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身体の景色 (karada no keshiki)

vol.3を終えて 3演目の相互作用

3演目(羅生門・寂しき魚・トロッコ)の稽古を同時進行させていた

羅生門は再再演
寂しき魚は再演
そしてトロッコは初演

作品ごとに熟成度が異なり、その度合に則した発見と気付きがあった
そしてそれら発見と気付きは他作品に生かされ、学びの幅を広げた
これはとても良い作用であった

3年における羅生門の試行錯誤は、とある発声に辿り着いたのだが、その発声は寂しき魚とトロッコにもそのまま生かされた
しかし作品の質が異なるためであろうか、微細に響き方が違い、同じ発声法でも、出る声が違った
そしてそれをそのまま受け入れる自然を学んだ(数年前の僕なら力技でひとつの声質に集約させていたであろう)

初演であるトロッコでの発見は
とある感覚が羅生門においては技術に変換され過ぎてしまっていることを気付かせ
再現性と即興性の同居、その重要さを、改めて、身体に刻み込むように、学んだ

寂しき魚で音として言葉を置き過ぎ意味が剥ぎ取られた反省は
羅生門で意味ばかりを追って情景が疎かになった反省と繋がり
またそれはトロッコで情景に重きを置き言葉の引っ掛かりを失った反省とも繋がり…

音、言葉
意味、情景、皮膚感覚
これらが区分されることのない交わり溶け合ったひとつの波動であることを学んだ
その波動に身を任せれば、ナニかが剥ぎ取られたり、疎かになったり、失ったりすることは無い


ある日
羅生門で、背中から後頭部を通って、額のあたりから出るナニかが、静寂にふうっと触れるイメージがあった
呼吸が楽になり、心も軽くなった
この発見と気付きは再再演となる羅生門なればこそであろう

試しに寂しき魚とトロッコでもその感覚にアンテナを出してみた
羅生門ほどでは無かったが、ナニかが静寂に触れた


羅生門が先陣を切り、様々な発見と気付きを得
後陣である寂しき魚とトロッコに与え

後陣であるトロッコは
行き過ぎた先陣を時折戒める

3演目の稽古を同時進行させることで
思ってもみなかった良い作用が生まれたのであった
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