「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」を読みました

2010-01-28 10:32:20 | Weblog
福岡 伸一著     森楽舎


「できそこないの男たち」からハマッタ福岡先生の著作のひとつ、やっと図書館から順番が回ってきました。でももう半年以上前の話しなんですけどね。


今まで読んだ福岡先生の著作の美味しいところ取りの本です。流れるような話しの展開と構成の上手さ。ひとつひとつの話題の収束点に向けてのヒロガリと読者の想像を許しながらの自由度もあって、なおかつ納得させる技術の高さ、そのうえ理系の良さと文系の良さを併せ持つ福岡先生ならではです。


生命とは何か?私たちが生きている今(科学的な状況を、未来を、倫理としても、あるいはそれを裏付ける知識を)を、どう捉えたら良いのか?あるいはどう捉えるべきなのか?またはこういう風に考えることはできないか?という事象についてそれこそ科学的にも、倫理的にも見つめ直すきっかけになる本です。


「ダイエットの科学」における科学的、論理的根拠を示しつつ『当たり前』の事実に目を向ける話し、「その食品食べますか?」の中のコストパフォーマンスの向きの馬鹿げた話し、「生命は時計仕掛けか?」に出てくる時間という概念と生命との関連、科学史が好きな人にはタマラナイ話し「ヒトと病原体の戦い」、そして最も重要と思われる「生命は分子の「淀み」」の動的平衡の話し。どれも非常に面白く、確かに今まで読んだ本の流れと何も目新しいものはありませんでしたが、それでもより深く、物事を理解できるようになっていますし、その他の著作を読むよりも非常にコンパクトにまとめられていて、これから福岡先生の本を読もうと思われている方にはよりオススメできます。


もちろん福岡先生の話しの全てに同意するものではありませんし、やはり少しは客観性を働かせると(あるいは私の批評性でも、内なる他者でも、突っ込み小人でも構いませんが、そういう批判精神のようなもの)科学の説明の部分は全て私が証明できるわけでもなく、それ以外の考え方もあるのかも知れませんが、淀み、という流れに置いて生命を捉えることから見える視点は、テラインコグニタ(未踏の地、もちろん私にとって)と言えます。また、知らないより、知った上での考え方は、事実が異なっていたとしても、考え方の新鮮味と柔軟性をも潰すものでは無いと考えます。


最後に出てくる伊藤若沖の絵がまた素晴らしくマッチしていて凄い。


福岡先生の本に、動的平衡という状態に、興味のある方にオススメ致します。

土曜日に、

2010-01-25 15:44:59 | Weblog
立川で、大人になってから知り合った友人と飲んできました。時々このブログにも登場いたしますが、かなり面白い友人です。


その友人がオススメしてくれることは、だいたいにおいて私にとっても面白いことです。恐らく嗜好が似ているのだと思います。


最近読んでいるお互いの本(しかし、ここで「無痛文明論」が出てくるとは思いませんでした!かなり昔に読みましたが切れる本です)の話し、お互いの仕事に関する率直な意見交換、娘(彼には2人の娘がいます)の教育問題からその個性的違いについての考察、保守と革新の差、そしていつか行こうと言っていた寄席に関する約束などなど。


そしていつか行きたいところに話しは膨らみます。行き先はいろいろですが、共通の場所もあって、それはお互いが興味深い人物であると考える「江川太郎左衛門 英龍」の韮山にある江川邸です。私は江川太郎左衛門英龍の、尚歯会の中にあって幕臣という立場であり続ける、というバランス感覚をとても凄いことと考えます。

いつも時間ギリギリまで(終電には乗りたいですから)話し込んでしまいます。

「さよならソクラテス」を読みました

2010-01-21 09:30:20 | Weblog
池田 晶子著    新潮社


池田さんのソクラテスシリーズ第3弾、そして完結編です。

やはり哲学者ソクラテスと、その妻であるクサンチッペの対話で時事問題を哲学的に斬るシリーズです。


で、今回扱う問題は渡辺さんの「失楽園」(読んでないけど凄いらしいですね...)、「家族」、「オリンピック」、「脳内革命」(これも凄い本らしいですね...)、そして相手をクサンチッペではなく、その他に求めた「愛国心」、「インターネット」、「投票率」、「介護」などなどです。


とても大きな問題から、日常のささやかな問題、果てはちょっと下世話な問題にまで、ソクラテスとその相手が語り合い、「無知の知」を、哲学的な物事の捉え方を、面白おかしく分からせてくれます。ソクラテスの問いかけがいちいちごもっともで、なおかつその問題提起に対しての代案は、「おのおのが考えよ」という姿勢がバッサリ感を伴って心地よいです。特に「無知の知」を理解することはとても重要ですし、各個人が考えることの重要性も理解出来ますし、面白いかったです。中でも「愛国心」、「投票率」、「オリンピック」などについてが、私にはとても面白く感じました。ただ、少し考えたことのある方ならある意味当たり前のことでもあると思いますが。


