な宇宙のなかで、あなたはたった独りだ……そこにはだれっもいない。

ひとりの仲間さえ――大空は完全な沈黙を守り、

だれひとりあなたに道を示す者はなく、

だれひとりあなたに導きを与える者もいない。


 反逆者は、真にスピリチュアルな存在だ。

彼はいかなる群れにも属さず、いかなる制度にも属さず、

いかなる組織にも属さず、いかなる哲学にも属さない。

もっと簡潔に、決定的な言い方をするなら――

彼は自分自身を他人から借りてきたりはしない。

彼は自分自身の内側を深く掘り下げ、

自分自身の生の精髄、自分自身の生の源泉を見つける。


 道の必要などあるだろうか? 


あなたはすでにここにいる――あなたは存在し、意識している。

基本的な探求に必要なすべては、

すでに〈存在〉そのものによってあなたに与えられている。


 自分の意識の内に目をやり、その味を味わうがいい。

 自分の生の内に目をやり、それが永遠であることを見るがいい。


 自分自身の内面に目をやり、もっとも神聖な、

もっとも聖なる寺院は、自分自身の肉体であることを知るがいい――


なぜなら、そのなかには“神性”が、聖なるものが、美しいものすべて、

真実なるもののすべて、価値あるもののすべてが秘められているからだ。

 あなたはたずねている。「反逆者を導くものはいったい何でしょう?」


 反逆者の美しさは――彼がガイドを必要としないことだ。

彼こそが自らのガイドであり、彼こそが自らの道だ。

彼こそが自らの哲学であり、彼こそが自らの未来だ。


それは「私という存在は私が必要とするすべてであり、


この〈存在〉こそ私のわが家だ。



私はここではよそ者でない」という宣言だ。






🙏







津留晃一

これまでの永い転生の歴史の中で、
人を殺した体験のない人は
いないと伝えられました。

殺す体験をし、
殺される体験をして
真ん中を学びます。

優しく思いやりのある人間を
体験した後は、
意地悪で独りよがりな人生を
体験して、

その両極の中心点が分かります。

切れ者で英才を演じた後は、
愚鈍で仕事の出来ない役を
体験して、

二極のバランスを図ります。

名歌手を演じた後、
次の転生で音痴を体験して、

ねたみの気持ちを味わいます。

真ん中そのものを
体験することの出来ないこの世界で、

二極の両極を体験することによって
真ん中を知ろうという筋書きのようです。

解体、そして統合、解体、統合、
宇宙のこの偉大なる永遠の
繰り返しの過程の中で、

往路である解体の過程を
終演させた宇宙は、
大いなる一つに向けて
統合の過程を歩き始めました。

統合とは二極の統合のことです。

陰と陽、善と悪、美と醜、
自と他、内と外、精神と物質、
右脳と左脳、男性性と女性性、

出来る事と出来ない事、
ありとあらゆる対立していた二極が
統合へと向かい始めます。

統合とは内なる統合のことです。

関係のこじれた恋人同士の
よりを戻すことではありません。

出来なかったことを
猛練習して出来るようにする
ということでもありません。

悪を我慢して泣き寝入りをする
ということでもありません。

善悪の統合とは、
善と悪の両方を知りつくし、
内なる悪を受け入れ
認めたときに達成されます。

仲直りさせようと
他人に働きかけてもうまくいきません。

「あなた、それは違うのよ」
と他人を説得することは出来ません。

悪から逃げ出そうともがいてみても
絶対に逃げおおせることはありません。

あなたが忌み嫌っている悪は
あなたの内側にあるのですから。

人はどんなに熱心に勉強をしても、
「人に優しくできますように」
とお祈りしても、

グルの話を何100回聞いても、
人生の折々の瞬間には、
優しくできない自分を発見します。

この宇宙は
陰陽二極の表現の世界です。

宇宙のビッグバンの瞬間に
プラスとマイナスの
素粒子が生まれました。

プラスとマイナスの数は
どんな時も同じ数だけ存在します。

優しからざるものが、
優しさを表現可能にします。

すなわち優しくないものが
優しさを支えている
宇宙であるといえるでしょう。

ホロニックな
この宇宙に存在するあなたは、
この陰陽二極の宇宙の反映です。

全宇宙と同じ存在であるあなたの内に、
陰と陽、すなわち善と悪が存在します。

善も、悪もあなたの内側に存在します。

宇宙が
陰と陽の二極で完全であるように、
あなたも善と悪の二極を
同時に持って完全なのです。

悪はあなたの内側にあります。

そのことを完全に認めたとき、
人はどんなに安らぐことでしょう。

「悪もあって良いのだ」
このことをあなたが受け入れたとき、
あなたに大安心が訪れます。

彼のあの態度が
気に入らなかったとしても、
それはそれで
ちっともかまわないのです。

そんなあなたの内側の
引っかかりを受け入れ、許し、
100%認めたとき、

あなた自身が
完全なる一つに統合されます。

心が完全なる球体に満たされ、
喜びが満ちあふれます。

統合されたあなたは、
見るもの、聞く声の全てが
一変して
感じられるようになってきます。

あるものをあるがままに
純粋体験が出来るようになると、
感動の嵐が
背骨を突き抜けるのを知るでしょう。

あなたが意識を向けた草花から、
めくるめく至高感が
もたらされることでしょう。

生きている事そのものが
感動であることに気づくでしょう



貫井投稿

#統合#宇宙#男性性と女性性#陰陽#陰と陽#善と悪#解体#人生#プラスとマイナス#優しさ

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縄文時代にゆるゆる瞑想をしていた、シャンタンこと宮井陸郎(1940.3.13-2022.3.17)のブログ 【地球は国境のない、一つのうつくしい平和な星です】 【いまここをトータルに生きる】 いろんな人の言の葉を、分かち合いたいと思いまあああああああす! (貫井笑店)













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