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Unknown
(
かん
)
2013-11-16 20:06:46
宇高連絡船は桟橋に出札はなかったはずです。
宇野も高松も鉄道のホーム延長同一平面に桟橋があり、どちらも自由席主体でしたので、鉄道と連絡船の乗換は今の大垣ダッシュよりひどいかけっこ大会でした。(青函航路より列車から船までの移動距離はかなり短かったと記憶しています)
多客時には臨時の立ち売りの可能性もあったかもしれませんが、上述の事情で誰も買わなかったことでしょう。
その代り、船内の案内所で、岡山・宇野・高松発の乗車券類をは発売していました。(高松-岡山・宇野の硬券もありました。)
では、「〇讃 高松駅(さん橋)」とはいったいどこでしょう。これは昭和47年から運行されたホバークラフト(連絡船急行便)や昭和60年から運行された高速艇の乗り場であったと思います。
これらの船は連絡船の普通便と船の大きさが異なり、異なる乗り場に発着していました。宇野は普通船桟橋のすぐ隣に、高松は具体的に思い出せませんが全く異なる所(改札外だった気がします)から出ていました。
私が乗船したときは、桟橋で乗船時に乗務員(船員)が乗車券類のチェックを行っており、必要な券がない客にはその場で発券していました。宇野駅では宇野駅(さん橋)発行の宇高ホーバー券を、高松駅では乗車券・宇高ホーバー券を買ったことがあります。
中にはホーバー券(急行券)のみ用意して乗車券の用意をしていない客もいたのかもしれず、そのための券である可能性が高いです。
ちなみに、JR時代は不明ですが、国鉄時代は連絡船船員の切符発行は駅と同様の扱いで、補充券も出札補充券を使用していました。特に高松は改札外(だったはず)なので、出札と同じ扱いだったと思います。
なお、平成2年の運航休止時には高速艇しおかぜのみとなり、券もしおかぜ乗務員発行と表示されていたようです。
> かん様
(
isaburou_shinpei
)
2013-11-17 19:25:51
コメントありがとうございます。
仰せの通り、改札内の乗換口通路で立売りされていたもので、仰せのように「誰も購入しなかったもの」なのかは断定できませんが、連絡船の乗車券を所持しない旅客に対して発売していたものです。
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宇野も高松も鉄道のホーム延長同一平面に桟橋があり、どちらも自由席主体でしたので、鉄道と連絡船の乗換は今の大垣ダッシュよりひどいかけっこ大会でした。(青函航路より列車から船までの移動距離はかなり短かったと記憶しています)
多客時には臨時の立ち売りの可能性もあったかもしれませんが、上述の事情で誰も買わなかったことでしょう。
その代り、船内の案内所で、岡山・宇野・高松発の乗車券類をは発売していました。(高松-岡山・宇野の硬券もありました。)
では、「〇讃 高松駅(さん橋)」とはいったいどこでしょう。これは昭和47年から運行されたホバークラフト(連絡船急行便)や昭和60年から運行された高速艇の乗り場であったと思います。
これらの船は連絡船の普通便と船の大きさが異なり、異なる乗り場に発着していました。宇野は普通船桟橋のすぐ隣に、高松は具体的に思い出せませんが全く異なる所(改札外だった気がします)から出ていました。
私が乗船したときは、桟橋で乗船時に乗務員(船員)が乗車券類のチェックを行っており、必要な券がない客にはその場で発券していました。宇野駅では宇野駅(さん橋)発行の宇高ホーバー券を、高松駅では乗車券・宇高ホーバー券を買ったことがあります。
中にはホーバー券(急行券)のみ用意して乗車券の用意をしていない客もいたのかもしれず、そのための券である可能性が高いです。
ちなみに、JR時代は不明ですが、国鉄時代は連絡船船員の切符発行は駅と同様の扱いで、補充券も出札補充券を使用していました。特に高松は改札外(だったはず)なので、出札と同じ扱いだったと思います。
なお、平成2年の運航休止時には高速艇しおかぜのみとなり、券もしおかぜ乗務員発行と表示されていたようです。
仰せの通り、改札内の乗換口通路で立売りされていたもので、仰せのように「誰も購入しなかったもの」なのかは断定できませんが、連絡船の乗車券を所持しない旅客に対して発売していたものです。