それでも、代案を示すことも、ただの批判者になるよりは有効なことでもある、と私は考えます。やはり社会に生きる以上は社会を構成していくことになるわけですし、今から哲学者になって生活する覚悟はなかなか無いですし。しかし、1度は突き詰めて考えてみたことがあるのか、ないのか、は非常に重要なことであると思います。ルールは破れる、しかしあえて破らないことの重要性みたいなものを考えてしまいました。


特に秀逸であったのは最後の最後に「ソクラテスの弁明」と題した最終回(?)と思われる回と、その後におまけのようにある、著者池田さんと思われる池田某との対話「ソクラテス、著者と語る」です。


ここまでこのシリーズを読んできて、このソクラテスの考え方の基本となっている(と、私が勝手に思っている)「無知の知」を通すことで得られる何かの価値を知り、著者池田さんとの対話でこの『対話』の形式の凄さをつまびらかにしてくれます。


哲学に傾倒するのは結構怖いことなのかも知れませんね。何事もほどほどに、ということなのでしょうか?しかし池田さんとソクラテスは突き抜けてますし、突き抜けていつつ、社会生活を送った池田さんは凄いです。


やはり考えるのが好きな方にオススメ致します。

金星!

2010-01-17 09:58:53 | Weblog
お相撲を見ます。

判定や決まり手を判断するのにビデオ判定を取り入れること、凄く気に入ってます。良い判断だと思いますし、アメフトでも使ってますが、個人的に好きです。でも、何のスポーツでも良いわけではなく、フットボール(サッカー)には向かないと考えます。

日本の国技としての伝統的なところも、好ましいと思います。


そんなお相撲の環境で気になるのが横綱審議委員会です。

朝青龍を個人的に好きなわけではありませんが、横綱審議委員会が横綱に昇進させたわけですし、横綱の「品格」を問うということにアンフェアなものを(品格を問われてほこりの出ない人はいないでしょうね・・・)感じます。また、ただ単に好き嫌いや国籍上の差異を感じさせることも多く、「横綱審議委員を審議する委員会」を作って欲しいといつも思います。もし、規約がある(2場所連続優勝か、それに順ずる成績となってますが、順ずる内容を規約に定義して入れて欲しいし、品格も何を持って品格とするのか、誰が品格を判断するのか、時代性をどう考慮するか、問題ありです)なら、本当は横綱審議委員なんていらないような気がしますけれど。


今、私が個人的に応援する力士は把瑠都関です。お相撲にセンスを感じさせますし、出稽古を怖いとしてしないという話しも面白く、時々良い勝負に勝った後、インタビュー席に呼ばれて話すコメントもおかしくて、お茶目です。

そんな把瑠都が強い横綱白鵬についに勝つ事が出来て、とても嬉しいです!今年中に大関になって欲しい~!

「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」を読みました

2010-01-14 20:48:14 | Weblog
池田 晶子著     新潮文庫


あの、哲学者のソクラテスが、その悪妻といわれるクサンチッペを連れ立って現代に蘇ってきました。そして2人で時事問題について問答するだけなのに、これまた非常に面白おかしく切ってくれます。ソクラテスの考え方の哲学深さ、そしてその徹底さ加減が大変可笑しく、現実的で妙に人間味のあるクサンチッペとの掛け合い漫才のようになっていて面白かったです。このどちらが欠けてもなかなか上手く行かなかった時事批評だと思いますが、その両方を操れる池田さんの懐の深さを感じられました。 また、かなり実名を挙げての斬り方も非常に好感持てますし、肝の据わったところを感じさせます。


もちろんかなりの禅問答的展開もありますし、いわゆる哲学することのみではきっと生きていけなくなるので、私はその落としどころをどこにするか?という部分に特に興味がありましたが、いわゆるソクラテスの「無知の知」の意味を再確認することは出来たかと思います。ソクラテスの言う各個人が考えるべき問題、というのがすべてなんでしょうけれど、なかなか出来ない迷える子羊である私も、面白く考えられるようになったと思います。ただ、改めて全く考えもしなかった!という部分は少なかったかな?とは思いますし、誰でも1度は通る道なのではないか?と個人的には考えます。


もちろんこの道を突き進むと現実生活に甚大なる影響を与えますし、社会人として社会に生きていくべきであるならこそ、ルールを破れる事実を知りつつ破らない行動を自らが選んで行うことへ通じる道でもあるのではないか?と感じます。


問題にすることは臨死体験だったり、反戦映画だったり、あるいは「ソフィーの世界」だったり、もしくは不倫だったりと、まさに時事問題を扱いつつも、哲学として掘り下げると、「無知の知」を知らしめるために考えるとはどういうことか?を見せてくれます、それも面白おかしく。


