福岡 伸一著 森楽舎
「できそこないの男たち」からハマッタ福岡先生の著作のひとつ、やっと図書館から順番が回ってきました。でももう半年以上前の話しなんですけどね。
今まで読んだ福岡先生の著作の美味しいところ取りの本です。流れるような話しの展開と構成の上手さ。ひとつひとつの話題の収束点に向けてのヒロガリと読者の想像を許しながらの自由度もあって、なおかつ納得させる技術の高さ、そのうえ理系の良さと文系の良さを併せ持つ福岡先生ならではです。
生命とは何か?私たちが生きている今(科学的な状況を、未来を、倫理としても、あるいはそれを裏付ける知識を)を、どう捉えたら良いのか?あるいはどう捉えるべきなのか?またはこういう風に考えることはできないか?という事象についてそれこそ科学的にも、倫理的にも見つめ直すきっかけになる本です。
「ダイエットの科学」における科学的、論理的根拠を示しつつ『当たり前』の事実に目を向ける話し、「その食品食べますか?」の中のコストパフォーマンスの向きの馬鹿げた話し、「生命は時計仕掛けか?」に出てくる時間という概念と生命との関連、科学史が好きな人にはタマラナイ話し「ヒトと病原体の戦い」、そして最も重要と思われる「生命は分子の「淀み」」の動的平衡の話し。どれも非常に面白く、確かに今まで読んだ本の流れと何も目新しいものはありませんでしたが、それでもより深く、物事を理解できるようになっていますし、その他の著作を読むよりも非常にコンパクトにまとめられていて、これから福岡先生の本を読もうと思われている方にはよりオススメできます。
もちろん福岡先生の話しの全てに同意するものではありませんし、やはり少しは客観性を働かせると(あるいは私の批評性でも、内なる他者でも、突っ込み小人でも構いませんが、そういう批判精神のようなもの)科学の説明の部分は全て私が証明できるわけでもなく、それ以外の考え方もあるのかも知れませんが、淀み、という流れに置いて生命を捉えることから見える視点は、テラインコグニタ(未踏の地、もちろん私にとって)と言えます。また、知らないより、知った上での考え方は、事実が異なっていたとしても、考え方の新鮮味と柔軟性をも潰すものでは無いと考えます。
最後に出てくる伊藤若沖の絵がまた素晴らしくマッチしていて凄い。
福岡先生の本に、動的平衡という状態に、興味のある方にオススメ致します。
「できそこないの男たち」からハマッタ福岡先生の著作のひとつ、やっと図書館から順番が回ってきました。でももう半年以上前の話しなんですけどね。
今まで読んだ福岡先生の著作の美味しいところ取りの本です。流れるような話しの展開と構成の上手さ。ひとつひとつの話題の収束点に向けてのヒロガリと読者の想像を許しながらの自由度もあって、なおかつ納得させる技術の高さ、そのうえ理系の良さと文系の良さを併せ持つ福岡先生ならではです。
生命とは何か?私たちが生きている今(科学的な状況を、未来を、倫理としても、あるいはそれを裏付ける知識を)を、どう捉えたら良いのか?あるいはどう捉えるべきなのか?またはこういう風に考えることはできないか?という事象についてそれこそ科学的にも、倫理的にも見つめ直すきっかけになる本です。
「ダイエットの科学」における科学的、論理的根拠を示しつつ『当たり前』の事実に目を向ける話し、「その食品食べますか?」の中のコストパフォーマンスの向きの馬鹿げた話し、「生命は時計仕掛けか?」に出てくる時間という概念と生命との関連、科学史が好きな人にはタマラナイ話し「ヒトと病原体の戦い」、そして最も重要と思われる「生命は分子の「淀み」」の動的平衡の話し。どれも非常に面白く、確かに今まで読んだ本の流れと何も目新しいものはありませんでしたが、それでもより深く、物事を理解できるようになっていますし、その他の著作を読むよりも非常にコンパクトにまとめられていて、これから福岡先生の本を読もうと思われている方にはよりオススメできます。
もちろん福岡先生の話しの全てに同意するものではありませんし、やはり少しは客観性を働かせると(あるいは私の批評性でも、内なる他者でも、突っ込み小人でも構いませんが、そういう批判精神のようなもの)科学の説明の部分は全て私が証明できるわけでもなく、それ以外の考え方もあるのかも知れませんが、淀み、という流れに置いて生命を捉えることから見える視点は、テラインコグニタ(未踏の地、もちろん私にとって)と言えます。また、知らないより、知った上での考え方は、事実が異なっていたとしても、考え方の新鮮味と柔軟性をも潰すものでは無いと考えます。
最後に出てくる伊藤若沖の絵がまた素晴らしくマッチしていて凄い。
福岡先生の本に、動的平衡という状態に、興味のある方にオススメ致します。