今回の作品は、70年代に吹き荒れた騒乱の余熱で作られたものです。今回のケースでは、建築家はクライアントに押されっぱなしだったようです。
製作場所は三宅島、建物に付けられた名前は「生闘学舎(チャーリー)」、建築家は高須賀晋という人です。
japan arcitekt
こういう本が出てます。↓
japan arcitekt
こういう証言がある↓
弟子筋コラム
よくも集めたものだと思うが、5000本とも6000本とも云われている(ここらの証言はバラバラです。それにしても1000本差がでるか?)枕木をログハウスみたく積み上げてつくったのだ。組積みの木造三階建ては当時許可されておらず、結局「違反建築」の称号を頂いてしまった。
クライアント(兼製作者)は、在日朝鮮人に対する差別反対闘争を展開していた人々の一派だったようですが、闘争に疲れ「自らを敗者」(高野氏談)と位置づけ、三宅島に移住しコミューンづくりを構想し、拠点となる施設を自ら建設する決意を固めたのでした。そこで選ばれた建築家は高須賀晋、材料は「枕木」だった。「糞尿にまみれた枕木は今の自分たちの立場にぴったりに思えた。」(高野氏談)
建築素材として枕木が世に認知を受けた最初の瞬間だったと思う。
「組積」という工法はそんなに六つかしい部類ではない。ブロックによる組積構造の場合、一人で積んでいけばいいわけだからセルフビルドを志向する人にはおすすめの工法なのだが、材がなんつったて枕木なので一人で積んでいくわけにも行かない。
そして、素人集団ゆえに建設は当然ながら悪戦苦闘を続け、さらに枕木の持つ「重い・硬い・臭い・精度が悪い・砂利がめり込んでいる」という五重苦がのしかかった。
当初は、70年代騒乱世代らしく各人の「主体性」を重んじ、役割分担もあいまいなままに進めていたようですが「普請」という行為はそうは簡単に事がすすまないのだ。不具合が発生したときは原因を見極め、解決法を考えるという良質な「弁証法」がなければ前にはすすまないのだ。かくして組積みの工程でも、材を裁断した人と材を積む人の間で激しいやり取りが発生したようです。「おまえが悪い!自己批判せよ!」
このテの恫喝は多くの場合、何の役にも立たない。
コミューンというのは人間の持つ「善意」によってしか成立するものではないが、これが「憎悪」に反転すると解体する他ない。しかも容易に反転しやすいのだ。世界を見渡しても「憎悪」でもっているのはユダヤ教ぐらいです。
建物の共同作業という、ある個人の行為が他者の行為に確実に影響を及ぼすような場面では「憎悪」に反転しやすいのだ。かくして、主催者の高野氏も一時は頓挫を覚悟したようです。
話を聞いてみれば、裁断は几帳面に行われたようですが、どうしても組む場面でピタリと合わない。なんせ、枕木なので一本一本が全てに渡って全く違う反り狂いがあるので当然なのだが・・・。
この場合は一定の狂いを見越して裁断し組む場面で微調整をするのが正しい。当初の役割分担では裁断は単に裁断、組み方は単に組むのみとして進めようとしたようです。かくして「裁断が悪い!」「組み方が悪い!」といったコミュニケーションとあいなった。
しかしながら救済者が現れた。たまさか三宅島に在住していた宮大工の人が、見るに見かねて少々口を挟んだ。「そりゃアソビがないから当たり前だ。」
そうしてアソビのつくり方とかを伝授した。彼らは件の大工さんに三顧の礼をもって「棟梁」をお願いしたようですが、にべも無く断られた。
「この建物は君たち自身が作ってこそ意味がある。違うかね。」正論である。
かくして、何とか師匠にだけはなってもらい、技術指導を始めた事により軌道にのったのでした。割り食ったのは件の建築家でした。「設計が悪い!監理が悪い!」
この「勘違い」は最後まで解消しなかったようです。しかしながら、こういった最悪の状況下でも名建築となり、建築学会賞にも輝いたのはひとえに建築家の設計力に依っていると思う。
けんちくんの部屋
当時学会でももめたようです。「違反建築に賞を授与するのか!」
しかしながら「建築の素人集団がこれだけの建築物をつくったのだ。それだけでも賞に値する。」という声が圧倒的で受賞とあいなった。
残念ながらこのコミューンは今は解消されたと聞く。
酷なことは重々承知で「とんでも建築5」と較べてしまう気持ちを排除できない。
例によって、登場人物はその筋では相当な有名人にあらせられることに敬意を表し、敬称略であることを御容赦願います。また勝手にリンク貼りました。御同好の士ということでおゆるし下さい。
