岡山のネイルアートを極める

岡山のネイルサロンやネイルアートについて研究してます。

岡山 ネイル - ネイルアートの歴史

2010-06-09 16:23:20 | 日記
ネイルアートは大昔から行われている身体への化粧の一種です。

しかし、ネイルアートの技術力やセンスに自信のある人は多くとも、ネイルアートの起源や沿革にまで詳しい人はおそらくごく少数でしょう。
ここでは、ネイルアートの来歴について紹介しています。

ネイルアートの始まり
ネイルアートの誕生は、私たちの遠い祖先が狩猟や植物採集などで生計を立てていた遥か縄文時代にまで遡ります。

その頃の日本人は既に指輪や腕輪などの装飾品を身に付ける美意識を持っており、異国では早々と爪のお洒落がスタートしていたのです。

ネイルアートの発祥地
ネイルアートの発祥地は紀元前3千年のエジプトとされており、王族のミイラの爪がヘナという植物の汁で染められていたことから発覚しました。

ちなみに絶世の美女クレオパトラもこのヘナを爪や唇などに塗っていたと言われており、階級の高い人間ほど濃い赤色を用いていたようです。

ネイルアートは中国から伝わった風習?
ネイルアートは昔から様々な国で行われていましたが、唐の時代(西暦618年~907年頃の中国)に爪を染色していた楊貴妃の習慣が平安時代の日本に伝来したとされています。

日本にネイルアートが伝わってからの流れ
平安時代には高貴な人々の趣味として鳳仙花や紅花などの汁で爪に着色をしていました。

江戸時代に入ると原料のホウセンカのことや爪に色を塗る行為を“爪紅(つまべに)”と呼び主に遊女が行っていました。

その後フランスから“磨爪術(まそうじゅつ)”と呼ばれる爪磨きのテクニックが明治時代の日本に伝わり発達していったのです。

マニキュアの語源やペディキュアについて
マニキュアという言葉は古代ローマの公用語であるラテン語“マヌス(手)・キュア(手入れ)”という表現が変化して生まれました。

マニキュアは指や爪のお手入れという意味も含んでおりローマ帝国(紀元前753年から509年頃まで)の上流階級の男女の慣習でした。

また足の爪に色を塗るペディキュアという言葉も“ペディ(足)キュア(手入れ)”というラテン語が元になっています。




岡山 ネイル

フレンチネイル - 岡山ネイル

2010-06-04 13:45:11 | 日記
フレンチネイルはアメリカから発生したネイルデザイン。ヌードカラーといわれるベージュ系のネイルをベースに塗り、先端にホワイトを塗るのが基本。でも実はバリエーション豊富で、今年の夏はラメを入れたフレンチネイルも流行った。始めにベースの色を塗ってから横や斜めから線を入れる。ネイルカラーを2・3色使うので、色をバランス良く組み合わせる。3色重ねる場合は、一番上に塗るネイルカラーを濃いめにすると、指先が細く見える。フレンチネイルは応用が利くので自分のオリジナルが楽しめる。

マーブルと一言で言ってもたくさん種類があり、2・3色の色をまぜ合わすにしても、色の組み合わせや混ぜ方によって全然印象の違うものができる。マーブルは基本的にベースの色を2度塗りし、2度目の色が乾かないうちにドットをおいていく。1はそのドットを細かい筆か、楊枝で混ぜ合わせたもので、マーブルの基本。2はおいたドットの真ん中を尖ったもので、スーッと引いてネイルを伸ばしたもの。ハートの形が作られる。3はドットに十字の切れ目を入れたもの。楊枝の引き具合いで、花の形が変わる。4はフェザーと呼ばれるデザインで、ベースの色を塗った後3色のカーブした太めの線を描き、カーブの外側から内側に向かって筆か楊枝で線を引く。すると扇ができる。最後に5は、始めに白のドットを円状に5個おき、次にその中に小さなオレンジのドットを落とし、2のようにドットの真ん中を外側から内側に向かって、ネイルを伸ばしたもの。ハート形が集まると、花の形になる。このようにマーブルには応用がたくさんあり、色の組み合わせや混ぜ方により全く印象が変わってしまうので、とても面白い。同系色の組み合わせに白を入れて混ぜ合わせると必ずきれいなマーブルができる。けれど混ぜ過ぎて色が同化してしまったり、2・3色の色を組み合わせて混ぜてみると、色合いが良くなくてきたなくなってしまったりする。またマーブルを作るとき一番難しいのは、ベースの色が乾かないうちに色を混ぜ合わさないといけないということで、あせってしまい失敗することが多い。でもこれらが完壁にできるようになると自分のオリジナルのマーブルがたくさん作れ、とても楽しくなる。




岡山 ネイル

ネイルアートの歴史 - 岡山ネイル

2010-06-03 19:27:05 | 日記
ネイルアートの歴史

紀元前3000~4000年ごろの古代エジプトには、すでに爪に着色をする文化があったことがミイラなどで確認できる。 ヘナなどの植物性の染料を用い、位の高い人間ほど濃い色で着彩されていたとみられる。

18世紀頃のヨーロッパで現在のようなネイルアートが広まったとされている。 中国では唐の時代に楊貴妃が爪に染色を行っていた。日本には平安時代に伝来し、ホウセンカやベニバナの花の汁を用いて爪に色をつけていた。江戸時代には遊女が行っていた事が知られている。

19世紀にアメリカで自動車用のラッカー塗料が発明され、この技術を応用して現在使われているマニキュアが開発された。



岡山 ネイル