『考える』とは、『知らない』とはどういうことか?を考えたい方にオススメ致します。

「グラン・トリノ」を見ました

2010-01-12 20:40:11 | Weblog
クリント・イーストウッド監督     ワーナーホームビデオ


クリント・イーストウッド監督作品は実は結構見ている方だと思います。当然ですが好きな監督、と言えると思います。


フォードで長く働き、妻に先立たれ、1人暮らしをし、2人の息子とは疎遠、その娘である孫たちとの関係も非常に薄い、割合見た目に左右されてしまっているように感じさせるステレオタイプな頑固親父であるウォルト。彼の周りの家はいまや様々な人種の人々が住み、なかなかお互いを理解出来ずにいます。頑固であることの裏には、朝鮮戦争時の兵役が暗い影を落としています。そしてもちろん自身に厳しいために、周りにも厳しく、その結果孤立しています。


隣りに住むアジアからの移民の一家には父親がいなくて、娘であるスーが家庭を仕切っていますが、弟のタオにもう少し自立して欲しいと家族が願ってもいます。タオは同じ人種の若者グループからも相手にされないのですが、ある事件をきっかけに隣人ウォルトの愛車グラン・トリノを盗むことに同意し、実行するもウォルトに見つかり失敗。若者グループからも浮いた存在だったタオは、ウォルトに謝罪してから、奇妙なウォルトとタオの関係が深まってゆきます。


という少年タオの成長と、頑固なウォルトの心の交流を描いた物語の絡みが見ものです。


イーストウッドの作品が好きな方にオススメ致します。




ネタバレありです!しかも、どちらかというと私はこの映画の否定派です。何故否定的になってしまったのか?を理解していただく為にはどうしてもネタバレになってしまいますので、ここからはもう見られた方はどうぞ。もし未見の方は是非見られてからお願い致します。そしていつも通りただのど素人な私の個人的な感想です。



























ウォルトの、息子や孫に対する態度は非常に分かりやすい、そして相手の説明を受け入れず、よってこちらの意思を示すこともない、分かり合おうという歩み寄りを拒否した今までの態度のお互いの積み重ねであろうと思われます。タオを最初に少しだけ見直す場面が、落とした買い物を拾ってやるなんてちょっとベタ過ぎませんか?たったそれだけで割合心を許してしまっています。自分の息子にも孫にももう少し自分から心を開く度量があれば良かったはずなのに。


スーが黒人3人組みに絡まれているのを助けるシーンに老人ウォルトは相手に言うことを聞かせるのに、暴力という銃を使った脅しを傘にきて相手をのして行きます。まだ腕力に訴える方がましな気持ちもあったのですが、銃を使うことで非常にスケールを小さく感じさせます、私にとって、ですが。「許されざる者」もそうなのですが、同じ暴力という銃を扱うにあたり、正義と悪という構図があまりに分かり安すぎるように感じました。あくまで正義の側に立つイーストウッドですが、基本的にウォルトがタオの顔のやけどに逆上しなければ、ウォルトが介入しなければ、タオに解決させる筋道を立てなければ、スーが襲われ、事態がエスカレートしなかったのではないか?と思うのです。その時点では、ウォルトは既に死期を悟っていたのでしょうし、だからこそ息子に対して電話さえかけているのですが、当然今までの成り行きからして上手くコミュニケーション取れるはずもなく、この点についてはまさに自業自得でしょう。いやらしい見方かも知れませんが、結局のところイーストウッドはただのお子様で、折り合いをつけたり妥協したりという術を用いないというワガママを、暴力というチカラを用いて行うように見えるのです。それをマッチョと呼べるかは別としても、「ぶれない」という意味ではたしかに「ぶれていない」のかもしれませんが、その姿勢を貫くならば、病気になって息子に電話をかけることを「ぶれた」と言えるのではないか?とも感じてしまうのです。都合の良い時だけイイカッコしたように見えるのです。


やはり、タオの家が銃で襲撃された段階で警察の介入があるのが普通であったと思います。もちろん、介入が無いからこその、イーストウッド節ではあるのでしょうけれど。


死に様を見せる、というならば、この方法しかなかったのでしょうけれど、タオは成長できたのでしょうか?


チカラの解決ではなく、死に様というロマンチストでもない、それでも生きていかなければいけない現実との折り合いのつけ方や、どうにもだらしがない解決策を「センチメンタル・アドベンチャー」と「ブロンコ・ビリー」が示している点を私はより強く評価します。男の生き様と死に様なら、現実との折り合いの男らしさというなら、「センチメンタル・アドベンチャー」や「ブロンコ・ビリー」を越えて欲しかったです。


あくまで個人的見解、ですけど。

昨日から、

2010-01-05 19:20:27 | Weblog
新年の仕事を始めました!

今年も1年間、健康で無事に生活出来る様に身体には注意していこうと思っています。

今年は寅年です、患者さんにいただいた寅の置物を、受付に飾ることにしました。なかなか素敵な顔をしていて気に入りました。

どうぞ今年もよろしくお願い致します!

あけまして、おめでとうございます!

2010-01-01 12:11:22 | Weblog
新しい年があけました!今年も様々なことがあるのでしょうけれど、皆様のお役にたてる歯科医でいられますように。

今年もいろいろな本や映画や舞台にも触れられる1年になりますように。

珍しく美人に撮れた我が家のダメ猫ともども、今年もよろしくお願いいたします!