製作場所は三宅島、建物に付けられた名前は「生闘学舎(チャーリー)」、建築家は高須賀晋という人です。
japan arcitekt
こういう本が出てます。↓
japan arcitekt
こういう証言がある↓
弟子筋コラム
よくも集めたものだと思うが、5000本とも6000本とも云われている(ここらの証言はバラバラです。それにしても1000本差がでるか?)枕木をログハウスみたく積み上げてつくったのだ。組積みの木造三階建ては当時許可されておらず、結局「違反建築」の称号を頂いてしまった。
クライアント(兼製作者)は、在日朝鮮人に対する差別反対闘争を展開していた人々の一派だったようですが、闘争に疲れ「自らを敗者」(高野氏談)と位置づけ、三宅島に移住しコミューンづくりを構想し、拠点となる施設を自ら建設する決意を固めたのでした。そこで選ばれた建築家は高須賀晋、材料は「枕木」だった。「糞尿にまみれた枕木は今の自分たちの立場にぴったりに思えた。」(高野氏談)
建築素材として枕木が世に認知を受けた最初の瞬間だったと思う。
「組積」という工法はそんなに六つかしい部類ではない。ブロックによる組積構造の場合、一人で積んでいけばいいわけだからセルフビルドを志向する人にはおすすめの工法なのだが、材がなんつったて枕木なので一人で積んでいくわけにも行かない。
そして、素人集団ゆえに建設は当然ながら悪戦苦闘を続け、さらに枕木の持つ「重い・硬い・臭い・精度が悪い・砂利がめり込んでいる」という五重苦がのしかかった。
当初は、70年代騒乱世代らしく各人の「主体性」を重んじ、役割分担もあいまいなままに進めていたようですが「普請」という行為はそうは簡単に事がすすまないのだ。不具合が発生したときは原因を見極め、解決法を考えるという良質な「弁証法」がなければ前にはすすまないのだ。かくして組積みの工程でも、材を裁断した人と材を積む人の間で激しいやり取りが発生したようです。「おまえが悪い!自己批判せよ!」
このテの恫喝は多くの場合、何の役にも立たない。
コミューンというのは人間の持つ「善意」によってしか成立するものではないが、これが「憎悪」に反転すると解体する他ない。しかも容易に反転しやすいのだ。世界を見渡しても「憎悪」でもっているのはユダヤ教ぐらいです。
建物の共同作業という、ある個人の行為が他者の行為に確実に影響を及ぼすような場面では「憎悪」に反転しやすいのだ。かくして、主催者の高野氏も一時は頓挫を覚悟したようです。
話を聞いてみれば、裁断は几帳面に行われたようですが、どうしても組む場面でピタリと合わない。なんせ、枕木なので一本一本が全てに渡って全く違う反り狂いがあるので当然なのだが・・・。
この場合は一定の狂いを見越して裁断し組む場面で微調整をするのが正しい。当初の役割分担では裁断は単に裁断、組み方は単に組むのみとして進めようとしたようです。かくして「裁断が悪い!」「組み方が悪い!」といったコミュニケーションとあいなった。
しかしながら救済者が現れた。たまさか三宅島に在住していた宮大工の人が、見るに見かねて少々口を挟んだ。「そりゃアソビがないから当たり前だ。」
そうしてアソビのつくり方とかを伝授した。彼らは件の大工さんに三顧の礼をもって「棟梁」をお願いしたようですが、にべも無く断られた。
「この建物は君たち自身が作ってこそ意味がある。違うかね。」正論である。
かくして、何とか師匠にだけはなってもらい、技術指導を始めた事により軌道にのったのでした。割り食ったのは件の建築家でした。「設計が悪い!監理が悪い!」
この「勘違い」は最後まで解消しなかったようです。しかしながら、こういった最悪の状況下でも名建築となり、建築学会賞にも輝いたのはひとえに建築家の設計力に依っていると思う。
けんちくんの部屋
当時学会でももめたようです。「違反建築に賞を授与するのか!」
しかしながら「建築の素人集団がこれだけの建築物をつくったのだ。それだけでも賞に値する。」という声が圧倒的で受賞とあいなった。
残念ながらこのコミューンは今は解消されたと聞く。
酷なことは重々承知で「とんでも建築5」と較べてしまう気持ちを排除できない。
例によって、登場人物はその筋では相当な有名人にあらせられることに敬意を表し、敬称略であることを御容赦願います。また勝手にリンク貼りました。御同好の士ということでおゆるし下さい。